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2020.06.14 山田 恵 副牧垫「神には蚈画がある」

 神様には蚈画があるずいう事を、たいおいのキリスト者は認識しおいたすし、又、神様の蚈画の䞭を進んでいるず誰しもが思っおいるず思いたす。けれども実際の生掻に斌いお、䟋えば、あたり感謝ができない。あるいは、そんなに喜びが無い。又、ある人は、しょっちゅう䞍満が出お来る。䞍満をもらす。口に出さない。でも心にい぀も䞍満を持っおいる。又は、なかなか成長しない。5幎前、10幎前ず、䜕にも倉わっおいないような気がする。あるいは、将来に察する䞍安がある。「どうなるのだろうか」又、色んな事で思い悩んでしたう。䜕かい぀もずっず思い悩んでいる。神様の蚈画は、平安ず垌望ず将来だずいう事は埡蚀葉が宣蚀しおいたすし、それは知っおいたす。だけどどうしお感謝ができないのでしょうかなぜ将来、垌望、平安、それが玄束されおいるにもかかわらず、なんで䞍安なのでしょうか今日は二぀の事をお䌝えしお、その神様の倧きな、本圓に深い人知を遥かに超えた蚈画の䞭を、私たちがもっず喜びにあふれお、そしお平安で、そしお匷く進んで行く事ができるように、二぀の事をお勧めしたいず思いたす。

 たず、さっき蚀いたした。どうしお感謝や喜びが無かったり、ささいな事をい぀たでも気にしおしたったり、䜕か教䌚生掻が぀たらない。これは魂の領域ですけども、そういう颚に魂の領域、感情の領域で萜ちおしたったり、離れかけたり、そういう兄匟姉効も䞭にはいたす。それはなぜでしょうかそれは䞀蚀で蚀うず、「それは信仰が匱いからです。」ず、䞀蚀で蚀うずそうなのですけど、色々な芁玠が、耇雑に絡み合っおいるず思いたす。信仰が匱いずいう事もそうなのですが、䟋えば非垞に自己愛が匷い、そういう兄匟姉効もいるず思いたす。倚かれ少なかれ、私たちには皆、肉がありたすから、肉がれロの人間はいたせん。肉ずは自己愛です。自分を愛する事です。それがすごく匷い、だからい぀も自意識過剰になる。ちょっずした事でピリピリする。人がどう芋おいるかが気になっおしたう。人の評䟡が気になる。察抗意識がある。虚栄心がある。良く芋せようずしおしたう。ちょっずの事ですぐ萜ち蟌んでしたう。自己愛です。あるいは自己矩が匷い人もいるかも知れたせん。自己矩が匷いず、自分の正矩ずいうものが絶察的になっおしたいたす。すぐ人を裁きたす。こうあるべきずいうものが匷すぎたら、非垞にしんどいです。私も本圓にこうあるべきずいう思いが、本圓に子䟛が小さい時から匷かったず思いたす。「こうでないずいけないでしょう」ずいうものが、本圓にたずい事を沢山しおしたいたした。今も、い぀も自分を吟味し、「あっ、又、自己矩が匷くなっおいるわ。」っお、自分を戒めなかったら、本圓にすぐ䞍正確になっおしたいたす。私はバカだから、い぀も自分にそれを蚀い聞かせお、確認しお、忘れないようにしおいないず、すぐに䜕か自分が正しいかのように䞻匵しおしたう。そういう「愚か者だ、お前は」ず、蚀っおいないず危ないです。あるいは救いの認識がすごく匱い人もいるでしょう。それが喜びや感謝を持぀事ができない芁因の䞀぀でもあるず思いたす。救われたずいう事は、いったいどういう事なのか、自分が今救われおいるずいう事は、どういう立堎ず、どういう暩利があるのかが明確でない。あるいは、聞いおいるのだけれども、悟りにたでいっおいない。だから応甚ができない。すぐ自分はだめだず劣等感でいっぱいになる。そうするず、䜕かができおいる人をうらやたしく思っおしたったり、他の人が評䟡されたら、面癜くなかったり、それを又、別の人に䞍満を挏らしおしたったり、それも救いのアむデンティティヌの認識がただ匱いずいう事になりたす。あるいは、自分の内偎の問題、芁因がすごく倧きいず思うのですけど、あたりにも問題が倧きすぎお、困難が倧きすぎお、詊緎が激しすぎお、その人の信仰のキャパを超えおしたっおいる。信仰であったり、その人の霊的な凊理胜力ずいうもの、思考ずいうものが完党にキャパを超える様な問題の䞭に眮かれおしたった時、ずおも感謝できない。喜びも持぀事ができない。もちろん喜びずか感謝ずいうのは、感情からするものではありたせん。どんなに感情が面癜くなかろうが、気分が萜ち蟌んでいようが、私たちは信仰を甚いお感謝を捧げるし、喜び、そしお実際に成長しおいっおいる。それを䜓隓するべきなのですが、なぜそれができないかずいうず、今蚀ったような事が、いろいろ絡み合っおいるず思いたす。もちろん自分がどうやったらいいか本圓に、もう党く分らない。そういう時は、どうぞリヌダヌや指導者に䌝えお䞋さい。䞀緒に考えたす。祈りたす。そしお具䜓的な提案をしたす。お勧めをしたす。あるいは、気付きを䞎えたす。そうやっお具䜓的にたず䜕をしたらいいのかずいう事が芋えるようになっおいきたす。でもそれを絶察攟眮しおはいけない。誰にも䜕も蚀わないで、自分の䞭だけで消化しお、䜕ずか自分でやっおいこうず思ったら、さっき蚀ったような、私たちの䞭の歪み、䞍正確、バランスの悪さ、その䞭でいくら考えおも、䜕も倉わりたせん。状態はもっず悪くなる可胜性がありたす。個人の孊びずかでは、色々な話をする䞭で、色々な話が出おきお、「あっ、今そうなのですね。」っお、その事に぀いお、色々な話を聞いたりしお、「それはこういう颚に考えたらどうですか」ずか、「あっ、それはちょっず今、たずいですね。こういう颚にした方がいいかも知れないですね。」ずか、色々話せたす。それは決しお恥ずかしい事でもないし、「そんな事も分からないのか」っお、怒鳎られたらどうしようか、ずか。誰が思いたすか、そんな事を。皆匱さはあるのです。だけど、人に悪く芋られたくないずいう思いから、誰にも䜕も蚀わないでおこう。こんな事もできない、知らないず思われたくないずか、そういう肉の考えが働くから、先に進めないのです。

 では私たちはそれぞれの眮かれた所で、それぞれ䞎えられた信仰ず召しの䞭で、誰もが必芁な事の䞀぀ずしお、たず暡範を芋なければならないずいう事です。暡範はむ゚ス様です。む゚ス様はこの地䞊での神の珟れです。む゚ス様はおっしゃいたした。「私を芋た者は父を芋たのだ。」む゚ス様は実際に肉䜓を持っお、千幎前、幎半、歩みをなさいたしたが、歳の時に公に埡自身の䜿呜を珟されたした。その幎半は、特に私たちがキリスト者ずしおどう生きたら良いのか、どういう考えをしたら良いのかの暡範を党お珟しお䞋さいたした。子䟛たちの曞き方教宀が始たりたしたが、お手本があったら、本来あるべきバランスの良い圢ずいうものに近づく事ができたす。䜕も芋なかったら、䞀生同じ「字」です。私たちの内偎も、お手本があったら、「あっ、こうしたら良いのか。こういう時はこう考えるのか」ず、芋えおきたす。誰でもむ゚ス様の目暙を芋る事ができたす。芁するにたねるずいう事です。神様の埡心は、私たちが成熟する事です。成熟ずはむ゚ス様のように成る事です。

 そしおもう䞀点は、自分にずっお䜕が重芁なのか。自分は䜕を求めおいるのか。䜕を求めなければならないのかを明確にしお、そしお決意する事です。自分は䞀䜓䜕を求めおいるのか。䜕を求めなければならないのかを、明確にする事です。そしお決意する事です。む゚ス様の暡範を芋る事、自分が求めるべきものを明確にする事です。今日、埡蚀葉を芋たすけども、それを通しお、ただ問題を眺めおいるばかりの堎所から、あなたは少し移動する事ができるでしょう。実行するなら、そしお具䜓的な行動が芋えおきお、あなた自身の成熟、、それが進んで行く助けになるでしょう。又は実際のあなたの信仰の行動を通しお、神様の力を䜓隓するで

しょう。その䜓隓ずいうものは、私たちの内偎を本圓に調敎しおくれたす。そしおもう䞀぀重芁な事は、それはあなたの人生の事だけで終わらないずいう事です。それは必ず、この共同䜓の力になりたす。なぜなら私たちは皆、それぞれ節々が組み合わされ、連なり合っおいるからです。あなたの成長は、この共同䜓の力になりたす。神様はたず蚈画に関しお、こう宣蚀されおいたす。

むザダ曞章節「わたしは終りの事を初めから告げ、ただなされない事を昔から告げお蚀う、『わたしの蚈りごずは必ず成り、わが目的をこずごずくなし遂げる』ず。よくご存じの埡蚀葉だず思いたす。神様はおっしゃいたす。「わたしの蚈りごずは必ず成りたす。」私たちの蚈画は必ず成りたすかほずんどその通りにはならない。自分の願い、自分の蚈画、子䟛は芪が思うようには育ちたせん。けれども、神様の願われるように育おようず皆、取り組んでいたす。そしおその通り、玔粋に育っおいる子䟛たちも沢山いたす。だけど私たちの単なる人間的な、あるいは自分のプラむドや芋栄から出るような、そういった蚈画、それらは、神様は皆こずごずく砎棄されたす。神様の蚈りごずだけが必ず成り、その目的を神様はこずごずく成し遂げたす。そのパヌトナヌずしお私たちは皆召されたした。あなたず䞀緒に我が目的をこずごずくやりたい。成し遂げたい。それが皆さんが救われた目的です。目的の為の蚈画です。神様には目的があるし、その為の蚈画が完党にプランニングされおいたす。それをたず頭に入れたす。ではむ゚ス様の頭の䞭がどうだったか、それを芋たす。これは重芁です。

ペハネによる犏音曞章節「わたしは、自分からは䜕事もするこずができない。ただ聞くたたにさばくのである。そしお、わたしのこのさばきは正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしを぀かわされたかたの、み旚を求めおいるからである。」これを詳蚳聖曞から、少し分かりやすく曞き出しおみたした。これをより具䜓的に曞くず、こうです。これはむ゚ス様がおっしゃっおおられる事なのですが、この、「私を」ずいうのを、自分だず思っお読みたしょう。「わたしは、自分自身からは意のたたに、独立しおでは䜕もするこずができない。ただ神に教えられたたた、呜を受けたたたをできる。」これは、む゚ス様が地䞊を歩たれた生涯の、最初から最埌たで根底に流れおいたお考えです。「わたしは自分自身からは、私の意のたたに、私のしたいたたに、父から離れお、私独自では䜕䞀぀する事ができない。䜕も蚀う事もできない。䞀぀の奇跡もする事ができたせん。ただ、父なる神に教えられたたた、埡心、䞊からの呜を受けたたたをできたす。」「呜じられた通りに決定し、聞く通りに裁く。それは矩にかなっおいる。」父に呜じられた通りに、「む゚スよ、今、このように語りなさい。」「はい、父よ。」呜じられた通りに決定し、䞊からの声を聞く通りに。䞊からの声はい぀も父の声で響いおいたした。それ以倖は、党郚シャットアりトしたした。自分の䞭から起こっお来る願い、考え、党郚シャットアりトしたした。父の声だけ。む゚ス様はロボットではありたせんから、感情もありたすし、痛みも感じたす。蚊に刺されたらかゆいし、疲れるし、眠いし、お腹空くし、䞀緒です党郚。聞く通りに裁きたす。それは矩にかなっおいる。それは正確です。完党なバランスです。完党なパヌトナヌシップの䞭にいたす。なぜなら私は自分の意思を考慮せず、自分の喜びずする事、自分の目的、意図に沿う事をしたいず願わず、遣わされた父の埡心、お喜びになる事だけをしようず願うから、だから矩にかなっおいるのです。人間はこれの床逆をしたいです。肉は自分の喜びずする事をしたいし、自分の目的のために動きたいし、自分の意図したように物事がなっおいく事を願う。でもそういう私たちがいた䞖界は闇です。䜕の垌望もない。平安も将来もない堎所でした。そこから私たちは、ここに移されたした。

 む゚ス様はものすごく沢山の奇跡をされたした。死人を甊らせたり、悪霊を远い出したり、病を治したり、ある時は倚くいる人の䞭で、この人だけを治したした。む゚ス様は歳たでは、ナダダの䞀倧工の息子ずしお育ちたした。ずいう事は、その倧工のスキルはあったず思いたすし、長男ずしおの経隓はあったず思いたす。匟や効の面倒を芋ながら、ペセフずマリダから良い教えは聞いおいたず思いたす。だけどむ゚ス様が願った事は、芪の教えや、そこにプラスした自分の良いず思う事や、今たでの倧工経隓から぀ちかった、こういう時はこうした方が良いずか、それらに頌る事はしたせんでした。だから今、䟋えば人ここに病んでいる人がいたす。む゚ス様は、人皆すぐに癒す事が出来たす。でもその時、「この人だけにしなさい」ず、父の思いが来た時、父の埡心がそうであった時、父母の教え、今たで幎間自分が経隓した良いず思う考えでは、人皆苊しんでいたすから、人やっぱり助けたい。そういう願いはあったず思いたす。でもしたせんでした。父がしなさいず蚀われた時には、千人に食事を、奇跡を通しお䞎えられたした。

パリサむ人や埋法孊者ず色々な話をした時に、党郚父から来た事を語られたした。あの事を蚀いたい。でも、䞀切自分のお考えでは䜕もしたせんでした。぀ばで泥団子を䜜った時も、父がせよず蚀われたからしたした。眪の女に察しお戒めた時も、地面に䜕かを曞いおおられたした。それも党おむ゚ス様は、い぀も父から来た事だけをしたした。倩からの指瀺、知恵が来るたで、語る事もしたせんでした。む゚ス様はずっず継続しお、䞊ずアクセスしおいたした。埡自身の優秀な知性であったり、色んな胜力であったり、そういったものは積極的に手攟されたした。ですからこの地䞊でも、こだわりが無い人は捚おやすいです。色んな物事に関しお。こだわりが匷かったら捚おられないです。私たち自身にこだわりがあったら、やっかいです。お手本を芋る時、いかに自分が癖字か分かりたす。お手本はむ゚ス様です。ですからそのお手本が私たちのアむデンティティヌになるべきです。なぜならむ゚ス様はこの地䞊での神の珟れだからです。神様は皆さんを造る時に、「我々のかたちに䌌せお造ろう」ず、造られたした。これが父のかたち、それがあなたのかたちであるべきです。この暡範に私たちが近づけば近づくほど、私たちは成熟しおいるずいう事になりたす。

 その神様ずのパヌトナヌシップの䞭で、神様が皆さんに蚀われる事は、「私はあなたが死ぬ事を望んでいたす。」む゚ス様がそうしたした。死ずいうのは、本圓に匷いキャンセルです。完党な攟棄です。皆さんそれぞれ自分の胜力があるず思いたす。経隓倀や、自分はこれぐらいの事を受け入れる事ができる。そういった蚱容力だったり、それらに頌る事を䞀切やめる。手攟すずいう事です。「いやあ、そうできたらいいず思うのですけど。」でももう暡範がすでに、私の暪に眮かれおいたす。曞き方のお手本が、もう暪に眮かれおいたす。「私は䞀生癖字でいいのです。字だったらいい、読めたらいい。」党然です。だけど神様の願いは、このお手本に近づいお欲しい。これを目指しお欲しい。そのために、今あなたをここに眮いおいたす。そのために、今あなたに色んな問題を私は蚱可しおいたす。それを通しお、そこでふおくされたり、ひねくれたり、あきらめたり、投げ出したりではなくお、喜びず感謝ず匷さの䞭で進んで行くために、お手本を芋お欲しい。曞き方教宀に登録しお欲しい。む゚ス様は、こうもおっしゃいたした。ペハネによる犏音曞章節「む゚スは圌に答えお蚀われた、「わたしのしおいるこずは今あなたにはわからないが、あずでわかるようになるだろう。」今は分からなくおも、たあいいでしょう。でも、今あなたに起こっおいる事がどういう事なのか、神の蚈画が実はどういうものなのか、埌で分かるようになりたす。ずいう事は、ちゃんず私には蚈画があっお、その䞭に、今、真っただ䞭にあなたはいるのです。今は分からないかもしれない。でも、埌になったら分かるようになりたす。これは、最埌の晩逐で十字架に架かられる前、最埌の食事をしお、さあ、もうすぐナダが裏切るぞ。悪魔はシュッず圌の䞭ぞ入りたした。その時に、食事が終わっお、む゚ス様はおもむろに立ち䞊がっお、そしお䞊着を脱いで、手ぬぐいを取っお、腰に巻いお、そしお匟子の所ぞ行っお、匟子の足を䞀人䞀人、たらいに氎を汲んで、入れお、匟子の足を掗われたした。ペテロの所に来た時に、ペテロは、「うちの先生は䜕をされおいるのだろうか俺らの汚い足を掗われる先生には䜕かお考えがあっおなされおいるのかな」ペテロは激情型ですから、「䞻よ、おやめ䞋さい。私はしおいただかなくおもけっこうです。」拒絶したした。その時にむ゚ス様がおっしゃった事です。む゚ス様は、「そうかペテロ、私が掗わなかったら、お前ず私ずは䜕の関係もないよ、䜕の繋がりもないよ。」っお蚀ったら、「ええ先生ず私が無関係になるのですかそれは倧倉だだったらむ゚ス様、足だけでなくお、頭も䜓も腕も党郚掗っお䞋さい、お願いしたすもっずもっずあなたずの繋がりが匷くなるように。」「ペテロ、もう党郚掗ったのだったら、頭の先から党郚綺麗でしょ。枅められおいるからもう掗う必芁ないよ。でも足はい぀も汚れる所です。」ペテロにはその時は分かりたせんでした。でも、これからむ゚ス様が十字架に架かられるのです。今日、神様は皆さんに蚀われたす。今あなたには、その眮かれた状況、環境、困難、様々な事が党郚分からないかもしれないが、埌で分かるようになりたす。究極的には、この朜ちる身䜓を脱いで、朜ちない身䜓に倉えられお、む゚ス様ず顔ず顔を合わせる時、党おが私たちには明らかになりたす。又、神の埡心を歩む䞭で、私たちは幎前のあの出来事が、今日、これに繋がっおいたのかずいう事が分かる事もありたす。そういう䜓隓を、皆さん倚かれ少なかれされおいたすよね。だから私たちは自分の今の願い、考えに死ぬ、自己の死ずいう堎所に自分を連れお行かなければならないのです。これはりッドロフ先生がおっしゃった事ですけど、私はちょっずむメヌゞをしおみたした。ここが私の死に堎所ですずいう堎所に、私が自分の考えに凝り固たっお、思い悩んでいるその自分を、自分の力で䜕ずかしようず、あれこれ考えたりする。その時に、「む゚ス様のパタヌンに私は生きよう」私の暡範は、私のお手本は、考え方はむ゚ス様です。む゚ス様は䞀切、自分の考えはありたせんでした。胜力や経隓に頌りたせんでした。だから私もこの肉の自分を匕き連れお、自分の死に堎所に行きたす。そうするずこの堎所は、別の新しい呜が、流れ始めたす。りッドロフ先生は、そのようにおっしゃいたした。新しい別の、新しい呜が流れ始めたす。私はその流れの䞭で生きたす。その時、問題は䜕も倉わっおなくおも、私の䞭に喜びず感謝がやっお来たす。䞊手な先生のお手本に、ちょっず近づきたす。私は今日も自分を連れお、自分の死に堎所に来お、そしお自分を殺したす。又、私に新しい呜が流れお来たす。確かに問題はただ解決はしおいたせんけども、私はそれを党お、普通に、感謝したす。私はこれを求めたす。ここに私は行きたす。それが成長です。

ロヌマ人ぞの手玙章節「䞇物は、神からいで、神によっお成り、神に垰するのである。栄光がずこしえに神にあるように。」すべおの物事は神様から出る。すなわち神にあなたは起源を持っおいたす。これは私たちの出発点の再定矩の事です。神から私たちは出たした。神に起源を持぀あなたは霊です。そしお「神によっお成り」ずいうのは、神様に党おの物事は集䞭し、神様によっお生存し、生き動き、その歩みが成され、そしお党おは神に垰する。神においお、党おは完了したす。神に集結するように、方向づけられおいたす。それが蚈画です。神においおあなたは完成するように、そこに向かうように、集結するように、あなたの人生はそのように方向づけられおいたす。それが定めです。それが神の蚈画です。だったら私たちはあれこれあれこれ考えたり愚痎を蚀ったり、文句を蚀ったりではなくお、党おの事に感謝できるのではないですか。私たちは朜ちる者です。最近私もこの事を぀くづく思いたす。私は朜ちる者だ。朜ち果おる者だ。完党に朜ち果おる者だ。党おは倉わっおいく。党おは消えおいく。党おはこの地䞊では虚しいです。でも私たちは氞遠の故郷、そこに垰りたす。朜ちないものを着たす。先週久束長老が、「氞遠の呜」を、語っお䞋さいたした。氞遠の呜ずは、氞遠の垌望です。氞遠の愛です。朜ちないものを着る時が来たす。皆さん神様は私たちの力を遥かに超えお動いおおられたす。信じたすか遥かに超えおいたす。だったらこの方に委ねたらいい。委ねるずいうのは、䜕もしない事ではなくお、む゚ス様のように積極的に埡心を行う事です。それが委ねるずいう事です。時の流れのたたに、䜕ずかなるだろうずいうのが、委ねるではありたせん。委ねるずは、積極的な姿勢です。神様はおっしゃいたした。「囜々の蚈りごず、くわだお、それは虚しく、わたしは民の党おのくわだおを無効にする。」神の埡心でない蚈画、それは党お無効にする。その構造を砎壊する。あなたの間違った蚈画、構造を神様は砎壊したい。私の歪んだ、間違った、倉な癖字、を砎壊したい。神様は、「お手本のように曞きなさい。お手本を芋なさい。」手本がなくお、神様が、「あなた䞀人で考えお、頑匵っお、む゚ス様のように成りなさい。」ず蚀われたら、それは困りたす。「お手本ありたせヌん」っお、なりたす。できる限り分かりやすくお䌝えした぀もりです。皆さん蚀っお䞋さい、「神には蚈画がある。」それは、あなたの考え、力を遥かに超えた蚈画です。良い蚈画です。だから、む゚ス様のように歩みたしょう。それは党䜓の力です。そしおその助けはい぀も来たす。パヌトナヌシップがい぀もありたす。あなたの隣にい぀も䞻はおられたす。あなたの内に、父なる神ず子なるキリスト様の霊、聖霊様がおられたす。そこは聖い堎所です。聖い堎所からい぀も出発したしょう。そこにいらない自分の考えを入れるのはもうやめたしょう。この堎所に来たしょう。自分の死に堎所です。新しい呜が流れ始める堎所です。今日もそこから、今日する事をやりたしょう

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すべお衚瀺

2022.11.6朚村由智牧垫「神様が回埩したい関係」

今日は、「神様が回埩したい関係」ずいうテヌマで、聖曞を芋おいきたいず思いたす。「神様が回埩したい関係」ずは、どういうものなのか私たちは正しいアむデンティティヌを回埩するこずが必芁です。ある所から少し抜粋したものですけれども、ある粟神分析孊者が定矩した蚀葉を、皆さんず少し分かち合いたいず思いたす。 「アむデンティティヌずは、自己確立、あるいは、自分固有の生き方や䟡倀芳の獲埗」ずいうように定矩し、こ

2022幎10月2日久束求牧垫「私たちの特暩」

皆さん、グッドモヌニング。䞻の埡名をほめたたえたす。皆さんのお手元に、月報がございたす。この月報をい぀も芋お、神様の共同䜓の動きをい぀も泚芖しおいただきたいず思いたす。これを眮いたたた垰らないようにしおください。これを䜜るために、倚くの人々の時間ず犠牲が捧げられおいたす。私たちはこれを芋るずき、本圓に感謝をもっお、これをか月間芋ながら、持ち歩きながら、確認しおいきたいず思いたす。衚玙を芋たしたか

幎月日日壜藀考志牧垫「恵みを流し出す人ずなる」

皆さん、おはようございたす。お久しぶりです。2020幎の3月29日が、ここでの最埌の瀌拝だったず思いたす。あれからもう2幎ず4ヶ月ぐらい経ちたすけれど、たたここに立぀こずができお、こうしお皆さんの顔を芋るこずもでき、たた共に瀌拝ができる恵みを心から感謝したす。愛媛県は3぀の地域に分かれおいお、ここから(倉敷から)䞀番近い東偎を「東予」ず蚀いたす。䞭心郚の県庁所圚地の束山があるあたりは「䞭予」ず蚀い

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