2020.9.6 木村 由智 主任牧師「変革の必須性の恵みを思い起こす」

今日もう一度皆さんと共に神様の御言葉を少し見て、私たちは励ましと恵みをいただきたいと思います。皆さんこの変革の必須性を終えられて、どの様に皆さんが受けとめておられますか?もう一度私たちはこの事を皆さんと共に見ていきたいと思います。恵みの本質という事がまず最初に語られましたけれども、その中でパウロの中にあるパターンを通して、私たちが成熟していくというパターンとして、これらのものを捉えていかないといけないという事を聞いておられると思います。私たちはもう救われています。でも救われていても、まだまだ私たちの中には変革されていかないといけない部分がたくさんあるという事を、皆さんも感じておられると思います。私たちがキリストに似る者へと変えられていくために、これらの資源が今私たちに届けられ、そして私たちが成熟していくという事は、不朽の扉を叩き続けるという事に繋がっているという事が、この変革の必須性の目的であるという事が皆さんに伝えられ、皆さんもその事を受け取られたと思います。その中でパウロがイエス様と出会った、そのパターンの中から私たちは今日いくつか見ていきたいと思います。では聖書を一箇所皆さんとお読みしたいと思います。

使徒行伝9章1節~9節 ここを皆さんと読む時にただ単にサウロがイエス様に出会ってパウロに変わったという、そういう受け止め方ではなくて、これは私たちがキリストにあって成熟に向かっていくパターンとして、どの様に変わっていかないといけないかという事を表す者として、この聖書箇所をよく見ていきながらお読みしたいと思います。使徒行伝9章1節~9節「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。そこで彼は『主よ、あなたは、どなたですか』と尋ねた。すると答があった、『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう。』サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。」

皆さんは今日テキストを持って来られていますか?セッションⅠの恵みの本質という所を開きながら、今日もう一度この変革の必須性を私たちは共有していきたいと思います。まず恵みの本質の中で、「神聖な脅威と贖いの希望のコンビネーション(組み合わせ)」というのが、まず最初に紹介されました。対峙的にこのエネルギーがパウロを地面に倒しました。その目的は、神様が彼を正すという目的でパウロに訪れました。そして神様は声となって天から宣言されて、神聖な非難、それはどういう意味かというと、「なぜ私を迫害するのか」使徒行伝26章14節「とげのあるむちをければ、傷を負う」と、サウロに言ったのです。神様御自身が声となって彼に現れて、その神聖な非難を彼にしました。そして彼は目が見えないような状態になりました。これは、彼自身が本当に霊の目が開かれて、これから神様のために働いていくという彼のプロセスでしかなかったのです。彼は自分自身の信じてきたものに対する固執から離れなければならないという要求を神様から課せられました。そして彼は、本当にその神様の神聖な脅威に震え、横転していたという状態でした。でもその神聖な脅威を通らなければ、贖いの希望という所に私たちは到達する事ができないという事を教えているのです。ここで神様は彼に個人的に、「サウロ、サウロ。」と、語りました。これは神様が私たちに対して、個人的で親密な関係を求めたいと思っておられる神様の心です。ここにタイトルとかランクは要りません。私はこういう務めをいただいている、こういうランクがあるから私は皆さんを愛するというような考え方が、私の中に確かにあったと思います。そういうものが無ければだめだという考え方が私の誤った土台の中にあり、私の思考の中にあったという事が、この個人的な神様の呼びかけを通して、私は自分の中にそういうタイトルやランクによって何かをするという事が重要だという考え方がありました。神様はそういう考えを持っているサウロに、圧倒的な力をもって、彼のその肉的な、また誤った考え方をまず打ち壊しました。そして神様はそこから対話をするという事を彼に提供しました。そして神様の思いの中に彼が入って来るように神様が招き、そして具体的な指示と、どのようにしてあなた自身が私の為に完成へと向かって行かないといけないかという事を、全て語り始めていくというプロセスが起こったのです。神様がサウロを召しました。それまでの彼は、自分が生きてきた文化や、宗教的背景、又、家族の生い立ち、そういったものによって神様の働きをするという考え方が強かったのです。でも彼がこの神聖な脅威の中で、神様から出たものはそうではないというものでした。そして彼はこの恵みに繋がるために、一人のアナニヤという人を通して、彼はこの贖いの希望の中に入って行かなければならなかったという事でした。皆さん私たちの救いをいただいて、キリスト者として私たちが今日歩んでいる中で、まだまだ私たちは変革されていかないといけないという部分がたくさんありますという事を、神様はおっしゃっているのです。

その事の故に、あなたの人生の中で、「何でこんな事が起こるのか?」という、治療方法もない、又、解決方法もない、そういう私たちには計る事もできない状況の中にあなたを閉じ込め、そしてあなたを打ち、あなたをそこに留まらせようとします。でもそこから本当に私たちは変わっていくというプロセスの中に、ようやく入ったのだという事を知らなければなりません。だから皆さん、皆さんの人生の中で起こっている全ての出来事は、神様の主権の中で起こっている出来事であるという事を受け止めて下さい。神様は異なる光として天から私たちに臨まれました。その目的は、私たちの霊を贖いたいという神様の切なる願いでした。神様は私たちの心の中を照らすために、その異なる光をもって私たちに今臨んで下さっています。パウロに現れたその光は、彼の中にある神様が指摘したい物事を明らかにするためでした。彼は明らかに間違っていました。神様はその間違いを正すために、彼に一方的にその脅威をもって彼を打ちのめしました。その中で初めて彼は、自分がやっている事の正しさ、自分が何をしなければならないかという事を考えるようになりました。

UVライトの原則という事を言われました。特定の汚れや物体を、そのUVライトの光で瞬時に裸眼では見えないものが明らかにされる。自分では見ている分かっていると思っていたものが、その光によって分かっていない事が明らかにされます。イエス様を信じました。それは素晴らしい事です。でもこの光を通して、私たちは本当に神様が望んでおられる姿に変わっていかなければなりません。そのために神は私たちに、長い間私たちの中に抵抗している問題に対して、それを取り扱いたい、それを変えたいという願いをもって私たちの中に入って来て下さっているのです。私たちの人生の中にあった未成熟な部分、あるいは傷付いた部分、あるいは隠れた罪の痕を神様は追って、それをあぶり出して、私たちを本当に変えようとしておられるという事を、私たちはこの変革の必須性の中で受け取りました。皆さんその事に気付きましたか?あなたがそれは罪だと指摘された事は罪なのです。それが未成熟だと言われた事はそうなのです。あなたはその傷によって、そうなっていると言われた事を、あなたはそうなのだと認めなければならない。

パウロは自分の行動を、生涯をかけて築き上げてきた内側の姿勢、立ち位置、そういったものによって、私も、私自身の家族の生い立ちは、母子家庭で育って、本当に偏った愛で愛されて、受ける事が当然だという考え方の中でずっと育ってきました。成長してきました。それを持ったままイエス様を信じる事もできました。それを手放す事なく、イエス様を信じてずっと歩んできました。私の文化、私は日本人として生まれて、大体社会人ぐらいになる時から、日本というものを意識し始めました。その時に、周りの国々を見た時に、日本は優れている国だと自負しました。韓国は私の若い時に非常にキリスト教会が発展していました。でも私の中に、経済的に劣っている韓国が、キリスト教で発展しているという事に対して、何か自分の中に違和感があった事を覚えています。それは日本人という文化を、非常に私自身が誇っていたというものでした。でも、アメリカの文化を見た時に、劣等感にさいなまれて、「うわー、すごい国だ!」というのが私の考え方でした。強いものを見て、自分の未熟さを嘆き、弱いものを見て自分を誇るという事しか、自分の価値基準の中にはなかったです。それが私の文化でした。イエス様を信じていてもその文化を私はしっかりと守っていました。

そして宗教的な背景は、父が亡くなった事によって、父の親族が、この宗教をしなさいという事を言われて、奈良にまで通って、何かをしていたのを覚えています。当時私はそういった生活に腹が立って、父親が突然亡くなった事に対する理不尽さとか、そういう怒りや憤りというものが自分の中に蔓延していました。でもそれを正しく処理する事ができず、自分より弱い者を見つけては何かをする、強い者には巻かれていくという生活をずっと送っていました。外側だけは、もう誰からも触れられないように外側だけを取り繕って、余計な事を言うなという雰囲気を、いつも出していました。ですからそういう背景の中で私は育ってきて、イエス様を信じる事はできたけれども、その部分に於いて私は何一つ変わっていませんでした。結婚したら奥さんというものは母親がしてくれるようにするものだ。物のように考えていました。ですからしてもらえなかったら、「何でしてくれないのかなあ?」と真剣に悩んだ事がありました。それを妻に言ったら、「あなたは本当にそう思っていたの?」と言われ、「実に真剣にそう思っていました。」という話がやっとできたのです。

でも神様は光を当てて、その誤った考え方、私の中にある傷、未成熟な部分、罪、それらを全部変えたいと願っておられるのです。皆さん、皆さんの中にもそういった部分が必ずあると思います。でも私たちがこの贖いの希望に到達するためには、その神聖な脅威、神様からの激しい扱いを受けて、私たちは自分のかたくなさに死んで、そして変えられていくというプロセスを通って行かなければいけません。皆さんが、この月報でも、本当にこの変革の必須性を通して受けた恵みを分かち合って下さいました。兄弟姉妹が変革の必須性に取り組んで神様のために、終わりのために、自分が変わっていきたいという願いを持っている事を、非常に強く感じました。私たちは行いを通して神様の正しさを現していかなければならないという事を、改めて感じました。ですから神様がその光を照らして私たちを変えたい願いは、私たちをそこから離脱して、新しい周波数を私たちに放って欲しいと願っているからです。新しい周波数をどういう風に受け取ったらいいでしょうか?あなたが正しい事を言うという事です。あなたが正しい事を行うという事です。この資源によって、あなたは明らかにされた罪、未成熟、誤った傷、それらのものを離脱して、今までと違う言葉をもって、あなたはそれをしていかなければなりません。具体的にしていかなければなりません。

私は常々言われていたのが、「ご飯を食べるのが早い。」だから今私は、食べたら、皆のペースを見て、箸を置いて、じっとして、皆がある程度進んだら、箸を取って、又食べて、又皆がしゃべりだして、皆のペースが落ちたなと思ったら、又箸を置いてじっとして、で、又取って食べて、そして皆が終わった時に食べて、自分の食事を終えるというように、20年かかって、やっとしました。20年間ずっと奥さんにも、又、久松長老にも、その事をずっと言われてきました。でも私は今そこから離脱して、私のその行いを通して、新しい周波数を放ちたいと考えているのです。その事を神様は望んでおられるのです。具体的な事なのです。本当にこの生活の中の事によって、これは何か絵に描いた餅の様なものではないのです。私たちの生活そのものが、本当に変わらないといけないのです。あなたは何を指摘されますか?「それは良くないです。」と言われた事は、良くないのです。「こんな事を言ってはいけません。」と言われたら、言ってはいけないのです。「そんな事はしてはいけない。」と言われた時に、それをしてはいけないのです。「はい。」と、言ってやめて、新しい周波数を放っていかなければなりません。神様が今本当に求めておられる事はそういう事です。皆さんがUVライトで照らされて、自分の肉の目では見れない霊の領域のものが見える人によって明らかにされて、それを指摘された時に、あなたはそれを変えなければなりません。私は2、3日前に、家内にもう一度「咲子さん、私は神様の愛によってあなたを愛しています。今まで自分の愛したいように愛したり、自分の肉の性質であなたを愛していた事をやめて、神様の愛であなたをこれから愛していきます。よかったら、結婚再確認式をしませんか?」と、聞いたのです。「いいよ、そんなの。」と、言われたのですけど。でも今ようやく、私の内側に神様の恵みの本質が訪れた時に、私は本当に変わらなければならないというものが、私の中に訪れてきました。そして私自身が本当に、「神様の愛によってあなたを愛します。神様の愛によって子供たちを愛していきます。」というように、まず、私は男として、夫として、父として、そして指導者として、全ての事柄に於いて、神の愛でやっていくという周波数を流していかなければならないという事です。それは具体的な事です。あなたが誰かに指摘される事は、それは罪かも知れません。でもそれが罪だと言ったら、罪なのです。罪は悔い改めなければならない領域なのです。それを私たちはやめて、本当にそこから離れて、新しい周波数を放っていきましょう。これは非常に大切な事です。

 私たちはその恵みによって完全に変革されていくという事が必要であるという事です。変革される目的には、奉仕者として、又証人として、神様はパウロを任命したとあるように、私たちも恵みによって完全に変革された者として、主に仕え、人々に仕える者として、又主の証人として、二つの側面に於いて立っていかなければならないという事です。どちらかに偏っているならば、私たちはそれを修復しなければなりません。行いを誇る人は、本当にそういう所を変えていかなければなりません。あなたが神様の声を聞く事ができるのは、あなたが神様の望んでいる者になって欲しいために、神様があなたにお語りになられるのです。そして他の人があなたに何かを言う、このパウロのように、アナニヤという人が来て、彼の上に手を置く。アナニヤは、非常に拒絶しました。でも神様は彼に強い口調で、「行きなさい!」というように言ったと聞きました。本当だったら、行きたくないのです。本当だったら言いたくないのです。私も何度も家内に言われた。「もうあなたには言いたくない。何を言っても変わらない。」それぐらい愚かな事を、ずっと繰り返してきたのです。そして神様から、ズドーンと何かが来るのです。私も予期せぬ出来事が、3年前、腰の骨が折れてしまったのです。ある日突然、神様が神聖な脅威をもって私に臨んで来ました。でもまだかたくなでした。でもまだ私は神様に心をゆだねるという事をしていなかった。それで今、この事を通して、私自身が本当に今、神様によって取り扱われ、変えられてきているという確信を持つ事ができます。兄弟姉妹も同じでしょう。あの月報に載っている証を見て、本当に一人一人がそのプロセスの中を歩んでいるという事を、私は受け取りました。その事に皆さん私たちは進んでいきましょう。そしてパウロが経験したこれは、私たちの教理。教理というのは、真理とする教えです。教えの体系です。このパウロの経験が、私たちの真理の、その教えの体系となって、私たちの中に今臨んでいるのです。自分の事を、ああだこうだと言う、私は以前本当に弱い、何という情けないやつだという捉え方しかしていませんでした。人から自分の弱さを指摘される事なく、いつも自分を覆っていました。それは自分を守るために生きている考え方で、いつもそうやって生きてきました。でもその鎧を外して、今言われる事を本当に受けとめていく。

それをパウロは、第Ⅱコリント5章17節で、このような御言葉に表しました。「だれでもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」本当にすべてが新しくなるという、この経験を私たちの人生の教理にしていかなければならない。兄弟姉妹、あなたは新しい人です。前からそんな事はなかったけれども、あなたはキリストにあって、このパウロの経験を通して、その教理が私たちの中に来た時に、あなたは新しい人になります。これが今私たちが歩んでいる所です。ウッドロフ師が聖徒たちを整える力という風におっしゃって下さったように、この変革の必須性を通して、私たちは神様から力をいただいて、あなた自身が整えられ、変えられていっているという事を信じます。今この段階にいますという事をはっきりと言われました。皆さん信じましょう!受け取りましょう!あなたの中に当てられたUVライトで、霊の領域であなたが変わらないといけない事を、あなたが指摘された時に、変わらなければならない。それが罪だと言われたら、あなたはそれを罪として取り扱っていかなければならない。私も色々な罪を指摘されました。歩き方、以前の私の癖、今私はそれから解放されて、考えて、新しい周波数で権威をもって、「それをやめなさい。そういう事をしてはいけません。」と言う事ができるのです。兄弟姉妹そうなりましょう。あなたの考え方、あなたの行動パターン。あなたの培ってきた、その傷からきた、満たされなかった部分からきている今のあなたの愛情の表し方、全部それを取り去って、そして新しい周波数をあなたは流すのです。家の中で、社会で、あなたの地域で、それが私たちの務めです。そうして人々は私たちの変えられた様を見て、キリストの元に繋がって来るのです。変わり続ける事、それは主の良い証をする事です。皆さん行っていきましょう!

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