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今月の礼拝メッセージ

「礼拝メッセージ」

2017年11月 四国福音キリスト教会 ●河崎 倫子牧師●




  今日私は自己紹介を兼ねて、神様の今日までの恵みと御言葉を、少しお伝えしたいと思います。私は学校の教師になりたいという、 そういう思いを持っていました。そしていよいよ卒業が近付いた時、自分の心の中を見た時、本当に音楽の世界は、聞いたらレベルがすぐ分かるから、 嫉みを持ったり、色々な心の葛藤がありました。こういう自分が本当に先生になる資格があるだろうか?という、そんな思いを持っていた時に、 一級下の方に誘われて、教会に初めて行ったのですね。その当時九州の鹿児島から、まだ戦後の厳しい時ですから、中学校だけを出て、 そしてその教会へ行った時、広島ゴムに努める方が来て賛美をしていたのです。7~8人でしたけれども、その人たちのその姿を見た時に、 「ああ何と聖いんだろう!」そしてその賛美が心から純粋に神様を褒め称えている、その姿を見た時に、「ああ素晴らしいな!」と、 心を打たれたのですね。そしてそれからずっと、その教会に通い始めました。その時、「私が道であり、真理であり、命である。 私によらなければ誰も父の御元に行く事はできない。」この御言葉が来たのですね。

私の家は神道であり、母の実家は熱心な仏教でありました。だから母は自分の子供の宗教教育をどんな風にしたらいいだろうかと思い、 成長の家の話を聞きに一緒に連れて行ってもらっていました。ですから御言葉に接した時に、「ああ、私が求めていたものはこれだ!」 と、「私は道であり、真理であり、命である。」本当にその時に、自分の求めていたものに出会った、その言う事のできない平安というものを感じました。 そして卒業間近になりました時に、もっとこの方を知りたい。中途半端で卒業したくない。ということで、一年間専攻科に残り、 そして次の年の10月の14日が、香川県の教職試験、その前日だったのですね。ちょうどこうした集会で、 真正面に十字架が架けられていました。私の心の中に、神様に従いたいという思いと、いや、せっかく勉強もして来たし、 まあ2~3年務めてみたいという二つの思いがあったのですね。その時にイエス様が、海辺で網をつくろっていた二人の弟子に、 「あなたは私に従って来なさい。すると彼らはすぐに従った。」というその御言葉が取り次がれました。私は正面の十字架を見ながら、 私の心に、「あなたに従いたい。」という心と、「いやー、せめて2~3年務めたいという思いが起こる私ですけども、もしよかったら、 神様使って下さい。」と、思った瞬間、「汝は我に従え!」という、その御言葉が私に臨んで来たのですね。そして家に電報を、 「試験受けぬ、後不見。」と言う電報を打って、下宿に私は帰って行きました。卒業を終えて、そして私はもう神学校へ行くつもりで、 1週間程家に帰った時に弟が、「クリスチャンになったのはいいけれども、無理に献身しなくてもいいじゃないか。 姉さんは卒業したら親孝行をすると言っていた。あれは嘘だったのか!?」と。でも私の心に、 「他のものは何とでもするけれども、これだけは従えない。神様に本当に従いたい。」という思いで2~3日いる間に、 ある日弟が、「本当にお前、行くのか!?」と言い。父が心配しておろおろしている姿を見て、弟が私をパーン、 パーンと殴って来たのですね。今までだったら、殴られたら、「何!」っていう感じだったのに。だけども私はこの殴って来る弟の姿を見た時に、 本気で私の事を思ってくれているのだな、かわいいなあと思ったのですね。そして2日ぐらいして、一番反対していた弟が、 「姉さんがあんなに行きたいと言うのだから、もう行かせてあげたら!」とね、神様が本当に心を変えて下さったのですね。 そして1週間して、自分の両親が学校へやる為のその苦労を思いながらも、「神様あなたが全てを御存知です。病気になった時、 あなたが母を守って下さるから。あなたが共にいて、どうぞ両親を宜しくお願いします。」そして神学校へ行きました。 母が私の置いてある衣類とか、楽器とかを見て、私を神学校へ連れ戻しに来ました。だけどもその神学校の先生、 そしてそのクリスチャンを見た時に、「ああー、普通の人とは違うなあ!」1泊、信徒の方のお家に泊めていただけたのですけども、 その時にその老夫婦を見て、「私はこういう家庭を築きたいと思っていた。だけどもできなかった。もしかしたら子供が自分の生涯をかけて従って行った、 この神様こそ本当に自分の家庭、自分を救い出して下さる御方かも知れない。」私を連れ戻すつもりで来た母が、その時から教会に行き始めた訳ですね。 そして夏休みに3日間ぐらい家に帰りました。その時、母と一緒に、「地にて二人の者が心を合わせて祈るなら、神はその祈りに答えて下さる。」 と、ありますように、「神様、私が献身するのは、本当に私にとって嬉しい事です。だけども神様、この母が献身させるという事は、 どんな大きな葛藤があった事でしょうか。だからあなたは私よりも、もっと母を愛して下さっていることを感謝します。 この母の故に、神様今あなたが臨んで下さい。」と、祈った時に、母が本当に、「イエス様信じます!」と言って受け入れて、 そして顔を上げた時、「神様私の様な、こんな者の子供を、あなたの為に働く者として下さってありがとうございます。 もったいのうございます。」という、手の平を返した様に、神様が母の心に臨んで下さったのですね。神様は私たちの心を、 本当に一瞬の内に、全く変える事のできる偉大な御方ですね。そして母はそれから、近くの教会に行き始めました。



5月の聖会があって、私はその神学校で、信仰生活というものをそんなにやっていないし、俗っぽい所が一杯あったと思うのですね。 それで皆の姿を見たら、牧師先生の家庭から来たとか、もう信仰生活5~6年とか。自分よりも皆ほとんど年が若いのですけれども信仰的にピシーッとしている姿を見たら、 もう私は真っ暗になったのですね。「いやー!」っと。その時に、丸亀から献身していた、ある牧師先生に、「もう真っ暗!」と、言った時に、 「いやー、感謝ですね!その神学校というのは、光が強いから、本当に自分の心のごみが一杯あるのを見せてくれる。10ワットの光と、 100ワットの光なら、100ワットだったら小さいゴミも分かるでしょ。だから神様があなたをもっと聖くしようとして、 この光を与えて下さっているのだから、そういう自分の弱さが見えるという事は、感謝ですねー!神様は私たちを責めて、 『お前はこんな!』と、そういうつもりで私たちを見せてくれるのではなくて、 『あなたのごみ、あなたの罪、私の所へ持っておいで。私があなたを清めてあげよう!』というね、 そういう神様の愛の御手の中で、それを教えて下さっているのだから。」と、その言葉を聞いた時に、私は初めて心に、 「はーっ!」と、それからすぐに、神様の元へ行けるようになりました。一部屋に3人ずつ、それで試験があると言うと、 私はその時食事の当番で、朝早くから食事の準備をして、そして自分の部屋に帰ると、もう他の2人は一生懸命受験勉強をしている訳ですね。 自分はしたいけどできない。時間が無い、後もう40分しか無い。もうそういう中で、もう心の中で、やりたいのにできないというその葛藤ですね。 そうした時に、本当に神様は私の心の中に、人と比べたいとか、もっとこうやりたいのに、もう自分で抑える事ができない。 「神様本当に哀れんで下さい!」と、思って主に叫んだ時にね、本当に自分でどうしようもないこのプライドというものがね、 神様がその時に取り除いて、自分に与えられた時間で、そして精一杯に神様にその事を感謝するということを教えられた時に、 祈祷会に行く時に、「ああーん!」となっていた帰りは、ルンルンと思うという様に、 本当に私たちは自分の力でどんなに力んでみても、自分の心を自分で清くする事は、とてもできないですよね。 「私の心は今こうなのです。」と、その自分の心のごみ、罪、プライド、そうした物を本当に主に正直に告げる時、 神様だけが、それを取って下さる御方ですね。 そして神学校を何とか無事に卒業できました。そして初めて山口県の徳山に開拓伝道に行きました。6畳と、私の部屋は2畳で、 家がちょっと傾いた様な感じでしたけれども。12月の前に先生が亡くなられまして、30日にそこへ変わって行きました。 本当に私はその時、「さびしいー!」と、思ったのですね。「イエス様、さびしいです!」本当に叫んだ時に、神様が、 「私は世の終わりまで、いつもあなたと共におります。」という、その言葉がひびいて来たのですね。そしてその瞬間、 私の心の中に、「さびしいー!」というその思いから、「神様に私は愛されている。神様が共にいて下さる。」と思うと、 自分の両親と一緒にいるよりも、誰といるよりも、神様が、本当にこんな者の声も聞いて下さる。天地万物を創られた偉大な御方が、 雀の声も聞き分ける御方が、「あー神様、感謝します!」と。「神様に愛されているのだー!」と思うと、本当にもう「嬉しいー!」 という涙が、ボロボロボローと出て来て、そしてその時、姉に送ってもらった紺色のセーター、友達が縫ってくれたスカート、 座布団を、目を開けて見た時に、「ああ私は一人じゃない。」姉の愛、友達の愛、目には見えないけれど、 沢山の愛情に私は包まれているという事に本当に気付いたのですね。そしてその時から、「私は一人でさびしい。」 という思い、孤独感というものを、神様は本当に癒して下さいました。そういう心を神様が、強く、そして、「私だよー!」 と、いつも慰めて下さる御方ですね。


 そして本当にある時、一つの自動車の事故で、「お前500万や600万で済むと思うなよ!」と言われ「ひやー!」 と思いました。その時には既に香川県の多度津の開拓伝道に来ていましたけども、「何でこんな事になったのだろう?」 一日目は、もう神様の前にひざまづくというよりも、「何であのおじいちゃん、こっちへ来たのだろう?」 「私あの時、何で行ったのだろう?」そんな事ばっかりで、本当に祈りにならなかったのですね。だけれども、二日目以来、 「分かりました。」5~600万いるのだったら、ちょうど760万で、その開拓伝道を始めた時、父が癌が癒されて、 そして一番神様に喜ばれる者として、その土地を買って、開拓伝道を始めた訳ですけど、それを、本当に必要だったら、 売って払おうと腹を決めて、「神様―!」と、祈り始めた時に、神様が、「私は裸で生まれ、裸で又かしこに帰って行く、 主が与え、主が取り去って下さるのだ。」私の物だと思っていた、それは皆神様から預かった物であるという事を、 「あー、そうだなあ!」と。そして最後には、4:6という事でした。健康保険の上乗せを、全然私は入っていなかったのですけれども、 全部で46万で終える事ができました。だけどもその時に、神様が私の心に、これは私の物という、物に対する執着心、 貪欲というその心を探る為だったのだなと、本当にその時に、「神様、私の物は皆あなたの物です。必要な時には本当に捧げます。」 と、思った時、神様が、「あなたの物は皆私の物、私の物は皆あなたの物である。」という、その言葉と同時にですね、 本当の自由を神様は下さいました。そしてそれから会堂建築の門出だったなということが、今になって分かるのですね。 神様が人と人との出会いも、皆、主の恵みですね。韓国で、パク先生と言うその先生は、一人で16の教会を開拓伝道で、 自分が一人建てたのではなくて、お手伝いしながら建てたという、その証を聞いた時に、「あー、どうしても建てたい!」 という、その思いを私の内に神様が与えて下さり、そしてこの会堂建築へとなったのですね。だけどその時、 色々な恵みだけを貰いに来ていた人たちが10人ぐらいおりましたが、「会堂建設します!」と言った時に出て行きました。 わずか3組ぐらいの家庭の、本当にそれだけの人たちで、神様が建てさせて下さった。神様だけがあがめられる。神様がちゃんと、 本当にふさわしい人を召して下さっていた。そしてその人たちと共に、新しく出発できる事を感謝だなという思いを与えて下さいました。 そして又、自分の身体が乳癌という宣告も受けました。だけどもイエス様は癒す事のできる御方、私は絶対手術はしないと思っていました。 だけど皆が、「手術して下さい!」と言って、弟がそれを聞いて、「皆が本当に愛を持って、あれだけ手術を受けなさいと言うのだったら、 そういう皆の愛を持って手術をするという、それも一つの方法だよ!」と言われて、「神様、私は本当はしたくない。 でも神様がどんなに素晴らしい事をして下さったか。神様の栄光の為に、私は手術します。」と、手術をした時に、 全部石灰化されていて、医者が、「えー!こういう事もあるのですね!」と、驚きました。礼拝の時に、 「神様は癒し主であり、私を癒して、たとえ私が癒されなくても、私は、イエス様は癒す事のできる御方だという事を信じて、 神様の元へ帰って行きます。」と、そう話していた訳ですけれども、金曜日に手術して、木曜日に抜糸しないで退院して、 日曜日には礼拝の御用をさせていただきました。「神様がもし、キリストイエスを死人の中から蘇らせた方の御霊があなたの内におられるなら、 キリストイエスを死人の中から蘇らせた御方は、あなたの内におられる御霊によって、あなたの死ぬべき身体をも生かして下さる。」 イエス様を死人の中から蘇らせた、驚く様なこの神様が、私たち一人一人の内におられるなら、この方は、私達いかなる者をも生かし、 癒す事のできる御方です。本当に神様の言葉のように、こうして私を健やかにして下さったのですね。そして本当に、あらゆる出来事、 経済的な試み、お金に対する執着心、またそうした病気を通して、「本気で、お前は私に従って来るのか?」というね、本当に喜んで、 「神様、どんな時も従います!」と、私たちは神様からの色々な試みがありますけれども、神様はその試みを通して、 私たちを聖別して下さる、聖くして下さる御方ですね。逃げる事なく、又、迷う事なく、戸惑う事なく、従うなら、 この一切の主権を持っておられる神様から与えられるものは、何一つ無駄なものはないのですね。主は全てのものを通して、 私たちを試み、私たちを聖くし、義なる者とし、私たちを本当に成熟した器として、御自身の御国へ帰る住まいとさせて下さる御方であり、 又、この神様が私たちを聖域として、素晴らしい、このコングレスの中に入っておられない方々の為に、私たちを使って、 この訪れを知らせようとしていらっしゃるのです。その為に神様が、「私はあなたを天地の造られる前から召しました。」 と、本当に主が私を召して下さった。そしてその御方は、私たちを最後までこの使命に預からせて下さる御方ですね。私は本当に、 この久松先生と御逢いし、この教職者としての使命、やがてもう向こうが近いという時に、この素晴らしい中に入れて下さって、 私の生涯を振り返る時に、今に勝る幸いはないという事ですね。そしてそれは自分の何かじゃなくて、神様の一方的な恵みであり、 哀れみであります。本当に私たちを選んで下さった神様は、私たちに今、本当に戦利品として、必要の一切を私たちに提供して下さっています。


「この世にあって愚かなる者、無に等しい者をあえて選ばれた。」と、あります。そして私たちの知恵ではなく、 神様は御自身の持っておられる誠の知恵を私たちに与えて、主人として家庭をどう治めたらいいのか。妻としてどう夫に仕えたらいいのか、 本当に神様からの愛でなければ、愛が嫉みに、憎しみに、怒りに。生まれながらにして持っている、私たちの愛というものは、神様の国へ、 決して通用しないし、持って行く事はできないですよね。全ての物は、神様からいただいた物でなければ、神様の国へ持って行く事は何一つできないのです。 だから神様は御自分の知恵を与え、義を与え、神はアブラムに言われた、「私は全能の神である。あなたは私の前に歩みて全き者でありなさい。」 今までアブラムは何度も失敗をして、神に選ばれながらも、彼は失敗しました。だけども「私は全能の神である。 あなたは私の前に歩みて全き者でありなさい。」彼が何か良い事をしたのではなくて、神に対して、「私は全能の神である。」 という、神様に対する全き信仰ですね。その故に神様は義とされた。私たちもこの世にあって、ただ神様に対して全き者、 全き信頼ですね。伊藤先生が、神様の世界に奇跡はありません。「えー!?」「当たり前です。奇跡とは言いません。」とね。 「あー!本当にそれはそうだなあ。」と、本当にそうですよね。信仰に満たされ、毎日奇跡を私たちは拝する事ができますよね。 神に立てられて義となり、そして聖となると言う、この聖は、打ち叩いて聖くなるのではなくて、神様だけが持っておられる聖さですよね。 神様からあなたの聖さを与えて下さいとね、本当に自分自身の中にある、自我、自愛、自己憐憫、もうどうしようもないこうしたもの、 「本当に神様、これらのものを磨いて下さい。」と、言っても磨きようがないですよ。ただ私たちは毎日の生活の中で、 「あなたの立っている所は聖なる所です。あなたの足から靴を脱ぎなさい。」本当に神様の御前に、私たちは神を神として、 自分がどういう風であるか、神に造られた小さな被造物にしか過ぎないというね、どんな時にも、神の御前に、 あなたこそ主なる御方、マリヤが「私はあなたのはした女です。あなたの言葉のごとく私になりますように。」とね。 自分の持っている色々なプライドとか、自愛心がいつも枠を作って、そして、そう言われるけれども、78歳になったらちょっと。」 と、神様の世界を、神様のおっしゃられる事に対して、いつも私自身が束縛するのですよね。枠を作って、神様を妨げていく。 本当に自分に死ぬるという事。神の御前に立ちはばかろうとする自分に本当に死んで、「アーメン!」とね。 「分かっても分からなくても『アーメン!』と言いなさい。後から分かって来るから。」と、 ウッドロフ先生のメッセージを聞いて、本当にそうだ、そうだと思いました。癌の時でもそうですよ。癌だと言われて、 「ああ癌だー!」と、思ったら、身体がその様になってくるし、「そう言われても、神は癒す事のできる御方、大丈夫!」 と思うと、そうしたものが、だんだん消えて行くのですよね。もう本当に、神様の思い、神の信仰を持つなら、 どんなに自由であり、喜びがあり、皆さん何にも恐れる事がないですよ。「キリストは神に立てられて、あなたの知恵となり、 義となり、聖となり、贖いとになりたまえり。」とありますね。完全な贖いを全うして下さいました。イエス様の贖いが、 どんなに素晴らしいかという事を、神様はあなたを通して全ての人たちに見て欲しいと願っているのです。あなたの家庭で、 職場で、本当に私たちは、イエス様が私にどんな事をして下さったか、口でなく、本当に、表情を通して、行動を通し、 あらゆる事を通して、世の光とし、又、地の塩として、私たち一人一人が出て行く事を、そして本当に私たち一人一人が聖域となる事を、 神様はあなたに期待していらっしゃいます。この教会に神様は御目を注いでおられますね。久松先生、本当に日本の素晴らしい、 神様が期待しておられる器ですね。そして私たち一人一人が、本当にその様にして最後のランナーとして走らせていただきたいですね。 「キリストは神に立てられて、あなたの知恵となり、義となり、聖となり、贖いとになられたのである。」「誇る者は主を誇りなさい。」 ただ神様があがめられる為に、あえて私たちを選んで下さいました。



<礼拝における証し>   ●河崎 春海姉妹●(河崎先生のお姉さん)
皆さん、おはようございます。今本当に、皆様方と共に聖霊に満たされて、こんな素晴らしい礼拝に参加をさせていただいて感謝申し上げます。 本当にありがとうございます。私たちの教会では、こんな熱気がないのですね。もうすごい熱気で、本当に神様は喜んでおられるだろうなと思って、 本当に感謝いたしております。私の様な者が、皆様方の前に立つというのは、本当に申し訳ないのですけれども。コングレスの学びに入って、 私たちも共に学んでいる時に、私たちが今体験している事を、皆様方にちょっとだけ証させていただきたいと思います。 私は、家の息子が病気なものですから、社会福祉法人の作業所を建てている訳なのです。そこで16名の園生の為に、 毎日曜日にメッセージをしに行っている訳なのです。そしてコングレスの学びを、彼らに少しずつ分け与えて、 証をしている訳なのです。そうしたらその子たちが本当に、精神的には3歳の子も沢山いるのですけれども、 本当に真剣に神様の話を聞いてくれるのですね。「あなたが生まれる前から、神様はあなたを選んで下さっているんだよ。」 って言うと、本当に素直に、「うん!」って聞くのです。「だからね、神様は本当にあなたの為に命をかけて愛して下さっているんだよ!」 って言ったら、「うん!」って言うのですね。そしてコングレスの学びで、皆様もされたと思うのですけど、 断食祈祷をいたしましたでしょう。彼らも断食祈祷を一緒にしたのですよ。その断食は、ご飯を止める断食ではないのです。 家の園生たちはご飯を止められないの。止めるのは、自分の好きな物を止めるのです。何かと言うと、 テレビを聞くのを好きな人は、その日テレビを一切聞かない。コーヒーを飲むのが好きな人は、その日コーヒーを一切飲みません。 という、自分自分の思いの中で断食を7週間続けていました。彼らは作業所の中で、この断食をしてくれました。 そしてご褒美にと言って、皆さんも聞かれたように、戦利品をいただくということを彼らに言いました。「戦利品って何?」 「戦利品ってね、神様があなた方に下さる最高の物、あなたが一番、これを神様からいただきたいというものをいただく、 それをあなたがたが欲しいだけ神様はあげるって言うんだよ。」って言ったら、「ふーん、沢山もらおうかー!」 とか言いながら、彼らが貰ったものは何かと言うと、神様に祈るならば、神様はその祈りを必ず聞いて下さる。 この一つを彼らは自分のものにしました。そして、一人の女の子、この子は6歳の時から精神障害で、 ずーっと苦しみ通していたのです。それで今年の5月に、お母さんを天にお別れしたのですね。そして本当に、 神様は私の為にいて下さるのだという事を信じておりまして、その子がね、お母さんが亡くなって間もなく、 直腸癌になってしまったのです。そして、「理事長さん、戦利品を私は貰ったって言うけど、本当に私にくれたのかね?」 って言うから、「そうだよ!神様は嘘をおっしゃらないよ。」って言ったら、「うん!」って言って、それから2週間祈りました。 「私の直腸癌を神様治して下さい。理事長さんも祈ってよ!」って言うから、「うんうん、祈っているよ。皆も一緒に祈ろうね!」 って、礼拝の前にその子の為に祈りをしました。そして3週間目に病院へ行きました。そして病院へ行って、 その検査が厳しかったので、三日かかりました。「医者は何と言ったの?」って聞いたら、 「あなたの直腸の中には何一つ邪魔物は無いよ。腫瘍は無いよ。きれいだよって医者が言ったの。」 こう言って帰って来たのです。「よかったねえ、皆、神様にお祈りしたら、みどりちゃんの直腸癌を神様が治してくれたんだよ。 皆信じる?」って言ったら、「信じまーす!」って言うのです。その時に、おしめをずっとしないといけない男の子がいました。 「僕も祈ったら治る?」と言うから、「そうだよ、神様の約束だから。」って言ったら、「うん!」と言ったその子が、 「おしめを僕から取り除いて下さい!」と、祈ったら、その子の祈りは1週間で聞かれました。次の日曜日、 「理事長さん、僕おしめが取れたんだよ!」「そう!どっちのおしめが取れたの?」と言ったら、「昼だけなんだよ!」って、 「僕、晩にも除けたいんだけどなあ。」と、言うのですね。「うんいいよ、晩にも除けて下さいって祈ろう!」って言って、 「ここで皆で祈って、あなたは毎日祈るんだよ。」って言ったら、「うん!」って言って、それから1週間後、 晩のおしめも取れました。


家の16人の園生たちは、「神様は私たちを選んで、ここで毎日曜日礼拝させて下さっているんだよ。 そして私たちに戦利品を下さったんだよ。神様に祈り求めるならば、神様は聞いて下さるという事を皆信じるかい?」 と言ったら、皆、「信じる、信じる!」って言うのですよ。それでもう一人の女の子も、蕁麻疹が出てすごかったのです。 「理事長さん、これ祈ったら治る?」って言うから、「そりゃあ神様がして下さるのだから、大丈夫だよ!」と言って祈ったら、 1週間後に綺麗に治りました。今家の園生たちは、そういう神様の素晴らしい恵みをいただいて、本当に神様を信じて、 日曜日には聖書と賛美集をちゃんと机の上に並べて、私が行くのを待っていてくれているのです。そして、 「理事長さーん、何で来たの?」「オートバイ。」「気を付けて来てよ!」と言って、待っていてくれているのです。 そういう風な体験をしております。  もう一つねえ、家の会社なのですけども、「社長、私ねえ、もう命を取られるかも知れない腫瘍が、 この頭の真中にあるのですよ。」と言うのです。「ふーん、どうしたのかねえ?」と言うと、 「いやもう前からねえ、ちょっと手がしびれたりしてたから、不思議だなと思っていたんだけど、この前医者に行って来たの、 そうしたら写真の中に、頭のど真ん中に、腫瘍があるんですよ。この腫瘍はねえ、検査もできないの。」と言う訳ですよ。 それで、「ああそう!」そしてその病院が、「香川医大へ行きなさい。」ということで、香川医大へ行って、 医大の先生に見てもらったら、「うーん、この病気はちょっと、何万人に一人の病気かな?奇病だね!」と、 言われたと言うのですね。「あなたね、私にモルモットになってくれないか?あなたの医療費は一切いただかないから、 私にあなたの治療をさせて下さい。」って、医者が言ったと言うのですね。「社長、こう言われたのです。」と言うから、 「ああそうか?だけど医者が言うのだったら行って見てもらわなくては仕方ないからね。」って、言って、行くというようになってから、 2週間あったのですね。で、私が、「実はね、私が今している園生たちの祈りで、癌が治ったんだよ。もう一つはね、 胃の検査の時にバリュウムが肺に入ったの、そして医者が、『これはね、あなたが悪いのよ!』『悪い言ったって、 私ムセて入ったのだからしょうがない。』と、言ったのですけど。『これはもしかしたら手術して切り取らなければならないかも知れないよ!』 と、まあ脅された訳ですけども。「理事長どうしようか?」「祈ろう!」と言って、祈ったら、1週間後検査に行った所が、 「あなたが悪いのよ!」と言っていた医者が、「あのねえみどりちゃん、肺の中には一滴も無かったよ。」と言われたのです。 そういう様な体験をしながらやっていたものですから、家の会社の社員も、私が祈る、家の牧師も、「一緒に祈っていくから、 安心して行っておいで。」と言って、行って来たのです。そしてこの間、19日の日に会社に来て、「どうだった?」と、 私が言ったら、「奇跡だね!」って医者が言いました。「どうなっていたの?」と、私が言いましたら、 「この腫瘍も無くなっていたし、脊髄の検査も良かったよ。『これは奇跡だね!』と言いました。」と、言うのです。 「あなたはどう思っているの?」と言いましたら、「社長が祈ってくれたからかなあ。」と言って、まあそういうように、 あんまりその子は信仰がありませんから、そういうようなのですけども。でも、「これは、神様だよ!」「分かった。」 と、いう事で、話をしている訳です。この様な証が、作業所でも、家の会社でもあって、私は本当に、今は神様の働かれる時だという事を信じております。 今日ここで皆様方の素晴らしい賛美を聞いた時に、神様は働いて下さっているという事を、本当に感じさせられました。ありがとうございました。