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2022年7月31日(日)壽藤考志牧師「恵みを流し出す人となる」

 皆さん、おはようございます。お久しぶりです。2020年の3月29日が、ここでの最後の礼拝だったと思います。あれからもう2年と4ヶ月ぐらい経ちますけれど、またここに立つことができて、こうして皆さんの顔を見ることもでき、また共に礼拝ができる恵みを心から感謝します。愛媛県は3つの地域に分かれていて、ここから(倉敷から)一番近い東側を「東予」と言います。中心部の県庁所在地の松山があるあたりは「中予」と言います。そして今、私が住んでいる宇和島市がある一番南は「南予」と言います。ですから宇和島は愛媛の果ての方なのです。一番南の方に、「愛南町」という町があります。そこを過ぎたら高知になります。今日は愛媛の果てからやって来ました!

こういうテーマでお話ししましょう。「恵みを流し出す人となる」。先ほど京阪奈のレポートを聞いて、皆さん!本当に嬉しいですね。この地域の子供たちが教会に足を運んでくれた。またそのお母さんも来てくれた。同級生が来てくれた。新しい人が来る時に、私たちの心は、本当に何とも言えない喜びで満たされます。私たちは、恵みを流し出す人とならなければならない。御言葉を見ましょう。ヨハネによる福音書7章38節「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう。」こう書いています。これを、もっと原語に忠実な詳訳聖書で見ると、「わたしを信じる者、〈わたしによりすがる、《信頼する、より頼む》者〉は、聖書にあるように、その人の人格の奥底から生きた水の泉〈川〉が〈絶え間なく〉流れ出るのである。」と、こう書いています。「わたしを信じる者」ここにおられる方、皆さん、イエス様を信じておられますね。「信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から」腹からって、わかりにくいなあ!と思って、詳訳聖書を見るとこう書いていました。「その人の人格の奥底から生ける水の川が流れ出る。」皆さんを通して、神様の生ける水の川を流すことができます。特定の人とは書いていないです。年齢は関係ありません。ここにいる若い人たちにもできます。信仰年月が長い短いも問題ではありません。また、聖書の言葉をたくさん理解できた人とも書いていないです。「わたしを信じる者」と書いています。信じる者は、その人の内側から奥底から、皆さん一人ひとり違うそのキャラクターの中から、流れてくるものがあります。それを私たちは流していきたいです。今年のテーマの御言葉、「わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。」私たちは、この言葉を実践していくために、この御言葉が神様から与えられているのです。私たちは、神の恵みを流し出す者です。神を信じる者には、それができるのです。

エペソ人への手紙4章7節「しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。」キリストから賜わる恵みが、一人ひとりに 与えられています。また、神様のはかりに従って与えられているその恵みは、一人ひとり違うものです。それを皆さんは発揮しなければならないです。なぜなら、「口先だけで私たちは愛するのではなくて、行いと真実とをもってその愛を流しましょう!」ということを、私たちは今年実践していく年とするからです。皆さんの中に恵みがあります。皆さんはイエス・キリストを信じた者です。ですから、それを流し出すことは可能です。それを皆さんは信じますか?そして多くの人たちが、その恵みを受け取るのを待っています。信じる者であれば、条件はないです。あなたの状態の良い悪いは関係ありません。良くなくても、神様は働かれます。恵みは、流し出せます。ですから皆さん、自信を持ってください。神様が働いてくださると信じた者、そして一人ひとりにその恵みが与えられているということを覚えてください。私たちは信仰によって、この御言葉を具体的に行っていきたいです。

愛媛教会で4月からゴスペルサークルという働きを始めました。その初めての発表を、7月の3週目の日曜日にしたのです。この数週間ぐらいでコロナが一気に増えたでしょう。それで出席をやめる人が、いくらか出てしまったのですが、この日の礼拝出席者は23名、そのうち初めて礼拝に来られた方が6名いました。本当にいろんな所から神様が導いてくださいました。清家兄弟が、以前の職場の同僚でキーボードが弾ける女性に、声をかけてくださって「とても楽しそうなのでやってみます。」と言って、引き受けてくださったのです。ギター演奏だけでゴスペルをするのは音に厚みがないなあ!と思っていたので、キーボードを演奏してくださる方が来られて良かったです。やっぱり楽器が増えると、とても良いですね。

このゴスペルをなぜ愛媛でやろうと思ったか、その経緯を少しお話しします。去年のクリスマス伝道礼拝に、「何をやろうかなあ?」毎年映画会をクリスマス礼拝にしていたのですが、「今年はもっと他のことができないかなあ?」と考えた時に、「ゴスペルクワイヤーでも組んでみるか!」と、美香さんと話しあって、やる事にしたのです。その時は兄弟姉妹だけのコーラス隊でしたが、とても良い雰囲気でした。その中で、清家兄弟姉妹が「こんなにいい会ができるのだったら、もっと多くの人を誘えばよかった!」と言われたのです。その後に清家姉妹が職場の人に、本当にたくさんの人に「教会では、コーラス隊をやっているから来ませんか?」と、声をかけてくださったのです。そして、本当は1月に始める予定だったのですが、またコロナが、12月にはほとんど0ぐらいになっていたのですが、1月になって急に増えてきて、「ちょっと今これやるのは無理があるかな?きりよく年度初めにスタートにしよう!」と思って、4月にスタートする事にしたのです。そしてその3ヶ月の間も、清家ご夫妻がいろんな人に声をかけてくださって、結局、最終的に外部の人が9名来てくださるということになっていました。そして、その中で、清家兄弟姉妹が私に「南予地域の人というのは、顔ではにこにこして、『ああ、いいですよ。』って言うのですけれども、最後の最後に決める時に、『やっぱりやめておく。』という人がおるんですよ。」と言うのです。清家兄弟は、今社長さんですけれども、その前は郵便局員さんなのです。郵便局で簡保の営業とかもされていて、「東予と中予の人に営業したら、意外とすんなりいくのですけれども、南予の人は、話は喜んで聞いてくれるけれど、最後に、『じゃあ契約しませんか?』と言われた時に、いつも渋い顔をするのが南予の人だ。」この話を何回か聞きました。ですから私は「あっ、そうなのですね。じゃあこれから気を付けて関わりますね。」という何となしの返答をしておりました。だけど、何か清家兄弟姉妹は納得していないような感じだったのです。で、よくよくお二人の話を聞いてみたら「いきなり教会に誘うようなことをしたら、ちょっとこっちの人からしたら強すぎる。少し考えた方が良いですよ。」と言われました。私からしたら「もう何人かゴスペルに来るって言ってくれているのなら、もうそこまで考えなくてもいいんじゃない?」と、正直思いました。けれどもどこか平安がなかったです。だからもう一度、お二人の話も聞いて話しました。「それだったら、ワンクッション置いて、教会に来れるような何かを考えましょう。」と言って、考えました。「何をしようかなあ?」と、清家兄弟姉妹と話をしていた中で、「だったら、職場の会議室で、ゴスペルサークルの説明会に近いようなことをやったらどうでしょうか?」と言ったら、「あっ、それはいいですね。いきなり教会に誘うよりも、ワンクッションそこで何かすれば、また違うかもしれない。」と言って、職場の会議室で、教会のイベントについて話すことになりました。よく考えたら、それは奇跡的な事だと思います。教会に会社のトップの人がいるというのは感謝な事です。そしてその会議室にて清家兄弟姉妹が、主賓みたいな顔をして、職場のゴスペル参加者に声をかけてくれたのです。そして私は、何食わぬ顔でゴスペルサークルの活動の話をしたのでした。本当にその時の会はとても良い雰囲気でした。聖霊様が働いているなと感じました。「ゴスペルサークルはこういうような活動なのですよ。」と話しまして、本当に皆さん素直に聞いてくださいました。私も2年近く職場に勤めていましたので、まったく知らない人でもないし、皆、私が牧師だと知っていました。だから「まあ、この人が言うなら大丈夫だろう。」という信頼感もあったのだと思いますし、しかも、職員さんの慣れ親しんだ会社の会議室です。ですから、3ヶ月スタートを先延ばししたのは逆に良かったです。

さて、この話を通して今日皆さんに話したい事は、私たちはこの掛け軸の御言葉、行いと真実とをもって愛を流し出す。仕え合う。愛し合う。それを、口先だけではなくて行おうとする時に、具体的に私たちは、何を考えなければならないのか。少し御言葉を開きましょう。イエス様が恵みを流し出すためにどのようにしたのか。ヨハネによる福音書4章3節~26節〔ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。 しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。 そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、 そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。 ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。 弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。 すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。 イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。 女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。 あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。 イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。 女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。 イエスは女に言われた、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」。女は答えて言った、「わたしには夫はありません」。イエスは女に言われた、「夫がないと言ったのは、もっともだ。 あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである」。 女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。 わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである。」〕イエス様が、本当に、神様の恵み、神様の良きものを、たった一人のサマリヤ人に流し出すために何をしたかということを、先ほど読んだ聖書箇所から原則を取り出したいと思います。たった一人ですよ。たった一人のために、どれだけの労力をイエス様は費やされたのか、ということを見てみたいと思います。4節に、こう書いてあります。「しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。」と、書いてあります。これがどういう意味かと言いますと、3節「ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。」と書いてあります。ですから、ユダヤからガリラヤへ行こうとしたら、最短距離で行くならサマリヤを必ず通るのが良いのですが、普段ユダヤ人というのはサマリヤ人と交際していないのです。だからあえて、ヨルダン川よりの回り道を通って帰るのが通例だったのです。なぜならこのサマリヤ人というのは、ユダヤ人と他の民族との混血の人たちで、その当時、ユダヤ人はユダヤ人としか交わらなかったのです。だから、この人たちを忌み嫌っていたのです。真っ直ぐ行けば近いのに、あえていつも、ヨルダン川よりの遠回りでガリラヤへ行っていたというのが、通例だったのです。だから、ここに書いてあるように、4節「しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。」あえてその女に会うために、普段は通らないサマリヤを通ろう。そういう意味だったのです。私たちは、本当に今年この御言葉を、行いと真実をもって実践したい。神の愛と恵みを本当に流し出したいと思うのであれば、私たちは、それに伴う遠回りの労力と時間を惜しんではなりません。先ほどのゴスペルサークルの話で言うと、「もう何人も来るって言ってくださっているなら、そこまで考えなくても良いのではないかなあ!」と私は思いました。だけど、そこには何か、聖霊様が語ってくださったのでしょうか?平安がなかったです。それをそのままやることに。だから皆さんも、まず、一人の人を愛するときに、それに伴う遠回り、その労力の時間を惜しまないでください。イエス様は、サマリヤを通らなければならなかったのです。普段誰もしないような事、そのような事は誰もやりたがらないです。でも、それをやってみてください。イエス様は、それをしたのです。サマリヤを通過しなければならなかった。その時に、私たちに必要なのは、私たちが感覚的に感じているこれが通例だと思えることを、横に置かないといけない時があるでしょう。もう私は本当に、この2年と4ヶ月、それを愛媛で一番学んだ気がします。私が今まで倉敷教会で学んできたことは、全部素晴らしかったです。だけど、今までこのように倉敷の教会でやってきたから、愛媛でもこうしよう、ということが全部正しいとは限らなかったです。それは、皆さんにおいても同じで、今までこうしてきたから、こういう風に関わったらいいだろう。ではなくて、もうちょっと深い所で、イエス様がどのような決意をもってサマリヤを通過しないといけなかったか。そういうことを考えながら、私たちもその労力を惜しまずに、枠にとらわれないで考えてほしいなと思うのです。

そして私たちの教会には、その恵みを流し出すための素晴らしいシステムがあります。兄弟姉妹、あなたの覆いとなっているコイノニアリーダーさんがいるでしょう。もしわからなかったら、リーダーさんに問うてみてください。清家兄弟姉妹は、リーダーでもなかったのです。なのに、私たちにあえて、問うてきたのです。「こっちの南予の人たちは、こういう人たちですよ。だからこういう風に関わった方がいいんじゃないですか?」彼らが持っていた恵みを、私に流してくれたのです。その恵みは、あなたにしかない恵みです!今日のテーマの「恵みを流し出す人となる」ということです。彼らは信仰年月もそんなにないです。まだその時、リーダーという立場もないです。けれども、彼らが流してくれた恵みのおかげで、先ほど見たゴスペルも行うことができたのです。もし、コイノニアリーダーの方、そういうことを兄弟姉妹が言ってきたら、私のように面倒くさがらないでください。聞いてあげてください。この人の本質は、今、何を言っているのだろう。でも、もしわからなかったら、先生方に聞いてください。素晴らしいですよ。倉敷教会には、牧師先生が二人もいます。教師の恵先生もおられます。リーダーたち、問うてください。「この兄弟が、こういうことを言っているのですが、ちょっと私はそこまでしなくてもいいと思うのですけど。」いや、そこには何か神の恵みが、お互いに流し出せるその瞬間がやって来ているのかもしれないです。こんな素晴らしいシステムがこの教会にはある。イエスは、サマリヤを通過しなければならなかったのです。私は、会議室でゴスペルの話をしなければならなかったのです。皆さんもそのような時が必ずあるはずです。それを心に感じるような考え方を持ちつつ歩んでいきましょう。そして7節に、「イエスはこの女に、『水を飲ませて下さい』と言われた。」おそらくこの女は、水の話は絶対したくなかったと思います。朝の涼しい内に、皆水を汲みに行くのです。6節に、「時は昼の十二時ごろであった。」一番暑い盛りに、あえて誰も来ない時間を彼女は見計らって、水を汲みに来たのです。おそらくサマリヤ人という理由だけではなかったと思います。なぜなら、夫が5人いたので、彼女がどういう生活をしていたかが、大体わかります。だから人にあまり会いたくなかったというのが本音で、「もう水を汲みに来なくていいようになったら、本当にいいのになあ!」って、毎日思っていたはずです。水は生活に、絶対に必要ですからね。だからあえてこんな時間に彼女は来たのです。でも、あえてイエスはその話を彼女にふりました。「わたしに水を飲ませて下さい。」なんてイエス様は無神経なのだろうと思いました。でも、それがそうではなかったのです。この女が、いったいどういう所に心の渇きがあるかということを、よーく、ちゃんと興味を持っていたのです。そしてその後に、16節でイエス様は、こうも言っています。水の話をしていたのに、16節で、急に話がこう変わるのです。「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい。」女からしたら、夫の話もしてほしくなかったはずでしょう。なぜあえて、水の話と夫の話を彼女にふったのですか?私は、こう思います。その女にイエス様は、とてつもなく関心を払っていたから、それができたのだと思うのです。皆さんにしか恵みを流し出せない人がいます。その人に関心を持ってみてください。どういう問題をこの人は抱えているのだろう?どういう所に心の渇きを感じているのだろう。関心を持ってみてください。

先週(7月4週目)の礼拝ですが、なんと2週続けて礼拝に来てくださった方がいたのです。ゴスペル発表の次週の礼拝に来てくださったのです。元々どういう方かというのを、ある程度知っていました。今、この人に必要な聖書の御言葉は何だろう?と考えて、その日のメッセージをしました。その時のメッセージのテーマは、「人知を超えた神様の力」。もうどうしようもないぐらい、ある問題で悩んでいました。ですから、神様を信じれば、あなたは変わることができますよ!ということを話したかったのです。そして、この方、その日イエス様を信じられました。そして、学びの約束もして帰られました。どこで人が導かれてくるかわからないです。皆さんの周りにいる人たちに関心を持っておかないと、イエス様が言われたように、「水を飲ませて下さい」「あなたの夫を連れてきなさい」なんて、言えないのです。関心を持っていたればこそです。「イエス様だから、そんなことができたのでしょう!」そうではないです。関心を持って、その人がどういう人かということを、興味を持って関われば、あなたにそれはわかるはずです。そして関わっている時に、「ああ、この人は、私にすごく興味を持ってくれているなあ。」「私に合わせて会ってくれたなあ。」イエス様はサマリヤを通過しなければならなかったのです。たった一人の彼女に合わせて。「私に合わせてくれたなあ。」「私に関心を持ってくれたなあ。」っていうだけでも、だいぶ心を開いてくれます。

だけど、最後が一番肝心です。それだけで終わってしまうと、あなたはただのいい人で終わってしまいます。「あー、あの人はいい人だったなあ。」「あの人の所は居心地がいいなあ。」そこで終わってはいけません。最後が肝心です。26節に、こう書いてありました。「イエスは女に言われた、『あなたと話をしているこのわたしが、それである。』」メシヤです。イエス様を必ず紹介してください。それをしなかったら、あなたはただのいい人で終わってしまいます。もちろん関わる時に、知恵は使わないといけないでしょう。配慮もしないといけないでしょう。ですけれども、いつまで経ってもいい人だけでいたら、その魂は勝ち取れないです。イエス様を紹介してください。イエス様も最後に、「あなたと話をしているこの私が、救い主ですよ。」と言われ、そしてその後、この女は「私のことをすべて知っていたメシヤに会いましたよ!」と言って、この町中の人に言いふらしていくのです。恵みを流し出す人にならなければならない。信仰年月、関係ないです。聖書の知識あるなし関係ないです。年齢も関係ないです。命の水を流し出せる人は誰でしたか?「わたしを信じる者」「より頼む者」「信頼する者」と書いてありました。あなたで十分ですよ。私たちはこの掛け軸の御言葉を、あと残りの半年、実践していきましょう。ペテロの第一の手紙4章10節「あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。」それぞれの賜物を、神様から私たちはいただいています。皆、それは違うでしょう。清家兄弟姉妹は、「南予地域に住んでいる人は、こうですよ!」という恵みを持っていたのです。私にはない恵みを、それを流し出してくれました。皆さんも、まず、コイノニアリーダーに、「こんな人がいるのですけれど、この人にはこういう風に関わった方がいいと思うのですが、どうですか?」と、話してみてください。コイノニアリーダーの皆さんも、先生方に、「兄弟が、こういうことを言ってきたのです。」それが、お互いのために、恵みを役立てるための方法です。その時に、この倉敷教会も、たくさんの人が必ず導かれて来ます。この御言葉を実現する。口先だけではない、真実の行いと愛を、私たちは流し出すことができるでしょう。今日、私は皆さんを励ますために来ました。励ましたいという思いで来ました。

次の写真を出してもらっていいですか。息子には、「もう俺のことは絶対に話すな!」と、言われたのですが....これは2年前に息子が慢性骨髄性白血病という病気になりました。まあ病名だけ聞くと、すごくびっくりするような病気ですけれど、今はとてもいい薬があって、家族の中で誰よりも元気です。本当に、皆さん、お祈りと様々な恵みをありがとうございました。その中で、この2021年度の方針案で、教会のあゆみの総合的評価で、私は「愛媛教会は、3月に壽藤師家族が移住し、牧師が常駐することで、より教会の土台が強固となった。そんな中、4月に、賢心兄弟の慢性骨髄性白血病、6月にひろ子師の脳梗塞と、思いがけない出来事があったが、全教会からの祈りにより、励ましを受けた」と書いたのです。場所は離れていても、本当に私たちは一つだということを再認識することができました。その中で、動画を送ってくださった兄弟姉妹がいるので、これを是非皆で見たいと思い、今日、持ってきました。兄弟姉妹が、賢心兄弟に送ってくださった励ましの動画です。その動画が送られてきた時に、何度も見ていたそうです。相当励みになったみたいです。こういうことが自然とできる教会って、すごくないですか?皆さんの中には、すでにその恵みがあるのだということを忘れないでください。あるのですよ!それをお互いのために流し出す時に、この教会はもっと素晴らしい教会になっていくでしょう。

ピリピ人への手紙2章13節、ひろ子先生がよく語られる御言葉の一つです。「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」神様の恵みを流し出そうという願いを、まず皆さん持ちましょう。そして、それを実現に至らせるのは神様です。また神様は、それを願っておられるのです。私たちがその恵みを無駄に扱うことをしてはならないのです。神様に仕えていきましょう。「皆さん、愛媛にも来さいや!」共に働きができることを感謝します。

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