2021.12.5 久松 政一 使徒的長老「それは神です」

 今日は、このメッセージをしたいと思いますが、これは私の人生の集大成のメッセージです。私が今まで歩んできた中で、ありとあらゆる事がありましたけれども、このメッセージの内容が結論です。「それは神です」。私は皆さんにもその信仰を持っていただきたいと思っています。人の性質というものは、相手にしてあげた事はよく覚えていて、「あれをやってあげた。これもしてあげた。あんな事もしてあげた。」などと言います。でも反対に、人からしてもらった事については、大体忘れています。人からしてもらった事は、あんな事もしてもらったのに、もう全く無頓着。ありがたいと思える気持ちを全然持っていない人がたくさんいます。でも、してあげた事は覚えています。そして、それに対して十分な見返りをしてくれない人には、「あれをやってあげたのに何も言ってこない。」そういうふうに、人はいつでもやってあげた事だけは覚えており、していただいた事は覚えていない。そして相手に文句はいっぱい言います。でも、してもらっている事が溢れるほどあるのですけどもね!また人は、相手に対してやった事、行ったひどい事、またひどい言葉を投げかけた事、また心の中で「あんな奴はいなくなった方がいいのに。」と裁いた事、また、さげすんだ事、また、憎んだ事、恨んだ事、怒った事、まあ、言えばきりがありませんが、それらの事はあまり覚えていない。そういう事は忘れていることの方が多いです。皆さんの人生の中で、どれだけ人を裁いてきた事か。また、ひどい言葉を言ってきた事か。それが文字に出るなら、本当にあなたはそこに居られないです。でも皆、忘れているから今日、生きていられるのです。でも相手から受けた事に対しては、よーく、よーく、よーく覚えているのです。また、つらい思い出、悲しい出来事、「ああされた、あの人にこんな事を言われた。」ずっと恨んでいます。根に持っています。もうたくさんあなたの心の中には、根がいっぱいでしょう。「あれをされた、赦せない、謝りにも来ない、ひどい言葉をかけられた。」人生の中で、そういう事は全部覚えているのです。それで自分が言った言葉は、一つも覚えていない。「そんな事言ったっけ!?」と。それは、あなたじゃないですか?人はなんと自分勝手で、自己中心なのでしょうか。聖書にこう書いています。「正しい人はいない。一人もいない。」その言葉は、本当に真実です。

 今日は皆さんに、四人の人になってもらいましょう!四人の人物が、今から出てきます。いろんな事を、その出来事を通して考えていただきましょう。


〈ヨセフ〉

 まず、最初の人物はヨセフです。今からあなたはヨセフです。隣の人に言ってください、「今からあなたはヨセフです。」女の人でも、ヨセフです。ヨセフの人生、17歳になるまで彼は有頂天でした。兄さんたちがたくさん、自分の上に9人もいるのですが、お父さんはこのヨセフだけを、心から愛しました。こういう親は多くいますね。お父さんはヤコブです。でも彼は、イスラエルという素晴らしい名前を主からいただいて、イスラエル国家の名前になっています。でも最初のヤコブというのは、「人を蹴落とす者」という意味です。そのお父さんから生まれたのです。ですからヨセフもたかが知れています。自分だけ良い着物を着せてもらって、最高のものをいつも食べさせてもらっているから、兄さんたちはヨセフを憎んだでしょう。恨んだでしょう。「なんであいつだけが!」って。皆さんも兄弟がいたら、皆、比べるでしょう、どうですか?いずれにしても、このヨセフは、自分が高慢で鼻持ちならない少年だった事に、全く気付いていません。何でも自分というものは、気付かない事が多いです。どれだけ親にしてもらったか。兄さんたちがどんなにひどい目に遭っているか。つらい目に遭っているか。このヨセフは、そんな事を一つも考えた事はないです。いつも自分の事だけです。「兄さーん、こんな服買ってもらったよ!」それを言ったら、兄さんたちがどんな気持ちになるか、そんな事は一つも考えていない。いずれにしても、17歳までそういう人生を、多分彼は送ってきたでしょう。そして17歳の時に、兄さんたちによって、彼は奴隷として売られて、カナンの地からエジプトの地に下ります。これは彼の人生にとって、非常に嫌な出来事だったと思います。彼の思いの中には、「なんで俺が?」、「なんで僕だけが?」、「なんで?」という言葉を、皆さん、あなたは何度言ったでしょうか?親に対して、会社の上司に対して、「なんで私だけが?」彼はものすごくひどい目に遭った人生でした。売られてしまったのですから、その当時は奴隷です。ですから自分の意見を言えなくなってしまいました。そして彼は、パロの役人であるポテパルの奴隷となります。ヨセフは顔が男前だったので、ポテパルの妻に言い寄られて、「私と寝なさい。」でも、彼はそれを拒絶したがゆえに、妻が嘘をつき、「ご主人様、この奴隷が私を犯そうとしました。」全く反対なのに。人間は裏と表があるから、何でも言えるのです。そしてその言葉を聞いた主人ポテパルは、妻の言うことを聞いて、二度と出ることのできない牢獄に、ヨセフを叩き込むのです。「なんと不条理な、俺はなにもしていないのに!」彼はもう本当に、「どうして?なぜ?どうしてこんな事が?俺は今までお父さんの下で幸せに暮らしていたのに、奴隷になったばかりか、牢獄にまで叩き込まれた。俺はなにもしていないのに!」と言ったかもしれない。あなたは今、ヨセフですよ。腹が立っていませんか?その牢屋は、一番厳しい牢屋だったということなのです。二度と出られない、もうヨセフの人生、終わりです。まだ20歳にもなっていないのに。

 その牢獄の中で、エジプトのパロ王の怒りをかった給仕役と料理役が牢屋の中に入れられることになりました。そして、この給仕役と料理役は、その夜、夢を見ました。わかりづらい夢だったので、もう本当に寝られなかった。「これからどうなるのだろう?」パロの王様、エジプト王に怒られて、牢獄に叩き込まれたのですから、彼ら二人の人生も、もう終わったようなものでした。ところが夢を見て、「その夢は何だろう?」と言っていた時に、ヨセフが「言ってみてください。私がその夢の意味を解いてあげましょう。」と言って、その夢の意味を解いてあげました。そしてヨセフは、給仕役の方に「給仕役様、その夢は、必ずあなたはこの牢から出られると思います。そしてまた、パロ王様の下で給仕役の仕事に戻ることができます。その時、私を覚えておいてください。必ず私をこの牢屋から出していただけるように、パロ王様に言ってください、お願いします!」と言った。「わかった!必ず言うからな!」夢のとおり二人は牢獄から出されて、料理人は、その夢のとおり殺されます。そして給仕役はもう一度、パロ王の下で給仕役の務めをすることができ、もう彼は有頂天、「やったー!」ヨセフの事など、その約束など、すっかり忘れてしまっていたのです。皆さん、あなたも友達から言われたり、親から言われたいろんな約束をしたことを、すっかり忘れていることがよくあるのではないですか?牢屋から噂が聞こえてきます。「給仕役様が、また元に戻ったそうだ!」この噂を聞いて、ヨセフは「絶対俺は出してもらえる!約束したから、あの給仕役様と。」でも彼は2年間、すっかり忘れていた。腹立つじゃない!怒りますよねえ。憤りますよねえ。「何で俺の人生は、いつもこうなのだ!」ブツブツ、ブツブツ、あなたは何度言ったことか。ヨセフは、あなたです。

 そしてその2年後、今度はパロ王が夢を見ます。誰もその夢の解き明かしができないのを知った時に、初めて給仕役は、「あぁー!夢を解いた奴がいた。王様!私が牢獄にいた時に、私の夢を解いた者がおります。」「その者を連れてこい!」そしてエジプトの王パロは、ヨセフと出会います。そして牢から出されたヨセフは、その夢の解き明かしをすることになります。その夢の内容は、「7頭の太った牝牛、美味しそうな牝牛が7頭いました。するとその横に、やせ細った牝牛が、もう7頭いました。そしてそのやせ細った牝牛が、その肥え太った7頭の牝牛を一頭ずつ飲み尽くしてしまった」という夢でした。もう一つの夢は、「1本の茎から、素晴らしい穂が実った7本の穂が出てきた。ところが、その他に、やせ細った、全然栄養分がないような穂が、その茎からやせ細った穂が7本出てきて、そのやせ細った穂が、豊かな実った7本の穂を飲み尽くしてしまった」という夢を聞いた時、ヨセフは、「王様、この夢は、あなたの国にこれから起こる事を、神様はあなたにあらわされたのです。この夢は2種類ありますけれども、一つです。それは、これから7年間、豊かな大豊作が、世界中に起こります。特にこのエジプトは、ものすごい大豊作です。ですから王様、7年間の間に蔵をたくさん建てて、その穀物をしまい込んでください。なぜなら7年の後、7年は飢饉になります。食べ物が世界中でとれません。ですからこの7年間の豊かな穀物をもって、このエジプトが繁栄するようになさることです。」と、解き明かしたのです。すると王様は「あなたは本当に素晴らしい!」と、王様はこのヨセフを召して、総理大臣に任命しました。その時、彼は30歳でした。すなわち17歳から13年間、不条理な人生を送りました。大変な苦しい時です。どうすることもできないような歩みでした。けれども13年後、彼は総理大臣になって、すべてを支配する者になります。王という位だけは、エジプト王に権威が与えられていますけれど、それ以外は全部、ヨセフにまかされることになるのです。そしてその夢のとおりに、8年後、ものすごい飢饉がやって来た時に、世界中から、「エジプトには穀物がある!」ということで、カナンの地から兄さんたちもやって来ました。それが創世記の中に書かれている出来事です。ヨセフの8人の兄さんたちがやって来ました。その兄さんたちの顔を見た時、ヨセフは、「俺の兄貴だ!」皆さん、腹が立った顔をしておいてください。なぜなら、あなたはヨセフです。「どうしてやろうか!」と、思ったかもしれません。けれども、最後にヨセフは兄さんたちを赦します。でも、あなたなら、この兄さんたちを、どういう態度で迎えますか?それは後で話しましょう。これが、一人目の人物です。


〈ダビデ〉

 二番目、ダビデです。あなたは今からダビデです。ダビデのお父さんは、エッサイでした。エッサイの、8番目の息子がダビデです。彼は羊を飼っていました。当時、羊飼いというのは、そんなに素晴らしい仕事ではなかった。ハイクラスな仕事ではなかったのです。エッサイの目にも、ダビデは論外だったのです。神様は、初代王サウルを立てました。しかしサウル王は、神に従わなかったゆえ、その次の二代目の王をダビデにしようと、神様は思っていました。ですから、神は預言者サムエルに「エッサイの所へ行きなさい。」と言います。サムエルがやって来た時に、最初に見た長男は、軍の兵士でした。サムエルはその長男を見た時、「この人が神様に選ばれた人に違いない!」と思いました。でも神様は、「この者ではない。」2番目、「これでもない。」3番目、「これでもない。」4、5、6、7、7人とも違いました。サムエルは、ちょっと失望して、「エッサイ、お前の子供はこれだけか?」「もう一人おります。野で羊を飼っております。」「その者を呼んでこい。」と、サムエルは言いました。ダビデは論外だったのです。まさかダビデが神様の目にかなうとは、誰も思っていなかったのです。ですから多分、ダビデの人生は、兄さんたちが7人もいたのですから、もう本当に、こき使われただろうと思います。お父さんもダビデに関しては、「あっ、もう一匹おります。」というくらいでした。それくらい論外でした。目に入らなかった。そういう人物でした。でも神様は、このダビデを王として油を注ぎます。しかし、まだ王として認められていない時代に、サウル王はダビデを引き寄せます。それは、サウルが時々、悪霊に影響を受けて、狂ったようになるからでした。その時にダビデが琴を弾くと、悪霊の働きが静まって、普通の人間になるのです。ですからダビデはサウルの下で、サウルが怒った時に琴を弾いて、落ち着かせる働きをしていたのです。そういう中で、ダビデもついに兵士となって、戦いに行くようになります。そして、ペリシテ人の大勇士を打ち破ったことを聞いたサウルは、ダビデを隊長にするのです。そして、彼は戦いに行くたびに手柄を立てるのです。ですからサウルは、ダビデを妬むようになります。もう人間は、本当に汚いです。本当ならダビデは、イスラエルの王様の部下です。そして、素晴らしい功績を立てたのです。戦いに行って打ち勝ってきたら、「お前は素晴らしい!」と言って、普通なら褒め称えます。でもどうですか?あなたの会社で、同期に入った人が成長したら、お金が、給料が豊かになったら、課長になったら、手を叩いてあげますか?「ちきしょう!私と一緒に入ったのに。」どうして妬むのですか?人が幸せになったら、良いではないですか。でも人間は、そんな事は考えないのです。いつも自分中心です。ある時、悪霊に憑かれたサウルは、ダビデに槍を投げて殺そうとしたけれど、それを避けて、ダビデは逃げて助かりました。そしてサウルは次に、自分の娘を花嫁として与える戦略を立てるのです。ダビデは、「王女を貰えるような者ではありません」と言ったけれども、「今、お前に私の娘をあげる。」そして結婚式の当日になったら、その娘を他の男に嫁がせて、ダビデを失望させたのです。これは本当にひどいです。いかがですか?ダビデさん、あなたです!あなたの結婚式の日に、その妻として迎える女が、他の男性と結婚した。嬉しいですか?こういうひどい事をしたのです。ですからダビデは、本当にいろんなつらい事や、嫌な事や、自分が一生懸命イスラエルの国のために働いているのに、ひどい事ばかりされるのです。不条理です。矛盾だらけです。怒りがあるでしょう。そしてまた今度は、サウルには、ミカルというもう一人の娘がいて、ミカルはダビデを好きになったので、サウルはミカルをダビデに与えて、欺く手立てとして、ペリシテ人の手でダビデを殺そうとしたのです。「こうこう、こうしなさい。そうしたら私の娘ミカルをお前にやるから。」「わかりました!」これで、ペリシテ人の所へ戦いに行ったダビデは死ぬだろう、とサウルは思っていましたが、ダビデは全員、皆殺しにしたのです。仕方なく娘を与えることになるのですけれども、それでもう一度、サウルはダビデを殺そうとして槍を投げるのです。こんな王様の下でも、ダビデは仕えたのです。しかしダビデは、サウル王の下にいたら殺されるので逃げました。そしてガドの王、アキシの所で、気が変になったような状態を保ったことを聖書は告げています。その国の王は、ダビデがあらゆる国の王をまた、兵卒を殺していることを知っていました。この王様の下にダビデが身を寄せた時に、その兵卒が「アキシ王、こいつは我々の敵ですよ!こいつは、我々のすべての民族を滅ぼそうとした奴ですよ!」その時、ダビデは気が狂ったふりをしたのです。「こんな奴を俺の所へ誰が連れてきたのだ!もうどこかへ連れていけ!」と言って、それでダビデは助かったのです。その時に、気が狂った中で彼が歌った詩は、「わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。」という、あの詩篇を歌ったのです。そしてダビデが洞穴の中で生活していた時に、何とその洞穴に、追ってきたサウル王が入ってきたのです。その洞穴は相当長かったから、一番奥にいたダビデと家来たちは、「ダビデ様、サウル王があそこにおります。チャンスです。殺しましょう!」でもダビデは、「神が油を注いだ人物を殺す事などできない。」と言って、それでも何かしたかったのでしょう、腹が立っていたから。寝ていたサウルの所へ静かに行って、サウル王の着物の裾を切って、それだけ持って帰ったのです。でもそれを切った後、神様から責めがきて、「俺は、神様が王とされた人の衣の裾を切ってしまった!」神様から責められたのです。そういう事もありました。自分の息子、アブサロムからも反逆されて、逃げた事もあります。あの時、ホシャイというダビデの友がいなかったら、ダビデは殺されていたと思います。アブサロムはヨアブという隊長に、最後は殺されるのです。その時に、ダビデは自分の息子が死んだ事を聞いて、涙を流して、「アブサロム、アブサロム」ひどい事をした、自分の親を殺そうとした息子ですよ。でも、息子が死んだ時に泣いたのです。親と子という関係で。ですからダビデは、心が本当に良い人でした。でもいろんなつらい、悲しい出来事が、ありとあらゆる出来事が、これからも起こってきます。さあ、あなたならどういう考えを持ちますか?あなたがダビデなら、あなたにこういう事がダビデのように起こったのなら、あなたの内面はどうですか?普通どおりでいられますか?


〈パウロ〉

 三番目、パウロの人生を見てみましょう。クリスチャンになる前は、サウロという名前でした。パウロもクリスチャンたちを牢獄に入れて、最初は殺していたのです。ですからサウロは、キリスト教が大嫌いでした。ひどい事をやってきたのです。そういうパウロがクリスチャンになって、そして今度は、仲間だった者たちから追われて、ひどい事をされるようになるのです。そして、イエス・キリストを伝えることによって、もう考えられないような苦しい事を、いっぱい彼は経験しているのです。彼は聖書の中で、苦労したことは非常に多かった、と言っています。投獄されたことも多かった。ですから、牢屋の中に投げ込まれたこともたくさんあったのです。鞭を打たれたことは数えきれない。死にそうになったことは何度もあった。ユダヤ人から、40に1つ足りない鞭を受けたことが5回。39回鞭を打たれたら、本当にもう死にそうになります。これは、そういう意味で、40回打ったら死ぬ数なのです。ですから39回でやめるのです。ですからもう瀕死の状態にさせるのです。195回、鞭を打たれているのです。また、ローマ人に鞭で打たれたことが3回。ローマ人の鞭は、前にも言ったように、鞭の先にガラス破片が付いているのです。ですからピシッとやったら、肉が裂けるのです。それを39回打たれたことが、3回もある。ですから彼の体はもう傷だらけです。また、一日中海の上を漂ったこともあった。何度も旅をし、川の難、また、盗賊の難、そして同国民の難、それから異邦人の難、偽兄弟の難も受けた。テントの仕事をし、働いて、苦しんで、眠れない夜を何度も経験し、飢え渇いて、寒さに凍えた時、そして裸でいた時もあった。その他にいろいろな事があり、そして、毎日私に差し迫ってくるあらゆる教会の心配事。いろんな信者や指導者が、パウロになんだかんだ言ってきて、「パウロ先生、こんな事が起こりました。」「つらい事が起こりました。」「ローマの兵隊が押し寄せてきました。」その当時、キリスト教は、ローマ軍にとっては許せない宗教でしたから、大迫害を受けていた時代で信仰生活をするということは、本当につらい事です。ですからいろんな教会から、いろんな問題が、その他にもあって、もう本当に私はたまらない。あらゆる教会の心配事というのは、誤った道を進んでいる人とか、そういう人を見て、悲しまないでおれようか。倒れている人を見て、知らぬ顔ができようか。そういう意味だそうです。ですからもう、ありとあらゆる事が起こってくる中で、なおキリストを宣べ伝え、キリスト信者たちを励ましているパウロの気持ち。もしあなたがパウロなら、これだけの苦しい事があったら、もう教会に来ないのではないですか?イエス様を捨てるのではないですか?あなたなら、どういう態度で臨みますか?


〈ナオミ〉

 次に、ナオミの人生を見てみましょう。エリメレクとナオミという夫婦が最初に出てきます。そのエリメレクという夫が亡くなって、ナオミが一人になります。そしてナオミには、二人の息子がいました。マロンとキリオンです。その妻の名前は、オルパとルツです。ナオミの夫はエリメレク。エリメレクが死んで、二人の息子、マロンもキリオンも死にました。残ったのは、ナオミとモアブの二人の嫁だけです。そしてナオミは、「あなたたちはモアブの女だから、私はベツレヘムがあるイスラエルに帰りますけれども、あなたたちはもう一度結婚して、幸せになりなさい。私に付いて来たら、つらい人生を送ります。二人の息子も死んだのですから、あなたたちはこの地に居なさい。」と言った時に、ルツだけが、「いいえ、あなたの神が私の神です。私はあなたに従います。」と言って、ナオミとルツとこの二人だけが、ベツレヘムに帰ってきます。ナオミは、「神様が私の夫も取った。私の息子二人も亡くした。私は不幸だ!私は本当に、神様、恨みます。」とまで、そんなふうに思っていたみたいです。ナオミは彼ら(ユダヤ人の人たち、すなわちイスラエルの人たち)に、故郷に帰ってきた時に、「ナオミさん!」と呼ばれました。ナオミというのは、(楽しみ)という意味なのです。それでナオミは、「私は楽しんでなんかいないよ!私の名前のとおりの人生じゃないよ!私の事を、もうこれから楽しみと呼ばずに苦しみと呼んでください。なぜなら全能者が、神様が私をひどく苦しめられたからです。」皆さん、クリスチャンの中でイエス様を信じて、苦しめられてつらいとか思っている人いますか?あなたは、どんなふうに思いますか?ベツレヘムで飢饉が起こったから、エリメレクとナオミは、モアブの地には豊かな食べ物があると思って、下っていったのです。ところが、そのモアブの地で、エリメレクも亡くなり、息子二人も亡くなり、嫁二人だけになってしまって、生きていくためにベツレヘムに帰れば、食物もあり、生活ができるということで、帰っていくのです。帰っていった時のナオミの気持ちは、「私の人生は苦しみです。私はつらい事や、悲しい事ばっかり起こって、なんにも楽しい事なんかないです!」って、先に言ったように、人から何かしてもらった事や、そういう事は忘れてしまって、自分がされた事や、そういう事ばかり覚えている。それはナオミですよ。あなたはそういうキリスト者ですか?どうですか?自分の親を恨みますか?「あの友達の親は、ものすごくいいのに!」「僕の家は、あんなおいしいケーキを食べたことないわ!」どうですか?


〈ヨセフ〉

 ではもう一度、ヨセフに戻りましょう。ヨセフは最後に、こういう言葉を言っているのです。これは兄さんたちに言った言葉です。「兄さんたち、それゆえ、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神です。神は私をパロの父とし、その全家の主とし、またエジプト全国の司とされました。」ですから結論としてヨセフは、「兄さんたち、私はあなたを殺しませんよ。養いますよ。そして今まで僕にした事を皆、赦しますよ。確かに私は、兄さんたちにされた時に憎みました。腹が立ちました。いろんな事がありました。でも、そのすべては、神様がされたのです。」あなたの人生で、あなたにとって嫌だった事があると思うし、今でも恨んでいる事があると思うし、環境さえよかったらと思ったり、脚がもうちょっと長かったらと思ったり、いろいろあるでしょう。でも、それは全部、「神です」。そしてそれは私にとって、素晴らしい事です。でも、私はもう1ランク上げたい。確かにヨセフはこう言った。言ったけれども、その時はそう思っていなかったでしょう。この頃私は、違うのです。皆さんもご存知のように、コングレスを出た内容は言いませんが、いろいろあるのです。腹が立つ事もいっぱいあるのです。でも、私はこの頃は、そう思わないです。あれも神様がなさったのだ。彼がした事を憎んでいないです。今、腹も立っていません。何も憎しみはないのです。怒りもないのです。不思議でしょう。私の人生で起こっているすべては、私にとっては最善でした。あなたはそう思いますか?あなたが本当にそう思えるのなら、あなたはどんな問題にでも打ち勝っていけます。


〈ヨブ〉

 今度は、ヨブの人生を見ていきましょう。ヨブは、7人の男の子、そして3人の女の子、全部で10人子供がいて、ものすごい金持ちでした。そして毎月、兄弟たちが集まって、親族たちが集まって、美味しいものを食べて、いろんな事で交わっていたのに、ある時神様は、その羊も、牛も、らくだも、皆、敵に奪われて、そして最後は、大嵐がやって来て、その7人の男の子と3人の女の子と、そして、その家族も全部死んだ。その時ヨブは、「なんでこんな事を神様するのですか!?私の信じていた神様は、ひどい神様ですねえ。私はそんな神様を、もう信じません。」と言ったのでしょうか?彼はこう言ったのです。「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」私は裸で母の胎から出てきた。何も持たないでこの世に出てきた。でも神様が、豊かにしてくださって、羊も、牛も、らくだも、また、私の息子も娘も全部神が与えられました。だからまた、何もなくなっても、裸で神様の下に帰るのです。ですからこの出来事が起こっても、全部神様が、最初に私は何も持っていなかったのに、少しの期間与えてくださって、また、取られたのだから「主が与え、主が取られた」のだから、神様は素晴らしいです。これは絶対に言えない言葉です。皆さん、人を憎んだり、妬んだり、裁いたりして幸せになれないですよ。あなたの心は腐るだけです。確かにひどい事を言われた。ひどい友達がいる。ひどい友人もいる。ひどい会社の社員もいる。社長もいる。でも、「それは神様です」と、あなたは思えますか?この世界のすべてを支配しておられる方が、あなたの人生を導いておられることを信じますか?それとも自分の良い時だけ?いずれにしても、皆さん、あなたはご利益宗教を信じているのではないです。良い事だけ、「神様、感謝します。」自分の嫌な出来事や、つらい事を言われたり、人から何か言われた時、「それは神様です」と、あなたは言えますか?それを通して、神はあなたに何を語りたいのですか?


 詩篇119篇71節「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」神様の御心がわかるようになりました。イエス様はなんで、あんな苦しい目に遭うのですか?あなたの創造者ですよ。造り主ですよ。なぜ33年間も肉体をもって苦しまれたのですか?私たちの模範となるためでした。

あなたが苦しむ時、それはあなたにとって、良い事ですか?それとも腹が立つ事ですか?あなたの心一つで、右と左に分かれます。

 神様は、「いつも喜んでいなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト様が求めておられることです。」ですから私たちが、この世の中で起こる出来事すべてに、「神様、あなたです。感謝します。」と、もしあなたが言うなら、あなたの心は守られる。あなたが憎むなら、あなたが人を裁くなら、裁きたいでしょう、本当にひどい事をされているのだから、ひどい親だから、ひどい人間だから、ひどい社長だから、つらいでしょう。でも、「あなたですね、主よ、感謝します。」と、もしあなたが言うなら、あなたの心は守られる。

 なんで神様は我々人間にとって、あなたにとって嫌な事、つらい事、悲しい事、また、腹の立つような事、憎しみに満ち溢れるような、そういう人を送るのですか?答えはこれです。申命記8章2節「あなたの神、主がこの四十年の間、」四十年というのは、イスラエルの旅路の事です。あなたの人生の事です。この世の中は荒野です。晴れやかで、あでやかさはあるけれど、タヌキの泥船と同じで、きらびやかさや、あでやかさは偽りです。この世の中のものに何も、良いものはありません。皆、腐っています。人生は荒野です。「荒野であなたを導かれた」すなわち、あなたの人生を導かれた「そのすべての道を覚えなければならない。」あなたの一つ一つの出来事の中で、あなたにとって良いと思われる事も、悪いと思われる事も、嫌な事も、つらい事も、憎しみに燃えるような出来事も、「それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。」あなたは本当に私の子ですか?神の子ですか?それとも、この世の子ですか?その違いは、ここで見出されると神様はおっしゃいます。であるなら、私のこの74年間は、全部良い事です。今も嫌な事、いっぱいあります。でもそれも、「神です」。神様がしておられるのです。ですから私は、それはベストだと思います。これが、良かった。神は私に対して、ヨセフのように、「兄さんたち、私をエジプトに奴隷として売ったことを嘆いたり、悔んだりすることもいりません。私をエジプトに遣わしたのは、あなたがたではなく、神です。」そうあなたにも告白してほしい。あなたの人生においても、今までつらかった事、今もまだ続いているでしょう。ある人は「もうあの人さえ、横にこなかったらいいのに」とか思う人。その人も、「神です」。神があなたに遣わしたのです。あなたにもそう告白してほしいのです。ヨセフと同じように。あなたに、人にされたのではなく、神御自身がされたのだ、と言わせたいのです。それが、イエスを信じる者の信仰告白です。これは、私の人生の集大成です。すべてが神様です。「それは神です!」これから起こるいろんな人との関わり、特に夫婦関係、親子関係、近ければ近いほど問題があります。遠くだったら、挨拶をして、もう何も言わなくても済むのです。でも夫婦は、嫌な事が起こっても、朝起きたら、居るのです。兄弟姉妹、神様はあなたにそう言ってほしい。「私があなたを導いている神である。」それゆえ、「主イエス様、感謝します!」どんな事でも「感謝します!」「それは、神様です!」そのように歩んでいっていただきたいと思います。

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