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2018.8.5久松使徒的長老「神の運動」 

今日は皆さんに答えていただきたい礼拝です。その前にちょっと心の準備をしていただこうと思っています。神様の運動について私たちは何度も聞いてきました。最初は使徒行伝の時代、今から2000年前にイエス・キリスト様がいらっしゃって、そして素晴らしい働きをなさって、そこからクリスチャンたちが生まれました。それは使徒行伝時代と言います。そこから始まって、紀元1世紀~紀元300年ぐらい迄、ローマ皇帝という時代の中、迫害の只中でクリスチャンたちは成長していきました。御存知のように、一番恐ろしい帝国の王と言えばネロ皇帝と言われていますが、その時はローマのコロセウムの劇場で、クリスチャンがものすごい迫害に遭いました。ライオンの餌食になりました。また、ダマスコという今はシリアですけども、そのダマスコの途上の両サイドに、十字架にはり付けにされて、クリスチャンたちはその道でいっぱい十字架で殺されました。そういう大迫害の中で、むしろクリスチャンは増えていきました。これは紀元300年ぐらい迄です。そこからローマがキリスト教国になりました。それによって迫害がピタッと止んで、そしてそこから何と1500年迄は、ローマ帝国からローマの法王が権限を握る所へ移っていきました。それがローマカトリックです。そのローマのカトリックの時代には、真のクリスチャンは誰もいなかったと言われているくらい、本当に宗教的になりました。ですから今もローマカトリックは宗教的な思想です。真にイエスを信じて、自分の救い主として輝いて生きているというカトリックの信徒は、本当にごくわずかです。大部分は宗教です。

 けれども1500年に、私たちは宗教改革という学びを世界史の中で学んだ。その中でマルチンルターから始まって現在に至るまで、神様はもう一度あの使徒行伝時代にあった素晴らしい働きを回復して下さっています。その時代にマルチンルターが、95ヶ条をカトリックの門に叩き付けてプロテスタントが始まりました。そこから今2018年になっている訳です。その時代の中で、私たちは色んな真理を学んで来ました。救いという真理を学びました。あなたはそれを経験しました。救いという言葉をあなたが聞いたら、あなたにとってそれは何を一番思い浮かべますか?救いという言葉は、例えば私だったら、私の救いは25歳の11月17日にイエスを信じました。ですから救いと言えば私にとっては、「罪が許された」ということです。あなたにとって救いと聞いた時に色んな思いが浮かぶと思います、それを後で言って下さい。

 7年後にメノナイトが水のバプテスマの真理を開きました。それによって洗礼が始まりました。この洗礼はあなたにとって何を意味しますか?洗礼と聞いたら、あなたの口から出てくる言葉は何ですか?その次の真理は聖霊のバプテスマ。あなたは聖霊のバプテスマと聞いたら何が一番あなたの口から出ますか?それは経験しなければいけない真理です。それは聖霊派というような宗教ではない。バプテスト派というような教団の宗教ではない。ルーテル教会というような宗教ではない。それは真理です。これはイエス様が使徒行伝の時代に、救いの真理も開かれ、また、水のバプテスマの真理も開かれました。聖霊のバプテスマの真理も開かれました。レストレーションという真理が開かれたら、その言葉であなたは何を想像しますか?レストレーションはあなたにとって何ですか?そしてその次は使徒的改革、今です。これを聞いてあなたは何を思い浮かべますか?そしてあなたにとって一番重要なのは何ですか?それがあなたの中で消化されていますか?これは歴史的な真理の回復ですけども、あなたの中にも回復がなされなければ何にもならないです。それは知識であってはならない。ですからそれを踏まえた上で、ちょっと見てみましょう。

(救い)

 マルチンルターが、1517年10月、カトリックの正門に95ヶ条を叩き付けました。「あなた方はおかしい、義人は信仰によって生きると聖書には書いてある!」免罪符を買えば煉獄の苦しみから救い出される。お金を沢山出せば地獄から救われるという政治的な戦略の下に、カトリックはこの免罪符を多量に売ったのです。それを買ったら、お爺ちゃんお婆ちゃんも、苦しい地獄から救い出される。そう信じて、免罪符を買っていく。「そんな事は聖書には何も書いていない。おかしい!それは政治政策ではないか!」あらゆる事をマルチンルターはカトリック教会に叩き付けたのです。そこからマルチンルターは、「救われるのは、イエスを信じる事によってだ!」という事を言いました。さあ皆さん、あなたにとって救いと聞いたら何ですか?あなたはこれを経験していますか?経験していなかったらクリスチャンじゃない。これは喜びです皆さん。一番に言いたい人どうぞ!自分にとって救いとは何ですか?

<「」が兄弟姉妹のコメント―『』が久松使徒的長老のコメント>

・「僕にとって救いとは、新しい人生です。」―『新しい人生。素晴らしいですね。』

・「救いと言えば暗闇から救われたという確信です。」―『暗い人生から救われた。素晴らしいですね。その人にとって、これは経験でなければいけません。これは知識であってはいけません。』・「私にとって救いは、考え方とかが変えられた瞬間でした。」―『そうです世の中の価値観から、聖書の価値観に変わった。それは素晴らしいですね。』・「救いは、この世には無い神様による喜びと感謝が溢れた時です。」―『経験しているのですね、素晴らしいですね。』・「私にとっての救いとは、新しく自分が変えられたという瞬間です。」―『新しく変えられた自分、素晴らしいですね。』・「私にとっての救いとは、幼稚園の頃にイエス様に触れていた生活から離れてしまって、また戻って来れたという安心感でした。」―『戻って来た訳ですね。』・「私は神様と出会って、この世が変わったように見えました。」―『感謝です。』・「私にとって救いとは、闇から愛する御子の支配下に移された事です。」―『御言葉ですね。』・「私にとって救いは、11年前に息子が結婚して孫ができたのが、私にとっては素晴らしい救いだったと思いました。」―『それでイエス様を信じましたね。』・「私にとっての救いは、喜びと平安です。」―『素晴らしいですね。内側に世の中に無い、わたしは平安をあなたがたに与えると言われた、イエス様の平安、世に無い平安、世の中が与えるような平安はすぐ消えます、感謝ですね。』・「私にとっての救いは、暗闇から光の中へ移されたという喜びです。」―『どんな暗闇だったのですか?』―「考え方とか、世の中のシステムに絶望していた所からです。」―『世の中の制度は本当に腐っているよね。それが見えたという事は素晴らしいです。信じていない人はそれが見えない。この汚い腐った世の中の中で、自分が腐っている事が見えない。それ程悲しい事はないですね、感謝です。』・「私にとっての救いは、罪を許された、義とされたという喜びです。そして本当の意味で生きるという瞬間が始まったという喜びです。」―『義とされるという事は、神様から、お前は正しいと認めてもらったのです。それは最高です。友達から、お前は素晴らしいと言われても何のこともない、でも神が私たちを正しいと認めて下さった、それ程ありがたい事はないですね。義人とされた。だから救いというのは、義とされたという受け止め方ですね。』・「私にとって救いは、神の国に入れたという喜びです。」―『この世の国に生まれてこの世の国で終わる人間が、日本人は99%です。その1%の神の国という領域の中に入れた、幸いですね。』・「私にとっての救いは、ものすごい喜びが溢れて来て、涙をぽろぽろ流した事です。」―『これは体験ですね。私もそうです、救われた時、本当に喜びが溢れました。そしてこの喜びは、この世から得るものではないです。本当に溢れて来ます。イエス様が下さった喜びは、何にも代えがたいですね。』

(水のバプテスマ)

 救いの真理から7年後に、メノナイトの人たちが洗礼という、真理を開かれました。これはイエスの時代には当たり前のようにあったのですけども、カトリック時代には洗礼と言えば幼児洗礼です。滴礼と言って、おでこにちょっと水を浸す儀式的なものでした。でも水のバプテスマは完全に浸されるという事です。完全に己の考えに死ぬという事です。それが水のバプテスマです。これを通してあなたは何を今経験しておられますか?これは毎日受けるべき事です。これについてどなたかどうぞ!

・「新しく生まれ変わったという瞬間です。」―『福音というのは、キリストが死なれた事、葬られた事、3日目によみがえられた事、それが福音。この3つが実は水のバプテスマの真理です。私たちの以前の考えが死んで、キリストと共に十字架に付けられて、墓に葬られてしまった。もう私の考え方は無い。新しくよみがえった時には、新しい考え方に生きるという事が洗礼の意味です。それに皆さん生きています。だから洗礼をした人はこの経験をしています。』・「イエス様に十字架に架かってもらって、自分は生まれ変わった。」―『何か初々しいでしょ皆さん、いいですね。それを経験していますね。』・「周りの友達とは違う考え方になった。」―『なるほど、その違いが分かる男のコーヒー』・「世の中とは違う考え方になりました。」―『それが一番大事ですね、感謝です。皆さん、若い子がそういう事を言ってくれたら、年よりのあなた方は嬉しいでしょ。』・「神様が古い自分から、新しい自分に変えて下さった事です。」―『新しい自分に変わりましたか?アーメン、そうですね。』・「古い自分が死んで、新しい自分に生きるようになった。信じてすぐ次の週ぐらいに洗礼を受けたので、本当に私にとってはスタートでした。」―『古い自分ってどんなのでした?』―「暗―い、固―い人間です。」―『素晴らしいです、これは経験です。聖書は私たちが体験するために、神様は書いて下さったのです。これはただの文字じゃない。あなたが経験する事です。だから水のバプテスマは経験する事です。それは水が冷たかったとか、そんな問題ではない。』・「重荷をイエス様が全て取り去って下さって、新しい自分に変わる事ができた。」―『素晴らしいですね。イエス様はおっしゃいました、すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。本当に重荷が取られたら、幸いですね皆さん。』

(聖霊のバプテスマ)

 1906年アメリカ・ロサンゼルスのアズサ・ストリート街で奇跡が起こりました。黒人たちが集まって祈っていた時に、聖書に書かれている、あの使徒行伝の時代の奇跡が起こりました。聖霊のバプテスマを受けた彼らは、新しい言葉で、異言で語り出しました。これが1906年の真理の回復です。2000年前にあったその聖霊のバプテスマが戻って来たのです。クリスチャンが経験する事です。だからこの教会は、聖書に書かれている真理、救い、洗礼、聖霊のバプテスマを皆経験するのです。聖霊が私たちの内に宿る時、私たちは聖い霊を受ける事ができる訳です。キリストの霊です。あの聖い愛に満ちた、人々を許し、励まし、哀れみ、真実に歩まれたキリストの霊があなたの中に注がれている。これが天国への保証です。唯一の保証です。だから誰もが聖霊を受けなければいけません。私たちの内にキリストの霊があるという事が、この聖霊のバプテスマの真理です。ですから神様の考え方が私たちの内にあるという事は、この世の汚いあらゆる汚れた価値観を、全部打ち破る事ができるのです。私たちは人を赦し、愛し、励まし、勇気付け、いつも人のために生きる、それはキリストの霊から流れるのです。あなたの内にはそのようなものは初めから無い。キリストを信じない者は、皆腐った思い、自己中心で、己の人生しか考えない生き様これがこの世です。私たちはキリストの霊を受ける事によって、神に対して本当に聖い者とされていく訳です。その経験、それが異言の伴う聖霊のバプテスマです。さあ、この経験をした人たち、あなたはこれで何を今経験していますか?あなたはこの聖霊のバプテスマを受けて、毎日のクリスチャン生活の中で、どのようにこれが生きて働いておられますか?これが形骸化しているものであるなら、あなたは宗教の生き物になります。これについてどなたかどうぞ!

・「聖霊のバプテスマを受けた事によって神様が私と共におられる事を強く感じました。」―『これは知識でも何でもない、これは経験です。2000年前にクリスチャンたちが経験したのと同じように、あのペテロが経験したのと同じように、パウロが経験したのと同じように私たちも今経験する事のできる真理です。だから聖書の中に書かれている、キリストが私たちクリスチャンに与えたいという真理は、全部私たちにとって、キリストに似る者になるための教えです。あなたが変わりたいなら、この真理を受けなければなりません。そうでなければ、私たちはこの世の思想がいっぱいあなたの中に入っています。本当に世の中の価値観は腐っています。』・「考え方、思いが変わった。本気になった。」―『聖霊を受けたら本気になった、それは素晴らしいですね。』・「聖霊のバプテスマを受けた後の自分が変わった。」―『受ける前と受けた後の自分が変化していった、神の霊が彼の内に宿ったから。』・「水のバプテスマを受けた時よりも、イエス様をすごく身近に感じる事ができたから、これからイエス様に仕えていこうと思いました。」―『最初は御両親から信仰が流れました。そしてこの子供さんにその信仰が継承されて、今聖霊を受けて、自分の自立した信仰にまで至ろうとしている、これはこの教会にとって本当に素晴らしい事ですね。』・「自分の意思によらず、自分が自分じゃなくなっているような感じもし、神様のもので自分が満たされている喜びを感じました。」―『これは皆さん気を付けなければなりませんね。一般の人がこれを聞いたら、自分が自分で無くなったら、自分じゃないじゃないか!でも自分という者がどれだけ愚かで醜く汚いかが分かっているならば、その自分が無くなって、キリストが私の内に入って来て下さる事によって、キリストの人格が私を通して流れるようになったというのが、今の彼女の本当の答えなのです。なぜなら私たちを造られたのはキリストだからです。日本は八百万の神で、便所神も神です。人間が作った物が何で人間よりも神なのですか?そんな物は皆燃やしてしまったら終わりです。つぶしてしまったら何の問題も無い。私も仏壇をもう20~30個つぶしたよ。祝福が満ち溢れるようになったよ。だから仏壇を捨てたいなら皆さん私の所へ持って来なさい。全部つぶしてあげます。私もっと祝福されるから。仏壇は徳川家康が、政治政策として造っただけの物であって、何の仏教も関係ないのですよ。知っていますよね。』・「神様がおられるという事を経験しました。」―『それが一番大事ですよね。神様がおられるという事を自分が経験できるという事が、聖霊のバプテスマを受けた大きな一つの特徴ですね。それは感謝です。』・「聖霊のバプテスマを受けて考え方が変わりました。」―『一つはどんな所でしょうか、どこが一番変わったのでしょうか?』―「イライラした時に感情にまかせるのではなく、お祈りをする事です。」―『素晴らしいですね。皆さん人の事だから何か簡単な事のように思っているけど、ここにいる人、皆イライラするでしょ。あなたの人生でイライラする事ばかり起こるでしょう。その時に、そのイライラの感情にまかせるのではなくて、神様の前に祈って、それを解消できる素晴らしい方がおられる事を彼女は経験しているのです。それは素晴らしいでしょ。私たちを御創りになった方のその霊が私の内に宿っている事は、最高の神からのプレゼントです。』・「聖霊のバプテスマを受けて、祈りの仕方が変わって、以前よりもっと近くに神様の事を感じれるようになりました。」―『そうですね、知識で祈っていると、祈る言葉が絶えてくるのです。でも異言だったら、聖霊を受けたらいくらでも祈れるのです。もちろん新幹線に乗っていて、横の人が全くクリスチャンでない人の前で異言で語ったら、その人は気ちがいかと思うでしょう。でも声を出さなくても、昔有名だった、チョウ・ヨンギ牧師はいつも新幹線に乗ったら、思いの中でずっと祈っていたのです。それはもう脳を休ませてしまっている、知性というものを休ませて、神様の価値観で祈る事ができるのが異言の伴う聖霊のバプテスマの特徴です。だから皆さん、毎日異言で祈る事は空しい事ではないのです。これはあなたの内に、神様の知性が貯蓄していくのです。必要な時に先程の姉妹のように、イライラする時その貯蓄した、異言で祈っているその貯蓄があなたを救うのです。』・「祈っていれば神様が正しい道に導き直してくれる。」―『それは本当に大事です。若い人は道にそれる事は簡単です。本当にもう誘惑がいっぱいです。この世の中、快楽が満ちています。男と女の汚れた事、もういくらでもある。罪のど真ん中にあるのですこの日本は。腐っているのです人間が。だから家庭が崩壊していっているのです。だから幸せではなくなるのです。父と母が信仰を持って、聖い生き方をするなら、その子供は何と幸いでしょうか。その意味において、誘惑やあらゆる危険な領域の所に、私たちはひょっとしたら行きかねない。その時でも聖霊は私たちに、「その道は行ってはいけない!」と、神様はおっしゃいます。それは本当に守りです。感謝ですね。』

(レストレーション)

 これは1948年です、先程が1906年でしょ。でも私がイエス様を信じた時は、1971年なのです。その時は、日本ではあの聖霊のバプテスマの時代だったのです。だから世界から日本に入って来るのが20~30年遅れているのです。だから私がイエス様を信じた時、聖霊のバプテスマはまだものすごい勢いがあったのです。その救われて2~3年後にこれが入って来ました。1948年から、実はこの後の雨運動というのがアメリカで始まったのです。これは真理の回復です。レストレーションを通して、あなたは何を経験していますか?私たちの教会は今、レストレーションの礼拝をしているのです。とういう事は、賛美の回復でもあるし、地方教会という一つの教会にイエス様は生きて働かれるという教えを学んでいるのです。教団は人間がつくり出したものです。バプテスト教団とか、ルーテル教団とか、聖霊派の教団とか、そんなものを神様はつくろうと思っておられない。神様はレストレーションの真理を通して、それぞれの地方にある教会に神の力が働くという事を、レストレーションを通して教えて下さっています。そしてこのレストレーションを通して、私たちは霊と真を持った礼拝を捧げるというのもこれです。また、使徒、預言者、伝道者、牧師、教師という5つの務めが回復されなければならないという知識の教えがレストレーションの教えです。こういう色んな事を皆さん学んだはずです。このレストレーションの教えがどのように自分に適応されているか言って下さい。

・「このレストレーションの教えの中で、賛美を捧げる時に、律法的に捧げるのではなくて、本当に自分の心から神様に感謝のいけにえを捧げる事を学びました。」―『そうですね、それを今実践しておられるのですね。イエス様はおっしゃったでしょ、そうだ、その時が来る、霊とまことをもって礼拝する時が来ると、霊というのは聖霊に導かれて、真というのは神の御言葉。だから、聖霊と神の御言葉によって心から私を礼拝する時代が来る。それが今です、それが私たちの礼拝です。それは踊ったり、そういう形で見るのではなくて、真心から神に礼拝を捧げているという事が中心でなければいけないのです。だからもしあなたが形だけの礼拝をしているのだったら、あなたは宗教的クリスチャンになるのです。彼は今礼拝を通して神様の素晴らしさを経験している、これがレストレーションの真理の一つですね。』・「周りの人を気にせずに、自分から手を上げ賛美しています。」―『気にせずに神様に手を上げて礼拝を捧げる、素晴らしいですね。』・「礼拝する姿勢が変わりました。」―『どんな風に?』―「周りの目を気にせずに礼拝をする事ができるようになりました。」―『それは本当に若い子にとっては大変ですね。いつも人の目を気にする、それは本当に世の中の考えですね。クリスチャンは神様の目を気にしなければいけません。それは素晴らしいですね。』・「小さい頃はお父さんとお母さんが教会に来ているから来て礼拝をしていたけど、今は自分で礼拝に来れるようになりました。」―『素晴らしいですね。ありがとうございます。』・「私は学校とかで何かあったら、どんよりしたまま礼拝に来ていたけど、今はそれは忘れて、神様だけを礼拝するようになりました。」―『それは本当に自分の経験ですね。自分だけが体験した事です、大切ですね。』・「私の中でレストレーションは、神様が最初に私たちに計画をして創って下さった原点に帰るという思いで、神様の心のままを生きるという事が私の中にあります。」―『自由な礼拝ですね。』

(使徒的改革)

これが、今私たちが経験している使徒的改革、使徒的改革と言えば、あなたにとって今何が一番経験している事ですか?

・「使徒的改革は、一言で言ったら自分に死ぬという事に尽きると思います。死に続けていきます。」―『死んでいますか?』―「死ぬように毎日励んでいます。」―『死ぬのに努力はいらないよ。』―「そうですね。」―『はい、死んで下さい。』・「使徒的改革は私にとっては、損の算出の繰り返しです。」―『なるほど、損を算出するという学びですね。すなわち私たちはこの世が定義して来たもので自分というものが形造られて来ていた事さえ知らなかった。そのようなものは一切価値が無い。私は特にこれを言います、大学を出たって何の素晴らしい事もないですよ。あまり大学なんて出ない方がいいです。大学を出たらハク付けるだけです。何だかんだ言ったって、プライドがあるのです。それを本当に捨てますか?捨てられなかったら行かない方がいいです。大学行ったら狂う、世の価値観がいっぱい入る。大学出なくても素晴らしい人はいっぱいいるのです。大学は自分がこれを学びたい明確なものがあるのだったら行きなさい。そしてそれを習得して、人のために役に立つためにそれを使いなさい。それ以外はもうくだらない。遊びほうけて、親を苦労させて、借金沢山ためて、本当に愚かです。親が大学へ行かす事がもう息子、娘の願いだからと、良く考えなさいよ。それが純粋なものか、神に喜ばれるのか、それが真実でなければいけません。だから内側の変革というのは、損を算出するという事に尽きるのです。私たちは損を算出していますか?あなたというプライドが、今も生き生きと生きていますか?腐ったような匂いで。』・「男だから、夫だからという事で、大変だと思っていましたが、主に祈っていたら、イエス様を愛そうと思って一生懸命になれば、それはいやな重荷ではなくて、喜びになる道にようやく入れたと思います。」―『この世の男、それは皆だめです。神の国の男になる、それは素晴らしい事です。私たちの男も、もっと変わらないといけないですね。お母さんが寝込んだ時、カレーライスぐらいできないですか?頑張れよー!困った時にいつも助ける事ができる夫、素晴らしいね。自分はこんな事はしない。洗濯物は干さない。そういう男は本当に低いレベルの情けない男です。』・「ここにいる事を感謝します。」―『そうですね、私も使徒行伝の時代に生まれて来た方が良かった、また、もっと早く使徒的改革を知りたかったと思うけれども、今が一番いいのです。そうでなかったら私たちはそれを受け入れなかったのです。』・「この世の価値観で植え付けられた自分というものからの解放、神様に似た者として創られた者であるという事の確信を持つ事ができました。」―『アーメン、本当に素晴らしいですよ姉妹は、美しくて、素晴らしくて、キリストにあるという事はそうですよね。素晴らしいでしょ、使徒的改革は。』・「私にとっての使徒的改革は、神様の視野を持つ立ち位置から物事を見るという事です。」―『そうですね、世の中の視野ではない。神様の視野から物事を判断できる。世の中で起こる全ての出来事において、その判断を神様の視野からする事ができる人は幸いです。』・「私もキリストの身体の一部として、成熟して行かなければならないと思っています。」―『成熟して浸かって行かれる訳ですね。』・「普通の人になっていく事です。」―『そうですね、世の中の人は罪人です。私たちは普通の人です。』・「課題は山積みなのですけど、前を向いて歩いています。」―『本当に皆さん今、前に向って進んでおられます。感謝ですね。』

これは全部聖書の真理です。イエス御自身の真理です。私たちはキリスト様に似る者になるために、今歩んでいます。立場はそれぞれ皆違うけれども、前に向って進んでいます。素晴らしい事です。イエス・キリストと共に、私たちはこの生涯を送りましょう。イエスがもうすぐ来られるからです。私たちの救い主であり、また、裁き主であるイエスがもうすぐ来られます。私たちは滅びる民ではなく、永遠を勝ち取った民です。互いに励まし合いましょう!

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