2021.12.19 壽藤 考志 牧師「すべてを照らす光」

 今日はゴスペルクリスマス礼拝であります。クリスマスについてお話をさせていただきます。クリスマスのお話に入りたいと思います。クリスマスというのは、皆さんもご存じの通りイエス・キリスト様の誕生日です。まず誕生日がどういう次第であったのか絵本をスライドにしてお話を聞いていただきたいと思います。


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絵本「みんなでたのしいクリスマス」 みなさん、ようこそおいでくださいました。 これから、ずっとずっと昔、世界で最初のクリスマスに生まれた赤ちゃんについての劇をお見せいたします。それでは、はじまりはじまり~。 お母さんのマリアと、お父さんのヨセフが、生まれてくる赤ちゃんのための用意をしています。マリアは、赤ちゃんをくるむ毛布を作っています。ヨセフは、ゆりかごを作っています。 ある日、王様が自分の町に帰るようにと、人々に命じました。自分の国に何人の人がいるかを知るためでした。マリアとヨセフも遠い遠いベツレヘムという小さな町まで行かなければなりませんでした。マリアはロバに乗り、ヨセフは、マリアを労わりながら歩き続けました。 ベツレヘムに着くと、町は人であふれかえっていました。マリアとヨセフは、泊まる場所を見つけることができませんでした。赤ちゃんは今にも生まれそうです。 マリアは、とてもくたびれていました。ヨセフは、小さな馬小屋を見つけました。中に入ると、ヨセフは飼い葉桶にわらを敷き詰めました。牛とろばがその様子を見ています。 そしてその夜、馬小屋の中で赤ちゃんが生まれました。マリアは、飼い葉桶のふかふかのわらの上に赤ちゃんを寝かせると、自分で作った毛布をかけてやりました。マリアとヨセフは、赤ちゃんに「イエス」と名前をつけました。 その頃、丘の上では羊飼いたちが、羊の番をしていました。夜空にはたくさんの星がまたたいています。 すると、一人の天使が現れて、ベツレヘムの馬小屋で一人の赤ちゃんが生まれたことを羊飼いたちに告げました。名前はイエス。いつか世界中の人たちが知るようになる、特別な赤ちゃんだと教えてくれました。 それから、たくさんの天使が現れて、赤ちゃんの誕生をお祝いして、「みんな、喜ぼう!」と歌い始めました。 羊飼いたちは、胸がわくわくしてきました。そして、すぐに赤ちゃんに会いに出発しました。 羊たちと一緒に馬小屋へと丘を下ると、そこには飼い葉桶に眠るイエス様がいました。 その頃、遠い国では、三人の博士が、夜空に輝く星を見ていました。その星は今まで誰も見たことのないほど、どの星よりも明るく光り輝いていました。 その星がどこかへと動き始めました。博士たちは星について行きました。すると、星はベツレヘムという小さな町の上で止まりました。 博士たちは、ある馬小屋を見つけました。そして、贈り物を手に、中に入りました。そこでは、お母さんがなんともかわいらしい赤ちゃんを抱いていました。 「名前はイエスです。」と、お母さんは言いました。お父さんも傍に寄り添っています。 「お誕生日、おめでとう!」 博士や羊飼いたちが言いました。私たちが自分の誕生日をお祝いするように、クリスマスはイエス様がお生まれになったことを喜ぶ日なのです。そう、これが世界で最初のクリスマスのお話です。 おしまい!

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 先ほども言いましたが、クリスマスはイエス・キリストの誕生日であるということを、皆さんご存じだと思います。そして世界で初めてのクリスマスは、このような様子でした。世の中でやっているようなクリスマス会はやっていなかったわけです。プレゼントを交換して、ケーキを食べて、鶏の足を食べて、そのような風習はどこからやって来たんでしょうね?そしてこの絵本の中で、博士たちが三人いて、黄金と、乳香と、没薬とを持って、記念品を持って、赤ちゃんのイエス様のところに携えてきた。皆さんが生まれた時にそんなことをやってくれた人がいましたか?突然知らない博士があなたの生まれた部屋の戸口にやって来て、コンコン!と。あなたのために黄金を持ってきました!って。そんなこと誰も経験したことないわけですよ。そこから見ても特別な赤ちゃんだったということがよくわかりますね。さっきの絵本の中でもありました。「この赤ちゃんは後に、世界中の人が名を知るようになる特別な赤ちゃんです。」と言っていましたね。何が特別だったんでしょうね?それを今日は少しお話ししたいと思います。クリスマスツリーがあるでしょう、クリスマスツリーの一番上は星です。最近はリボンだったり、ハートだったりするんですが、これは星であるべきです!この星は、イエス・キリストが生まれた時の馬小屋の上にとどまった星を表していると言われています。なぜクリスマスに、このようなツリーを飾るようになったかはよくわからないですが、この星はこのような意味があるのです。じゃあ、イエスキリストの誕生は、何が特別だったのか?

 今日はこのようなテーマで話したいと思います、「すべてを照らす光」すべてを照らす光、とは何なのか。聖書の言葉を皆さんで読みましょう。「すべての人を照すまことの光があって、世に来た。」ヨハネによる福音書1章9節。すべての人を照らすまことの光があって世に来ました。これはイエス・キリストのことについて書いています。そして今、この世の中は暗いニュースが多いですね。一番最近で言うと、大阪で放火事件があって、20数名が亡くなられた、また昨日のことで言うと、ある女優さんが20階から飛び降りて亡くなられた。この数日の間だけでも、これだけのことが起こっている。この数年振り返ってみたらどうでしょう。この世界はコロナでめちゃくちゃになりました。そして毎年のように想定外の災害が起きていますね。そのような中で、本当に神様がいるんだったら、イエス様が2000年前に来られて、本当に世の光として来られたのだったら、なんでこんな不条理なことが起こるんだろう?この御言葉の意味ってどうなんだろう?ということをお話ししたいと思います。

 人間というのは、とっても不器用な生き物です。聖書の言葉を読んでみましょう。「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。」マタイによる福音書6章24節。人間は本当に不器用な存在です。完全な人は一人もいません。そして、この言葉が言っていますね、一方を憎んで他方を愛し、一方に親しんで他方をうとんじる。人間っていうのは一つのことにこだわり始めると、他の側面があるにも関わらず、それが見えなくなるような、バランスの取りにくい生き物だということです。自分の考えに固執すると、他人が見えなくなる。そのような生き物だということですね。皆さんもそのような経験ないですかね?私は最近ありました。昨日かな?一昨日かな?部屋で集中して何かしようとしていた時に、部屋に一匹のカメムシが入ってきたんですよ。ブンブン、ブンブン飛んでいて。もう、たったその一匹が入って来ただけでも、全然気が散って何もできなくなっちゃいました。皆さん、カメムシってどうやって捕まえますか?私、いい方法思いついたんですよ!牛乳パックの上を開いて、壁などに止まったカメムシをパックにスライドさせて捕るんですよ。それで、一瞬でパックを閉めて、外に出てパッとカメムシを飛ばすのです。私の中では一番のカメムシの対処法です(笑)。たった一匹の虫が入って来ただけでも、一つのことに集中できなくなるんですよ。皆さん、どうですか?夜中寝ていて、蚊が一匹入ってきたら、それだけでも嫌でしょう。一つのことに固執した考え方を持つと、バランスが取れなくなる。人間ってそういったものです。もしかしたらもっと良い他の方法があったかもしれないのに、私はこれでやると決めたら、そのようになってしまうんですね。本当になんでこんなに不条理なんだろうと思うようなことがあります。それを疑問に感じ、矛盾や苛立ちを覚える。しかし、あなたの心がアンバランスなんですよ。どこか一つのことに執着しすぎて、人の心は壊れてしまうってことはあるんですね。だから私たちは、バランスの取れた心が欲しいんです。バランスの取れた心。

 聖書の言葉をもう一つ見ましょう。これはとっても有名な御言葉ですね。一緒に読みましょう。「『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない。」マルコによる福音書12章31節、とイエス・キリストが言われました。この聖書の言葉は、二つに分けることができます。まず一つ目は「自分を愛するように」ということ。そしてその後、「あなたの隣り人を愛せよ」と。自分を正しく愛せる人は、他の人を正しく愛することができると言っているのですね。今日は特にこの前半部分、「自分を愛するように」ということを話したいと思います。自分を愛するということにおいて、もちろんいろんなタイプの人がいるのですが、大きく分けて2つのタイプに分かれると言われています。それは何かと言いますと、「自分を愛せないタイプの人」また逆に「自分を愛しすぎるタイプの人」と。皆さんどちらのタイプでしょう?極端に自分を愛せないタイプの人というのはどのようになるかというと、過度に自身を過小評価し、自分を責め続けて、責め続けて、生きる希望を失い、ついにその人の行く先とは、自分の命を絶ってしまうんですって。そしてまた、その逆の人、極端に自分を愛しすぎる人っていうのは、どうかというと、他人を責め続けるそうです。他人を責め続けることで自分を立てる、他人を責めることで自分を保ち続けながら生きていきます。そして最終的にその人は、どのようになっていくかというと、誰も信じられなくなって、うつになるそうです。両者とも究極的なところまでいくとの話ですよ。皆さんはどちらのタイプでしょう?他人を責め続けて生きていますか?自分を責め続けて生きていますか?どちらか思い当たるところはあるのではないでしょうか。はっきり言って、どちらも正しく自分を愛している状態ではないです。私たちは「一方を憎んで他方を愛し、一方に親しんで他方をうとんじる」存在です。前者は、「あ~自分はだめだ!なんで私はあの人より容姿が悪いのだろう!あの人と比べて能力がないのだろう!」などと自分を責め続けます。また後者は、「私はこんなにやっているのにあの人は全然わかってくれない!あの人のあの言葉のせいで私はこうなんだ!両親に恵まれなかったから!」と他人を責め続けます。そのようなたぐいの心の傷を抱えながら、皆生きているんです。どちらも自分を正しく愛している、すなわち聖書の言う「自分を愛するように」を正しく実践できている人とは言えないです。先ほどのニュースの話で、昨日の女優さんの話で言うと、いろいろ抱えてたものがあったのでしょう。自分を責め続けて、責め続けて、責め続けて生きてきたんでしょう。その結果、答えがわからなくなりました。そして飛び降りたのでしょう。大阪の放火事件の話で言うと、他人を責め続けて、責め続けて、責め続けて、そのクリニックにガソリンを撒いたんでしょう、そして火をつけたんでしょう。どちらも正しくないですよ!「一方を憎んで他方を愛し、一方に親しんで他方をうとんじる」人は、そういうアンバランスな心を持つ存在です。

 じゃあ、どうしたら正しく自分を愛せるでしょう。答えは一つしかないです、本当の愛が何であるか、ということを知る以外にないです。本当の愛が何であるかということを知る。それは、このクリスマスの時に教会を通して発信したいことです。では、聖書の言葉を皆さんで一緒に読みましょうか。「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。」ヨハネの第一の手紙4章9節。イエス・キリストは、人間でありながら真の神様です。これは人の考えを超えていますが、これが真実です。神の位を捨てて、人の姿になられた。それがイエス・キリストです。そこに神の愛があります。私たち人間は不完全な者です。それは、聖書の中では「罪」と言う言葉で語られています。神の前では、人は不完全で、神の完全さに及ばない不完全なことは、罪であると言われています。それをまず認めて、私たちは真の愛がどこにあるのか、ということを知りたいです。私たちは、神様に放っておかれてもいい存在でした。でもそれをしないで、神であるお方が神の位を捨てて、この地上に来てくださった。それが、本当のクリスマスの意味です。そして本当のプレゼントは、あなたのアンバランスな心が、バランスの取れない、一方しか取ることができないその心に、本当の光を照らすために来られたということです。一番初めに見た御言葉は「すべての人を照らすまことの光があって、世に来た。」この外面的な世界を一変させようと思って、神様は来られたわけではないです。コロナが全部なくなりますように!自殺する人が一人もいなくなりますように!殺人事件がすべてなくなりますように!その意味でこの世を照らすために来られたんじゃないです。フォーカスを当てているのは一人一人の心の中です。アンバランスな心をみんな持っている。バランスの取りにくい考え方を私たちはついついしてしまう。そこに光を照らしたい。一人一人の心の中に真の光を照らしたい、そこに目的があったんです。そのため不条理なことは起こるんです。世の中からはなくならないでしょう。でも、真の光が一人一人の心の中に入って、正しく自分のことを愛することができるようになった時に、あなたの世界は変わるのです。そのためにキリストは来た、と言うんです。「すべての人を照らす光があって、世に来た。」すべての人の心を照らすんです。一人一人の心を照らしたいんです。あなたの心は、一方しか取ることができない、バランスが取れない心なんですよ。そのために私は来ました。クリスマスの真のプレゼントはそれです。それを今日受け取って帰っていただきたいと思います。

 もう一つ、聖書の言葉を見ましょう。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。」ヨハネの第一の手紙4章18節。愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。イエス・キリストはそれを実践され、全人類の模範としてそれを見せるために、この地上に来られました。そしてその愛は、私たちが本当は背負っていかないといけない人生の十字架を、身代わりに背負ってくれた。本当は一番バランスの取れた心のお方が、もう人間の努力だけでは心のバランスが取れない事は、私が引き受けましょう!私が身代わりになりましょう!そして命をかけて私たちを愛してくださった。その愛をあなたがたにあげます。それを知った時に、一気に、人間は変わらないかもしれない。だけど、真の愛を知った人間は、恐れが取り除かれ、神の愛を知るに至るでしょう。心が調整されていくのを知るでしょう。それがクリスマスの本当の意味です。世界で初めてのクリスマスっていうのは、そのような時でした。今のような華やかさはなかったでしょう。だけども、私たちに本当の心をあげたい。本当の光を心の中にあげたい、そのために2000年前にイエスキリストが来られたのですね。皆さんの心の中に真のクリスマスがやって来ますように、心からお祈りいたします。

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