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今月の礼拝メッセージ

~礼拝メッセージ~

2018年07月
<アイデンティティー>●久松 政一使徒的長老●

 今日は皆さんに本をお渡ししました。「アイデンティティー」この言葉は、今頃よくこの世の中でも使われるようになりました。 私たちのトップであるウッドロフ先生は、30年前からこの言葉を使っていらっしゃるのです。世の中が全く理解も出来ない様な状態の中で、 彼は明確にこの「アイデンティティー」という言葉を使っておられます。そしてこれが私たちの人生を分けるのです。だから皆さん、 これはあなたの人生を決定すると言ってもいいぐらい重要です。この意味が分からなく帰られたら、あなたは本当に大きな損失をします。 ですから是非、今日私が語るこの聖書の言葉を持って下さい。 「アイデンティティー」これは知識として知る事ではありません。これは神様の価値観から物事を理解しなければなりません。 ですからこの事に於いて私たちは理性で判断する事はできないのです。これは本当に重要です。 幼い時からこのアイデンティティーが明確だったら、私の人生はもっと素晴らしくなっていたでしょう。 もちろん今も素晴らしい神様の恵みの中にいますけれども、これを幼い時から知っている事が、 どんなに大切かを我々は学びたいと思います。世界中に何十億という人がいます。ある人は戦争の只中で生まれた子供もいるでしょう。 親を目の前で殺された子供も大きくなるでしょう。又、本当に貧しい家庭に生まれて、 何も両親から与えられない様な生活をして育った人もいるかも知れません。逆に王子様、王女様として生まれたかも知れません。 又、大きな財閥の子供として生まれたかも知れません。あなたはどの両親で生まれましたか?あなたの親はどういう方ですか? そしてあなたはその両親の下、又は、片親の下で育ってきました。そして今のあなたがあります。でも今のままでいいのですか? あなたの今のアイデンティティーは明確ですか?それが本当に大事です皆さん。皆、歪んでいます。



さあ見て行きましょう、今日はあなたに語っています。これは私がする様々なメッセージの中でも、本当に重要なメッセージです。 「アイデンティティー」とは何ですか?皆、分かっていないです。でも世の中で一般的によく使われています。 さあ1ページを見ましょう。アイデンティティーという言葉は日本語ではありません。正しく訳す事ができません。 日本語で、これを一言葉で言う事はできません。英語では、「アイデンティティー」です。 でも日本人として私たちがこのアイデンティティーを語るとするなら、1ページの、「身分証明」。 自分とは誰ですか?皆さん本当に自分を見つめた事がありますか?あなたは誰ですか?例えば今、 中学校へ行っている子がいたら、その子は何々中学の身分証明というのを もらいます。ではあなたは誰ですか? 本当に分かっていますか?これを答える事が本当にできる人は幸いです。あなたはあなたの両親から生まれて、 今存在するのがあなたじゃないよ。「存在証明」という言葉もあります。自分とは一体何なのか?自分はどこから来たのか? 自分は一体誰なのか?皆さんあなたは、人の事は色んなことを言う事できるでしょ。でも、あなたは誰ですか? それが本当に大切な考え方です。「アイデンティティー」それは、「身分証明」「存在証明」あなたを証明する人は誰ですか? あなたは一体どこから来ましたか?あなたは何ですか?サルから生まれたのですか?


聖書の中には、アイデンティティーという言葉は出て来ません。でも出ています。それを見てみましょう。 マタイによる福音書16章13節~17節 イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、 「人々は人の子をだれと言っているか。」彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。 しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります。」 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしを誰と言うか。」シモン・ペテロが答えて言った、 「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」すると、イエスは彼にむかって言われた、 「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、 天にいますわたしの父である。」イエス様が、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれた時、これはユダヤの町ではありません、 異邦の町です。ですからイエス様はその時にまず、御自分の弟子たちに尋ねました。12人の弟子がいました。イエス様は、 「あなた方はよく聞いているだろう。色んな人があなた方に私の事を言っているだろう。私を誰だと世の中の人は言っていますか? 言ってみなさい。」と、弟子たちに尋ねました。すると弟子たちは言いました。 「はい、バプテスマのヨハネと言っている人たちがいます。」これは本当にその当時有名な人でした。 そしてこのイスラエルを神様の下へ導く為の、素晴らしい力ある人でした。言い換えれば、能力のある人です。 この世の中で言えば、内田前監督の様です。能力があるのです彼は。そして肩書が、もう7つも8つもあります。 その様な人です。「イエス様、あなたは素晴らしく、バプテスマのヨハネの様な人物と同じですと言っていますよ。」 するとイエス様は、「あっそう、次。」その言った弟子は、「えっ!あんまり喜んでいらっしゃらないなあイエス様は。」 と、思ったでしょう。2番目の人は、「エリヤ先生ですよ!あの旧約時代のエリヤ先生。あの大預言者ですよ!」 と、言った時、イエス様は全く満足しませんでした。「あっそう。」皆さんも御存知のように、 エリヤは偶像崇拝者の預言者たち450人を皆殺しにした人物です。本当にイスラエルにとって素晴らしい預言者でした。 皆さんどうですか?あなたの友達に、あなたの事を、今世の中で有名な人に例えてもらったら、あなたはニコッとしませんか? 「イエス様、あなたはエリヤ先生の様です、皆そう言っています。」と、言われても、イエス様は全然喜ばなかった。 喜ぶ所か、「ハイ、次!」という感じです。そうしたら今度は、「先生、あの悲しみの預言者、エレミヤの様ですと、 皆言っています。あの奴隷となっているアッスリヤ帝国に支配されている、そういう状況の中で、 エレミヤ先生はイスラエルに大いなる預言をしました。あのエレミヤ先生と、皆言っていますよ!」ものすごく持ち上げました。 でもイエスは、バプテスマのヨハネでも、又、エリヤでも、エレミヤでも、全く無関心でした。なぜなら彼は、 そういうものでは満足なさらなかった。自分というものの身分証明、アイデンティティーを、しっかり持っておられたのです。 皆さん私が先程あなたに言いました。「この世の中で素晴らしいと言われる人の様ですねえ」と言われたら、 有頂天になるような捉え方をあなたにしてもらいたくないのです。そんな者じゃないあなたは。 それを今日私は本当に言いたいのです。そしてイエス様は弟子たちにこう言われました。 「世の中の人が私の事をそう言っているのだね。では今度は、お前たちは私を何と言いますか?」 と、12人の弟子たちに聞きました。すると、16節 シモン・ペテロが答えて言った、 「あなたこそ、生きておられる神の御子キリストです。」と言った時に、イエスキリストは、 「ペテロ、良かったね、お前が言ったその答えは、お前の考えから出てはいない。その言葉を言わしめたのは、私の父である。 私の父がお前にその考え方を今吹き入れなさったから、お前はそのように、私が生ける神の子キリストであると言う事ができたのだよ。」 と、おっしゃいました。その通りです。ペテロを皆さん御存知でしょ。「あれは主だ!」と言ったら、 ドブーンとガリラヤ湖に飛び込むようなおっちょこちょいでしょ。彼は本当にもう何と言うか、もう間抜け。 寝ていて起きて、イエス・キリストが栄光に輝いておられたら、「主よ、これは素晴らしい。小屋を3つ建てましょう!」 意味全然分からない。全くとんちんかんな答えをする様な人物が、この時、「生ける神の子キリスト、それがあなたです」 と、言いました。するとイエスは、「その通り、あなたにこの事を現したのは、血肉、あなたの世の中の考えではなくて、 天から啓示されたその言葉だ!」こうおっしゃいました。イエス様のアイデンティティーは、世の中の誰だと言われても、 その定義をイエスは全部拒否しました。「私はそういう者ではない。私を定義されるのは、私の父である」と。すなわち、 「世の中が定義して来るものが私そのものではなくて、私は父から遣わされた神の子・キリストである」 というアイデンティティーを、彼はずーっとお持ちでした。だから世の中の人が、どんな事をイエスキリストに言おうが、 イエスキリストは、その言葉や、又、その出来事によって彼は一度も動揺した事はありません。どうしてですか? 世の中の定義は彼を受け付けなかった。それはあなたに重要な事ですよ。 「あなたはどこそこの親に生まれて、本当にもう方親で、もうひどい毎日を送って、そんな人が君だ!」と、言われたら、 腹が立つでしょう。でもイエスキリストは、色んな人から色んな事を言われていますよ。イエスキリストは、ここで、 「私を誰だと思ってついて来ているのか?」彼らのイエスキリストについて行った弟子たちの考え方は、本当に貧弱だったのです。 なぜならその当時、皆さん御存知のように、ローマ帝国がイスラエルを支配していたでしょ。言い換えれば、 イスラエルは属国だったのです。すなわち植民地だったのです。だから2倍の税金を払わされたでしょ。 ローマにも税金を払い、ユダヤでも税金を払ったでしょ。ザーカイさんの話が出て来ますよね。だから彼らは本当に、 ものすごく苦しい状況の中で、誰かローマから私たちを救ってくれるヒーローはいないか、メシアは出て来ないか、 それを待っていたのです。すなわち力による支配を彼らは望んでいたのです。だからそれを弟子たちはイエスに願ったのです。 だからイエスが十字架に架かると言って、捕えられた時、彼らは一目散に逃げたでしょ。 それはイエスキリスト様がこの世の王であって欲しかったと願っていたからです。この世の国の権力、 すなわちローマをも打ち破るぐらいの力ある御方だと願ってついて行っていたのです。でもそれも違った。 彼は最期十字架で殺されました。弟子たちは失望しました。ということは、弟子たちのイエスキリストに対するアイデンティティーが間違っていたのです。 分かりますか。あなたのアイデンティティーは間違っていますよ。だから貧弱なのです。私たちは変わりましょう! 神様が私たちをどの様に定義して下さっているのか。それを我々は今から見て行く訳であります。さあ次のページを見ましょう。


 ヨハネによる福音書7章25節~29節 さて、エルサレムのある人たちが言った、 「この人は人々が殺そうと思っている者ではないか。見よ、彼は公然と語っているのに、人々はこれに対して何も言わない。 役人たちは、この人がキリストであることを、ほんとうに知っているのではなかろうか。 わたしたちはこの人がどこからきたのか知っている。しかし、キリストが現れる時には、どこから来るのか知っている者は、 ひとりもいない。」イエスは宮の内で教えながら、叫んで言われた、「あなたがたは、わたしを知っているのか、また、 わたしがどこからきたかも知っているのか。しかし、わたしは自分からきたのではない。わたしを遣わされたかたは真実であるが、 あなたがたは、そのかたを知らない。わたしは、そのかたを知っている。わたしはそのかたのもとからきた者で、 そのかたがわたしを遣わされたのである。」これは驚くべき言葉です皆さん。エルサレムの群衆が、イエスキリストがその宮の所にいたので、 「あっ、この人はあの律法学者やパリサイ人達が捕まえて殺そうとしている男じゃないか。それなのに平然とここにいるのはどうした事か、 本当はこの人はキリストかも知れないなあ。」と、言っていた時に彼らは、「私たちはこの人がどこから来たのか知っている」 と、言いました。すなわちその群衆は、イエスキリストを知っていました。「あいつはガリラヤ弁を使うからガリラヤ人だ。 そしてナザレで生活していたあのマリヤとヨセフの大工の子せがれじゃないか。俺は知っている、イエスキリストが、 どういう人間か。マリヤとヨセフの子だ!」彼らはそう言ったのです。だからイエスキリストに対してこの群衆は、 世の中が定義する考え方で定義したのです。でもイエス様は、その大工の子せがれであるという価値観を受け入れていないですよ。 あなたはあなたの両親から生まれたのが本当のあなたじゃないよ。この地上に肉体を宿しただけの働きを両親はしました。 でもあなた自身というものに対して、誰があなたを定義しますか?それが問題です皆さん。イエスはおっしゃいました。 叫んで言われたと言うのですから、あの柔和なイエス様が、大声で言われたのです。「あなた方は私を知っているのか、 私が誰だか分かっているのか、分かっていないだろう。何にも知らないだろう。しかし私はどこから来たかを知っている。 私はマリヤとヨセフから生まれてきた大工の子じゃない。何とおっしゃっていますか?「私はどこから来たか知っている。 そして私はその方を知っている。私はその方の下から来たのだ。その方が私をこの世に遣わしたのだ。」と、 イエスはおっしゃいました。イエスが言っておられる、その方とはどなたですか?父なる神様ですよ。だからイエスは御自分が、 神の子キリスト、すなわちメシア、救い主である事、これが彼の父なる神様から遣わされた彼の定義です。 彼のアイデンティティーは、「私は神の子キリストである。」という考え方の下で、この地上を33年と半年の間、 歩かれたのです。それが彼のアイデンティティーです。彼はエリヤではない。バプテスマのヨハネではない。 彼はヨセフとマリヤの子でもない。全く違う価値観で、彼は自分という者を定義していました。父なる神が私を遣わされた、 これが私のアイデンティティーだ。聖書にはアイデンティティーという言葉は出て来ないけども、 イエスが誰であるかということは、聖書を見たら明確に分かります。


 さあ実際に次の6ページを開けて下さい。今私はマタイによる福音書とヨハネによる福音書の御言葉から、 アイデンティティーについて話をしました。「あなたは誰ですか?」さあそれを当てはめましょう。 「アイデンティティー」すなわち「身分証明」、「本質的な自己規定」です。自分というものを規定するなら、 本質的な内側のあなたというものは誰ですか?私たちは今、二つの御言葉を見ました。あなたの身分証明は、 どちらが定義しますか?あなたの定義は、あなたというアイデンティティー、身分証明は、 世の中によってあなたは定義されるのですか?先程言った、マリヤとヨセフの子。あなたがもし金持ちの家に生まれて、 能力と知識が優れている両親によって生まれたら、「あなたはどこそこの、お偉いさんの娘さん、息子さん。 素晴らしいその家で生まれた。家系が素晴らしい。そして行っている中学も高校も突出した素晴らしい、能力のある、 知識のある有名な中学だ。あの人は必ず出世するだろう。」という定義を世の中があなたに貼り付けます。そうするとその人は、 「私は素晴らしい令嬢で、素晴らしい家に生まれて、知識もあるし、世の中の普通の人たちよりも、断然素晴らしい優れた人だ。」 という身分証明を、この人は持つ事になります。これはものすごく高慢です。反対に、本当にもうヤクザみたいな家で生まれた人、 いつも殴られて蹴られて育った子供。そして学校は中退で、中学しか出ていない。そういう子をこの世の中は、 「ろくでもない奴だ!」と、定義します。そしてその子はそれを受け入れて、「自分はどうせどうでもいいのだ。 人間なんて死んだら終わりだ。悪い事、やりたい事をやって死んでやろうじゃないか!」というような価値観を出します。 それがその子のアイデンティティーです。世の中がいつもあなたにレッテルを貼ります。「あなたは家系がいい。」 「あなたは人よりも優れた能力を持っている。」「えっ、社長さん!」「えっ、事業を建て上げたの!」 「えっ、1年で何十億稼ぐの?」それによってその人の価値が決定します。そしてその人は、あたかも素晴らしい者でもあるかの様に生きて行きます。 本当にそれがその人のアイデンティティーではないのに、錯覚してそうなってしまうのです。でもイエス様は御自分を誰だとおっしゃっていましたか? イエス様は、父なる神様が、「あなたは私の子である。そしてこの呪われた世界に、私はあなたを遣わす。キリストとして。 そしてあなたを信じる者は皆罪が赦され、神の子として素晴らしい立場を与える事のできる者とする。さあ我が子よ、 行きなさい!」と言って、イエスはこの世に遣わされた者であるという定義を持ってこの世に来られたのです。 だから彼の語る言葉は世の中の人とは全く違った。「この人はいったいどういう方だろう。この人の話す事は、 今までの律法学者や世の中で価値があると言われていた有名な人たちの言葉とは全く違う価値観で、この方はすごい!」 と、群衆はイエスキリストの語る言葉に驚いてついて行ったでしょう。だからイエスキリストは御自分が誰か知っています。 けれども皆さんあなたは誰ですか?  さあ次を見てみましょう。ここはあなたの名前に変えて下さい。10月31日に、私の肉体がこの世の中に誕生しました。 私は久松政雄とヒサヱの子として生まれました。でも25歳の時、1972年12月24日、東大阪石切福音教会に於いて、 洗礼を受けました。この時私は霊的な誕生をしました。皆さん、あなたは肉の誕生があるでしょ、 それはあなたの本当の誕生ではありません。本当のあなたの誕生は、イエスキリストを信じた時です。 あなたがこの地上に生を受けたのは、あなたが人生に於いていつの日かイエスキリストを信じる為にあなたは神様によって生まれたのです。 そうでなかったら、絶望の人生を送りますよ。それだけじゃない、永遠の滅びです。私はですからこの時誕生したのです。 それは私の本当の霊的な誕生、すなわち意識改革は25歳の時でした。それまでは悪でした。


 さあ次、「私は誰?」の2番目、どういう環境で私が育ったかをお伝えします。久松政雄・ヒサヱの長男として私は誕生しました。 もちろん私の母親ヒサヱは再婚ですから、その前に何人か生んでいるのですけども、 私の上の兄さん姉さんには一度も会った事も無いし、母親は何も言わなかった。久松政雄に嫁いでから、最初に生まれたのが私です。 後も誰もいない。私はだから一人っ子です。生まれた場所は青年会館。大阪で青年会館と言ったら、今の公民館です。 家も何も無かったのです。私の生立ち、それは私の父親が、南保兄弟が住んでおられた生野区と言う今里新地と言う所で、 久松政雄はヒサヱと一緒に「乙女」と言う料亭をやっていた。芸子さんが一杯その辺にいたその新地の中で、家の父親の母親が、 芸子を束ねるリーダーだったみたいです。だからものすごく力があったお婆ちゃんでした、私から言えば。 私を可愛がってはくれましたけど。いずれにしてもB29がやって来て、今里に爆弾が落ちて、その建物が全部焼けてしまって、 父親は気が弱い人でしたから、「もう商売やらない」と言って、母親の故郷である小坂という所へやって来ました。 そこで生まれたのが私です。ですから最初は借家を借りました。その借家は、清水葬儀社という葬儀屋の倉庫だったのです。 だから線香の匂いがものすごかった。その横に半分だけ家を借りたのです。その頃本当に貧しかった。私の両親は共働きで、 一生懸命働きました。だから私は鍵っ子で、夜の6時、7時、8時にならないと親は帰って来ない。 だからもう寂しくて惨めでした一人っ子でしたから。しかも雨が降ったら雨漏りで、金たらいを5つぐらい私が受けていました。 そういう貧しい家に私は生まれたのです。そして両親は共に小学校しか卒業していませんから、共働きで、いつも両親が、 「政一、わてら二人はなあ、ええか、仕事行かないかんから、わてらは小学校しか出てへんから、そんなお前、 参観日なんか行かれへんわ。」「遠足も運動会も行ってやれん。」だから幼稚園から高校卒業するまで一度も両親二人は私の参観日や運動会に来た事はありません。 ショックですよね、皆来るのに。私はそういう家で育ったのです。両親がいつも言う事は、「わてら小学校しか出てへん、頭悪いからなあ。」 こればっかり言われた。ほんな私も頭悪いんかなあと思ってしまうのです。まあ悪いんだけどね。だから皆さん3者懇談なんてやった事無いよ。 だから高校行く時も中学校から、「お前勝手に決めー!」言われた。学校の先生も、「お前やったら、落ちたらいかんから、これぐらいにしとけ!」 と言われて、頭の悪い大阪商業大学付属高等学校へ行ったのです。そういう生活していたら、私のアイデンティティーは低いものになって行くでしょ。 しかもですね、高校卒業、その当時、もう友達は同志社大学行ったり、又、立命館大学行ったり、小さい時から遊んでいる友達が皆、 良いと言われる有名な大学へ行く時、私はどれだけ失望と、自分の頭が悪いという事を叩き付けられたか。 世の中が私に定義してきた訳です。私がどんなに駄目な人間で、愚かな人間で、価値の無い人間であるか、 世が私を定義してきたのです。特に優れた能力も無い。高校出てから能力と言えば、串カツを食べに行って、 串をパーッと外へ放って、値段を安くしようというぐらいの能力しか無かった。それ、犯罪やね。平々凡々、地位も無い、 家系も平凡、財産も無い。それが、世の中が私に貼り付けて来た私のアイデンティティーです。 私は生まれて来ない方が良かったかなあ?私なんてどうでもええなあ、だから悪い事したれ!もうやりたい事やったれ! だからもう本当に25歳になるまでは、本当に数え切れないぐらい悪い事をしました。けれども25歳の時、教会に行って、 私がどういう者であるかを神様は与えて下さったのです。どんな罪人でも、汚れた者でも、どんなに醜い心を持っていても、 裏表のある者でも、顔がどんなに綺麗で、心が腐った様な人でも、イエスキリストは私を受け入れてくれた。そしてキリストは、 私がイエスキリストを信じた時、この最初のアダムの経験をさせて下さった。神様によって新しく生まれた者と見て下さった。 それがクリスチャンです。あなたが信じたその意味です。だから皆さん、宗教をやっているのではないですよ。 教会に来なさい言われて、来なければ仕方ないから来ているというようなクリスチャンは情けないですよ。 どんなに素晴らしい価値をあなたに与えて下さる為に神様が救って下さったか。本当に今日私たちはその価値を大切にしなければなりません。


 その次、「アダムの場合」を見てみましょう。アダムは神の霊によって生まれました。それまではアダムは死んでいたでしょ。 肉体が横たわっていただけであって、彼は生きた者ではなかった。神がアダムの内に、生きた霊を吹き入れられた時、 アダムは生きた者となった。これが本当に大事なのです。神様によって真の人となったのです私たちは。 それはあなたがイエスキリストを信じた時です。それまであなたは罪人だった。この世の中の全ての人は、 イエスを信じない者は皆、価値観がろくでもない。私たちはそこから救い出された者です。このAというのは世の中の事です。 神様が言いました、「アダム、私が創った被造物に全部名前を付けなさい。そしてそれがその動物の名前になろう」 と、言われたように、アダムが世の中を定義しました。アダムが世の中から定義されたのではない。私は世の中から、 もうろくでもない人間だと定義された。もし私がいい家に生まれて、ものすごく知識が、能力があり、有名な大学を出ていたら、 私は高慢になっていたし、本当に、人を見下げていたでしょう。そして、「私は価値ある人間だ、お前たちは全然価値が無いけど、 私は優れた人間だ!」という世の中の定義を受けたでしょう。だから貧しくても、豊かであっても、 ろくでもない定義を世の中はあなたに定義して来るのです。それを持ってあなたは自分のアイデンティティーとしてはいけないのです。 神様によって救われたら、アダムと同じ様に、アダムは神様が言われた動物に、キリン、馬、カバ、そういう風に動物に名前を定義していったのです。 すなわちキリスト者は、世の中に定義する者であって、定義される者ではないのです。世の中のあらゆる問題や、煩いや、悩みを、 キリスト者は世の中の人に教えてあげる事ができる立ち位置にいる事をあなたは知らなければならない。 あなたは神様の霊によって生まれたのだから。神様の持っている聖い、真実な性質をあなたは持ち合わせている者となったのです。 だから世の中の色んな会社でも、社長に対しても、社長が悩んでいたら、「ああ社長、この事業はこういう風にされたら、 変化しますよ!」と、アドバイスしてあげる事のできるのは、クリスチャンよ、あなたです。又、悩んでいる人がいたら、 その悩みを取り除く事のできる力を持っているのはあなたです。私たちが世を定義するのです。 世が私たちを定義する事はできません。だからアダムはそうしました。私もイエスキリストを信じた時、 私が世を定義する者になりました。私は本当に価値観が変わりました。私は惨めな親の元で生まれた者じゃない。 私というアイデンティティーは、神によって生まれた素晴らしい性質を持った価値ある者だと、私は変わったのです。


 ですからイエスキリスト様は、この地上におられる時に、肉体を持っておられながら、彼の内にあるキリストの霊は、 永遠の中におられた。神様の中にキリストはおられたのです。だから彼は一人ぼっちではなかった。彼の父がいつも 「これは私の愛する子、私の心に叶う者である」と、おっしゃったように、キリストはこの地上に御一人だったけれども、 キリストの父が、いつも定義しておられた。「お前は私の愛する子、そして私の心をこの地上に現す事のできる唯一の者だ」 と言われて、キリストは全ての人類の為に罪を背負って十字架に架かられました。あなたの罪の為です。あなたの醜い心の為です。 汚れたあなたの為です。十字架に架かって愛して下さいました。そして彼は私たちを、同じ神の子とする為に十字架に架かられたのです。 そして蘇えられたのです。イエスを信じる時、あなたの内側は、全くアイデンティティーが変わります。私もこの地上の中にいながら、 私の内にある霊、神の御性質が私の本質です。ですから私の内には神様の性質が宿っているのです。あなたの内にもです。 キリストの霊があなたの内に宿っているという事は、あなたは世の中の性質や価値観を全部排除した者です。あなたは愛と喜びと、 平和と寛容と、慈愛と善意と、忠実と柔和と自制という素晴らしい性質があなたの内に宿っている事を、 あなたは知らなければならない。それをキリストが与えて下さる為に、私たちの為に死なれたのです。 だから私たちのアイデンティティーは今、神様の霊によって、神様の性質によって私は定義されているから、 世の中で起きる毎日の出来事や、その様なものに全く左右される事は無い。又、この世の中の楽しみや喜びや、 そんな一時的な、趣味や快楽や楽しみなど、本当は、一瞬の内に消えてしまう。私も二十歳ぐらいの時には、 よくスキーに行きました。でも皆さん、100歳になってスキーできる?あなたがどれだけこの世の中で楽しい時を持っても、 そういう物は皆消えて行くのです。本当にあなたが永遠に変わらない霊、神の性質、それがあなたの喜びとなる事を神様は願っています。 何であなたは毎日、動揺するのですか?何で人の言葉で左右されるのですか?それは世の中の定義をあなたが受けたからです。 もしあなたが、神の子というアイデンティティーをしっかり持っているなら、人からどんなにひどい言葉や、又、 ひどい差別を受けようと、あなたは全く変わらないですよ。何にも驚く事もないし、イライラする事もないし、 恐れる事もないのです。なぜ驚くのですか?なぜ腹が立つのですか?それはあなたの価値観が世の中の定義と一緒だからです。 あなたは誰ですか?「私は神によって生まれた者である。神の性質が私のアイデンティティーである」 と、もしあなたが今日から確信に満ちて、キリスト教という宗教を信じているのではなくて、 キリストが本当に私の内におられるから、神の御性質が私の内にあるから、人を赦し、愛し、助け、励ます事が私の喜びだ。 人の為に犠牲する事が私の楽しみであり、もう本当に素晴らしい私の趣味だと言えるようにあなたがなって行くなら、 あなたのアイデンティティーは、確かなものとなります。あなたのアイデンティティーが貧弱だから、世の中にまみれているから、 だから腹が立つのです。だから自分を守ろうとするのです。イエスキリストが一度でも守ろうとされた事がありますか? 十字架の上でも自ら進んで架かられたのは何でですか?あなたに神の霊を与える為です。あなたはイエスキリストを信じて罪赦され、 神の子とされる為に、キリストは喜んで十字架に架かられたのではありませんか?それなのに、救われたあなたが、 まだ世の中の定義で、おどおどしたり、戸惑ったり、大きな出来事が家の中でちょっとでも起こったら、 「ああ、どうしよう、どうしよう!」と、祈りもしないで、電話かけて誰かに「聞いてよ!」と言う様なクリスチャンだったら、 本当に情けないよ。私も今、大きな問題ありますよ。でも、何にも問題無い。私は神の子だから。私のアイデンティティーは、 神様が私を定義して下さっているから。世の中が何を言おうが、色んな教会で私をどう言おうが、何の問題もない。 言いたかったら言っておれ、平安です。あなたの中に波立つものがありますか?イライラするものがありますか? 皆さんあなたが願っている通りの出来事が、あなたの人生に起こって行き続けたら、あなたはバカになりますよ。 あなたの人生の中で、色んな嫌な事や、辛い事や、煩っている様な苦しい事、そういう事があなたの内に起こる事が、 あなたを成長させるのではないですか。あなたが願うように人生を歩んだら、あなたは本当の愚か者です。 だってイエス様は十字架に架かる為に来られた。それを彼は喜びとしたのです。なぜか?私たちが救われる為に、 全ての人類が救われる為に、キリストは喜び輝いて、33年の御生涯を送られました。その方をあなたは信じているのですか? だったら、確信持って、あなたがどういうアイデンティティーかを今日全くつくり変えられましょう。 もうそれは実現しているのですけども、あなたがそれを知らなかった。正しい受け止め方ができなかったという事です。


 ヨハネによる福音書8章57、58節 そこでユダヤ人たちはイエスに言った、「あなたはまだ五十にもならないのに、 アブラハムを見たのか。」イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、 いるのである。」 これは何度も語りました。ユダヤ人たちがイエスに言いました。「お前は五十歳にもまだならないのに、 我々の先祖であるあのアブラハムを見たのか?気が狂っているのかお前は?」と、ユダヤ人たちが言った時に、 イエスキリストは、私はアブラハムを見ただけではない。アブラハムの生まれる前から私という存在はあるのだ。 「存在証明」と書きました、最初に。彼は永遠におられる方なのです。私たちの内側の、この霊、心、これは見えない、 けれどもこれは永遠です。あなたの肉体は、もうすぐに無くなります。永遠という領域から見ると、 本当に点の様な人生であるのに、それで皆さん顔で生きるな!そんなものはイエス様は、どうでもいい事なのです。 消えて行くものです。でもあなたの内にあるその霊は永遠です。だからイエスはユダヤ人たちに2千年前に言われた、 私はアブラハムよりずっと以前に、すなわちこの世ができる前から私というものは存在するのだ」と、言われました。 腹が立ってユダヤ人たちは、イエスを殺そうとしましたけれども、イエスは出て行かれたと聖書は告げています。  ピりピ人への手紙3章9節「律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、 信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。」キリスト様が、 あなたを定義して下さるのです。キリストの内にあなたは定義されているのです。世の中があなたを定義するのではないのです。 キリストが、あなたを神の子だと認めて下さるのです。キリストが、あなたを素晴らしいと言って下さるのです。 キリストが、あなたの内に素晴らしい性質を与えて下さっているのです。赦す事もキリストの霊です。 又、人を愛する事もキリストの霊です。又、あなたが忍耐を持ってあげる事もキリストの霊です。 それがあなたの内にあるから、あなたは人に対して優しくする事ができるのです。キリストを知らない人たち、この世の中、 特に日本だったら、99.8%の人がノンクリスチャンです。彼らは自己中心という霊です。いつも自分が一番です。 人の為に生きるという事など考えもしない。それが罪人です。私たちは罪赦された者。神の子となり、 キリストの内に自分を見出す者です。キリスト様があなたを素晴らしいと言って下さるのです。  エペソ人への手紙1章4節「みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、 キリストにあってわたしたちを選び」まだこの世界が造られる前、何も無い時におられた神様。その神様の内にあなたはいたのです。 でも形として現われるのは、何億年、何千年前から決まっていた。それが、あなたが生まれた時です。 神様はあなたを天と地が造られる前から、神様の内側に入れておられたのです。そんなにあなたを愛しておられたのです。 我々の想像では考える事ができません。なぜなら私たちの神は、天地の創造者だからです。天地が造られる前からあなたを選んで、 何年何月何日にあなたを救おうとして下さって、あなたはそれに応答したのでしょ。そしてあなたはイエスを信じる事ができたのです。 何と幸いでしょうか。最後を見てみましょう。皆で読みましょう!


 世は私を世の価値観で定義することは出来ない。私は自分が誰であるか、分かったからです。「私は霊である。」時を打ち破ったゆえ、 不死の中にいる。永遠の中に、キリストの中にいる。最早、肉体というものの死は勝利している。 私のアイデンティティーは神の霊により生まれた者。それが私である。肉体が消えても、私たちの内にある霊は、永遠の存在です。 私の価値観、アイデンティティーは、神の霊によって生まれた者が私です。世の中は私を定義する事はできない。 今日私が皆さんに言う事は、あなたのアイデンティティーが確立するまで、これを読んで下さい。悟って下さい。 これがあなたを変えるのです。イエス様のアイデンティティーは明確でした。私はエリヤではない。バプテスマのヨハネではない。 私はエレミヤではない。私は父から遣わされた者である。これが彼の定義でした、アイデンティティーでした。 あなたのアイデンティティーは何ですか?神の霊によって生まれた者ですか?それとも誰々の親の元に生まれて、 誰々の親の元で貧しい人生を送った。又、金持ちの家で生まれた、それでそういう風に歩んだというその様なあゆみですか? そんなものだったら、あなたはいつもこの世のものに支配されています。「私は霊です。」私は神様の御性質をいただきました。 だから結論、あなたは大切な人です。あなたは神様の御前に、本当に大切な人です。神様は命かけてあなたを愛して下さいました。 そんな愛で愛されているのです。だから男と女の愛なんか、本当に低レベルの愛です。男女間の愛なんか、あっという間に消えます。 でも神様の愛は永遠です。そんなにあなたは愛されているのだから、あなたは世が定義するものであなたを認めないで下さい。 あなたを定義される方は神様です。悟りましたか?そうしたらあなたは輝きます。もうあなたの劣等感は無くなります。 あなたの自惚れは消えて行きます。あなたは価値ある者となったからです。キリストにあってあなたは神の子です。 そして神の性質があなたの内におられます。それによって人々と接する事ができます。それは真実な愛です。




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