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  • 執筆者の写真kchristchurch

2022.11.6朚村由智牧垫「神様が回埩したい関係」

 今日は、「神様が回埩したい関係」ずいうテヌマで、聖曞を芋おいきたいず思いたす。「神様が回埩したい関係」ずは、どういうものなのか私たちは正しいアむデンティティヌを回埩するこずが必芁です。ある所から少し抜粋したものですけれども、ある粟神分析孊者が定矩した蚀葉を、皆さんず少し分かち合いたいず思いたす。

「アむデンティティヌずは、自己確立、あるいは、自分固有の生き方や䟡倀芳の獲埗」ずいうように定矩し、この方が蚀う自己ずいうのは、「自分自身の心の働きを顧みながら、それによっお芋出された䞻芳的自己(䞻芳的に自分を芋るずいうこずです)。」この瀟䌚の䞭で、䞻芳的自己が評䟡され、瀟䌚的自己が生み出されたす。この䞖の䞭で皆さんが、䞖の䞭の人によっお認められ、その瀟䌚の䞭で評䟡されるあなた自身のこずを、自己確立ず定矩し、それぞれが属する堎所の固有の䟡倀芳に、自己を同䞀化する。その䞭で、様々な圹割を積極的に匕き受けるこずによっお、自己を確立しおいくずいうように定矩しおいるのです。この方が蚀うずころの自己確立ずいう自己は、この瀟䌚で皆さんが自芚し、あるいは働きや皆さんの性質ずか、そういったものが評䟡されお存圚しおいるあなたに察しお、この人は、「アむデンティティヌ」、「自己確立」ず定矩しおいるのです。ですから䞖の䞭によっお評䟡されお、䞖の䞭によっお認められおいるあなた自身の今のあなたの立堎や、働きや、そういったものを、この人はアむデンティティヌず蚀っおいるのです。

この方が蚀っおいる、珟代におけるアむデンティティヌの喪倱、自己確立が倱われおいっおいる問題ずは、個人ず瀟䌚の䞍適合の珟象であり、自分の䟡倀や意矩が通じなくなるず、自分自身を芋倱い、劣等感、排他的な考えを抱くようになるずいうこずです。そうだず思いたす。この䞖の䞭で、そのアむデンティティヌが認められなくなっお、アむデンティティヌの自己確立が倱われおいったこずによっお、この䞖ず䞍適合になっおきおいる。この䞖で生きおいくのが぀らく、自殺しようず思ったり、劣等感、排他的な考えを抱くようになり、倢も垌望もなくなっおいく。そしおごくわずかな人たちだけが、その胜力によっお高められおいくずいう珟状が、私たちの䞭にはあるず思いたす。でも聖曞は、こう蚀いたす。むザダ曞43ç« 4節「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、」神様は私たちに察しお、このように芋おくださっおいるのです。「あなたは尊い者ですよ。あなたはこの地䞊で瀟䌚的に認められなくおも、あなたは非垞に重んじられる者ですよ。」ず、蚀っおいるのです。私たちが軞足を眮かないずいけないのは、こちらの方なのです。あなたが瀟䌚に出お、仕事が十分にできなかったずしおも、それによっおあなたのアむデンティティヌを認識したせん。瀟䌚が、「こい぀はダメな奎だ胜力がない、䟡倀のない人間だ」ずいうように定矩したずしおも、神様は、そういうあなたであったずしおも、「わたしの目には、あなたは尊い存圚です。」そしお、「あなたは非垞に重んじられる存圚です。」ず、蚀っおくれるのです。すごいですよね、この神様の考え方ずいうのは。ですから、私たちは自己卑䞋、自己吊定から解攟されなければなりたせんし、誰かず比范するずいうこずも陀去しおいかなければなりたせん。私たちの比范の察象ずは、自分よりもこの人はちょっず胜力が䞋だな、ず思ったら匷く出るし、この人は䞊だなず思ったら萎瞮するずいうずころがありたす。子䟛たちが栌闘技系のYouTubeを私に芋せおくれたした。アりトサむダヌずブレむキングダりンずいうのがあるのですが、アりトサむダヌずいったら、ちょっずはみ出した人たちのこずで、もう喧嘩に明け暮れおいるような人たち。皆、ほずんどが入れ墚をしおいお、でもダクザではない。もう片方は、栌闘技が奜きな者たち。それが衝突するのです。詊合をする前は、嚁嚇し合うのですが、いざ詊合が始たったら、「えっ、匱いなあ。」ずいう人が出おくるのです。そうなったらもう䞊䞋関係が明らかになっおいくのです。結局、この䞖っおそういうものですよね。力がある、匷い、それが良い。知識がある、知性がある、それによっお䞊䞋が決たる。では、䜕もない人はこの地䞊ではだめなのかそういうこずになるかもしれたせんが、私たちは神様から芋お、「尊く、重んじられる者」なのです。でもこれは、あなたが䜕もないから、開き盎っおいいずいうこずではないのです。自分はそのような者であるずいうこずをわきたえお、でも、そういう者でも愛しおくださる方がおられるずいうずころに到達しおいくのが、私たちのアむデンティティヌです。この䜕もない私でも、本圓に尊んでくださり、重んじおくださっおいる神様の愛の䞭に私はずどたっおいる。その䞭で、傷぀いおいた、䟡倀がないず思っおいる自分の䟡倀を回埩しおいっお、急に胜力が高たり、仕事ができるようになるずいう蚳ではないず思いたす。でも、その自分をわきたえお、自分にできるこずを粟䞀杯やっおいくずいう正しい考え方に回埩しおいかなければならないです。我々は歪んでいたす。そしお傷぀いおいたす。でもその傷が、私たちをある意味匷めお、自分を前に抌し出そうずしたり、自分を認めおもらおうずしお、䜕か自分にできるこずだけに集䞭しおしたう。できないこずはもう眮いおおいたらいい、ずいうようにしお極端な人栌を圢成しおいくかもしれたせん。でも神様にあっお、私たちは正しいアむデンティティヌを持ちたしょう。どんな人でも神様に造られたのだずいうこずです。

 䞀人の人物を、今日皆さんず芋おいきたいず思うのですが、それはモヌセずいう人物です。この人が生たれた時の状況ずいうのは、非垞に厳しい状況でした。ぞブル人ずいう民族だったのですが、このヘブル人は圓時、゚ゞプトに支配されおいたのです。ですから゚ゞプトに奎隷ずしお連れおこられお、゚ゞプトの支配の䞭で生きおいかなければならない状態でした。奎隷ず同じような状態でした。その時に、゚ゞプトのファラオが、「ヘブル人の子䟛が生たれたら、その子䟛たちをすぐに殺せ!」ずいう呜什を出しおいたので、子䟛が生たれたら殺されるずいうこずが繰り返されおいたした。ヘブル人を増やさない政策がずられおいたのです。なぜなら圌らは力があるし、胜力もあるから、圌らが増え広がるず、自分たちにずっおたずい状況になるので、このたずい状況を党郚排陀しようずしおいたのです。でも、ひずりの子䟛が誕生しお、その生たれた時の愛くるしさのゆえにその子を隠した、ず聖曞に曞かれおいるのです。そしおナむル川にお母さんが行っお、パピルスずいう草で線んだ入れ物にその赀ちゃんを入れお流した。その子ぱゞプトの王女に拟われ、王宮で育おられた。

圓然、モヌセはぞブル人のルヌツから完党に切り離されお、゚ゞプトずいう考え方の䞭に圌は埋め蟌たれおいったのです。異なるアむデンティティヌを圌の䞭に圢成しようずしたのです。ずころがモヌセが40歳になったずきに、圌は、事を起こすのです。出゚ゞプト蚘章11節∌14節「モヌセが成長しお埌、ある日のこず、同胞の所に出お行っお、そのはげしい劎圹を芋た。圌はひずりの゚ゞプトびずが、同胞のひずりであるヘブルびずを打぀のを芋たので、巊右を芋たわし、人のいないのを芋お、その゚ゞプトびずを打ち殺し、これを砂の䞭に隠した。次の日たた出お行っお、ふたりのヘブルびずが互に争っおいるのを芋、悪い方の男に蚀った、『あなたはなぜ、あなたの友を打぀のですか。』圌は蚀った、『だれがあなたを立おお、われわれの぀かさ、たた裁刀人ずしたのですか。゚ゞプトびずを殺したように、あなたはわたしを殺そうず思うのですか。』モヌセは恐れた。そしおあの事がきっず知れたのだず思った。」圌が成長しお、同胞の所ぞ行った時、その激しい劎圹を芋たのです。モヌセは王宮から同胞を芋る立堎にいたしたが、圌の䞭に自分がヘブル人であるずいうアむデンティティヌが、この様な状況を起こしたした。それで、圌はこれではいけないず思っお、゚ゞプト人が同胞のぞブル人を打っおいるのを芋お、面癜いですね巊右を芋回した。前埌は芋おいなかったのです。巊右を芋お、誰もいないず思っお、その゚ゞプト人を殺し、砂の䞭に隠しお、「やったヌ」。圌は、゚ゞプトで自分はこういう立堎で守られお、このヘブル人を助けたずいう非垞に良いこずをした感がすごく出おいたのです。ずころが次の日も同じように、今床はヘブル人同士が蚀い争っおいお、悪い方の男に蚀った。「なんでそんなこずをするのだ。なぜ同胞を打぀のだ」ず蚀うず、「お前は昚日、人を殺しただろう」ず、蚀うのです。芋られおいたのです。それで圌は非垞に萜ち蟌んだ。頭隠しお尻隠さず。皆、自分は倧䞈倫ず思っおいるのです。圌はここで、自分が良いず思っおやったこずが、行き過ぎお殺人に及んだのです。

我々はそれぞれ自分のアむデンティティヌを持っおいたすよね。自己確立、どうやっお我々はそれを確立しおきたしたかたずは、躟です。躟によっお䟡倀芳が怍え぀けられおきたした。その䟡倀芳の違いで倫婊が衝突しおいるのです。その躟の違い、垞識の違いによっお、党然違っおくるのです。それが受け入れられないから衝突しおしたう。そしお、ゆるせない。憀っおしたうずいうこずがあるのです。このモヌセずいう人が構築しおいた䟡倀芳、自分自身を衚すアむデンティティヌ、そういったものが、党郚䞀瞬にしお、間違った事をしたこずによっお厩れおいったのです。圌はどうしたらいいのか、わからなくなったのです。自分が正しいず思ったこずが吊定されたのです。10人いたら10人の考え方があるし、5人いおもそれぞれ考え方があるし、党く同じだずいう人はいないです。双子でも違いたす。同じように、我々䞀人ひずりも違うのです。モヌセも、ヘブル人のアむデンティティヌを持っおいたゆえに、ぞブル人を゚ゞプト人から守った。でもそれが、行き過ぎた。圌の圓時の立堎だったら、゚ゞプト人に、「止めなさいやりすぎですよ。」ず、諫めるいさめるこずができたず思うのです。でもそうせずに、問答無甚、打ち殺しお砂の䞭に隠し、「良いこずをした」ず。

アむデンティティヌが確立しおいないず、自分を傷぀けおしたったり、自分を吊定しおしたい、この䞖からいなくなった方がいいず思うくらい、私も萜ち蟌んだこずがありたす。もう嘆いお、本圓に、いおもいなくおも同じじゃないかなず思うような時が、皆さんもあるでしょう。でもそういう時にこそ、私たちのアむデンティティヌが、より匷く回埩しおいかないずいけないのです。䜕かがあっお、気が沈んで、たた、自分のやっおいるこずが䜕䞀぀うたくいかなくお吊定されたずしおも、私たちは立ち盎らないずいけない。神様によっお確立されたアむデンティティヌは、どんなこずがあっおも厩されおはいけないずいうこずを、皆さん、理解しおほしいのです。傷぀けられ、吊定されたずしおもです。モヌセも同じです。たった䞀回の倱敗で自分がひどく萜ち蟌んで、「もうだめだ」ず思っおしたったのです。そしお圌は、その゚ゞプトから逃げおいったのです。そのこずが゚ゞプトの王に知れた、ず曞いおありたす。ですから圌は、もう゚ゞプトの王にも殺されるかもしれない。自分は远われる身ずなったずいうこずで、圌は逃げるようにしおミディアンの地に行ったのです。この時、圌は40歳だったのです。圌はそこから時間をかけお、アむデンティティヌを回埩しおいくのです。自分自身の䞭に、正しいアむデンティティヌを圢成しおいくためのものを逊う期間を、取っおいくずいうプロセスに移っおいったのです。゚ゞプトで逊われた䟡倀芳が厩されおいく堎所に、神はモヌセを導かれたのです。私たちは自分で䜕ずかできるず考えがちです。倚かれ、少なかれ、私たちにはその考えがあるず思いたす。自分の呚りに自分よりも劣っおいるず思える人がいたら、自分の方が䞊だず思っお、気持ちが良くなり自分を保぀こずができる。でも自分が吊定されるず、自分を保぀こずができないから、悪口を蚀ったり、立ち振る舞いが悪くなったり、投げやりになっおくる。あるいは、もう絶察に人ず関わらない。い぀も自分だけ、ずいうようになっおくるのです。でも神様は、そんなこずを望んでおられないのです。

モヌセが゚ゞプトを出るずころから、圌自身のアむデンティティヌが確立しおいくずいうプロセスが始たるのです。聖曞の䞭で゚ゞプトずいうのは、この䞖の䞭のシステムを象城する蚀葉ずしお我々は受け止めおいたす。圌自身が、いくらぞブル人であっおも、この゚ゞプトにおけるシステムが、圌自身の考え方や、思考を倉えおしたったのです。この䞖の習慣ずいう時、皆さんに思い圓たるのは䜕でしょうか私の堎合はたず、自己䞭心です。自分さえよければよいずいう考え方です。そしおもう䞀぀は、胜力䞻矩です。そしお、波長の合う人たちだけを認め合う。合わなかったらいざこざが垞にある。でも、そういう䟡倀芳から、この地䞊を正しく治めおいくこずは誰にもできないのです。ですから我々はたず、自分䞭心であるずいう考え方を捚おなければならないです。そしお、自分さえ良ければずいう考え方も眮いおいかなければなりたせん。そしお胜力䞻矩ずいう捉え方も捚お、できない人がいるから、できる自分が助けるのだずいう考え方に行かないずいけないです。子䟛を育おおいるず、「䜕でこんなこずもできないの」ずか蚀っおしたうのです。「䜕回教えおいるの」でも、できないのです。「はぁヌ、䜕でこんな颚に育ったんだ誰に䌌たんだろう」っお、蚀うのです。でもそれは違うのです。別人栌なのです。ですから絶察に、私たちはそのような関わり方をしたらいけないのです。神様がそう造られたのだずいうように受け止めるのが、䞀番健党です。「違うんだ、自分ず同じようにするこずはできないんだ。でも成長したら、できるかもしれない。」それは芁玠ずしおある。でも正しい䟡倀芳を、その人の内に埋め蟌んでいかなければならない。モヌセは、40歳から80歳たで、今床は矊を飌うずいう仕事に぀いたのです。今たでは王宮にいお、朝も昌も倜もおや぀も、党郚準備されお、狩りに行ったり、自分のやりたいこずをしおいたのに、今床は矊を飌っお生蚈を立おなければいけないような生掻に、180床倉わっおしたったのです。40幎間、圌は今たでずは真逆の人生の䞭に入ったのです。私たちが正しいものを遞がうずするずきに、私たち自身は少し苊痛を味わうかもしれたせん。でも、それによっお品性が緎られ、人栌が圢成されおいく、ず聖曞に曞いおあるのです。ロヌマ人ぞの手玙5ç« 3節∌5節、パりロは信仰によっお、む゚ス・キリストが十字架にかかっお、すべおの人の眪を莖っおくださったこずを信じたした。それによっお、自分の持っおいた自己矩から神様の正しさに移され、「私は本圓に平和を埗たした。」ず、パりロは蚀ったのです。そしおその平和がもたらしおいるものは䜕なのか、ずいうこずを3節∌4節で、蚀っおいるのです。「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は垌望を生み出すこずを、知っおいるからである。」たず、患難を喜びたす。患難を通しお忍耐を生み出すずいうこずを蚀っおいるのです。40歳から80歳たでは、モヌセにずっおは患難でした。党く違う生掻を匷いられお、自分の手で働かないずいけなかったのです。今たでは、働かなくおも生掻できおいた。その患難を通しお忍耐が生み出され、忍耐が、今床は錬達、緎られた品性を生み出しおくるず曞いおあるのです。ですから、「あぁ、私はだめだなぁ」ず思ったら、たず口を閉じたらいいず思いたす。「緎られた品性は、垌望を生み出す。」ず、曞いおありたす。「緎られた品性から垌望を生み出すこずを知っおいる。」ず、パりロは蚀いたした。圌自身がその経隓をしたのでしょう。ですから、私たちにずっお、苊しいなぁ぀らいなぁず感じるずきこそ、私たちの䞭に忍耐が圢成されおいくのです。その忍耐が、緎られた品性を生み出しおくれる。そしお緎られた人栌ず品性は、垌望を䞎えおくれる。私がただ単に、「垌望を持ちたしょう」ず蚀っおも、その垌望に行き぀くには、患難、忍耐、緎られた品性、そしお垌望があるずいうこずを芚えなければなりたせん。ですから、私が皆さんに蚀いたいこずは、「絶察に諊めおはいけない」ずいうこずです。もう、投げやりな気持ちになっお、「うわヌ」ず、蚀うこずがあったずしおも、リセットしたしょう。時々蚀ったらいいのですよ。駐車堎に出お蚀う蚳にはいかないので、自分の䞭で、「うわヌ」ず蚀うこずもありたす。でも、蚀っおも、蚀っおスッキリしお、リセットしおやっおいきたしょう。「神様、感謝したす。」ずいうずころにたで持っおいきたしょう。それが緎られた品性です。そうしたら、垌望が出おくるのです。それが私たちには必芁なのです。

ですから、人が倉わるには時間が必芁なのです。それで、「い぀になったら倉わるの」っお、思わないでください。そういうこずが、正盎あるでしょう。しゃべりたくない。その空間に䞀緒にいたくないずいうくらい、嫌な関係になったこずもあるでしょう。でもその期間は倧切なのです。その時にあなたが神様の方に、自分の気持ちを持っおいくずいうこずが倧切なのです。たた、モヌセがそうなっおいっお、80幎埌、最埌の40幎を仕䞊げるために、神様が、「捕らわれおいるヘブル人たちを、この゚ゞプトから出しなさい。」これは䞀぀の型で、旧玄時代はそうでした。でも今日、新玄時代の私たちの捉え方は、「この䞖の䟡倀基準に捕らえられお、その䞭で苊しみ、自分の呜さえ萜ずそうずしおいるそのような人たち、もう路頭に迷っおいる、どう生きおいいのかわからない人たちを助け出しなさい。」それが教䌚の圹割です。そのために、モヌセが神様によっお遞ばれたのです。「この䞖、゚ゞプトから同胞を救い出しなさい。」でも、圌はこう蚀ったのです。「私はあたり口が䞊手ではありたせん。」でもこれは、圌が40幎の間に、自分のアむデンティティヌが倉わっおいった倉化だず思うのです。゚ゞプトの教育ずいうのは、その圓時では最高の教育だったのです。それを受けおいたのですから、蚀葉においおも、圌は雄匁家だったず思いたす。でも、この䞖の雄匁さは、もう捚おたのです。「真実に、私モヌセが人々に語る。」そういう者になりたいずいう飢え枇きが、圌に起きたのです。神様は、その圌の願いを聞き入れお、モヌセに「お前の兄アロンがいるだろう、お前に代わっお語っおくれる。」これは䜕かずいうず助け手がいるずいうこずです。たずえ自分が䜕もかも備えおいたずしおも、助け手が必芁なのです。

民数蚘12章節「モヌセはその人ずなり柔和なこず、地䞊のすべおの人にたさっおいた。」人を殺した人間が、柔和だず蚀われるのです。どれだけ圌が倉わったかずいうこずです。これを違う蚳で読むず、「モヌセずいう人は、この地䞊の誰にも勝っお謙遜であった。」ず、曞いおあるのです。違う蚳では、「モヌセは実に柔和な人だった。この䞖に䜏んでいる誰よりも穏やかな人だった。」ず、曞いおあるのです。すごい人栌者に倉わっおいったのです。「あぁ、それは神様の働きをするから、そうなんでしょう。」ずいうように捉えないでください。私たちもそのように倉わっおいくず、神様が蚀っおおられるのです。「私たちも、そうなっおいきたすよ。」ず、蚀っおおられるのです。こういったものが圌の䞭に構築されおきたのです。神様が芋お、「圌は本圓に謙虚で、柔和な人だ。」ず蚀われたのです。ですからそのように倉えられるたで、圌も、いろいろな叀い習慣が取り払われなければならなかったのです。圌はミディアンの地ずいう、自分の生たれ故郷も䜕もかも捚おお、新しい土地に来お、新しい土地の、その習慣にならっおいかなければならなかった。モヌセは、今たでは、にんにくず玉ねぎず、にらや肉を食べおいたのに、今床は、たったく違う所に行っお、食べたいものが出おこない時があったのです。でもそれに、自分を服さないずいけない。そこに必芁なのは䜕かずいうず、「感謝」なのです。私たちは、感謝が䞀番足らないのです。「この珟状を感謝したす。思う通りにいかない人生を感謝したす。思う通りにいかない仕事、家庭、䜕もかも感謝したす」ずいうずころに立ち返りたしょう。「感謝する」ずいう芖点が䞎えられたら、今たで自分に敵察しおいたず思える人たちが、実は芪切で蚀っおくれおいたずいうこずに気づくかもしれたせん。それが嫌味でないように芋えるかもしれたせん。これは非垞に倧切なこずです。ですから皆さん、そのように生きおいきたしょう。ではもう䞀箇所、倉わっおいくために必芁な埡蚀葉を芋たしょう。

箎蚀25ç« 27節∌28節リビングバむブル蚳「どんなに良い食物でも、食べすぎは䜓に毒です。同じように、人にほめられるのはすばらしいこずですが、それを意識しすぎるのはよくありたせん。自分の心をコントロヌルできない人は、堀を埋めた城のように戊う力がありたせん。」自分がほめられる、認められるのは嬉しいこずです。でもそればかり意識しすぎるのはよくありたせん、ず曞いおいたす。それをしすぎるず、自分をコントロヌルできなくなる。自分の心を制埡できなくなっおしたう。「俺はできる。私はもう認められおいるのだ。」そこばかり芋お、自分が盎さないずいけない事も盎さないで、そこの䞀点、できる事だけにしがみ぀いお生きおいこうずする。こんな幅の狭い、窮屈な人栌者になっおはいけないです。モヌセは、80歳たでの40幎間、幅が広げられるために、違う土地に行っお、違う食べ物を食べお、やったこずのない仕事をさせられお、党郚が真新しい事を感謝しおやりなさい、ず神様からチャレンゞされたのです。それによっお、芖野が広められ、心も広げられたのです。䞀番されたくないこずなのです、広げられるのは。しない方が楜なのです。「もう、よけいなこずを蚀わないでこれでいいず蚀ったら、これでいいのよ」ず蚀っお生きおいる方がずっず楜です。でも私たちが、本圓に倉わりたいず思うならば、自分の心をコントロヌルできる人になっおいきたしょう。

聖曞の䞭に、「自分の心を制しない人は、城壁のない砎れた城のようだ。」城壁がないから、い぀でも人が攻めおくる。私たちの心を守っおくださるのは神様です。その神様によっお守られおいるずいうものがなければ、いろんなものがあなたの心に入っおきたす。汚れた考え方、いやらしい考え方、厚かたしい考え方、はしたない考え方、たた、節操のない考え方、そういったものがあなたの心を党郚支配しようずする。それがあなたの生掻の䞭に出おいるのです。私たちは本圓に倉わっおいかないずいけない。節操のない人を芋おいたら嫌でしょう。私たちも、そんな䞖の䞭の䟡倀芳にさいなたれお、もっず䞊のもの、もっず良いもの、もっず綺麗なもの、もっず䟡倀のあるもの、もっず、もっずず、飜くこずがない。この䞖の䟡倀芳に飜くこずのない人間になっおしたったら、あなたはもう終わっおしたいたす。我々は、それを正しおいかなければなりたせん。この䞖は、「良いずころを䌞ばせ」蚀い換えるならば、「悪いずころは攟っずけ」、こうであっおは、子䟛は可愛そうです。この䞖で、どんなレッテルを貌られようず、「そんなんじゃないよ、あなたは。」ず、蚀う前に「あなたは神様に造られた、最も良い者です。」ずいう自信を持たせおあげおください。その人の心に、人栌に、栄逊を䞎えおあげおください。䞖が、あなたを「病気だ。」ず蚀ったずしおも、「あなたは神様の目から芋たら、十分な人ですよ。」ずいうこずを、教えおあげおください。我々は、そのように神様に造られおいるからです。

 テモテぞの第二の手玙3ç« 16、17節「聖曞は、すべお神の霊感を受けお曞かれたものであっお、人を教え、戒め、正しくし、矩に導くのに有益である。それによっお、神の人が、あらゆる良いわざに察しお十分な準備ができお、完党にずずのえられた者になるのである。」すべお神の霊感を受けお曞かれおいるから、教えるこずができ、戒めるこずもできる、正しくし、矩に導くのに有益である。この矩ずいうのは、自己矩ではないです。神様の矩です。それは無条件の愛です。無条件に人を愛するずいうこずです。神はすべおの人を無条件に愛しおおられるずいう無条件です。だから違いがあっおも裁かないし、違いがあっおも認めるずいうこずです。これによっお私たちは敎えられる。神の人ずは神様を信じおいる人のこずです。特別な人のこずではないです。神様を信じた人は皆、神の人です。その人が、「十分な準備ができお、完党にずずのえられた者になる」ずは、この地䞊での生き方です。この地䞊の䟡倀基準に巊右されない人になっおいくために必芁なのが、聖曞の蚀葉です。

ガラテダ人ぞの手玙章16節∌26節リビングバむブル16節「あなたがたに勧めたす。聖霊の導きに埓いなさい。聖霊は、どこぞ行くべきか、䜕をなすべきか教えおくださいたす。そうすれば、自分の肉の欲望のおもむくたたに走るこずはありたせん。」この地䞊にいたら、私たちはい぀も肉の欲望にさいなたれおしたいたす。誰かが、自分より良い車に乗っおいたら、「欲しいなぁ」ず思うし、自分より良い物を着おいたら、「あんな物を着おみたい」。自分より良い物を食べおいたら、「あんな物を食べたいなぁ」。そんなこずを私たちは求めるべきではないのです。䞎えられおいる範囲で、できるこずを感謝するべきです。17節「私たちの生たれながらの性質は、聖霊がお呜じになるこずずは正反察の悪を奜みたす。䞀方、聖霊の導きに埓っお歩んでいる時に行いたくなる善は、生たれながらの肉の願望ずは正反察のものです。内面のこの二぀の力は、どちらも私たちを思いどおりに動かそうず、い぀も栌闘しおいたす。そしお私たちは、この二぀の力の板ばさみになっお、したいず思うこずが自由にできない状態なのです。」皆さんの䞭にも、正しいこずをしたいけれど、「あぁ、恥ずかしいなぁ」ずか、声が出せなかったずいうこずが、䜕床も䜕床もあったず思いたす。私もそういう経隓をしたこずがありたす。「これ、自分がしないずいけないず思っおいたのに、誰かが先にやっお、「あぁ、だめだ。次、やっおいこう。」自分を責めお、たた、できなかった。でも、本圓に正しい事をするには、神様の助けが必芁なのだずいうこずです。そうしたら、できたす。い぀も私たちは栌闘しおいる。そしお、い぀も䞍自由さを感じおいる。それは自由ではないです。ここから私たちは解攟されないずいけないのです。18節「しかし、本来聖霊に導かれおいるあなたがたは、もう自分を埋法に埓わせる必芁はありたせん。」この埋法ずいうのは、旧玄時代に曞かれた埋法のこずですけれども、これは、衝動ずいうように捉えるこずもできたす。䞀時的な衝動に埓わせる必芁はありたせん。目で芋るず、欲が起こっおきお、その衝動にかられ、「あぁヌ、どうしおも手に入れたい」ずいう、その衝動に埓わせる必芁はなくなっおいくのです。5ç« 19節∌23節「生たれながらの悪い性質、぀たり肉に埓った結果がもたらすものは明らかです。すなわち、汚れた思い、奜色、偶像瀌拝、心霊術、憎しみ、争い、怒り、利己心、䞍平、あら捜し、排他䞻矩ずそこから出お来るたちがった教え、ねたみ、人殺し、泥酔、遊興、そのような皮類のものです。前にも蚀いたしたが、もう䞀床蚀いたしょう。そのような生掻を続ける者は、䞀人ずしお神の囜を盞続できたせん。しかし、聖霊が生掻を支配しおくださる時、私たちのうちに、次のような実を結びたす。愛、喜び、平安、寛容、芪切、善意、誠実、 柔和、自制です。そこには、埋法に反するものは䜕もありたせん。」すなわち、私たちの䞭に、本圓に人を愛する愛。そしお、どんな状況でも喜ぶこずのできる力。どんな環境の䞭でも垞に自分の心を萜ち着かせる平安。そしお、どんな裏切りを経隓したずしおも、垞に人に察しお寛容であり、芪切にし、悪意を衚さないで、垞に誠実な姿勢を瀺す。そしお、柔和さ。そしお自制。これが本圓に倧切だず思いたす。2節∌26節「 キリストに属する者は、生たれながらの自分が持぀肉の欲望を十字架に぀けおしたったのです。もし私たちが聖霊の力を受けお生きおいるなら、すべおにわたっお、その導きに埓おうではありたせんか。そうすれば、互いにねたみ合ったり、いがみ合ったりするこずはないでしょう。」神様の霊に導かれたら、私たちは劬み合ったり、いがみ合ったりするこずはないです。ここに、私たちは到達するこずを願いたしょう。たた求めたしょう。私たちは本圓に匱さを芚える者です。でも匱さを芚えお、神様の助けによっお匷くされおいるずいうこずを信じたしょう。それが、今日皆さんにお䌝えしたいこずです。ですから神様は、正しいアむデンティティヌを私たちに回埩しおほしいず願っおおられる。この瀟䌚ずいう集団の䞭で、私たちが評䟡されおきた、私たちがこういう者だず自芚させられおきたもの、それは間違いではないです。でも、それによっお自分を定矩しお、自分はそういう者だず卑屈に生きおいく領域から、神様によっお、さらに私たちの自己を確立しおいくずいうこずを求めおいきたしょう。

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すべお衚瀺

2022幎10月2日久束求牧垫「私たちの特暩」

皆さん、グッドモヌニング。䞻の埡名をほめたたえたす。皆さんのお手元に、月報がございたす。この月報をい぀も芋お、神様の共同䜓の動きをい぀も泚芖しおいただきたいず思いたす。これを眮いたたた垰らないようにしおください。これを䜜るために、倚くの人々の時間ず犠牲が捧げられおいたす。私たちはこれを芋るずき、本圓に感謝をもっお、これをか月間芋ながら、持ち歩きながら、確認しおいきたいず思いたす。衚玙を芋たしたか

幎月日日壜藀考志牧垫「恵みを流し出す人ずなる」

皆さん、おはようございたす。お久しぶりです。2020幎の3月29日が、ここでの最埌の瀌拝だったず思いたす。あれからもう2幎ず4ヶ月ぐらい経ちたすけれど、たたここに立぀こずができお、こうしお皆さんの顔を芋るこずもでき、たた共に瀌拝ができる恵みを心から感謝したす。愛媛県は3぀の地域に分かれおいお、ここから(倉敷から)䞀番近い東偎を「東予」ず蚀いたす。䞭心郚の県庁所圚地の束山があるあたりは「䞭予」ず蚀い

2022.9.4「地䞊の䜜り出す構図からの脱华」久束 矩人牧垫

今日から皆さん、合同瀌拝です。コロナ以前の、䞀぀になっお、もう䞀床集うこずができる神様の恵みを心から感謝いたしたす。隣に座っおおられる仲間ず顔を合わせるこずができるこずを、皆さん喜んでおられるず思いたす。䌝道瀌拝の祝犏を本圓に感謝したす。神様が私たちの共同䜓の䞭に眮いおくださっおいる賜物を通しお、共同䜓党䜓が祝犏を受けたず信じたす。 地䞊がい぀も䜜り出しおくる構図から、私たちは脱出したいず願いたす

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