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今月の礼拝メッセージ

~礼拝メッセージ~

2018年03月         <熊本ベテル教会>●楊 茂華牧師●




 私は日本で生まれて育ちましたが、ルーツは韓国です。夫も韓国です。夫のルーツは特に中華系の韓国人だったと思われます。 その楊というルーツの名字と、日本で生まれて育った私らしい茂華という普通の名前がコンバインしているのです。友達からは、 すごく不平を言われます。元々私は日本名で生活して、ある時に本名で生活しようと思い、本名で生活し、 そして日本国籍を10年ぐらい前に取得しました。家族で話し合い、残すものを残し、捨てるものを捨てました。 そうすると友人から、「もうあなたじゃない!」と、すごく言われまして、まあ名前というのはすごく大切ですが、 「私はもう楊茂華です!」と言う時点で、すごく沢山のメッセージを語っていると思っています。 皆さんにはいつもお祈りと励ましを本当にありがとうございます。



 ヨシュア記5章13節~15節「さて、ヨシュアがエリコの近くにいたとき、彼が目を上げて見ると、見よ、 ひとりの人が抜き身のつるぎを手に持って、彼の前方に立っていた。ヨシュアはその人のところへ行って言った、 『あなたはわたしたちの味方ですか。それともわたしたちの敵なのですか。』すると彼は言った、 『いや、わたしは主の軍の将として今きたのだ。』そこでヨシュアは顔を地に付けて伏し拝み彼に言った、 『わが主は何をそのしもべに告げられるのですか。』すると主の軍の将はヨシュアに言った、 『あなたの足の履物を脱げ、あなたの立っている場所は聖なる場所である。』そこでヨシュアはそのようにした。」 モーセも似た様な場面が、燃えるその芝の所に行って、この場面が起こるというのは、コングレスの学びでもあったと思いますが。 このヨシュアがヨルダン川を渡って、敵陣に入って行った時に、信仰を持ってヨルダン川を渡り、 信仰を持ってこのエリコ城の城壁の前に来ています。でもこのヨシュアは、リーダーとしての重圧もあっただろうし、 信仰が充満していたと思いますが、やはり恐れも、色んな思いを巡らす気持ちがあったと思います。 そこでもう何十年も途絶えていた、「割礼を受けよ!」と言われて、割礼も受けて、弱り果てた民と共に、 ヨシュアも普通の人ですよね、うろたえていたと思います。将軍であったとしても、やはり民を導くトップリーダーとして、 私たち牧師にはその気持ちは少し分かります。そういう中で、一人の人が抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立ちます。 不思議なのは、信仰充満でこのエリコ城を攻略しようと思っているヨシュアが、「あなたはわたしたちの味方ですか。 それとも敵なのですか。」と、吟味しています。「分からなかったのかなあ?」と、私は思うのです。 私も実はウッドロフ先生に会っても、使徒なのか誰なのか分からなかったので、信仰の人ですけれども、 受け止めるのに2年間必要でした。これを読んで、「ああやっぱりそうなんだ!」という風に思いました。 ヨシュアがこの所で彼に会って、「わが主は何をその僕に告げられるのですか。」と、本当にすごい信仰のへりくだりだと思うのですが、 この後に、その主の軍の将が、「あなたの足の履物を脱げ。」と、言われる。これがあのモーセが言われたメッセージとかぶって、 今年私がすべき事だと思わされました。本当にこれを、本当に行ないたい、なかなかこれができないのです、 自分の思いに覆われていて。でも私は今年、この御言葉に励まされて、2018年を始める事ができました。


 私は熊本で、1999年に単独で、0からの教会開拓を開始しました。そして18年が経ったのですね。 夫と教会開拓の準備の期間が4年ぐらいありましたが、それも含めて「18年が経ったね、早かったねえ。」という話をしました。 その18年の旅は、本当に目まぐるしく変革を遂げてきました。開拓した年が40代後半という、非常に遅い開拓だったので、 それだけ私は主にとって、本当に自己中心で、うなじの固い者でした。16年ぐらいして、コングレスに出会い、それまでの、 私の神学の指導者であり、そして教会の開拓を導いて下さった先生たちも引退されて、 そして私自身もどうやって次世代にバトンを渡して行こうかと考えていた頃に、ちょうど2年前、 大阪で従事セミナーに参加しました。そこで、コングレス、BTG、そして関係教会の先生方との出会いもあり、 お交わりをさせていただいたのです。で、先だってのナイロビでの集会のDVDに、私は感動しました。 本当に夢の様な世界だなと思いました。ウッドロフ先生とリーダーたちとの関係が、言葉にできませんが、 こんな信頼関係を地上で結ぶ事ができたら、本当にどんなに幸せだろう。でもウッドロフ先生がこれまでずっとやって来られた事を考えると、 その犠牲と献身というのは、考える事もできないです。先生の目から涙がこぼれて、その涙が全部物語っていると思います。 本当に感動しました。私も2年前に、このコングレスに出会って、この2年間を査定してみないといけないと思って、 査定してみました。本当に振り返って、人としては考えられないほどの霊的な資源、出会いをいただきました。 何が良かったかと言うと、私がどうやって次世代にこの教会をバトンタッチして行くかという、 そういう中で自分自身のこれからの人生の方向性というものをすごく整理していただきました。 次世代のリーダーたちをどう育てなければならないのか、彼らがどうこの終わりの時代を走り抜けて行かなければならないのかという方向性をいただきました。 私は優れた旅のガイドに出会ったのだと思っています。優れた旅のガイドというのは、出発点と、終わりを知っています。 1日のガイドをする人は、朝何時に集合して、今日1日のスケジュールの全部が分かっていて、そして終わりの時間が何時で、 ここで終わるという事がちゃんと説明できて、そして豊富な知識と体験に支えられて、その行く所、行く所で、 私たちがガイドブックでは読めない、色んな事を語って下さいます。それがもう全部ではなく、本当に一部ですが、 その始めと終わりが確かにあるという事。そういうガイドさんに会ったら、私たちは本当に旅が素晴らしかったと思えます。 私は人生の最後に素晴らしい旅ガイドに会って、私自身は本当にとてもいいエンディングを告げて行けると思っています。 ウッドロフ先生や、カップ先生はもちろんですが、久松先生や教会の皆様には、ずっと先を行って、後ろ姿をもって、 モデル教会を示して来て下さったと思います。今日の礼拝が、とても楽しみだったのです。共に礼拝を捧げる事ができ、 本当に励まされました。こういう風に主と親密に、確かな御言葉をもって、そしてこの素晴らしい旅ガイドと共に信仰生活を送れるのは、 皆さん本当に、選びと言いますけれども、日本に於いてこういう歩ができるというのは、すごく幸せな群れだと思います。 ずっと励まして来て下さって、本当に感謝します。


 私自身の事を少しお話ししますと、私は韓国人の両親の下に1953年鹿児島県の大口市という町で生まれました。父が当時、 ゴールドラッシュの時代、金を産出していた牛尾金山という金山に仕事を見つけて赴任したのが、 この大口市に住むきっかけになったと聞いています。私は父の葬儀の時に、久しぶりに大口市に出かけて行きました。 父はすごく大柄の人で、若い時には相撲をやっていたぐらい、すごく大きな人だったのです。この父が初めて大口の田舎町、 大口の駅に降り立った姿を皆さんが覚えていらっしゃったのです。黒いロングコートを着て、大柄な青年が、23歳だったのです。 そのスーツケースは、私の実家に、両親がこの家を引き払うまで、ずっと倉庫に置いてありました。私はずーっとそのトランクを見て育ちました。 大、中の、そのスーツケースを持って、帽子をかぶって。父は仕事も仕事だったのですけど、まあ実際のところ、焼酎の産地なのですが、 父は焼酎でなくて、やはりお米とお水がすごくおいしかったので、田舎育ちの父がその場所をすごく気に入りました。 しばらくそこに住む事を決めたようでした。で、両親は熱心なクリスチャンだったのです。私の祖父は、 幼い時にアメリカ人の宣教師に付いて回った人で、もちろん、チョコレートとかキャンディーとかが目当てではあったのですけれど、 宣教師にすごくかわいがわれ、そして祖父は、人の言う事にあまり耳を傾けない、マイペースな、私の家系が皆、私も含めて、 すごく自己中心なマイペースな人だったので、もう誰が何と言おうと、すごい悪口を言われても、宣教師になびいて、 チョコレート目当てについて行ったようです。そして信仰を持って、宣教師の教えに従って来た人のようです。 私は祖父の晩年に、ソウルの大学に留学していた時代がありまして、その時に祖父にしばしば会いましたが、 その頃の祖父はもう80代で、毎日聖書を読んで、そして聖所の御言葉を書いて暮らしていました。 本当にその祖父が信仰を持ってくれたおかげで、私にまで信仰が継承されてきたのだなと思います。 この祖父は人の言う事にあまり揺るがされないので、お金も無いのに教会が建築献金を募ると、 一番にその書類を提出した人だったと聞いています。でも貧しくて、そんなにお金があった訳ではありません。 でもいつも前向きな信仰があったので、これは私の家系に良い物として、祝福の物としてずっと流れています。 韓国人はその時、男でも髪の毛は三つ編み、そして白い服を着ていたのです。宣教師から、髪の長いのは不潔だと言われ、 そして短く断髪し、そして色物も身に付けなさい。そういうのをどんどんやっていったので、ものすごくいじめられたと思います。 皆白を着て、三つ編み結んでいる社会の中で、さっさと髪を切って、そして色物を身に付けるというのは、 言葉で言う程簡単な事ではないですね。私はでもこの祖父にすごく感謝しています。そういう人生を歩んで、 そういう思い出を私たちに残してくれた事に、すごく感謝しています。両親は熱心なクリスチャンでしたので、 色んな教えは両親の身体にしみついていたのです。もちろん大口市に住む事を決めた時に、一番に探したのは教会だったのです。 でも残念ながらその時に、大口市にあったのは、プロテスタントの教会は全く無くて、カトリック教会が一つと、 それから聖公会が一つあっただけでした。この聖公会は、今も行くと3人の青年たちの写真が、前に飾ってあって、 その3人の青年たちが信仰を持って建て上げた教会だったのです。その頃に私は行きたかったです。とりあえず両親は、 ここに在籍をしました。そして1年に何回か、大阪から韓国人の牧師が巡回して来るのです。そうすると、家に泊って、 一緒にご飯を食べて、そして家庭礼拝を導いてくれるのです。両親にとっては、これが本当に楽しみだったと思います。 その時は本当に楽しい時間を過ごしました。でも両親は色々な理由を付けて、クリスマスと復活祭にしか教会には行きませんでした。 そういう両親だったのです。でも彼らの生き方は、良くも悪くも、ものすごく前向き、肯定的、自分の事も全部肯定的です。 ちゃんと理由を付けて、そしてものすごく実践的な信仰の持ち主だったのです。現役時代はその生き方で、 ものすごく大きな影響力を地域に与えてきました。両親がクリスチャンだという事を知らない人は多分いなかっただろうと思うくらい、 本当に物怖じしない、そしてものすごく事業家として成功を遂げた両親だったのです。でも裸一貫で、0からその地で金山の運搬とか、 機械の解体とかをやりながら、貧しさの中でのその生き方は、本当に大変だったと思うのです。 でも私が両親の葬儀で大口市に行った時に、父がもうどれ程貧しい人や、困った人を助けた人生だったのかというのは、 助けられた人、本当にその人たちから直接聞いたので、本当に両親の生き方というのは、貧しい人、 困っている人を差別なくよく助けて、面倒を良く見ていたのだなと思わされました。私は若い時、 両親がなかなか教会に行かなかったので、すごく裁く気持ちがあったのですが、でも彼らの生き方によって、 本当にキリストの香りは、その地域に伝わっていたのだなと思いました。父の葬儀の時に今の市長さんが弔辞を読んで下さいました。 それは父が好きだった御言葉を、その市長さんが言って下さったのです。本当にびっくりしました。 沢山の御言葉は持っていなかったのです。たった一つを、「いつも喜んでいなさい。いつも祈りなさい。 全ての事に感謝しなさい。」テサロニケ人への手紙とピリピ書の言葉がすごく好きだったのです、 もうそれ一つを握って一生貫いたというか、でもその御言葉が、やっぱりその時子供だった人の心に植えられて、 それを父の葬儀で思い出して読もうと思って探して来られたのです。教会へ行って、牧師に聞いて。 それはやっぱりすごいものを残したという事を思いました。私たち子供は、教会を休む事は許されなかったのです。 自分たちは行かない、でも3人は行かないという事は、もう絶対に許されないのです。だからもう日曜日の選択は、 朝から日曜学校へ行って、礼拝へ行くという選択しかなかったのです。母は土曜日には、とにかく日曜日に着て行く服と献金を枕元に準備してくれ、 そして私たちは寝ました。母はものすごく几帳面で、真面目な人だったのです、教会に着て行く服には、全部アイロンがかかっていたのです。 そういう環境でした。その頃、私が振り返ってみると、日曜日というのは、土曜日から始まっているのだという事を教えてもらったのです。 この事を、創世記の、夜が来て、朝が来た。という事を、振り返ってみると、その生き方で教えてくれていたのだなと思いますね。 そして礼拝は必ず、捧げものがあるのだという事ですよ。洋服だけではなくて、やはり心も献金もです。自分達なりに整えて、 礼拝は神様に捧げる所なのだという事を教えてもらいました。私たちの国籍は天にあるので、 どこにいても同じ神を礼拝をもって捧げるのだという事を身を持って教えてくれたのだなと思っています。


 私の親族はそういう事で全部クリスチャンなのですね、韓国にいますけれども、そういう中で、 私の開拓は親族皆反対をしました。でも一番喜んでくれたのは私の両親なのです。両親は本当に献金をもって、 身体をもって最後まで教会を助けてくれました。当時私の母が開拓をすると言った時に、一番に母が語ってくれた言葉が、 「聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがたは力を受けます。そしてエルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、 そして地の果てまで私の証人となります」と。「そう使徒の働きに書いてあるから、あなたは聖霊の力を受けて地の果てにまで行きなさい」 と、言われたのです。私が牧師たちにこの証をすると、「ありえない!」と、言うのですね。皆、反対された。親にも反対された。 特に母親に反対された。「君の母親は、変わった人だったね。」まあ母がどこまで、どんな事を思って、 この御言葉を言ったのか分からないのですが。私も戸惑いながら母のこの祈りを受けて、励ましを受けたのです。 晩年は、約8年ぐらい、私たちの側で過ごして、礼拝にも熱心に通って来てくれて、いつも礼拝では泣いて祈ってくれました。 そして当時私たちはあるプロジェクトの中にあり、宣教師たちがいて、宣教師たちの生活も本当に両親が支援してくれました。 実は日本でも、特に鹿児島での生活は、母にとっては故郷から離れ、そして大好きな家族からも離れ、やはり苦しくて、 寂しくて、辛いものだったと思うのです。そしてその行くべき教会は、在籍はしていますけれども、日々行って、 神様に出会えるような教会が無かったので、本当に苦しかったと思います。でも愚痴とか、不満とか、 日本への悪口は一度も聞いた事はないのです。本当に日本をとても愛していましたし、両親が亡くなる前に、私たち兄弟も、 親戚もそうですけど、両親が日本に来たのは、やっぱり宣教の為だったという結論に達したぐらい、両親は日本を愛して、 そしてずっと帰りたいと母は思い続けてきましたが、最後に私たちの側で暮らした時には、熊本に骨を埋める決心をして、 そして本当に子供たちや孫たちの事を私たちに頼んで、安らかに逝きました。私の母は、脳梗塞や、心筋梗塞や、 今までの苦労がいろいろ積み重なって、晩年には本当に病気を沢山したのですね。何回も倒れて、脳血管障害で認知症も出てきて、 最後は本当に少女の様な老年の姿だったのです。息子たちはなかなかその姿を受け入れる事はできませんでした。 私はそういう母の姿を見ながら、元気で活躍して、私をずっと助けてくれた時代の親よりも、その全てを無くして無力になって、 人に頼らないと何もできない母の姿が、私にすごい宝物を与えてくれたなと思っています。 牧師である私が老年の両親を引き取る事は、私の兄弟は全部反対をしましたけれども、でも神様はこういうプレゼントを、 何か本当に全ての包装紙を取り除いて、もう全部の外側の形とか取り払って、どんな人の姿が、 一番神様が願っておられるのかという、本当に無力で、何もできない、何もできないどころか、人に全部助けてもらわないと、 トイレもお風呂も食べる事もできない。もうそういう姿を2年ぐらい見続けた事は、私にとって、 やっぱり人生のターニングポイントの一つになりました。本当に母は長年のストレスが溜まって、自律神経失調症を患ったのです。 この事がきっかけで、私自身の信仰がものすごく刷新して行きました。


 私は聖公会で生まれて育っていますから、プロテスタントの教会の人からすれば信じられない世界なのです。 やっぱりまあ形の世界だったのですけれども、でもその頃から母の病の癒しの為に、祈りが積まれて行きました。 そして私は自分の人生にもすごく行き詰まりました。結婚もしました、子供も3人いました、事業も与えられて、 夫と一緒にその事業もしなければいけなかったのですが。でも何か人生に、自分が何をしたら、神様の設計図どおりに生きて行けるのか、 何をしてももう一つ何か違うのですね。でも自分が何を不従順しているのか分からない。そういう中で、 自分の人生にものすごく行き詰っていましたので、その時の私というのは、自分の事で頭が一杯です。 子供が3人いるのですけど、3人どころじゃないですよ。夫と家族も、自分の人生を解決するので もう一杯だったのですね。今思うと、すごく恥ずかしくて仕方がないのですが、でも、一体何をしたら主は満足されるのかなという、 もうそれが私の人生のテーマでした。で、自分の人生の問題を解決する為に、色んな牧師にも会い、アドバイスも受け、神学校も、 長老派からカリスマ派まで行き、カウンセリングやインナーヒーリングの学びも含めて、色んな学びを積み重ねて行ったのです。 でも多くの牧師たちが、神学校に行けば解決するよと言いましたけれど、もっと混沌としてきて。 しかも長老派からカリスマ派まで学ぶと、どれが本当なのか分からなくなりました。でもそんな中で、 今朝久松先生からレストレーションのテキストをいただき、本当に色んな主からの導きの中で、 やっぱり真理へと導いていて下さったのだなということを確信し、そして私がある預言を受け、 教会を開拓する決心をした時に、もちろんその時に、私は牧師として献身した訳ではなかったのですが、 「教会は建てます」と。本当は主が教会を御建てになりますよね。このペテロの信仰告白の上に、 「私は私の教会を建てる」と、おっしゃったのは主なのですけど、勘違いしているのですよ。「私が教会を建てないといけない」 と、思って始めたのですけども、その時に一番の難関は、夫ですよね。夫は、普通の信仰深い女性と思い結婚したのですけども、 いきなり、「教会を建てる!」と。まあこれはすごい難関だったのですけども。気持ちは一瞬、揺らぐ気持ちはあったのですけど、 でも、しない事はできない。もうすごい迫りだったので、夫に相談した時に、「一晩考えさせてくれ」と、言ったのですね。 夫は山に登る人なので、日曜日朝から山に行って、帰って来ませんでした。夜帰って来て、「自分にできる事は精一杯するけど、 でも期待しないで欲しい」と。私は夫に対する期待が大きくて、夫をすごく信仰的には潰していたのですね。 「何で同じ気持ちで行けないのかなあ?」とかね。私は主の教会を建てようとしているのに、でもそれを言われた時に、 私の中にも覚悟が決まって、そして感謝する気持ちで一杯になったのです。夫は正直な人なので、夫らしい申し出でした。 私はそれを何度も忘れそうになって、夫から何回も釘を刺されて、思い出しながら開拓をしてきたのです。 でも夫も本当の教会を求めていたと思います。私は結婚して、聖公会から始まって、韓国教会、そして色んな教会に夫を連れて行きました。 理由は、夫の信仰が目覚める事が理由だったのです。まあすごく迷惑な話だと思うのですが。でも、もう引っ張り回したので、 夫もほとほともう嫌気がさしていたと思います。


エペソ人への手紙に「神様は一切のものをキリストの足の下に従わせて、一切のものの上に立つ頭であるキリストを教会にお与えになった。」 のです。教会の頭はキリストだと。でも教会の頭がキリストだと思えるような教会はなかなかないです。牧師が中心です。 でも教会の頭はキリストです。やっぱりこういう教会、そして教会はキリストの身体だと、エペソ1章に書いてあるのですね。 「教会はキリストの身体であって、一切のものを一切のものによって満たす方の満ちておられる所です。」でも、 こういう気持ちになった事はなかったのです!そして夫もそういう教会を待ち望んでいたと、そのように思います。 今思うと、夫が断っても私は開拓したと思いますが。今の教会は、夫との2人3脚といいますか、本当に夫の助けなしに、 今の教会開拓は全くできなかったので、本当に、夫婦の危機も乗り越えて、神様は全てを備えて下さっていたなと、思います。 でもその当時私にはそこまでの深い悟りも、深い感謝も何も無かったです。開拓だったのですが、とりあえずまあ、 「よっしゃー!」という感じで、「自分で建てるんだー!」と思って始めたので、なかなか苦しかったです。


私が最初に、ベテルの開拓の時に与えられた御言葉は、もうすごく意外だったのですけど、ペテロの召命だったのです。 これは私にとっては、すごい意外でした。私はパウロがものすごく好きで、もうローマ書から手紙を読みながら、本当にもう 「パウロ様―!」という感じだったので、このパウロのイラストを見た時に、もう愕然としてですね、こんな男だったの? という感じで、もうそれぐらい、全く自分の空想の世界というか、もうあのローマ書を読んだら、誰でもそうだと思うのですけど。 霊に於いてはこんなに主を慕い求めているのに、肉に於いて、こんなに惨めだという。私は20代で、このローマ書を読んで、 もう私自身の気持ちと、ものすごくフィットしたのですね。私も霊に於いては燃えているのですけれども、肉に於いては、 やっぱり体力も無くて、弱くて、本当に惨めだなという気持ちが、誰に言っても伝わるものじゃないですよね。皆分からないですよね。 でも、パウロ様だけは分かって下さっている。もうそんな気持ちで、すごくパウロに傾倒していたのです。ですからせっかく召命を、 一生握って走り抜ける訳だから、もうできればパウロの召命を下さったらよかったのですが、主が下さったのは、ペテロの召命でした。 ヨハネの21章を読むと、本当に打ち破られて、そして失望の極みにあった彼らが、もう一度網を下して、 153匹の大きな魚を収穫しますよね。その後主は食事をされるのですね。ペテロと一緒に食事をされ、 その食事が終わった時にイエス様はゆったりした感じで。沢山の大魚を、もう考えてもない。夜通し働いても一匹も捕れなかった。 でも主が、「船の右側に」まあプロの漁師としてはあり得ない事をして、網を下して、そして153匹、 しかも網は破れないというですね、こういうのを体験して、ペテロがどんな気持ちだったか分からないです。ガリラヤの、 本当に田舎町で、でも主が一緒にゆっりと食事をして下さる。だから私が思い浮かべる主との食事というのは、 いつもこんな感じですね。何かもうどんな思い患い、どんな事件があっても、主が本当にいて下さると、私たちはゆっくり、 「まず食事をしよう!」ということになるのだなあと思うのですけれど、すごい問題が今から発生する直前です。 でも主は本当にこの食事を済ませた時に、ペテロに、「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たち以上に私を愛しますか?」 と、聞くのですね。そしてペテロはイエス様に、「はい主よ、私があなたを愛することは、あなたが御存知です。」 と、言いますね。主はそのペテロの応答を聞いて、「私の子羊を飼いなさい」と、言われますね。これで終われば、 ペテロはペテロのままだったと思うのですけど、でもイエス様は再び彼に、「ヨハネの子シモン、あなたはわたしを愛しますか?」 そしてペテロはイエスに、「ハイ主よ、わたしがあなたを愛することは、あなたが御存知です。」ちょっと嫌気がさしますよね、 この質問に。「あなたが御存知でしょう!」と言う。と、イエス様は彼に、「わたしの羊を牧しなさい」と、おっしゃいます。 牧師召命ですよね。で、イエスは3度目に、「ヨハネの子シモン、あなたはわたしを愛しますか?」で、 ペテロはイエス様が3度も、「あなたは私を愛しますか?」と、言われたので、「心を痛めてイエスに言った。」 と、書いてあるのですね。まあ3度イエス様を絶対否まない、このイエス様に、どこまでも付いて行くという告白をしたペテロが、 3度イエス様を否んで、そして3度「愛しますか?」という質問を受けた時のペテロの気持ちは、本当に言葉にできないですね。 彼がどれ程心を痛めたかなあと、それはやはりイエス様の愛に覆われての事です。イエス様がもう全部回復して下さる。 本当に全てを御存知で、このペテロが拭い去る事のできない汚点です。もう本当に、どうする事も、過去を消す事はできませんから、 それを主が御存知で、3度もペテロに語りかけて下さる。そして3度目にペテロは、「主よあなたは、もう一切の事を御存知です。 あなたは私があなたを愛する事を知っておいでになります。」という告白をペテロはします。そしてイエスは彼に言われます、 「私の羊を飼いなさい。」これがペテロに与えられた、初代教会の牧師としてのイエス様からの召命だったのです。 私の召命も本当に、「愛するか?愛するか?愛するか?」それはですね、私が本当に自己中心で、うなじが固い者で、 私はもう人に振り回されるのが大嫌いで、自分のペースで自分の人生を生きて行きたい。この性質を持って、 なお主に仕えたいと思っていますから、これで主に用いてもらいたいと思っていますので。それは苦しいです。 もう10年なんてものじゃないです。私の人生は、もう見かけはすごく教会にも仕えて、奉仕者として、 バイブルスタディーも導きながら、信徒リーダーとしても生き生きと、台所に入っては朝の準備もしながら、 教会の清掃もしながら、でも、私の心の中には、やっぱりこれを捨てない限り、これは私がしない限り、主はどうする事もできない世界です。 私はヨシュアの、「足の靴を脱げ!」と言われる、本当に危ない、サンダルを脱いだら1歩も歩けない、足を怪我して血だらけになって、 もう倒れるしかないような、しかも敵陣で、もう信仰をもってヨルダン川を渡ったのに、「何だろう?」と思うような、 そういう状況の中で、「もう全てを全部降ろせ!」と、おっしゃる。まあ全部じゃなくてもいいじゃないですか。ちょっとくらい、 神様は私に、私の個性を与えたのだから、ちょっとくらい残しておいてもいいじゃない。私がするのは伝道の賜物だったのです。 伝道をするとすごい喜びが来る。でも牧師になったら、それ所じゃないですよ。「ちょっとくらい残しておいてもいいじゃないか。」 これが本当に癌の様に、私から離れなかったのです。


でもこのペテロの召命をいただいて、この事がすごく分かったのですね。本当にこの召命の言葉に、私は感謝しています。 そして私のメンターから命じられたのは、皆さんも、このコングレスの学びの中で、ずっと学んでこられたのですけど、 エペソ人への手紙4章の言葉だったのですね。私がメンターから命じられたのは、教会という所は、キリスト御自身が、 ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、牧師、又、教師として御立てになったのだ。それは聖徒たちを整えて、 奉仕の働きをさせ、キリストの身体を立て上げるためだ」と。でもこの時に私がメンターから聞いたのは、私のメンターは、 使徒職を認める人ではなかったのです。これは全部2千年前に終わりました。牧師は、生徒たちを整えて、奉仕の働きをさせ、 キリストの身体を立て上げるのだということを命じられたのですね。この時に、5役者も何も全然知らないです。 でも牧師は信徒たちを整えて、それぞれが神様に仕える事ができるようにして立て上げるのだ。でも13節でついに、 ゴールが書いてあります。「教会の中で、信仰の一致と、神の御子に関する知識の一致とに達し、完全に大人になって、 キリストの満ち満ちた、身丈にまで達する為です」という所がならないのです、子供だらけ、赤ちゃんだらけです。私は、 「聖書を教えればいい。」って、メンターから言われて、バイブルスタディーで、ものすごい時間を投資してきたのです。 でもならないです。教える事によっては、人は弟子となる事はできないのです。知識はすごく大事ですけど、 でもやっぱりこの知識を生きたものとして働かせる為には、やはり、天からの知恵が、本当に必要なのです。 これを忘れては、この教えた結果どうなったかというと、裁き主ばかり生まれたのです。裁く人ばかり。 そして私に似た人が一杯生まれました。本当に、教える牧師だったのです。でも私が教会の開拓の初めに、 メンターから祈られたのは、エペソ4章15節に、「愛を持って真理を語れ!」という。「愛の伝道者になりなさい。 そして夫婦が一致して、夫婦で主の愛を現す事ですよ。」というのが、私のメンターが開拓の時に祈って下さった祈りだったのです。


私たちの教会は、4年間準備をして、そして今、14年前に小さな新会堂を立てて、今の場所で礼拝を捧げているのです。 この会堂の献堂記念10週年の時に、それまでの歩みを査定して見ました。まあ4年間、礼拝の準備をして、 そして新会堂で10年間、何をしたのかなあ?始めから私は何を思って、この教会を建て上げようとしてきたのかな? という査定をした時に、私がやって来た事は、整理したら7つだったのです。一つが、「ベテルは天と地をつなぐ場所です」 という事でした。「どんなに荒地に見えても、どんなに荒野に見えても、ここは天からはしごが降りる場所です。」というのが、 ベテルという名前をいただいた時に、この名前から想像したらそうですよね。だからこの事を、私は一度も忘れた事はなかったのです。 「どんなに辛い時も、どんなにうまく行かない時にも、ここはどんなに荒地に見えても、天からはしごの降りる場所です。」 これはずっと言い続けてきたのです。そして2番目に、「ベテルはこの地で、熱い賛美をもって天を仰ぎ、 絶え間なく賛美をする場所です。」という、やはり賛美の中におられる主の体験をした者として、 賛美がどれ程の力ある信仰告白であり、どれ程の、地上から私たちができる礼拝なのかというものを、すごく体験したので、 この事は完全にはまだ実現していないです。本当に今日も、この素晴らしい賛美の中で、色んな事を体験させてもらいました。 3つ目が、「御心を握って、御国が来るように熱く祈る場所です。」「御国が来ますように、マラナタ主よ!」という、 マラナタの賛美を当時よくして来たのですけど、「御国が来るように。」これが本当に熱く祈られる場所。4つ目が、 「聖徒たちが整えられ」エペソ4章をいただいていますから、その力量にふさわしく奉仕をし、キリストの身体は建て上がります。 子供の声が響きます。老人は敬われています。私たちの教会は、若者で始まって、今全部40代ですけど、 お年寄りがいなかったので、お年寄りが来ても、どうしていいか分からない教会だったので、でも10周年の時に、 私が新しく自分が年寄になって行くから、敬われたいと思わないですけど、居場所が欲しいなと思いました。それで、 子供の声は響いているけど、老人は敬われているという、こういうビジョンを追加しました。そして5個目が、 「ベテルはいたる所で福音を宣べ伝え、失われた魂、特に次世代と関係を結び、その魂に届き、彼らは養われます」 というものです。これも毎週苦闘していて、うまくはいってないのですけれども、でも今沢山の2世代目の子供たちが与えられていて、 この子供たちをどうやって生きた礼拝者、生きた主の弟子にして、養っていくかが、私たちの日々のテーマです。そして6番目が、 「ベテルは主が来られるその日を待ち望み、イスラエルを覚え、主にある生きたネットワークの中で御国の完成を待ち望みます。」 これも、一番最後の、「主にある生きたネットワークの中で御国の完成を待ち望みます」というのを追加したのです。それまでは、 「再臨を待ち望んで、イスラエルを覚えます。祈ります。捧げます。」だったのですね。でもやっぱりこの本質の中で、 ネットワークと言われるものが欠けているな。まあもちろん単立の教会ですし、そして、どこでもいいという訳ではないですから。 でもこの主にある生きたネットワークというものは、ずっと探していました。私は開拓の時に、色んな本を読みました。 もちろんセルチャーチの本、日本の社会の中で勝利して行けるのは、やっぱスモールグループだなと思いましたし。当時、 リック・オーレン牧師の本も一杯出ていました。何しろ明文化された、読めるものが無い以上、どんなに素晴らしいものがあっても、 それを知る手立てがないですよね。当時はパーパス・ドリブンの本に、色んな組織図とか、明文化された、 非常に伝達可能な真理というものを沢山学ぶ事ができたのですね。一杯失敗はしましたが、取りあえず、 この弟子を育てるという事が、最初から今日まで、私の中で本当に格闘して来た事なのですね。 


 そんな中で2000年に、世界中のセルチャーチの牧師達が300名以上集まって、三日三晩夜を徹しながら、 「教会の本質って何だろう?」という、教会の本質を抽出した時代がありまして。5年ぐらい前に、この「本質」 という言葉に出会って、本当に本質が、全ての教会にはありますが、本質という言葉による共通言語というものをもらった事によって、 私はやっぱり教会が本質的な教会であって欲しいと思っており、そしてこの本質を握れば、信徒はやっぱり弟子になり、 自立して行くのだという事を教えられました。それはもちろんコングレスに来た時も、同じ事を言っていると思いました。 まず関係でした。だったのですね。人間関係に向き合うという事と、それから2番目が、「万民祭司」ですね。 やっぱり私たちは日常生活に於いて、神の為に生きる祭司なのだという、そして3番目が、「弟子化」だったのです。 クリスチャンでなくて、弟子。だから今、私はもうこの5年間、「イエス様を信じたらキリストの弟子です」と、 言っているのです。そしたら牧師たちが、「先生は弟子ですか?」とか聞くのですね。私は、「弟子です」って言うのですね。 「何が弟子の条件ですか?」と言うので、「イエス様を信じたら、弟子でしょ!」って、「弟子にならなかったら何になるの?」 って言う感じで。私たちの教会ではとりあえず皆が、「弟子です!」って言うのですね。弟子の育成、牧師依存でなくイエス中心。 そして5つ目が、伝道と増殖。一人一人が自立して、一人一人が教会として出て行くのです。これはコングレスの学びと全く同じですよね。 一人一人が祝福の器として、出て行く教会なのだと決めた時に、本当に良い物が流れるようになりました。6つ目が「ネットワーク」 だったのですね。これが私たちの教会で本当に弱かった部分です。でも私たちはキリストの教会の部分に過ぎない。 互いに与え合う事ができるというこの本質は、私がずっと求めてきました。「1チャーチ、1ボディー」 というのが私たちのスローガンなのですけども、キリストの大きな身体の、日本の教会は一部分に過ぎないし、 地方教会の私たちは、更に見えないぐらいの、点にもならない一部分に過ぎないです。やはりウッドロフ先生がおっしゃる、 一つとして見て下さるという事は、夢の様だと思います。私たちの力量に従って、与えられたものに従って、 私たちが忠実に使命を果たすならば、そうする事ができる訳です。でもどの教会も、生きた主にあるネットワークを必要としていると思いました。 7番目が、「適応可能な構造」という言葉なのですけれども、これは日本の教会が、モデルを導入して真似をして行き、疲れて駄目になって行くと、 こういう事を繰り返しています。でも私たちは、聖霊が働き安い教会にするのだという、7つ目の「適応可能な構造」という共通言語を持って、 私は最近の7年間というのは、この本質を受肉化したいと思って格闘して来たのです。これは本当に日々の戦いだったのです、 でもその中で私の中にも、大きな二つの疑問がありました。一つは、ゴール設定なのです。「ゴールはどこなのか?」 というゴールの設定。それからもう一つが、皆一つになろうとするのです。もう一つである事はどこに行っても言われるし、 でもどうしたら一つになれるのか?その事を私はこのコングレスに繋がって2年間で、それを得る事ができました。 その事を3つに分けて、少し分かち合って行きます。


 一つ目が、「ゴールを見据えた内面の建て上げ」という事です。この事を、これ程堂々と、大胆に宣言し、 チャレンジされたネットワークは多分無いと思います。2年間ずっと聞いて来たのは、「聖さ」ですよね。「夫婦関係」です。 「家族関係」です。教会が今迄避けてきた事です。個人的な事として。立ち入らないで欲しいとして。 でもこれ程に語りかけられたのは、ものすごいチャレンジでした。実際どの教会も、どのクリスチャンも、 「神様、今何を語りかけておられるのですか?」と、耳を傾けて、応答して。私たちも正確に動きたいです。でもそうする事は、 決してたやすい事ではないのです。私は使徒という初めての言葉。五役者という言葉。この中で、誰をもって使徒とするのか? という疑問は、誰の心にもあったと思うのですけど。私が先程申し上げた、本当に優れた旅ガイド。本当に神様に応答したい。 正確に従いたい。でもどうすればいいのか?それを導いていただけた事にすごく感謝しています。神様が外側、形、 そうではなくて、活動ではなくて、心の奥深い所に主からの知恵を求める者を、そして真実な者を求めておられる。 これはもう1回や2回じゃないです。ずっと2年間、くり返し、くり返し、その事を聞いてきました。


私たち熊本の人間は、同時期に熊本震災に会っているのですね。もうそれはそれは1年、まあ10か月ぐらい経ちましたけれども、 その体験は、体験した人にしか分からないです。1日目に家がすごく揺れて、食器が落ちて、「これで済んで良かった。」 そして2日目に、もっと大きな地震が来て、もう家は潰れると思いました。人はこうして圧死して死ぬのだなというぐらい、 家も揺れて、家宝もこっぱみじんに割れて、もう家の中は瓦礫の山でした。どんな高価な物も割れてしまうと、 それは本当に塵あくたに過ぎない物だったのですね。震災の後、何千回という余震が続きました。 終りに向って加速しておられる主の御計画を思いました。そして、「あなたの足の靴を脱げ!」と、 おっしゃる御声に耳を傾けました。ほとんど同時期に、この学びが入って来て、そして、枯れた骨にも聖霊が命じるならば、 生きた者になって歩き出す。神にしかできない。このメッセージが一番に、私の頭に蘇って来ました。「これは本当だ!」と。 そして希望はもう神にしかない!「これは主の戦いなのだ、自我を下せ。あなたが何者か!」と。続けて起こる余震の中で、 主の語りかけをずっと聞き続けた日々でした。  コングレスの学びの中で、「氷山の原則」がありました。実は私は医療業界なので、リスクマネージメントをする時に、 氷山の図というのは、ずっと使っているのですね。重大な事故が起こるその水面下には、319ぐらいのヒアリハット、 小さな凡ミスがあるのだという。これをいつも使って、大きな医療事故が起きないように度々スタッフに説明をします。 氷山の原則を見た時、水面下の90%、ここに初めてすごく注目しました。上の10%の形、見える物、ここにはすごい関心が行きますけど、 でもこの水面下の90%、主への御思い、主の御心、そして主に仕える事の喜びで満ち満ちている霊的な部分。 これはいまだに私の心に響いています。


あの従事セミナーでウッドロフ先生が、この500年の教会史を語って下さいました。教会の旅路というのは、 ローマ時代の暗黒時代から、去年、一昨年セミナーが持たれた、マルチンルターの95箇条問題から、聖書の権威、信仰義人、 そして万民祭司という、この3本の柱を中心に始まった宗教改革に皆が注目しました。でもこの500年、 この事が一体進んだのか?というと、固くなってきたような部分もあります。当時ルターは異端として破門されました。 でも実際はこの宗教改革というのは、このヨーロッパ中に瞬く間に広がりました。そして実際はこの近代の扉を開けてしまったのです。 これがなければ、私たちは今どんな世界に住んでいたかなと思います。それは教会だけでなく、制度だけでなく、教育に及び、 色んな近代の扉を広げて行きました。30年ぶりに、去年の夏にローマを訪問し、30年前から何にも変わっていない、 息を飲む様な教会建築、煌びやかな装飾品、絵画の数々、そして豪華な司祭服。それは単に歴史的な遺産に過ぎなかった。 宗教熱心を駆り立てる時には、必ず内側は、空虚さと腐敗が現れています。この500年、教会は旅を続けて来て、確かに未熟だった教会も、 本当に成長して来たと思います。聖公会は、ルーテル、バプテスト、ホーリネスと言われる時に、近代の扉が開いて、 教会の歴史が始まった時のトップバッターを切っていますが、祈祷書も、命があれば。本当にその制度も、色んな事も、 素晴らしいです、命があれば。本来はその命が流れる為に形が造りだされてきたものだったのです。でも残念ながら1900年代、 ペンテコステ運動が始まった時に、私の親戚も私も、すごく異端的だと思いました。又、異言の回復、又、後の雨運動、一回一回、 これはどういう事なのだろう?それを解き明かしてくれる人も、何も無くて、すごく右往左往して来たような気がします。でも今、 使徒的改革の時代になって、使徒の回復へと、神様は確実に導いておられます。教会の旅の中で、 この五役者の回復のピークだと思います。終りの時代に、神様が何の手立てもせずに、この終わりの時代を導かれるはずはないです。 そして私が開拓した時にいただいた牧師画ではなくて、この五役者がそれぞれの使命と役割を通して、 この事をしてくれるのだという事を私はつくづくと思いました。今教えは本当に分断しています。じゃあ今がどんな時なのか、 今の季節を知らなければいけないと思います。ウッドロフ先生から2年前、この教会史を聞いた時はピンと来なかったのですが、 昨年久松先生が福岡に来て下さって、セミナーをして下さった時に、「ああ合点!」と言うか、この事が必要な理由が分かったのです。 やっぱり教会の歴史を見た時に、中心人物で波紋されたり、排斥されたり、退けられているのです。 確実に教会は神様の動きの中にあったのです。そして、本当にこのイエス様が2000年前にこの地に来られた時に、 「イエス様―!」と、言いますけど、側にいたらもしかしたら私、隠れたかも知れません。だって、「曲がった者を真っ直ぐにする」 という、あの、「足の靴を脱げ!」って、言われるだろうと思うので、ちょっと逃げたかも知れない。でも、 イエス様はすごい革命家です。当時の宗教システムを全部真っ直ぐにされました。そしてパリサイ人、 律法学者に対して糾弾をされました。イエス様が一番嫌われたのが、形、外側、「白く塗られた墓だ!」と言われました。 イエス様が一番嫌われたものを思うと、イエス様が一番嫌うものを嫌えばいいのだな。そしてイエス様は何をされたのか、 弟子を呼びました。そして身近に置きました。そして訓練して、権威を授けて、派遣されたのです。イエス様はもちろん救い主です。 「世の罪を取り除く神の子羊」ですよ。でも3年半のイエス様のメインの働きは、教会を建てる。 その為に弟子たちをリーダーシップチームとして立て上げて、発展させた事です。このイエス様の建て上げの方法というのは、 今日も同じだと思います。これは昨年度、ディビー先生の2ディズバイブルで、私はすごく励まされました。 やって来た事は本当に間違えじゃなかったのだと。本当にイエス様が、3年半の全てを投入された様に、私たちも、 やはりこのリーダーシップチーム、核を育てて、その上で自由に、十二分に旋回できるようにしなければならないのだと思います。 私たちのクリスチャン人生というのは、一言で言うなら、寄留者です、旅人です。でもゴールは神様が準備して下さった、 天の更に優れた故郷なのだということ。皆さんこの故郷に戻った時に、 あのアブラハム・イサク・ヤコブ・ヨセフ・モーセ・ダビデ・ダニエル・サムエル、信仰のヒーローたちに会える事は、 本当に楽しみです。もう数々の旧約の信仰の勇士たちは、イエス様が受肉される前に死んだので、約束のものを受ける事はできませんでした。 約束を握っただけで。でも、イエス様の誕生すら見る事のできなかった彼らですけども、この時代に置かれた私たちは、 本当にこの彼らの信仰の旅路を全うする時代だと思うと、本当に心からわくわくします。 そしてそのわくわく感をもって走り切る事ができると思っています。GGPEという大きな祈りのイベントがあったのですけども、 私にとっては全くついて行けなかった集会だったのです。でも2年経って、徐々に分かってきたのは、私たちの立ち位置が、 実態をもって変化しているのだという事を受け取りました。コロサイ人への手紙1章13節に 「神はわたしたちを暗闇の圧制から救い出して愛する御子の支配の中に移して下さった。」とあります。 御言葉はもちろんよく知っています。でもこの事はもちろんビジョンです。でもその事がどうやってなるの?という。 それが私たちの悩みです。でもGGPEで、考えられない祈りの集会でした。私はその時は本当について行けなかったし、 何も分からなかったのです、でも2年間、この学びをしながら、本当に私たちの立ち位置は確実に実態をもって変化していると思います。 終りに加速する時に、神様がこの御言葉をリアルに私たちに受肉させないはずはないです!だって最後の時代を、 私たちは勝利者として勝ち抜く訳ですから、私たちはキリストにあって満ち満ちています。賛美の中で宣言された事は、 気休めではないです。希望ではないです。今そうなのだという事です。賛美リーダーは、今そうなのだと信じて宣言しているので、 この事が本当に素晴らしいと思います。この信仰は今までの信仰と全く違うのです。でも全然ちがう世界に、 私たちはもう上昇しているのだという事をすごく感じます。「キリストイエスに於いて、共に甦らせ、 共に天の所に座らせて下さった。」祈りのランクが違ってきました。私たちもずっと祈り会をしてきましたけど、今は、 「わたしたちはキリストと共に甦り、共に天の所に座らせて下さった。」その天から地上に向って祈りを宣言しますという事を励ましています。 そして教会のゴールは、聖書66巻を貫く、御国の完成です。御国の完成という事を意識して、聖書66巻を読み始めると、 これは創世記から黙示録までこの事が軸だったのだなという事が良く分かります。これを見落としていたのですね。御国とか、 再臨とか言いますけども、この完成は、本当に聖書を貫く軸ですよね。もちろんイエスキリストがその軸であり、そして何よりも、 神様御自身の側に、その理由があるのですよね。神様は契約をイスラエルに与え、霊のイスラエルである私たちにもその契約が適応されているのですね。 この3つの軸というのは、本当にすごく大切な聖書の読み方だと思います。今言ったのが、1番目の「内側の聖めと建て上げ。」そして2番目が 「新しい皮袋になる。」という事、全ての人はイエスキリストを必要としています。救いを必要としています。希望を必要としています。 命を必要としています。でも沢山の問題が起きているから、注意深く慎重に行動しなさいと学んでいるのです。その学びをしながら、 私は18年前に、単身で開拓した開拓者なのです。だから私はすごい自負があったのです。私は新しい皮袋ですという。 私は聖公会で生まれて育ちましたけれども、この18年の間、色んな変革を遂げて、そして色んな真理を回復して、 私は新しい皮袋です。でも、そこで教えられたのは、この変化の本質についてだったのです。新しい布切れを、 古い着物には継がない。新しい酒は、古い皮袋には入れない。これが変化の本質だったのですね。弟子たちは主から呼ばれたら、 それまでの事は全部捨てて、主に従ったのですね。そしてパウロは膨大な遺産を持っていた人でしたけれども、 イエスキリストを知った事の素晴らしさ故に、全てを損だと査定したのです。これが新しい皮袋なのですね。 「私は開拓しました。私は新しい皮袋です。」ではないのですね。その事をすごく教えられました。古い皮袋のまま、 新しい酒を注いでいただく事はできない。これはやっぱり、1回1回、取扱いが必要です。コングレスの学びで、 私の中で沢山の取り扱いがありました。私は私の主であるイエスキリストを知っているが故に、今までの全てを損だと、 一切の事を損だと思えるのかどうか。私にとっても1回1回が取扱いだったのですが、でももし私が、 その取扱いのプレッシャーの中で、たじろいだら、聞く事ができない。たじろいだら、見る事ができない。 でもそれを止めた瞬間、私は古い皮袋なのだなという事を示されました。私は古い皮袋だけにはなりたくないです。 やっぱりいつも新鮮な神様のお酒をいただき。これはもう毎日毎日がチャレンジなのだという事を思いました。 私はこの取扱いを受けている事を喜びました。本当にこの年になって、こういう新しい取扱いを日々受けて行けるというのは、 本当に神様の大きな恵みです。


 弟子たちは主が昇天して、120人が集まって、心を合わせて一つになって祈ったと書いてあります。五旬節の時もそうでした。 一つになって集まって祈った時に、天から聖霊が注がれて、3000人が弟子に加えられたのです。集まって、 心を合わせて一つになって祈るというのは、新しい皮袋です。そしてその新しい皮袋に、新しい酒が注がれるのです。 私は今年も、やっぱり祈りです!本当にこの御言葉と祈り。私が今導いている小さなスモールグループがありますが、 そこでお婆さんもいるし、若い子育て中のママもいます。「とりあえず66巻、今年読むように。1回だけではなくて、 2回読んでもいいよ」と。スモールグループだったらできますよね。考えないで読む事です、考えていたら読めなくなりますから。 とにかく食べる事です。この御言葉と祈り。御言葉から来るインスピレーションをもらって、とにかく祈るんだと。 どこにいても祈る為に、私はこの霊の呼吸というものを、すごく研究しました。何処にあっても祈れるように。 腹から祈れるように、腹落ちするように御言葉を食べれるように、とりあえず準備運動、霊の呼吸と言って、 腹式呼吸を皆でやっています。3つ目が、聖霊に聞き従うということです。皆さん聖書を読んでいて、 わくわくする場面があるでしょう。私は聖書を読んでいて、わくわくする部分が沢山あります。それは共通事項があって、 やっぱり主の臨在とか、ソロモンが新しい神殿を捧げた時に捧げた賛美と祈りがありますが、私はあれを読むと、 すごくわくわくしてきます。本当にこの一人の人の様に賛美を捧げ、ソロモンの祈りと会衆の心が一つになって神様の前に行く、 とてもわくわくします。出エジプト記で、神様の雲が動く時に、彼らは一人の人の様に幕屋を部族ごとにたたんで、 部族ごとに移動しています。しかし、一つの部隊なのです!12部族がいますが、まるで一人の人の様です。 ギデオンは300人の勇士と一人の人の様に戦っています。そしてそれは何十万の敵に打ち勝っているのです。 又、ネヘミヤ記、エズラ記を見ると、悔い改めと御言葉の回復がある時に、彼らは一斉に一人の人の様になっています。 エズラの所に来て、「あなたがこれをして下さい。」皆が一つの心で、一人の人の様に、エズラの宗教改革をサポートします。 そして詩篇133篇を読むと、「天の油は、アロンの頭からひげ、衣の裾にまで流れ滴る様子が、ヘルモンの露の様だ」 と書いてあります。でもその次に、その詩編は続けて、「主はそこに、永久の命の祝福を命じられた。」 これがやはり使徒的命に係わった者の永久の命の恵みだなと思います。主はゲッセネマの園に出向かれる直前の祈りをされました。 「私の父よ、あなたと一つであるように、彼らと本当に一つ、また彼らも一つであるように。」これは本当に主の切なる祈りだったのです。 本当に一つになる。地方教会レベルから、全世界の教会が、ユダヤ人も異邦人も一つになって、ご自身を現す事を切に切に神御自身が願っておられます。 1つになる為にどのように建て上げますか?


 熊本は今、震災で倒れてしまった家屋の再建というものができずにうめいています。でも、見ててもそんなに辛くないです。霊の家を建て上げる事です。 霊の資源で、霊の家を建て上げる事。もう間もなく主は来られる訳ですから、私たちは本当に大いなるキリストの力を信じて、 大いなる力を天より受けて行きたい。この方はもう全宇宙を満たす事のできる、満ち満ちた御方です。この世は、 「同盟を結ぼう!」って、誘惑して来るのですけれども、そういう世の方法ではなくて、私たちは真っ直ぐ、賛美の中で、 祈りの中で、御言葉の中で、主の資源を受けて行きたい。そして本当にこの使徒的恵みの中で、この優秀な旅ガイドに出会って、 豊かな旅路を全うさせて下さる事に心から感謝したいと思います。共に祈り合って、助け合って行きましょう。そして主が、 この日本の教会を一つとして見て下さるように日々祈っています。パウロが言ったように、「私を見習って下さい!」 そういう時に、人はやっぱり変革を遂げて行きます。神様が地上の国々を揺り動かして行くと暗闇が覆うと言われました。 本当にそうだと思います。でもその時に唯一の望みと、唯一の安全な場所、守りの場所は、暗闇の中で起き上がって輝く教会です。 ろうそくは、斜めに立てると、すすしか出ないのです。でもろうそくは、真っ直ぐ立てると、きれいな火を醸し出す事ができる様に、 真っ直ぐに主の御心に立ち上がって輝く教会になって行きましょう。私は預言セミナーで、「箱舟を建てなさい!」と、 言われた意味が、2年経ってやっと分かるようになってきました。今3つの事を申し上げたのですけど、 神様が定めたリーダーシップが、強く立て上げられて行く事、そしてこの時代と位置合わせの中で、 御国の完成を見て新しい皮袋となり。聖霊に聞き従う中で、一つとされて行きたいと思います。神様は雲を動かしておられます。 神の動かされる雲の下に、私たちも応答して動かなければ、新鮮なマナをいただく事はできない。「耳のある者は聞きなさい」 と、2年前語られましたけれども。今、出エジプトの時に、モーセと民と共にいて下さった主が、この時代私たちと共にいて下さる事を強く感じ、 飛行機の最終パターン、アプローチパターンに入り、いかなる外的環境にも影響を受けない、自動ロック状態です。ある意味楽です。 もう自動ロックされて、真っ直ぐ私たちがこの世の教えの風に動かされる事がないように、 はしごは天から地上に向って降りて来ています。天の資源、神のアイデア、神の能力、神の熱意、パッション、神の気力。 私の気力ではなくて、神様の気力を引き出す為に、私に何が必要かな?日々、そういう事を思っています。学びの中で、 私も教会も、主からの問いかけを聞きました。「私はあなたを信頼できるか?」というものでした。私も「ハイ!」と、 答えました。それ以外の答えは無いのです。3つの事を分かち合いましたが、これがコングレスに出会って、2年間、 私が本当にゴールについて、そして本当に私の疑問に対して、コングレスを通して与えてもらった導きでした。