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今月の礼拝メッセージ

~礼拝メッセージ~

2018年05月
<みどりの牧場キリスト教会>●末崎 敏明牧師●

 昨年木村先生より「今度クライストチャーチで御奉仕をお願いします。」と、言われました。寒い間は気管支に問題があり、 「暖かくなったらいいですよ。」ということで今日まいりました。本当に今日皆さんとお会いできて感謝します。 皆さん私の名前と教会名ぐらいしか御存知でない方がほとんどだと思います。久松先生に以前、「今度御奉仕いたしますので。」 と、言いましたら、「関係づくりが大切ですからね。」と、語られました。私たちは家族ですから、もう少し私の事を語らせていただきたいと思います。



 へブル人への手紙12章5~7節『わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。 主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである。』あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。 神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。」 私は山口県の小野田市の出身です。結婚するまで、25歳まで小野田で育ちました。私の幼い頃、父は時計屋さんをしていました。 50年以上前、父がある時バイクに乗って現れたのです。ホンダのスーパーカブというバイクです。さっそうとして現れて、 どこに行くにもそのバイクに乗っていました。私も大人になったらバイクの免許を取って買おうと、子供ながらに思っていました。 15歳になった時に、第一種原付免許を取って、その後に第2種免許を取りました。そしてしばらく経って自動2輪の50ccのバイクに父は乗っていました。 私が最後に乗ったバイクは、ホンダの300ccでした。自動2輪です。時速60キロまで出せます。父は30キロしか出せません。 ある時父が走っていました。「おお、おやじが走っているぞ!」そこをサーッと抜いたら、一生懸命ついて来るのです。 でもあの時の50ccのバイクは50キロ出すと、もうエンジンが割れるような音がするのです。これはやばいなと思って、 すぐ整備して、それからどこに行ったか分かりませんけど。そうしたある時、昭和40年前半だったと思います。 小野田よりもう少し先、厚狭郡山陽町埴生という所に山陽オートレース場ができました。いわゆる公営ギャンブルです。 競輪、競馬、競艇と同じ公営ギャンブル場で、バイクで競争するのです。1週500メートルの走路で、左回りばかりです。 そのレース場ができて、1年か1年半ぐらい経った時に、久しぶりに、見に行きました。レース場に入ると出走表をもらい、 そこに選手の名前が沢山書いてあって、その出走表の片隅に、オートレース選手募集中という広告が出ていました。 それを見て受けてみようかなと思ったのです。私は元来気が小さくて、6人兄弟の末っ子ですから、甘やかされて育って、 気が弱くて、引っ込み思案で、人見知りはするし、今もその余韻はありますが。自分から進んで言うという事はないのです。 弱々しい子供時代でした。当然こんな危険な仕事はできるはずないのですけども、神様の計画があったのでしょうね。 試験を受けました。100人ぐらい受験に来ていまして、合格するのは10人ぐらいです。そして合格しました。 ですからいついつから訓練に入りますのでレース場に集まって下さい。どうしようかと一瞬思ったのですけど、 辛かったら途中で帰ろうと思って、訓練に入りました。私たちの時代まではスパルタ教育で、ものすごく厳しかったです。 昔の軍隊式の様な訓練で、特に乗車訓練の時は青竹訓練で、何か変な走り方をしたらお尻を叩かれるのです。 「3歩前に出て、手を上げておしりを出せ!」一人失敗したら全体責任です。20人ぐらいいました、20人全員叩かれるのです。 そういう厳しい訓練を受けました。うさぎ跳び、駆け足、腕立て伏せ、色んな事をされて、もう寮に帰って寝る時は、 2階でしたけど、全身が痛くて痛くて、歩いて上がれなくて、這って上がった記憶があります。 でもそれが三日過ぎると筋肉痛はだんだん痛くなくなるのです。乗車訓練は私たちの時代まで一番厳しかったです。 ビシビシ鍛えられました。それで晴れて選手となりました。オートレースのギアは、ロー・トップです。 もうダッシュした瞬間に全開します。2秒ぐらいして、トップに入れます。その時にクラッチは握りません。 グリップを戻しません。そのままです。バンと入れるのです。普通、入るかなと思うでしょ。入るのです。 ギアが欠けた話は一回も聞いた事はないです。もう、ブーン!ガーン!と、そのまんま。後2~3秒したら150キロの世界です。 これは信仰に役立つかも知れません、後で繋げて話します。


まあそういった世界に20年間勤めていました。男ばかりの世界ですから、色んな遊びを覚えました。 ホームグランドが飯塚でしたので、小野田から飯塚まで2時間、途中で1時間ぐらいの所に小倉があって、 よくスナックに飲みに歩いていました。そこのスナックで知り合ったのが、愛する妻の文子さんです。25歳の時でした。 結婚しました。そして当時はこの世的には何不自由もなく恵まれていました。一つだけ足らないものがありました。 子供ができなかったのです。二人とも宗教的な事が好きで、あちこち拝み屋さんとか、占いとか行っていました。二人で、 「ここはよく当たるよ。」とか言って。ある時、真言宗の小さなお寺で、お婆ちゃん先生の所によく行っていました。 「子供ができないんですよ。」そしたら、「88ヶ所参りに行きましょう!」と。もう40年以上前の話です、行きました。 そしてある札所に、子安観音というのがあって、お人形さんが沢山売っているのです。その好きなお人形さんを買って、 文子さんが背中におんぶして、そして88ヶ所参りをするのです。それを2年間続けましたけど、子供はできませんでした。 今、二人暮らしです。その時は若かったし、何もかも絶好調でしたけど、そんな絶好調も長続きはしません。 私は酒を飲んでいたから肝臓も悪くなってくるし、成績も落ちてくるし、そして母がある時お風呂で頭を洗っていたら、ガーン! と、衝撃を受けて、頭の血管が切れかかって、「これは緊急手術しなくてはならない。」という事で、病院で緊急手術をし、 そのまま手術の失敗で、寝たきりになってしまって、それから23年間の介護生活が始まる訳です。 でも本当に神様は素晴らしいですね。その母の身体を守って下さった。手も曲がる事なく、お尻に褥瘡もできないで。 私たちも最初は、眠れないから辛いと思ったのですけど、最後はもう介護するのが楽しくなって、いとおしくなって、 私一人でお風呂に入れていました。


 キリスト教に出会ったのは、母が倒れて、その病院の売店に「キリストの幕屋」という所に所属している方がいらしたのです。 幕屋というのは、少し曲がった教会です。私から見れば完全な異端ではないのですけど、まあ曲がっています。でも今まで仏教、 色んな所、宗教遍歴をしてきて、その方と文子さんがお話しをしている時に、「何か違う、この方たちは違うよ、 今まで勉強して来た事と全然違う。一回集会に行ってみましょう!」それで行きましたら、涙をボロボロ流しながら証されているのですね。 最後祈りの時に「わー!」と祈られるから、場違いな所に来たなと思っていましたけど、終わってみたら、皆、にこにこして、 本当にいい方の様な顔をしているのです。これがキリスト教なのかなと思いました。そしてそんなある時、 「新人巡礼をしなさい。」と、言われて阿蘇の熊本のある所に土地を買って、そこで幕屋の集会をしたり、 そこで火渡りをするのです。歩いて13歩ぐらいの木炭の道を作り、夜、火渡りをするのです。 若い人たちは両サイドをうちわであおぐのです。木炭が真っ赤になって燃えていて、その上を裸足で歩くのです。 度胸がいりますよ、死ぬ気にならないといけない。私は5番目に歩きました。「天のお父様―!」もうどうなってもいい。 渡るのは13歩、全然熱くないのです。やけどもしないのです。不思議でしたね。渡り終えたら達成感があります。でも皆さん、 真似したらだめですよ。手島先生という方が、「山伏がやっているから我々もできるはずだ!」ということで始められたのです。 そして2月の建国記念日、寒い時。その時、高千穂峡に行って、ふんどし1枚になって、水の中に入って、みそぎするのです。 「天のお父様―!」って。  そんなある時に、湾岸戦争が始まりました。1990年ぐらいですね。幕屋の人たちは、今こそ 「イスラエルに行って祈る勇者はいないか!」という声が上がった時に、文子さんは一番に、「ハイ行きます!」私は、 「ちょっと待て、お母さんをどうするのだ、寝たきりになっているのに。」看護婦さんも「止めときなさい。」 結局1991年に行きました。イスラエルに着いたら、「ガスマスクを付けて下さい!」という指令が出ていましたけど、 着いたと同時に停戦になりました。そして終戦になりました。だから観光客は誰もいません。どこに行っても貸切りでした。 今度11月に行く予定があります。  キリスト教ってこんなにすごい所なのかと思いました。他の教会に行った事はないですから。でも色んな事情があって出ました。 「主よ、ごめんなさい」と。そして出たら、「ここは間違い、ここは違う、これも違う、こんな事をしてはいけない。」 と、悪い所が目に付きました。それで普通の教会にちょっと行ってみました。そうしたらおとなしくて凍えてしまう様な感じでした。 近くにキリスト教書店がありましたから、そこで片っ端から本を買って、その時にベニーヒンという方が、 すごい奇跡をアメリカで起こされていて、日本に来られるという事で、「じゃあお母さんを連れて東京まで行こう!」 と、車に乗せてベニーヒンの集会に行きました。文子さんが、「カナダ・トロントのリバイバルがあるから、 そこにも連れて行こう!」と。旅行ツアーの方が、「カナダにはちょっとこの状態ではだめですから、韓国に紹介しますので。」 韓国のオリンピック競技場の所に聖会があった訳ですね。そこに母を連れて行きました。ヨイド教会の真ん前にホテルがあり、 そこに2泊3日しました。その聖会にベニーヒン先生も見えられて、帰ろうとしていたら、そこの長老の方が、 「チョウヨンギ先生と、ベニーヒン先生に祈ってもらいなさい」と、言われたので、「いやもう帰りの飛行機の切符を取っていますから。」 「いやもう、遅らしてもいいから祈ってもらいなさい。」ヨイド教会の講壇の後ろに大きな部屋があって、そこで待機していたら、 メッセージが終わって、二人の先生が来られて、母に挨拶して、チョーヨンギ先生は、日本語で祈って下さいました。 そういう経験もしました。そんな時に、又、本を買いました。「ルーマニアからの脱出」という、イリエ・コロアマ先生、 もう10数年前にこの教会に見えられました。その時に久松先生と出会いました。文子さんが最初ここに来られて、 色んなお話をされて、その後私が来てお話しをうかがい、神学校を卒業して1年後に按手をしましょう!ということで、 按手を先生から受けて、そして2003年か2004年の夏期聖会に、何回か参加させていただいたのです。 そうしたら神様は次のステップへと私たちを導いて下さったのです。韓国への繋がりの部分は省きます。 とにかく10年間韓国で霊的な学びをしました。牧会クリニックと言って、牧師伝道者を教える先生がいらっしゃるのです。 韓国は沢山の教会があります。どこを見ても夜、赤とんぼが飛んでいます。皆成功している教会という訳ではなくて、 牧師が一番傷付いていました。霊的回復の為に、韓国のユンチョンという所の山城教会で、2泊3日の牧会クリニックに私たちは行って、 日曜日礼拝が終わってすぐから土曜日まで、色んな交わりをしたり、朝から祈ったり、何を学んだか、通訳を介していましたので、 あまり分からなかったのですが、とにかく祈りなさい。異言で祈りなさい。異言の指導をされたりしました。 そうした学びを10年間しました。そうしたある時、その山城教会の先生がもう高齢になってきて、息子さんの代になり、 教えが変わってきました。何かが動いて来たというか。私たちもだんだん遠のいてきました。牧会クリニックも、 年に何回もあったのが2回になって、1回になって、最初は200人ぐらいいたのが、最後10人ぐらいしかいなくなって、 とうとうクリニックは無くなりました。その頃に母が天に召されて、それから1回か2回程、韓国に行きました。 20数年間の疲れが出たのか、半年~1年ぐらいぼーっとしていました。


 ある日、電話がかかって来ました。久松先生からでした。10年ぶりだなあと思って、「先生お久しぶりです。」 「実はね、御二人に聞いて欲しい事があるのですよ。」従事セミナーの事でした。その大阪のセミナーに参加しました。 その事を通して久松先生との関係が回復しました。韓国は主が卒業させて下さった。「次のステップに行きなさい。」 雲が動いたのです。ずーっと心の中に回復していない部分があった訳です。「コングレスに入ったら、それが回復できるかな?」 と、最初思っていたのですけど、なかなかそれが回復するのに時間がかかりました。でも半年前に解決しました。  ガラテヤ人への手紙5章16節~24節「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、 決して肉の欲を満たすことはない。なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。 こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。」 韓国である先生が、信徒さんに説明していました。「あなたの今言った言葉は、肉からですか?霊からですか?」 通訳を介してお聞きしたのですけど。自分の思っている事、欲しいもの、全て肉だと思いました。御霊の思いから出るには、 どうしたらよいのだろう?韓国の教えでは、とにかく祈りなさい。牧師は3時間、信徒さんは2時間、とにかく祈りなさい。 ですから朝も暗い3時4時から異言で祈っていました。達成感はありますけど、しばらくすると又、元通りになってしまうのです。 肉なる思いと御霊なる思いがいつも反発し合っている。おしくらまんじゅうじゃないですけど、ぶつかり合っているのですね。 どうしたら一致するのか?これが私の10年間の悩みでした。コングレスに導かれて、久松先生に、最初変な質問ばかりしたと思います。 困らせたと思います。でも解決しました。コングレスで最初、スコット・ウエブスター先生が熊本に見えられて、 もう一人の預言者も見えられました。預言は過去色んな預言をいただきました。もうくすぐったくなるような、 良い預言ばかりで、でも本物の預言は深いのです。なかなか分からないですよ、正解が。スコット・ウエブスター先生が、 こう私におっしゃいました。「あなたの頭の上の所に3つのボトルがあります。それは混ぜられて一つになって、入って来ている。」 「何の事かなあ?」「学んできた事は間違っているとは言っていません。だけどそれが偽りのシステムを作っている。」 「ああそうなのだ!何なのだろうなあ?」この所で、2004年に、デイビーカップ先生の、「真の教会史」の学びがありましたね。 そのDVDをある先生からいただきまして、何枚目かのDVDに、デイビー先生が語っていました。デイビー先生の知り合いの方か、 有名な方か忘れましたけど、その先生が山に入って、2週間断食して、山から下って来ました。 そうしたら何かにぶつかって怒ったそうです。そういう証をされていました。私はぱっとひらめいたのです。 EADの山に人が昇っています。リュックを担いでいます。異言で祈る事は良い事だ。だけどそれを何時間祈らなければならない。 何時間祈ったらこうなるという、後から人がくっ付けたものは余分な物なのです。異言は良いもの。 神様の真理はリュックの中に入れましょう。断食もそうです。2週間祈らなければならない。 40日間断食しなければならない。断食は良いものだけど、後から人がくっ付けて、ここまですればこうなるよとかね。 本当に神様に導かれるとそうでしょうけど、人が後からくっ付けた物はそぎ取って、良い物だけ入れなくてはならない。 神様の真理だけを背中に担いで、私たちは旅をしなければならない。だからガラスの天井は、ボーンと落ちて砕けました。 もう何もありません。そして半年ぐらい前に、やっと分かったのです。肉と霊の関係が。なかなかガチッと引っ付かない。 でもある時、PPAPじゃないけど、アイハブア肉だの、アイハブア御霊だの、ブリッジングザギャップです。 皆さん最初から聞いていた事です。私も最初から聞いていました。だけど、頭では聞いていたけど、心に入っていなかったのです。 ぱっと光が入って来たのです。「ブリッジングザギャップですよ!」という思いが。「あー!そうだ!」肉と霊とに橋が架かって、 ギャップがないのですよ。そして私たちの立ち位置は、その中央です。だから肉なる世界にいて、暗闇の世界にいますけれど、 御霊なる思いなのです。しかも又、この思いが与えられたのです。その中央からはしごが架かっています。 創世記28章12節地の上にはしごが立てられています。その頂は天に達している。天から降りたのでないですよ、 地から天にはしごが架かっています。イエス様が十字架にお架かりになって、天に昇られて、その所から私たちを引き上げて下さいました。 エペソ2章6節わたしたちは天に座しています。十字架の力です。ブリッジング・ザ・ギャップの中央にはしごが架けられて、 天に昇って天の視点から世の中を見渡さなければいけない。神様の思いで世の中を歩まなければならない。 神様がアブラハムに言われました、「立ち上がって縦と横を歩きなさい。そこをあなたにあげよう」そこは聖域です。 だから聖域を私たちはどんどん広げています。聖域、つまり箱舟と一緒ですね。そして私たち一人一人の核が大切。 核を強固にしなさい。先程私はオートレースのギアの話をしました。ここはギアと捉えてもいいと思います。 ローギアが回っていないと、トップに入らないのです。主は歯車が回転するように回りながら、巨大な力で、 GGPEの時にありましたね、私たちの核に対して強固でありなさい。強固であれば、主はすごい力を持って、ガン!と来ます。 まず私たちの核が大切ですね。まず私たちのギアが正常に回っているかどうか。茨やあざみが生えて、回転を鈍らせていないか。 油が不足して回っていないか。それは駄目です。回っていなければいけないです。又、回り過ぎてもいけない。 肉の力で頑張り過ぎてもいけない。適度な回転の時に、主はすっと来られます。個人に、家庭に、コミュニティーに来られ、 世界全体のコミュニティーに来られます。それぞれの核に合わせて、主は旋回しながらドーン!と来て、暗闇のシステム、 バビロンのシステムを打ち壊して下さるのです。その時私たちは時の声を上げるのですね。まず自分たちの核、 自分達がしっかりして回っているかどうか。久松先生は、「ここでいくら良い事を言っても、家庭がめちゃめちゃだったら駄目ですよ。 そういう先生いますよ。」と、言われました。去年、先生に尋ねた事があるのです。 「時々家内とチャンバラ、投げ合いとまで行きませんけど、これは火が燃え上がるぞと、そういう時どうしたらいいですか?」 と、「男はね、黙っておく。」「ああー、そうなんだ!でもこの問題はどう考えても彼女は誤解して捉えている。 そういう場合にはどうしたらいいのでしょうか?」と聞いたのです。「それはね、落ち着いて、後からゆっくりと、 優しく、あの時はこういう風にあなたは捉えたけど、実はこうこうこうなのですよ。」「ああなるほど!そうなんだ!」 家庭の幸福は妻への降伏と、安倍総理も言われたそうです。時々議論して、議論がいつも口論になって、 「あっ、これはいけない!黙っていなくてはいけない。」そうしたら何て帰って来たと思います?「何で無視するのよ!」 という事が一回ありました。話の内容によっては、何でもかんでも黙っていてはいけない。 だから又、ムラムラと来るなと思った時には無視するのではなく、「そだねー!」って、言わなくてはいけないのですね。 そうして男性は降伏しましょう。勝てっこないのですよ。そうして家庭の核を健常に保って、ギアを回転させなくてはいけない。 それに応じて、内側の核に対して合ったトップギアを主が入れて下さいます。回転します。ローギア、トップギア、サークルです。 それがコミュニティー全体の力に応じて、主は力を現して下さるのです。 そして全世界のグローバルなGGPEの戦略的な祈りがありますけど、主は地上にパートナーを見出し、 「これなら大丈夫だ!」すごい力を持って暗闇のシステムを崩壊して下さいます。私たちは聖域の中に入れられています。 肉なる事をしていても、そこは聖域なのです。天に昇って歩んでいますから聖域です。箱舟を建て上げています。 だからいつも私たちが、集合、収穫、最終化、従事、代理、侵略、いつもそれが放出しているか見張りなさい。 いつも心を、核を見張っていなければならない。正常に回転しているか、茨やあざみが生えて来た時は、 すぐ引き抜いて捨てましょう。私たちのギアも、その様に変な物がからみ付いて来るのです。昔はこの様な事が沢山ありました。 偶像礼拝、呪い、敵意、争い、嫉み、怒り、党派心。クリスチャンも全く無いとは限らない。世の中は、分裂したり、 色んな事があります。でもコングレスは素晴らしい。この御言葉がこんなに素晴らしいとは思わなかった。


 エペソ人への手紙4章13節「御子に関する知識の一致、信仰の一致、教理の一致、完全に大人になって、 キリストの身丈にまで達するように。」新改訳「神の御子に関する知識の一致。」これがあれば分裂はないのです。 神様がウッドロフ先生を破れ口に立たして下さって、信じる私たちは教理の一致を持っているから聖域となっているのです。 一致の所に主は来られます。地上にパートナーがいる。コングレス以外の先生も立派な方は沢山おられます。 素晴らしい先生もいらっしゃいます。でもコングレスの聖域は別のドアなのです。別の聖域です。 ここにはマタイによる福音書7章22節に当てはまる方はいません。でも他の聖域には、時々そこから漏れて、 マタイ7章22節に当てはまる先生方がいらっしゃいます。だからこの御言葉が書かれているのです。 あなたの為に預言したではないですか。伝道したではないですか。悪霊追い出ししたではないですか。沢山働きましたよ。」 ペテロさんが天国へ帰った時、命の書にあなたの名前が書いていないよ。主を呼んで来られた時に、 「わたしはあなたを知らない。さよなら。」と、言われたらもう終わりですね。ドーンと落とされます。 そこは火の池と書いてあります。だから本当に、コングレスには、それは当てはまる方はいらっしゃいません。 私はそう信じています。だから全体の核を大切にしなければならない。私たちはブリッジングザギャップの、 神様の門の所が立ち位置です。ルカによる福音書21章で、イエス様が弟子たちに、昼間神殿で教えられました。 夜になると、オリーブ山に帰って行かれました。私たちはブリッジングザギャップの世の中で教え、天に昇って行きましょう。 だからコロサイ3章1節に、「キリストによって蘇らされたのなら、天にあるものを求めなさい。」天にある物を求めなければならないのです。 車も欲しい、携帯も欲しい、お金も欲しい、あれも欲しい、服も、家も、一杯欲しい物はあります。必要な物は、神様は与えて下さいます。 無から有を生じさせる方ですから。でも本当にある物は何であるか。私がいつも願っている最も欲しい物は愛だけです。 愛があれば、党派心とか分裂分派ないでしょ。愛があれば夫婦喧嘩もありません。「天にあるものを求めなさい。」 だから昇って行って、「主よ、下さい。あなたの愛を流せる人間にして下さい!」皆それを求めています。 なかなか愛に溢れた人間になれない。ジレンマに陥っていますけれど、私の今後の課題です。愛を求めましょう。 必要な物を求めていいです。必要な物も与えて下さいます。私たちは聖域の中にいます。そして共に一致して、 共に暗闇のシステムを崩壊しなければならない。訓練の時から、主はこの気の弱い私に、色んな訓練をして下さいました。 そしてここまで成長させて下さった。今度は主の戦士として、訓練されます。皆様は神の戦士です。主が共に戦って下さいます。 問題は沢山あるでしょう、でもその問題が大きくならない内に、取り除かなくてはならない。主にお願いします。 「大きなバランスボールの様な物が前にあります。前が見えません。どうしたらいいでしょうか?」「静かにまわりなさい。」 「まだ小さくなりません。」「もう一回まわりなさい。」エリコの城壁を攻略した様に、 不思議とだんだんだんだん小さくなって行くのです。 ローマ16章19節~20節30節「平和の神はあなた方の足でサタンの頭を踏み砕く。」小さくなったら、 憎しみをポンと投げ捨てて、もし憎んだ人がいるならば、怒った人がいるならば、「主よ、あの方を愛します。祝福します。」 それを祈らなければならないですね。するとスッと消えます。経済的なものも祈った後は安心します。 だから私たちも悩んでいません、何とかなります。主がおられますから、お金持ちですから主は。 ですから私たちはコングレスの中に導かれたという事は、だんだんこの素晴らしさを実感してきています。 何よりも嬉しかった事は、10年間悩んできた事、肉なるものと霊なるものが一つになった事です。全て聖域です。 この様な事をしていても、主の守りの御手の中にある。これは聖域の中にあるから。世の中の事をしていても、 主が全部許されているからできるのだと。だから自覚を持つ事が大切です。聖域、神様の御手の中、 この中に私たちは霊の戦いをして、勝ち取って、集合、多くの先生方が導かれ、数が満たされた時に、箱舟の扉が閉められて、 主が再臨されます。裁きの時が来るのですね。それはいつになるかは分かりません。だけど私たちはその箱舟を建て上げなければならない。 ギアが健全に回っているかどうか今日も点検しなければいけない。高速ではいけないです。低速ではいけない。中間あたり、 そのちょっとくらいで、そのぐらい回っていれば、いつの間にか主が共にいて下さいます。弱った時には、 潰れたらいけないから主は来られない。ウッドロフ先生も言われています。「あなたのギアにヒビが入ったり、 弱かったりしていたら、潰れるといけないから来られないのだ」と。内側の核に依存しています。 だからしっかり信仰を保ちましょう。主に信頼しましょう。私たちは家族です。信仰は一つです。 共に建て上げて行きましょう。戦って行きましょう。私たちは戦士です!





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