2019.4.7 久松 政一使徒的長「牧師任命式メッセージ」

マタイによる福音書18章21節~35節「そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか。』イエスは彼に言われた、わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。そこで、この僕はひれ伏して哀願した。『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから。』僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。そこでこの主人は彼を呼びつけて言った。『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか。』そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう。」何度か聞いた御言葉ですが、皆さんはすぐお忘れになります。神様はこの地上で誰一人、最後まで許さないでそのまま亡くなる事のないように願っておられます。私たちは腹立たしい事が沢山あります。もう許しがたいような出来事も一杯起こります。もう不平と不満と、怒りと憎しみと、私たちの心の中にはあらゆる私たちの内側から出てくる汚いものがあります。イエス様は、「それが人を汚すのだ」と、おっしゃいました。ですから私たちは本当に、人間、私も年をとってくればくる程、人の汚さや、人の嫌らしさや、人の心の裏表や、あらゆるものが見えてきます。見たいと思いませんが、見えてきます。本当に聖書は明確に告げています、「人間はよろずのものより汚い」と。神様が造られたもので一番汚いものは人間だと。それは外と表が違うからです。皆さんその様な生き方は、今日止めなければなりません。

 ここに弟子の一人が、「先生、私の兄弟、家族が罪を犯した場合、又、友達が罪を犯した場合、何回まで許したらいいですか。七回までですか。」日本には、「仏の顔も三度まで」と言うことわざがあります。でもこのペテロは、「七回までなら私は許す事ができるのですけども、」という言い方です。イエス様はその質問に対してこう答えました。「七たびを七十倍するまで許しなさい。」すなわち7×70=490回ですね。これは数の問題ではありません。聖書で七という数字が出てくる時、この意味は完全という意味を表します。「完全×完全=完全。」だから人があなたに対してひどい事をした時に、あなたは全部許してあげなさい。これを聞くと私たちは、寛容な人でも「何回ぐらいかな?」と、思ってしまいます。しかも同じ事を何度も何度も何度もされたら、あなたは最初から全部、銀行に貯金するように、あなたの心に貯蓄しています。あの人はあの時、私にこう言った。そしてその次は、あの時こんな事を言った。心で貯蓄しています。そしてある期間がやって来た時、爆発します。それは今までのものを全部ひっくるめて、「許さない!」そういう事です。人間は本当に汚く醜いです。イエス様は譬話をなさいました。ある金持ちがいて、そしてその金持ちは沢山の人にお金を貸していた。ある時その期限が来たので、その人が呼ばれて、そしてその金持ちは、「返しなさい。もし返す事が出来ないなら、あなたの妻も子供も全部売ってお金に変えて来なさい。」ものすごく厳しい言葉を言いました。その時その借りていた男は、「どうぞ返しますから許して下さい。」と言いました。もう懇願したので、本当に心から願ったので、この金持ちはすごく寛容のある人で、その男に対して哀れに思って、「分かった。全部帳消しにしてあげる。もうあなたは自由です。」全部借金を棒引きにしてくれました。彼は本当に喜んで、こんな事があるのだろうかと思って、喜びながら道を進んでいました時、その道すがら一人の友達に出会います。その友達は、お金を貸していた友達でした。最初に彼が借りていたお金は、ここにいくらと書かれているかと言うと、1万タラント許してもらったのです。そして友達に出会った時に、その友達に貸していたのは、100デナリだったのです。けれどもその友達に対して容赦なく、「返せ!返さなかったら獄に入れる。」という事でひっぱって行って牢屋に入れてしまった。そして借金を返すまで、彼は牢屋の中に入れられてしまった。それを見ていた人々が、「あの人さっき、あのお金持ちから1万タラントも棒引きにしてもらったのに、たった100デナリしか貸していなかったその友達のお金を許す事もなくて、牢屋の中にあの

人は入れてしまった。なんてひどい人だ!」それを金持ちさんの所に告げ口に行った。それを聞いた金持ちは、その許してもらった男をもう一度呼びよせました。「あなたが頼んだから私は許してあげたのに、あなたは自分の友達の少ない額でさえ許さないで牢獄に入れるとは何だ!あなたももう一度牢獄に入れられなければならない。」と言って、お金を返すまで彼は牢獄につながれたという話です。これはイエス・キリストのメッセージです。ここでまず、百デナリというのはどれぐらいかと言うと、このマタイによる福音書20章に、その当時一日働いた賃金が、大体1デナリなのです。だから1日の労働賃金が1デナリという事は、今で言うと約7~8千円ぐらいです。1デナリが8千円だったら、100デナリは80万円ぐらいです。1タラントは6千デナリなのです。100デナリ貸していた訳です。ところが皆さん、1タラントが、6千デナリですよ。だから今だったら、何千億です。ですから聖書は、返し切れないお金という意味です。「返し切れないお金を許してやったのに、お前はこれぐらいの額の友達の借金も許してやらず、逆に牢屋に入れてしまった。だから私もお前に対して、もう一度牢獄の中に入れます。」と、この金持ちは言った。そして最後にイエス・キリストはこうおっしゃいました。「あなた方めいめいも、もし心から兄弟を許さないならば、私の天の父も又、あなた方に対してそのようになさるであろう。」明確です。神があなたを許さないなら、この世ばかりでなく、永遠にあなたを許さないという意味です。だからあなたの行くべき道は滅びに至るという意味です。私たちはこの100デナリを貸している人の様に、人の事は何だかんだ色んな事を言うのです。「あの人は私にこう言った。あの人は私にこんな事を思っている。」もういつも皆さん私たちは自分自身を吟味しないで、相手ばっかりに要求しているのです。そしてそれが正しいと思っているのです。それが問題です。それがあなたの一番の問題です。絵を見ましょう。これはイエス・キリストです。左にいるのはあなたです。そしてあなたはこのイエス・キリストに対して、「イエス様、あの人こんな事をしたのですよ。あの人私にこんなひどい事を言ったのですよ。あの人私にこんな厳しい事をやったのですよ。それも一度じゃないですイエス様、2度も3度もです」と、彼はイエス様に言っているのです。言える立場ですか?でも言っているのです。この100デナリ貸していた男は金を返せと言える立場ですか?自分は背負いきれないお金を許してもらったにもかかわらず、人に対しては、返せって言える立場ですか?でも言えるのが人間です。愛する皆さん、あなたは今までどれだけ神様の前に、人の前じゃない、神様の前に、もちろん人の前でもやったでしょう。どれだけひどい言葉を言ってきた。裏で隠れてどれだけひどい言葉を吐いてきた。どれだけ人の見ていない所であなたの思いは汚い思いを持ったか。もうその思いは、人に言う事のできない様な汚い思いを何度あなたはした事か。いかがですか?そのあなたをイエス様は全部あなたの罪を引き受けて十字架に架かって下さった御方ではありませんか?あなたはキリスト教という宗教をしているのですか?それともあなたの人生を、本当に掛けているのですか?この聖書の神に。その神様であるイエス・キリストが、あなたの全ての今まで犯してきた罪、汚い言葉、汚い行動、汚いひどい行い、全部です。イエス様は許して下さったのではないですか?いかがですか?言える立場ですか彼は。こんな苦しい、厳しい状況を作り出したのはあなたでしょう。あなたの罪がイエス・キリストを十字架に架けたのでしょ。もう私たちはそれをすっかり忘れているのです。それで、キリストを信じていながら、あの人は悪い。あの人は私にこんな事をした。あの人は私にこんな汚い言葉を言った。もう許せない。腹が立つ。もう何とかしてあの人をやっつけなければならない。厳しい事をやってあげなければ、腹の虫が治まらない。誰ですかそれは。あなたはクリスチャンでしょ。イエス様を信じていながら、あなたは1万タラントという負債をイエス様に背負わせながら、なお又あなたは人に対して何か言える立場ですか?皆さん悔い改めなさい。なぜ私はこういうメッセージをしているか分かりますか?それは今から3人の指導者が牧師になります。牧師になったからといって、私たちと同じです。許された者にすぎません。人を裁く事のできる立場に立つ訳でもないし。本当に謙遜と、柔和が要ります。その意味で一番の根底、このキリスト教の一番の基本中の基本、それは許されたという、これは神様からのプレゼントです。なぜイエス・キリストは、あなたにこのプレゼントを与えたと思いますか?あなたも行って許す為です。あなたの人々を許す事です。何回同じ事をたとえやられたとあなたが思ったとしても、私たちは考え方の中で、自分で勝手に憶測して、自分が正しいと思っている人は沢山います。自分は本当にひどい事をされた。されたけれども、されたあなたの中に本当は問題があるのではないですか?そういう事を人は考えないです。私たちは人を指さして裁くけど、あなた自身に全く問題があるのです。もしあなたが本当に神様の許しを受けているなら、人は裁かないです。なぜなら許す事だけが私たちに与えられた神の恵みだからです。もしあなたが人に対して腹立たしい思いや、怒りや、憤りや、そういうものを持っているならば、あなたの正当性は、全く認められません。私たちがいただいた神様からの清い霊は、人々を許すという事です。しかもそれは条件付きではありません。私たちが許すという時、それは完全な許しです。でも人を許したからといって、あなたが素晴らしい訳じゃない。許していただけた恵を使っただけです。神様からいただいた、あなたが許されたこの1万タラントのその許しをいただいた者が、人々に又、許す思いを与えてあげたとしても、その人は何も誇るべき事は何もない。兄弟姉妹、あなたの思いは変わらなければならないです。あなたの内に許せない人がもし今いるなら、イエス様もあなたを許さない。あなたはこの人と同じ事を言っているのです。あなたは許された者なのに。人にとやかく言える者ですか?それなのにあなたは色んな事を言ってきた。色んな思いを持ってきた。「でも、あの人は、この人は、あの人はひどいのです。私にこんな事をしたのです。」あなたはイエス様にどんなにひどい事をしましたか?それを何も言わないで、イエス様は十字架であなたの罪を許して下さった。私も許された者なのです。許されたからイエス様の恵によって人々を許していくというのが私たちなのです。 

この御言葉をあなたはどう聞きますか?あなたです、隣の人じゃない。明確です、もしあなたが許さないのなら、神もあなたを許さない。恐ろしい事です。私は人間を恐れません。人が私に何を言おうが何も怖くありません。全然問題じゃない。私の肉体を殺したかったら殺したい人は殺したらいい。人間は全然怖くない、でも神様は恐ろしい方です。私はいつもこう思うのです。父なる神様が、一人子イエス様を十字架につけて殺すほどに私たちを愛されたという事は、このイエス様の許しを受けないで、自分が正しいと思って生きて生涯を終わった人は、神様は絶対許さないのです。皆、地獄に行くのです。滅びるのです。こんな愛を神は与えて下さっているのにもかかわらず、それを拒絶し、あたかも自分が神のごとく、素晴らしい立場でもあるかのように、人に対してとやかく言えるような人間を、神様は必ず裁きます。悔い改めなさい。兄弟姉妹、あなたがどんなに愚かな者であるか。もしあなたが真に悔い改めるなら、神様はもう一度あなたを許して下さいます。これがあなたへの今日のメッセージです。どう受け止めましたか?神様はあなたに、「あなたはすぐに忘れます。」

あなたは自分が今まで犯してきた罪、それを今神様にあげられたらどうですか?ここにおれますか?生まれた時から今日に至るまで、あなたが言った言葉、考えた思い、全部ここに引き出されたら、あなたはここにおれますか?又、あなたがやった事、もうめちゃくちゃな事をやってきた人よ、誰が許して下さいましたか?考えましょう。考えて、悔い改めて、「神様、私は愚かでした。もう一度初心に戻ります。」と、言いませんか?救い、それは許しです。私たちは許された者です。私たちの内に良いものなど一つもありません。最初に言ったように、本当に汚い心だけが私たち。外側は資生堂でいくらでも綺麗にできる。今は60代でもこんな顔ですと、テレビでよく宣伝しています。80代の人でも何かまだつやつやしています。どうでもいい事です。私たちが本当に清くなければならないのは、神様の願われる内側です。私はもう一度言います。あなたが今までやってきた事を考えてみたら人を非難したり、戒めて厳しく追い込んだり、又、裁いたり、あの人が悪いというような言葉は、あなたの口からは出ないはずです。「私が1万タラントの負債のある者を許してやったように、あなたもこの男を許してやるべきではなかったか。」「主よ、お許し下さい。私が悪かったです。」悔い改めて、皆さん私たちはもう一度霊をリフレッシュして始めてみましょう。せっかく友達になったのですから。せっかくその職場に就いたのですから。職場には嫌な人は一人や二人は必ずいます。そんな人達に対しても、私たちが本当にリフレッシュされたら、そういう事を言って来る人に対しての見方が変わります。又、親戚付き合いに於いて、本当にもうあの人だけはどうしようもないと思える人、一人や二人はいるでしょ。考えてみてください。又、あなたの兄弟の中で、親子関係の中で、今まで親にめちゃくちゃひどい目に会った人、又、ひどい事を言ってきた人。又、夫婦の関係。全部神様があなたにその人を与えたのです。あなたの愚かさを露出する為に。そして本当に変えられていきましょう。神様はあなたにチャレンジしています、「あなたを愛しているよ。」今もイエス様はあなたを愛しているから戒めて下さるのです。あなたを心から愛おしいから、このメッセージを語っておられるのです。あなたをおとしめる為にこのメッセージを語ってはいません。これは神様からの哀れみです。「あなたを愛している。」

私たちはこのイエス様の十字架の道を通りました。イスラエルへ行った人、どんなひどい道をイエス様は通られましたか?これを私は感傷的に言っているのではないです。あなたの感情に訴えているのではない。これは事実です。だから愛する兄弟姉妹、もしあなたが今までで、許していない人がいるなら、その人の所に行って、あなたの方から許しを求めなさい。「ごめんなさい」と言いましょう。私もプライドがあり、又、自負心がものすごくあった者です。けれども私が神様から今、このように祝福された教会の中で生かしていただいているのは、一つ私が考えられる事は、私が犯した罪、私が人に対してひどい事をした時に、その人に対して許しを求めた事です。「ごめんなさい。」息子、娘たちに対しても私はひどい事をしました。だから、「ごめんね、許して下さい。」私は誤りました。親という立場は関係ありません。親の権力で子供を押し付けてはいけません。親がろくでもない事をしたら、子供に対して「ごめんね。」と言える親にならなければいけません。許すという事は、絶えず私たちはするべき事だと思います。これを根底に今日、新しい牧師が生まれる事は素晴らしい事だと私は思っています。謙遜と柔和こそ私たち人間にとって一番重要な事だと思います。自惚れない。自分を高ぶらない。自分が素晴らしいと思わない。それは素晴らしい人格です。それを目指していきましょう。キリストに似る者と成りましょう!

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