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今月の礼拝メッセージ

 

2017年06月 ●福田 武利 牧師(マラナタチャーチ)●


  皆様おはようございます。マラナタチャーチの福田武利でございます。皆さん、この顔を何度か見られた事がおありと思いますけど。 今日皆様の前で、「御言葉を語って下さい。」ということで、その趣旨を後でお聞きさせていただきまして、本当につたない者でありますけど、 私が皆様を励ますというよりは、この礼拝で皆様から多くの恵み、主の豊かな臨在の中で、本当に励まされております。 しかしながら、さりとて、私も牧師のはしくれですから、一応御言葉を語らせていただきたいと思います。 私は長くは語れないので、ちょっと時間をうかせるために、「賛美をさせていただいてよろしいでしょうか?」と、 「はい、いいです。」ということで、今日は皆さんの前に、あつかましくも賛美をさせていただければと思います。 コンサートという、そういう大そうなものではありませんけれど、私も昔からギターだけは、50年以上、いつも休む事なく、 家内との付き合いよりも長くしてきました。それでですね、今日は皆様にこの賛美を聞いていただければと思います。 既にもうご存知の曲と思いますけれども、「踊る花嫁」という賛美がありますね。なぜこの曲を気に入ったかと言いますと、 もちろん、「主よ、来て下さい!」と言うね、花嫁が踊って待つという、それもありですが、「マラナタ、主よ、来て下さい!」 と言う、この歌詞が入っている事で、これは家の教会のテーマソングにいいのではないかとね、そういうふうな感じで、 この賛美を皆様の前に賛美させていただければと思います。お聞きください。



 本当に感謝します。今日ここにいる事は神様の御心だと、本当に心から信じております。マラナタチャーチは今年で8年目になりますが、 最初からスタートは、BTGでした。私のプロフィールを簡単に説明させていただきますが、私は17歳の時に、ロングロングアゴーですね、 もう50年も前の話ですけれども、高校生の時に救われまして、1か月もしない内に献身したいと高校も中退して、 4月から生駒聖書学院に入りました。その時の院長が、カップ先生でございまして、2年間の本課と、 ちょうど3年目に研究科というのがありまして、そこで3年間過ごしました。そしてその後、母教会に帰りまして、 大阪の守口と言う所の、守口福音センターに行きました。所がこの福音センターと言うのも、以前のベタニアチャーチ。 カップ先生の教会の、今はシティーアットザクロスと言いますが、以前の教会の一番最初の開拓教会でした。 そして私はその1号の献身者ということになりました。それでですね、そこに戻りましたが、本当に若い時にイエス様を信じたのはいいのですが、 本当にもう4年ぐらい献身生活をしていまして、もう疲れてしまって、貧しくて、そして私自身が挫折して教会から逃げ去ってしまったという事がありました。 それから荒野の旅が30年程でしょうか、私がもう信仰を無くしていたその時に、どっぷりと世の、煙草も吸う、 お酒も飲む、そういう風な生活の中であったのですが、その時に今の家内と知り合いました。家内は私の中学時代からの親友の妹で、 「紹介するから。」と、言う事で、私は家内を一目で見初めました。今で言うストーカーと言われるぐらい、猛アタックをして、 私はその当時、仕事が終わるとすぐに、自分の住まいを通り過ごして、家内の職場に迎えに行ったものです。 私はその時はもう信仰を無くしていましたので、本当に全てがもう自分中心でした。かと言って、 神様を信じていない訳ではありません。神様を信じているというのは、存在を信じているというだけであって、 神様に従うという生活はしていませんでした。それが不幸の始まりで、家内は私が、お兄さんから聞いたかも知れませんが、 「あいつはクリスチャンだから、大丈夫だ。」とね、家内は私がクリスチャンだということでね、 私を大切にしてくれるだろうということで結婚したそうです。でも実際の生活をして見ると、 私は本当に自分中心で家庭が回っていたと思います。早くして子供が与えられたのですが、私が夫としての務めを、 本当に聖書的な男の役割というものを知らなかったもので、それだけじゃないです。その当時は自分の欲望のままに、 第一は自己中心でしたから、それが不幸の始まりでした。そしてそれが本当に結果として、娘が二人いますが、 下の娘が大学に入った時に、「お父さん、あなたと別れます。」もう、「何で?」と言う話ですけれども、 世の御主人たちは分からない。自分自身が本当に家庭を良く守っている。あるいは養っているという感覚ですね。 しかしながらその実は、自分自身が幸せであっても、本当に家族を守る、あるいは妻を愛するという、 その事が何かということが分からない。私もその様な者でありました。そしてそれがきっかけとなり、 本当に真実を求め始めた家内が、ある別の宗教に入ったのですけれども、そこがですね、本当にもう金縛りと言いますか、 カルトです。とにかく高い、「これを買いなさい。」例えば、電車に乗る時に、つり革を持つでしょう。 そうしたらそのつり革から、手から色んな邪気が入るから、「この腕輪を買いなさい。」と、これが何万。 毎日の水が、身体にとって自分自身が汚れるから、「これを浄化する、この石を買いなさい。」これも何万。 こういう風な、それは霊感商法的なものでありまして、あげくのはては、「私から離れたら不幸になります。」 そして集会に集まりますと、「私はこの大先生から離れた時に、こういう事故に会って、こういう風になりました。」 と言う、そういう風な証をするのですよ。そして私も、「一回ついて来て。」ということで行きましたら、その中で、 「いや、そんなはずない。真の神は、私たちを守り、あるいは助けはしても、私たちに罰を与えるという事は無いんだよ。 だからそこをきっぱり止めなさい。」もう家内はその時、出る事、又あの話を聞かされて、 「あの様な人たちみたいに自分も不幸になったら、あるいは命が。」そういう危険、恐れの中から、それだったらということで、 私は家内を連れて、「じゃあ教会に行こう!」ということで、皆さん何とこの危機が、本当に素晴らしい機会となりました。 それがきっかけで家内は14年前にイエス様を信じ、そして私も同時にその時に信仰が回復されました。感謝します。 でもこれはまだまだ始まりであります。


そして大阪の有名な大きな教会に導かれまして、そこで私も、もう一度礼拝に出た時に、本当に神様の臨在と、 多くの兄弟姉妹の愛に触れて、私はその時悔い改めました。そしてそれからもう一度、私自身が神様から召された、 主の働き人になるという夢をもう一度、ですから、「訓練して下さい」と。私はその時はまだ勤めていましたが、 家内はそこで本当に、信じたその年に、その教会で30人ぐらいの人が集まって、聖書学校が開かれまして、奇跡的に家内が、 「あなたも入りなさい」と言われて、ポーンと。聖書のせの字も知らない、そして祈り方も分からない。 そういう状況の中で彼女は言われるままに、導かれるままに、本当にポーンとですね、「誰かが私の背中を押した」 と、家内がよくそういう表現をしますが、そしてその聖書学校へ入ったのです。もうそれからは献身の生活。 もう泣きながらですね、本当に祈って、家庭の事、そして教会の事、色んな事をしていたのですが、どうも私自身がその中で、 この教会の中で、素晴らしい一面の他、私が献身して中に入れば入る程ですね、どうも違うと。聖書的ではないということが芽生えまして、 私はいつかそこを出ましょう。そして家内にも、「えっ、何で?」と。家内にはその時分からなかったです。もうその牧師先生はパワフルで、 そして名前の通った方で、でも何か違うということで、「出よう!」ということで、出たのが、7、8年前なのですね。 その時にその先生が言いました。「君、どうして家の教会の名前で開拓伝道するのはだめなのか? いくらでも開拓すれば結構じゃないか」と。でも私は、「いえ、私が求めていたものとはちょっと違います。」 と、はっきりと言う事はできませんでしたが、その時を最後に、「まあ良いだろう。でも自分一人で聖書を求めて行っても、 必ずどこかで曲がった教え、あるいはその信仰が曲がるよ。ちゃんとした傘の中に、覆いの中に入っているならば、大丈夫だけど」 ということを言われたのですね。そしてちょうどその時に、関西の奈良でBTGのセミナーが行われていました。 私はある先輩の先生からそれを聞きまして、ちょうどそこにカップ先生が来られているということで、さっそく御逢いしに行って、 そして、「実はこの教会を出ようと思っているのですけれども、その牧師先生から、 ちゃんとしっかりした傘の中に入りなさいということを言われました。カップ先生、先生の傘の中に入れていただけますか?」 ということで、カップ先生はそれを了承して下さいました。そしてさっそく、「あなたは倉敷の久松先生の所へ行きなさい」 と。久松先生がどういう方であるか、その時は全然知らなかったのですが、その時セミナーに参加する事はなかったのですが、 その場所でカップ先生が久松先生を紹介して下さって、「ここに行きなさい。あなたの必要なものは、この人が面倒を見てくれる。」 そしてさっそくお訪ねさせていただいて、それからのお付き合いが、今日まで続いているということです。


さて問題の、私自身がどうなったでしょうかという話ですが、皆さん、そこからの戦いと言いますか、これは私自身の戦いですね。 主にある、自分に死ぬという事の戦いです。本当に成熟するという事柄が、このTFMの教えの中から、 本当に成熟する必要があることを、私は教えていただきましたが、どうしたら成熟できるのか?ということに関しては、 まだまだ本当に分かっていませんでした。私自身が、その生活が変わらなかったのです。何年か前、年に数回、 ここでBTGの牧師先生方のセミナーがありました。その時に、もう家を飛び出すなりけんかです。それでですね、 車の道中ずっとけんかして、そしてセミナーに何食わぬ顔をして出た事があります。もう家内は腹立って、高速の途中で、 「もう降ろして!」もうこんな所で降ろせないから、とにかく、とにかくというね、それは私自身の本当の意味での家内に対する心根が悪 かったというね、皆さんこれを知るという事は、なかなか困難ですよ。それを本当に、この7年、8年程かけて、 ようやく明かりが見えて来たかなあという感じです。ですから愛する兄弟姉妹、私たち自身が本当に家族を守る、 そして既婚者であれば奥様を守る、ご主人に従うというこの事柄は、一番核の核ですから、教会、 そしてキリストの身体を建て上げる、その一つ一つは、皆さん私たち一人一人の家庭生活にあります。 そして一人一人の、自分自身の心の、神様に対するあり方が問われて来ると思いますが、そこで皆さん、 「なぜ私はこの人と一緒になったのか?」私の傲慢さ、あるいは私の本当に自分自身の知らなかった所を、 石は石によって研がれ、そして人は友によって研がれるとありますが、家内を通して私は、おかげ様で研いでいただきまして、 この様に、本当に今変えられつつあります。まだそれが完成したとは言いません。でも、「主よ、来て下さい!」 あなたが来て下さるまでに、私たちは本当にキリストの身体が完成に向わなければならない。私たち自身が完成されなければ、 イエス様はいつまでたっても来られない。「主よ、来て下さい!」と言うならば、私自身が変わらなければならないということを、 本当に今強く教えられている訳です。あるセミナーを、私は夫婦の為に受ける機会がありまして、その時におっしゃいました。 「男は神の形であり、そして治めなければならない」というね、それを私たちが勘違いしてはいけないと。それは権威ではなくて、 ただ単に、男が先に川の上流にいるということですね。上流から川が流れて行く訳で、そして妻に、子供に、そして兄弟姉妹に。 ですからただ単に偉くも何にもないのです。先に自分がいるという。私自身が汚れていたら、汚れたものが流れて来ます。 私自身が本当に聖い愛を持って、家内に接していくならば、それが家内に、そして子供に、そして多くの人々の前に流れて行くという、 この事を教えられています。


そしておっしゃいました。例えば、もし泥棒がピストルか何かを持って、襲って家に押し寄せた時に、誰が第一番目に死にますか? それはあなたです。男が家族を守り、先に撃たれて死ぬのです。所がその国では皆、男の人が身体を鍛えている。マッチョで、 それは何の為か?泥棒が来た時に、妻を持って来て、抱えて盾にする為にという、こういうジョークをおっしゃったのですけれども。 愛する兄弟姉妹、特に兄弟たち、あなたが本当に奥様を愛していらっしゃるのは良く分かっていますが、自分の愛ではなくて、 聖書が教える様に、まず死になさい。私自身は本当に死ぬのがへたくそでね。デイビー先生がいつも言います。バンと撃たれたら、 「あっ!」と死ねばいいのに。もがいて、いつまでも死なないから苦しいのだとね。例えば皆さん、けんかと言いますけれど、 大きな問題は、ちょっとした一言ではないですか?ちょっとした言葉に対して、特に恥は私のものですから、皆さんの前に、 私は家内を愛しています。そして本当に家内に対して、浮気する訳でもなし、あるいは給料を入れない訳でもなし、 「何が不平なのだ?」と。でも、一つ言える事、それは、事々に家内の言った言葉を否定してしまうと。 「それは違う、これはこうだ!」と。それが始まると、もう火が付いた様に、家内とけんかしてしまう。何でこういう事で、 「それは違うよ!」と言った。その事がもう本当に、家内の心にバーと火を付けてしまう、という事が多々ありました。 分かっているのに、何でこの一言が出てしまうのかと。聖書の中に、「この口は汚れた世界ですから、 もし口を制御する事ができるならば、世界を制する事ができる。」とあるように、自分自身もそうです。 「あの馬を見てみなさい。あの轡(くつわ)にはめられた紐で馬は制御されるように、自分の言葉を制御する事ができるならば、 それは完全な人だ。」と、ヤコブは言っていますけれども、この言葉によって人を生かす事も殺す事もできる訳です。 刃物は一人かも知れません、でも言葉は、その言った言葉に於いて、どれだけ多くの人たちを傷つけ、 そして本当に駄目にしてしまうことがありうると思います。そうであるならば、私たちがこの口から、 本当に人を建て上げる言葉を語らなければならないということですね。いろいろ小競り合いは沢山あるのですよ。 でもこのBTGの教えを通して、自分が死ぬとは具体的にどういう事ですか?けんかをしたならば、これはまず、先にある私が、 「ごめんね」と、当然私がまず本当に家内に謝るということですね。そういうことが本当に無かったのですね。 いつも説明してしまう。説明、説明、説明。だから、ヒステリーというのは、誰かが言いました。 ヒストリーだとね。積み重ねです。そして、いつも解消されない、それが積み重ねられて、それがヒステリーになるとね。 だから皆さんけんかしたらすごいですよ。この一つの事柄が、どんどん派生してですね、あれもこれも、あの時、この時、 「わー!この人はものすごい頭が良い人だなあ」と、思うぐらいね。何十年も前の、「こんな事まで出て来るか?」 と言うぐらいね。皆さんそれは、その都度私が解決していないからです。消化不良になっていますから、ヒステリーは、 ヒストリーにつながるという訳ですね。これは積み重ねの良い意味ではないです、悪い意味において、積み重ねる。 それは解消していかなければなりません。最終的に私自身が神様の前に悔い改めるのは簡単ですよ。でも、 本人の前で悔い改めるという、特にね、プライドの高い殿方はね、それはなかなかできないでしょう。 「そんな事を言ったって、理論的に俺が正しいだろう」とかね。そのセミナーの中で、私たちが話し合い、 そしてまず聞かれた事は、「お互いが本当に良くなりたいのか?という決意が最初に必要ですよ」と。 そして例えばすぐ口論になる時、それは私たち自身が、誰が正しいかということをすぐ、もうそれは勝ち負けで、 「いや、私が言うことは間違ってないだろう」ということを説得しようとします。私はその時に、 本当に自分自身がちょっと死ぬ事ができたのならば、それを回避する事ができる。何度家内は荷物をボストンバッグに詰めてですね、 「もう出て行く!」と。「もう勝手にして!」と言う。その都度私は、「行かないで!」と。私が止めていながら、 私はのど元を過ぎればという、とにかくその時が平和であったらいいという、そういう思いじゃないのですが、とにかく、 「ちょっと待ってよ、少し話し合おう」と、言いながら、騙し騙しきたのですが、もうここでは騙しは効かな かったです。特に神様の前には。そしてある時けんかして、そして家内が本当に泣きじゃくって言った事が、 「お父ちゃーん!」と、家内が泣きました。その時に、私を本当に守ってくれたのは、私の亡くなったお父さんだけだと。 その時私は本当に家内を抱きしめて、「ごめん、私が悪かった。私があなたを守ると言いながら、 あなたを幸せにすると言いながら、実際はそうじゃなかった」ということを謝りました。その時には本当に心からそういう思いが、 これは聖霊様によるものです。それがあってから、本当に変わりました。そして愛する兄弟姉妹、私が変わったら、 家内が変わります。いまさっき言いました、男が先に立てられているのは、権威を振りかざすためではなくて、 まず男が前に率先して正しさを示しなさいということですから、男が本当に守るという事をしたならば、 世の奥さんもあなたに文句を言わないと思います。特に愛する兄弟姉妹、私たちはこのBTGを通して、 初めてこの回復する。あるいは、私たち自身が使徒的改革という、内面からの改革という、その事柄を私たちは学んでいる訳ですから。 聞いた事柄を実践して行くという、そのプロセス、この杯は、飲み干さなければ、次の段階には行けないのです。 これを私は避けて通って来たように思います。でも聖霊様が本当にある時ね、皆さん、ことわざの中で、 「かたきは一本道で遭遇する。」という言葉があります。避けては通れません。家内はかたきではないのですから。 私のかたわれです。妻を愛する者は自分を愛するのだ。妻を傷つけるという事は自分を傷つける。何故ですか? 神様が設計されたのは男と女という、男から取った者という女、それは一体ですから、彼女を悲しませる事は自分が悲しむ事になるというね、 その事につながってくるということを、本当に教えていただきました。


まして皆さん「主よ、来て下さい!」と、昨年のGGPE以降、新しい領域に対して開かれて、これは未知の、今までかって無い、 人類がと言っても過言ではない。まだ経験した事もない領域、神様のその動きはもう倍化しています。 このコングレスのニュースを皆さんも見られたと思いますが、世界が加速されて、世界中に真理を求める私たちのコングレスが、 今までどの様な働きをしているのか目に見えなかったものが、だんだんと見えて来て、世界中のユーチューブを見たならば、 コングレスのあらゆるものがアップされていますから、どなたでも見る事ができます。そのように神様は不思議な方法として、 初めからあった計画を確実に進めておられて、そして私たちはその同じ旅の中にいるということを皆さん本当に知る方々は感謝です。 私たちは今、危機と同時に、本当にこれはチャンスの時であり、そして集合、そして収穫、そして最終化へと向かっているという、 この大事な時に、あなたは選ばれた人です。そしてあなたがここに必要なのです。そしてあなたの生活を通して多くの人々が、 そのキリストの証を見ている訳ですから、愛する兄弟姉妹、私たちはこの様に今年、圧倒的な主の勝利者として、そして今年、 従事のⅡが開催されます。この日本に於いてBTGとは何か。どこかの旅行会社かな?と思うかも知れませんが、 そうではありません。私たちこそ神様が選ばれた一人の人ですと。そして教会は違えど、ポッと来させていただいた中でも、 本当に違和感なく、同じ言葉を言って、「アアメン!」と言える、その様な所に主が置いていて下さる事を心から感謝したいと思います。 そして愛する兄弟姉妹、私たちは更に新しい領域、それは本当に新しくなって、自分もどんどん変 わって行かなければならないと、これは本当に主が来て下さるか、私が召されるかと、そういう真剣な中で、 かと言ってあせる必要はありません。その人が得た悟りの中でそれを実践して、私たちがそれを現して行くという事が大切な事だと思います。 聞いて忘れる者ではなくて、行う者と私は成って行きたいと思います。踊る花嫁の様に、私たちは本当にダビデの様に、 神様の前に踊って賛美して、そして私たちは主を待ち望む、その様な者と成りたいと願っております。