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今月の礼拝メッセージ

「クライスト・チャーチの立ち位置と信仰姿勢」

2018年02月         ●木村 由智主任牧師●




今年はこのテーマとこの御言葉によって、このクライストチャーチは進んで行きます。 ヨハネによる福音書15章9節「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。」 これは非常に大切ですね。この御言葉は愛媛のジーザスホームの御言葉でもあります。「わたしの愛のうちにいなさい。」 まず神様が私たちを愛して下さった訳ですね。そして私たちはその愛によって、罪の許しと救いが完成した訳です。 そこに留まっていなければなりません。でも世はいつも私たちをその愛の内から出そうとする、そういう傾向があります。 この愛の内に留まるというのは、じっとして、あったかく感じるという感覚ではないですね。この愛の内にいるという事は、 神様の愛によって加速して行くという事です。そういう意識をしっかり持ちましょう。ただ単に肉や感覚的なものが、 ゆったりするというものではないです。その愛が私たちの中で、活性化して、炸裂して行かなければならないです。 その愛によって押し流されて、私たちは非常に神様の速度に合わしたスピードで、この地上の中を歩んで行くのです。



 この聖域・集合という段階がある前に、私たちは代理・従事・侵略ということを学んできました。それは戦略的な三本の柱です。 それらの柱の事を「成就の領域」と言われたのです。これらの事が成就して行く領域が、集合と収穫と最終化だという風に言われている訳です。 その一つ目である集合、特に今年は聖域・集合という事で、私たちはそれを目指している訳ですが、 もう一度簡単に集合ということを一つの言葉で表すと、それはキリストの身体の完成です。集められて来るという事は、 キリストの身体が集合して神様の満ち満ちた、神様が持っておられる数に到達した時に、それは完成するという事です。 ですからこの代理・従事・侵略という3本の柱を通して、それが固く立ち上がった事によって、集合が成就して行っているという事なのです。 でもその集合を成就させる為に、私たち自身が聖域になるという事の意識を我々は持ちましょう。集合は人が集まって来る。 何もしなくても、選ばれている人は集まって来るのだ。だから伝道しなくてもいい。いいえ、 私たちにはどの人が救われるか救われないか分からない訳ですから、徹底して私たちは福音を伝えて行かなければなりません。 それが聖域の務めです。その結果、集合が目に見える形で現されてくる訳です。ですから皆さんは、 そういう意識を持っておられますか?岡山では兄弟姉妹がそういう意識を持って下さるようになって、 自分のカバンには必ずトラクトを入れているという意識が付いてきました。皆さん今日も持っておられますか? 本当にそれは大事な事ですよ。いつでも御自分の愛している神様をお証しするという事は、これはキリスト者にとっては当然の事です。 それはあなたの身分を明らかにするようなものです。ですから小さい子供であれ、年をめされた方であれ、いつもそれを持って、 ただ渡して、「来て下さい!」という事を言えばいいのです。あなたが信仰に導くというのを、 あなたが無理矢理何かさせるという事ではなくて、あなたの務めは、神様の事を、トラクトを通してお伝えするという事です。 私たちはそれを、本当に意識して行かなければなりません。神様は必ず私たちの身体を成長させて下さるという意識を持たなければなりません。 ただ単に伝道して人を増やすという考え方ではなくて、キリストの身体を完成させる為に、身体の中に人々を招く為に、 「私はこの地上で聖域となります!」という意識が皆さんに必要なのです。 キリストの身体の完成は命の書に書き記されている全ての者たちの事であり、キリストの身体を愛する事です。 神様を愛しますという事は、神様が創られた身体を愛しますという事です。私たちの意識はいつも身体を愛することです。 「私を哀れんで下さい。私を癒して下さい。」もうあなたは豊かで、癒され、あなたは神の命で満ち満ちています。 ですからもう、自分は駄目だ、能力が無い、自分は足りない、それは言う必要がない。それは実際的にそうであったと感じても、 私たちはキリストによって、それらのものは葬り去られたという信仰に、いつもあなたが立ち続けて行かなければなりません。 そうしなければあなたは聖域として固く立つ事はできません。 聖書の中で、「全き人となって、キリストの満ち満ちた徳の高さに至りなさい」というふうに勧めています。 私たちはそれを目指しています。自分たちの立ち位置が上がって行っている。それはこの世の立場の立ち位置が上がるという事で、 結果的にはそう成って行く人たちも、この中にはいるでしょう。でもこの世の立ち位置、この世の立場が低い立場であっても、 霊の領域に於いて、キリストの身体として、あなたは高い位置にいつもいるという意識がなければなりません。その意識の欠如が、 あなたの中の肉の性質と絡み合って、不信仰な言葉や、不信感や、神の側に付かないような考えや言動が出て来る訳です。 それは捨てなければなりません。だから長老がいつも私たちに勧めて下さるのは、「損を算出しなさい」と。そして、 「ここにいても死ぬだけだ、立ち上がって進んで行きなさい」という風に我々に勧めをされるのは、そういうことです。 我々が肉の自分の弱さを見れば、それはそのままです。でもそこから立ち上がって、私たちは進んで行くならば、 神様の霊の中で、神様の加速の中で、神様に似た者に私たちは変えられて行く訳です。あなたが立ち上がらないといけない。 あなたが自分を変えなければならない。


 そしてもう一つは、我々が外に目を向ける時が来ているという事です。聖域、集合、というのは、我々が外に目を向ける時だという事です。 私たちが外の人に向って、神が創られた人々の所に、私たちが目を向けるという事です。あなたの関心はそこにありますか? それとも自分の事にしか関心が無いですか?もう一度私たちは、私たちのキリストの身体の叫びの二つの方向性を確認しましょう。 これが私たちの叫びです。私たちがこの聖域・集合として、この二つの方向性を皆さんが確認しなければなりません。一つは、 『既に神の国の内にいるが、誤った宗教的システム内に捕らわれている者たちへの深い愛、これが要る訳です。』 既に教会という場所にはいるけれども、神様のその正しい資源が流れていない教会に対して、 私たちはそれを到達するように叫ばなければいけないということです。そして神が働いて下さって、 そこにその流れを作って下さるという事を、私たちは信じなければなりません。「私には牧師先生の知り合いがいない」とか、 「教会に知っている人がいない」とか、そういうレベルの話ではなくて、あなたが神様に向って叫びを上げるという事が大事なのです。 そしてもう一つは、『主に来て仕える為に解放される必要があるバビロンのシステムの中に捕らわれている人々の上に焦点を置く。』 それはこの世の人たちです。だから私たちは身体を愛するという事と、そして外に目を向けるという事と、 両方して行かなければならないのです。外に向って行かなければならないのです。あなたの知っている人に、 神の国の事を伝えるという事です。拒絶されようが、あなたが伝えたら、それでいいのです。 「でも、言っても信じてくれないから。」信じてくれるか信じてくれないかはその人の問題です。あなたがするべき事は、 あなたが伝えるという事です。これだったら誰でもできるはずです。私たちはそれをして行かなければなりません。 そして教会というシステムの中にいながら、誤った宗教システムの中に捕らわれている者たちへの深い愛を私たちは持たなければなりません。 関心を持っていますか?自分たちが受けた恵みは、恵みを流し出す為です。私たちはそれを外に流し出して行かなければならない。 皆さんの意識がいつも外に向っていなければならないですよ。皆さんの考え方が、 どの様にして人々を戦略的に神の国の中に入れるかという事に対する飢え渇きがなければならないです。


合流の平原を皆さん覚えていらっしゃいますか?あの時の神様とのやり取りの一部に於いて、 「バビロンのシステムの暗闇に捕らわれている人たちが解放されて、御国の生活の満ちた栄光と力の中に入るように私たちは叫びます!」 ということが合流の平原の中で成就したのです。だから皆さんの中に、いつも外側の人たちに対する乾いた思いが無ければならないのですね。 それを持って下さい。今年私たちはそれを求めて行きたいです。ウッドロフ先生が、ランハード、5年間懸命に走りなさい。 今年の6月で、1年が過ぎる訳です。後4年残っている訳ですね。私は本当にこの4年の間に、私たちの共同体から、 次の新しい共同体を生み出す為の力を付ける、その時間をつくりたいと思うのです。明日、あさって生まれるものではないです。 それは私たちが、「外に向って行く!」という意識が皆さんの中に、「私は聖域となる!」 という意識が皆さんの中に浸透して行く時に、私たちは新しいものを生み出す力が備わって来ると信じます。 この4年の間に私たちは、その一つの身体を生み出したいという願いがあります。 この2年間で私たちは生み出すための力を付けて行きたいと思います。それは兄弟姉妹、皆さんの信仰が必要です。 私たちはそういう共同体として進んで行きたい。聖域・集合という事を考える時に、私たちの中にはいつも、 自分でこうやりたいという思いや考えを捨てて、神様が我々に望んでおられる事に対して、「私は本当に、 精神誠意答えて行きます!」という姿勢がなければなりません。あなたが気に入ったから仕事をする、 動くという領域は捨てて下さい。あなたの感情が納得する、あなたの知性で分かる、だから私はします。 という領域は置きましょう。「神が言われているならば、私の知性では理解できない、私の経験値で計る事はできない。 私の持っているもので理解する事ができないけれども、私はその言われている事をやります」という信仰が必要です。 それが聖域です。皆さんそういう信仰を持ちましょう。いや既に持っているのです私たちは。それを活性化しましょう。 聖域としてあなたが活性化して下さい。もうあなたは自分自身の弱さに悩む必要はありません。悩むのだったら、 そこから立ち上がって動いてみて下さい。それは決して問題ではありません。 ただあなたを煩わせていたものだけだということにあなたは気付くでしょう。 私たちはキリストの身体である兄弟たちを開放させなければなりません。 そしてGGPEに於いて私たちはバビロンの構造を揺さぶる力強い政治的祈りを神様の前に昇らせましたね。 そして風穴が開いて、そしてそこから急上昇して神様の霊が一気に加速して、神様の元に今向っている訳です。 その開けられたドアを決して私たちは閉めてはならないのです。


GGPEはドアですという表現をします。それは神の領域の中に入って行くドアです。そのドアは2度と閉める事をしません。 私たちはそのドアから入って、そこから入る事によって、神様の加速と急上昇によって私たちは導かれて行くのです。 ドアに入らなければなりません。それを妨げるのはあなた自身の考え方です。あなた自身の心です。 それを皆さんしっかり取り扱って下さい。「もう私はそれを持ちません。」「私はこの様な考えを持ちません。」 という思いや考え方が来た時に、「私はこれを拒否します。」「このバビロンの考え方を私は呪います。」 それぐらいの表現を使って、あなたがそれに対して対峙しなければ、本当にそこの領域に行く事は難しいと思います。 もし私たちが伝えるならば、神様の霊は働いて下さいます。「何で神様は働いて下さらないのだろうか?」というふうに、 もし考えている人がいるならば、あなたは行動してみて下さい。あなたが行動した時に、そこに神の霊は働かれます。大丈夫です。 だから行動して下さい。立ち上がって動いて、進んで下さい。必ず神の霊はそこであなたに働いて下さいます。「愛の内に留まる」 私たちがこの聖域として、集合として行く時に、まず皆さんがこの愛の内に留まっていなかったら、 人々を留まらせるという事は難しいです。この愛を皆さんが充分に理解していないのに、 あなた自身がこの愛の内にいるという素晴らしさを体験していなければ、それは力強さを増す事はできないのです。 皆さんこの愛が素晴らしい愛だということを御存知ですか?あなたが神様を愛したのではないでしょう。 あなたはどれだけ身勝手な事をしていたのですか?神様なんて全然気にもしない生き方をしていた。 でも神様はそのあなたに気を留められて、あなたの為に命を懸けられた訳です。あなたがどれだけ好き放題して、 神様の知識もない、聞いた事もない、そのあなたの為に神様は御自分の命を捧げて下さった訳です。 それだけのものを皆さんがこの地上で受けた事がありますか?この神様の愛だけが、それを私たちにもたらしたのです。 そこに私たちがしっかりいるという事は、この愛は自ら私たちに犠牲をうながしてくれるのです。そして働くという事の喜びを、 私たちに与えてくれるのです。しんどいですよね動いたら。でも私たちはこの愛の中にいるという事は、 私たちの霊と愛が活性化されて、外に向かわせて下さいます。私たちは今年、外に向かわなければなりません。この4年間、 皆さん懸命に走らなければなりません。そして私たちがこのランハードが終わった時に、 本当に新しい一つの群れが起こされていなければなりません。どこかまだはっきりは分かりません。 でも産み出すという事これは神の御心です。皆さんの中に産み出したいという思いがありますか?あなたの中に、 「神様、私はこのクライストチャーチに新しい群れが起こされるという事を私のアイデンティティーとして、 それを受け取ります!」ということを皆さん言って下さい。私たちは産み出すのです。倉敷、岡山、愛媛、 こうやって産み出されて来ました。更に産み出して行かなければなりません。産み出す為の力を私たちは備えなければなりません。 それは聖域なのです。だから皆さん喜んで、「私は神様あなたの為に犠牲します。キリストの身体の為に犠牲します!」 という心を持って下さい。「私はその為に働きます!」という心を持って下さい。それは本当に大事です。


この愛は、「感情によってではなく、啓示によって応答しなさい。」という風にウッドロフ先生は我々に言っておられます。 イエス様がペテロに、あなたは私を誰と言うか、「あなたこそ生ける神の子キリストです」と言った時、 「それは聖霊によって示されたのだ」と、イエス様が言われたように、私たちは感情で、「愛されて感謝します。ウゥー!」 と言う領域ではないですよ。これは神様によって開かれなければならない。「神様、あなたの愛が私の霊の中で開かれて、 炸裂して、私がこの愛を本当に流し出して行きます!」という事をあなたが求めて行かなければ、 それは啓示の領域として私たちは応答する事はできません。皆さんそういった事を求めていますか?どんな事を求めていますか? 私たちが本当に神様の言っている真理に生きたければ、神様が言われている事を取り組んで行かなければならない。 「この事を私に啓示して下さい。私はそれによって霊の領域であなたに応答したいです!」ということが、 我々の中に飢え乾きとしてなければなりません。私が今年1年、皆さんに願う事は、本当に飢え渇きを持って欲しいのです。 「私は聖域になりたい!」という飢え渇きを持って欲しいのです。啓示によって応答するということは、 見えていない事柄を見せてもらわないといけないのです。だからこれは私たちの共同体の中で徹底されているのです。 先生がよく、「戒めなさい。」という風に言われたり、久松先生、ひろ子先生が「こうですよ。」と言われた時に、 皆さんどうですか?それは自分が見えていない領域の事を言われた時に、あなたの肉はすぐに反応するでしょう。 「でもね、こうでしょう」と。違うのです、あなたの考えを置いて、「こうして下さい。」と、言われる時、 あなたは自分の価値観に死んで、「はい。」と、言えるならば、あなたは、その先生たちが言っている、 神の領域が見えるということなのです。皆さんは自分自身で見えなくしてしまっている部分があるのではないですか? それは自分自身もそうでした。言っている事が分からない。分かったら返事をする。子供もそういう時がありますよね、 納得したら動く。いいえ、私たちの感情や感覚や経験や知識や、納得していなくても、神がそれを私たちに促されたならば、 私たちはそれを受け取らなければならない。それをした時に、あなたには霊の領域が開けて見えるのです。 それを見たいという風に皆さんは飢え渇きがありますか?だったら、自分の価値観を捨てて聞くという事に、 本当に注意を払って欲しいです。神が言われた事をする時に、私の知識や知性や経験が、決してそこに入らないように。 ウッドロフ先生がこういう風に言いましたよ。「あなたのお粗末な知識の中に、神様の神聖な真理を入れるな!」 その通りです。皆さんの持っている知識や経験はお粗末でしょう。なのに、そこに神様の神聖な膨大な量の知性を入れようとして、 分からないからあわてふためいて、文句ばっかり言って、裁いて。こんな事を共同体の中にしていて、 どうやって我々が聖域ですと言えるのですか。それを止めなければならないですよ。「私はそれを止めます!」 ということを決心して下さい。そして、「神が言われる事に、私はいつも感心と注意を払います!」という姿勢を取って下さい。 自分をいつも変えて行かなければならない。語られた事に対して、「はい!」と、言っていく事が一番大事な事です。 それはあなたの意にそぐわない事かも知れない。あなたの価値観で見たら、それはおかしいと思う事かも知れない。 でも神はあなたを試しておられます。神に従うか従わないか、私たちは神に従う民ですね。神様に従って行きましょう。 大切な事です。


だから聖書は、「聞く耳のある者は聞きなさい。」と言うのです。自分の価値観で固まっていたら、情報は聞くけれども、 それを心に入れたいとは思わないでしょ。だから心に入れるという思いを持って下さい。もう神様好きなようにして下さい。 準備はできました。本当に準備はできているのですか?正しく正確に聞いて下さい。あなたの感情や私情を挟まないで下さい。 神様が言われているということを受け止めて下さい。自分の枠で考えたら、それはとてもじゃないけど、おさまりきれない量でしょう。 神様の霊の加速は、今それを我々に求めておられます。自分で自分を制限しないで下さい。神様が言われる事に耳を傾けて下さい。 正しく正確に聞いて下さい。感情や私情を絶対に挟まないで、それを置いて、神様が言われるならば、 「御言葉ですから、網をおろしてみましょう。」と、弟子が言って、沢山の魚が釣れた様に、自分の経験値で、 「私は夜通し働いたのですけれどもねえ、まあですけど御言葉ですから」と、網をおろしたら、おびただしい群れがあった。 そういう領域に私たちは生きなければなりません。私の知識や経験では難しい、でも、「神様あなたが言われるなら、 私はそれをします!」という心を皆さん持って下さい。それが聖域の為に重要です。そうしたらあなたは、 人々を受け入れる事ができます。ジーザスホームでひろ子先生はずっと夜中も見回って、寝ているか、 布団をかけてあげたりしています。皆さん私たちがジーザスホームにならなければならないのです。あなたが困っている人の為に、 自分のしたくない事もしなければならないのですよ。自分の肉の感情や感覚や経験や知識で到達している部分で、 これは難しいと思える部分を、神様はあえて私たちに持って来て、「これしなさい。」と、言って下さるのです。その時に、 「はい!」金沢のお寿司屋さんに行った時、注文したら、「ハイ喜んで!」と言って来るのです。 それぐらいの勢いで皆さん神様に言ってくれます?久松先生、ひろ子先生はいつもそれぐらいのレベルでやっておられるのですよ。 我々はそれを受け継ぎました。自分の価値観を捨てて、神様の愛によって、私たちは進んで行きましょう。 ですからあなたが聞かされる事に対して、固まらないで下さい。「ハイ喜んで!」と、言って下さい。 「ハイ喜んで!神様やらせていただきます。」と、そういう心で皆さん今年、行きましょう。もう本当にここが人で一杯になって、 もう仕方ないから教会つくろうかというぐらいのレベルになりましょう。それぐらい、本当に私たちは今年、取り組みたい皆さん。 倉敷礼拝者200名、岡山100名、愛媛10名。それぐらいの力は私たちには充分あるはずです。 なぜならこの神様の国の資源があるからです。コングレスを通して、もっと皆さん流して下さい。犠牲して行きましょう。 捧げて下さい。これが本当に私たちの中にこの1年、正しく皆さんの中に植えられる事を私は宣言します。 そしてそこから皆さんが動いて行くということを私は信じます。なぜならそれが神様の願いだからです。私たちは今年、 本当に大きく飛躍する年に成って行くと信じます。


 「わたしの内に、すなわちわたしの肉の内には善なるものが宿っていない事をわたしは知ってる。 なぜならしようとする意思は自分にあるが、それをする力がないからである。」この通りですね。しかし、 霊の中で私たちは行う力があります。GGPEに於いて戦利品を勝ち取りました。行います。この御言葉を今日私たちは、 あなたは肉には無いけれども、あなたの中にある霊と、あなたの中に与えられている神の資源は、 正しく全ての事を行う力があるのです。それをできなくしていた戦利品は、GGPEであなたが勝ち取ったのです。 「僕はしゃべれない。」いいえあなたはしゃべれます。「僕は恥ずかしがり屋」いいえあなたはあつかましいです。 それぐらいの人間になって行くのです。そして神の国の為にあなたは働いて行くのです。やる事をやったらいいのです。 「来て下さい!」それで来ないと言われても、神様が救うのです。その為にあなたはそこに橋渡しをしなければならないのです。 「教会でこんな事があるから1回来て!」「行かない。」と言われても、それによってあなたが傷ついたり悩んだり、 嘆く必要はないのです。私はやるべき事をしました。後は神様が成して下さいます。皆さん、やるべき事を、 信仰を持ってやって下さい。それが聖域として、本当にあなたを強くして行きます。その結果、「集合」 人々が私たちの所に必ず来ます。聖域として働いて下さい。いつも神様の愛に感謝して下さい。 いつも神様を礼拝する事を忘れないで下さい。神様の御言葉をいつも忘れないで下さい。そして神様を愛するという事は、 身体を愛するという事だと。「神様、私の友人知人に私は手を指し伸ばして行きます!」それを皆さんやって下さい。家族、 友人、知人、無かったら、トラクトを配りに行きましょう。神様は必ず働いて下さるのです。 あなたの感覚で働いているか働いていないかという事を決めないで下さい。反応がなくても神は働いておられます。 だから、打ちひしがれてはなりません。神様の為に働きましょう。そして外に向かいましょう。聖域となって下さい。 そして集合しましょう。身体を完成させて行きましょう。この1年、これを私たちは徹底的に求めて行きます。私が口を開けば、 「聖域になっていますか?」と、言います。皆さんもそういうふうに自分自身にまず、思いから変えて下さい。私は「聖域だ!」 と、言い聞かせて下さい。そして集合として私たちは進んで行きましょう!神様が我々に新しい事を成して下さる事を信じます。 共に私たちは聖域・集合として進んで行きましょう。