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今月の礼拝メッセージ

「クライストチャーチのリーダーたちの歴史」 

2017年05月 ●久松 ひろ子教師●




   今日は、「クライストチャーチのリーダーたちの歴史」ということを皆さんにお語りしようと思います。 まず開拓を始めたのは、1981年です。求先生の年齢が、教会の年齢なのですね。



求先生は、今年で37歳だそうです。求先生は4か月の時に私たちと共に大阪から移住して来ましたから、 私たちの教会は37年目ですね、そこで私たちは最初どのように教会を始めたかと言いますと、4万6千円の借家です。 1戸建ての。そこで6畳間で、5人家族。これが核となるリーダーだったのですね。主人がメッセージをしている間、 私は4才、2才、0才の子供を面倒みながら礼拝しているわけですから、思う様にいきませんよね。主人も本当に辛かったと思います。 私も辛かったのですけど。まあそういった所から始めて、そして、その畳の所ではやっぱり無理だろうということで、 思い切って1年後にビルを借りました。そのビルが10坪のビルの2階の1室でした。そこで礼拝を始めました。 1年目にやっていた事は、とにかく隣近所の人たちを手当たり次第に連れて来て、婦人学級したり、これしたり、 あれしたりしていたのですけれど、その事では全然リーダーも育ちませんし、とにかく貧しい人がいたら、 「ねえねえ久松さん、こんな貧しい人がいるから連れて来たのよ。」と言って、浮浪者の様な人を連れて来られてね、 近所のおばさんたちが、それが教会だと思っているから、そういう人を、「泊めてあげてくれる?」と。ある人は又、 借金まみれの人が来るとか、もう色んな人が来たんですよ。そういう人のお世話をするのが教会かと誰しも思うでしょう。 だけどそんな事をしていたのでは全然教会としてやっていかれないということで、ある時から方向転換したのですね。 久松先生の思いの中にやって来たことは、そのビルの教会で、新しく教会を始める時に、学生たちを集めようという思いが来まして、 そして高校の前で二人で伝道を始めました。そこで最初に来たのが、瀧澤執事と、今はこの教会にいらっしゃらないのですが、 斉藤兄弟という人が来られました。斉藤兄弟は中学3年生、瀧澤兄弟が古城池高校の1年生でしたかね。 そしてそこから瀧澤兄弟が本当に伝道されて、 彼を中心として、彼の友達、そういった、主に水工、倉工、ですかね、その時に来られた方々が、大島兄弟、小野兄弟、岩野兄弟、 そういう今の中堅クラスの男性がほとんどでしたね。女性はなかなか寄り付かなかったのですけど。 とにかくそういう学生たちが一杯集まって来まして、そして学生の集会をするようになりました。 その時に久松先生が思ったことは、この学生の中からやはりリーダーとなる人を立てようということで、その頃は、 韓国の教会の影響で、区域長という言葉を使っていました。区域長という名のリーダーを立てたのですね。 12人のリーダーがいた。その時に久松先生はそのリーダーとして選ばれた、区域長という人たちを訓練するという事の為に、 非常に弟子訓練に力を入れたのです。その中で、瀧澤兄弟と、斉藤兄弟が献身者となりました。そして彼らの為に、 毎週金曜日は4時~5時まで聖書神学校というのをやっております。また土曜日は、献身者以外のリーダーたちの為に4時~5時までは基礎訓練コース、 そして5時~6時までは弟子訓練コースという二つの学科をもっていました。けれど私自身はそういう事にほとんど関わる時間が無くて、 私はとにかく働く方に回っていました。だけども木曜日は、いつも夕方、伝道集会をしました。 その木曜日の伝道集会は大体4時~5時ぐらいに、学生たちが学校を終えて来る時間に合わせて、 いつも二人でトラクト配布、毎週でしたね。


ですからそういったように学生伝道をした結果ですね、 本当に沢山の学生たち、ピーク時が、70人~80人ぐらいになりました。その時に、そのビルでは全然足りませんし、 又、学生というのは本当に自由奔放ですから、周りの人からもうるさいというクレームが来まして、そのビルを追い出されて、 そして次の場所に移ったのですね。そこが今のバイパスの所にある18坪の小さいプレハブの所で、土地は借地でしたけれども、 初めて私たちの教会堂というものを手に入れました。ところがそのあたりぐらいからですね、非常に迫害が厳しくなりまして、 そして結局そこも出なくてはならないという様な事がありました。その間にこの二人の兄弟は家族からの強い圧迫を受けました。 また、他の集められた人たちも、だんだん少なくなりまして、70、80人いた人たちが、30名から40名に減ったのですね。 けれど、瀧澤執事は何とか献身を全うしようと思って、次のステップの新しい土地で自分たちの会堂を建てるという事に非常に頑張って下さいました。 そうやってできたのが、新田の、100坪の土地と、36坪のプレハブ住宅でした、そこで、初めて私たちの教会の献堂式を行いました。その時に、 いつも言われていた事は、「この教会は大人のいない教会でおかしい。」学生たちが異言で祈って、惑わしているとか、とにかく変な風評を流され、 ですから私は本当にそれは辛いと言いましょうか、私たちの正当性がなぜこんなに受け入れられないのだろうか?という心の中の葛藤がありまして、 何とか次の教会の献堂式に於いては、大人もいるということをアピールしたかったのです。それで、南保夫妻に大阪からやって来ていただきました。 それは非常な決心が要ったと思いますけど、その中で南保執事が執事としての務めも引き受けて下さるようになったのですね。 初めてリーダーらしい方と言えば、南保夫妻、神様が送られた方であろうと思います。そういう中で、 瀧澤兄弟と斉藤兄弟も献身をしておったのですが、それがなかなか社会的な色々な問題も含めて、難しい事があり、 瀧澤兄弟は一時、以前の様な信仰ではなくなっていた状態が続きました。そういう中で斉藤兄弟だけが、献身の意味で、 生駒の聖書学校に1年間だけ行きました。本当は生駒の聖書学校は3年間あるのですけど、木村先生も3年間行っておられます。 けれど私たちが斉藤先生に求めていた事は、3年間行く事によって、この地方の教会に対する重荷がなくなること、 それは良くないことだと思っていました。その理由は、教会というもののあり方については、私たちは地方教会という学びを中心に、 皆さんに流してきたのですね。その学びの中で、最も大きいウエートを持った考え方は、指導者が指導者をつくるということでした。 聖書学校に行った人たちが指導者になるのではなくて、指導者は教会で生み出すものであるという考えが非常に大きかったのですね。 私もそれはすごく捉えていました。どこかの聖書学校に、生駒の聖書学校、それもカップ先生がおられて、素晴らしい学校なのですけど、 実際に地方教会に帰って来て、その地方教会に仕えるということをする人は少ない。


そして私たちの考えはやはり、神様の権威は聖書学校にあるのではなくて、教会に神様が権威を与えておられるという考えだったのですね。 ですから斉藤先生もこちらに帰って来て、私たちの下で献身の働きを重ねて行かれる、伝道の働きを重ねて行かれる。 そしてやがて独立して、一つの開拓を目指してやっていただければそれでいいと思っておりました。けれどそういった考え方の違いも少しあったと思いますけれど、 とにかく斉藤先生はこちらに帰って来て結婚されるという事もありまして、その後、福山に独立して開拓するという事になりました。その経過の中で、 私たちは色々な事を、皆さんにもはっきり言わないでやってきた部分があるのですけれど、実はこの金曜日でしたかね、ふっと思いついて、 斉藤先生を訪ねてみようかなという思いが来たのです。それは20年ぶりでした。その会うための目的というのは、 ほとんど回復して欲しいということよりも、確認したいという思いの方が大きかったです。それは冷たいようでありますけど、 私たちの所を離れて独立して、福山に開拓伝道を始めたわけですね。私たちの兄弟姉妹も何回か向こうに協力伝道に行って、 そして繋がりを持ちたいと思っていたのです。私たちの教会から出て行ったけれど、そこで私たちの教会の伝道所としての働きをして、 繋がっていたいというのが本音でした。けれど、それがうまくいかなかったのですね。最終的にここでお別れした時の言葉は、 「距離を置きたい。」という言葉でした。それは非常に今でも私の心の痛みとなっておりまして、 「どうしてそういうふうになったのかなー?」っと、今でも非常に辛く思っていたのですけれど、 その頃皆さんに本当のことは言えなかったのですね。その理由は何かと言うと、本当の理由はですね、斉藤先生の奥様が、 今で言う雅子様状態でした。もっとひどい状態でした。雅子様は今少し回復に向かわれていると思いますが。 本当はそういう事だったのです。でも私たちはそれを皆に言うことは止めました。それは彼らのプライベートなことでありますし、 そういうことを言うべきではないという考えがありましたから、とにかく「先生たちは向こうで自分たちで教会をしたいと言われています。」 ということしか言えなかったと思いますね。そういうことがやはり私たちの教会に於いては非常に大きな痛みとなって残っておりまして、 そして20年経って、今回行きましたが、本当に同じ場所でずーっとおられますけど、窓は閉め切って、カーテンも閉め切って、 二人で中でいらっしゃるんだろうと思いまして、初めて、「こんにちは、久松ですが、先生いらっしゃいますか?」 と、言って声をかけましたら、何か中で応答があったのですが、大分時間が経って、5分ぐらい待ちましたが、 ひょっとしたら出て来られないかなと思うぐらいになって、出て来られて、そして、「皆さんお元気ですか?」 と言うようなことは言われていました。けれど、本当にその様子は、信仰があるとは思えない様な、そういった様子でした。 残念ですが、もう全く絶望的な顔ですね。それを聞かれる皆さんは辛いと思いますが、やはり、斉藤先生が、 私たちとの関係を断ちたいと言った所から、全ては始まっていると思います。私たちはルーツというものがあります。 斉藤先生のフェイスブックとか、そういうものを見ましたら、岡山県で救われて、福山で開拓伝道と書いてあるだけでして、 自分が救われた教会がどこであるか、自分のルーツはどこであるか、それを失ったということは立ち行かない事です。 私たちは、私たちのルーツがあります。今日もこの礼拝で歌った曲はダビデ・M・ベル先生がつくられた歌です。 私たちはそれを今も受け入れて、そしてその歌を歌います。新たに私たちはそこから移動して来て、 そしてウッドロフ先生の傘の中に入った事によって、そこからの資源を頂いていますけれど、 私たちの地上に於けるルーツはやはり、テキサス州のサンアントニオのデスティ二ーチャーチです。 ダビデ先生がここにいらっしゃって、ダビデ先生のお父さんも一度来ていただきました。 私にとって本当にお父さんという感じがしたのは、ベル先生とカップ先生ですね。私は本当にこの御二人に出会った時、 抱きしめられた時、この地上に二人のお父さんがいるという事が、どんなに私を励ましてくれたか知れません。 私たちはみなし子ではない。この地上に於いて二人の父親を持っている教会だということを確認しました。 その親を捨てた人がどういうふうな事になるかというのを、本当に厳しいですけれど、斉藤先生の姿の中に見たのですね。 ですから私たちはもう一回帰って欲しいという願いはわずかにありますけれど、多分不可能だと思います。「離れたい。」 と、言われた時も、私は、「それは危険だから、もう一度私たちの傘の下に入りなさい。そして二人でもう一回、この教会で、 信仰生活を1年ぐらいやって、そして出て行くならもう一回出て行きなさい。」という勧めもしました。でもとにかく振り切る様に、「離れたい。」と、言って、出て行かれたのですね。それは本当に私たちにとって大きな痛手でしたし、やはりキリストの身体の一部がいなくなるということは、皆さんにとっても非常に痛みだったと思います。そういう所を私たちは通りました。


 その次に、学生たちばかりの中で、大人を伝道しないといけないという思いがやってきましてですね、 そしてその中で二人の婦人たちが来られました。それが、樫山先生と山田先生です。このお二人が非常に、 学びに対しても熱心に学ばれてですね、この時から私たちは今の教会の学びのシステムを始めました。 それまでは70、80人ぐらいの学生で、ダーッとメッセージして、「ハイ、信じます!」じゃあ洗礼。 というふうに、まあ言ったら無茶苦茶ではないのですよ、聖霊が働いてやっていた事ですから、そこには信仰があったのです。 でもね、やはり、にわかにできたものはにわかに崩れるという事を体験しましたから、それからは本当に、救いの学び、 信仰生活の学び、ステップ、ステップ追って学びをしたのです。樫山先生なんかは、「もう私信じたんですから、 早く洗礼を受けさせて下さい。」と、言われる。「いや、ちょっと待って下さい。もうちょっとちゃんと学んでからにしましょう。」 と言って、とにかく学びという事をしっかりやっていきましたね。そうやっていく内に、この二人が献身ということになりました。 私もそれまでは、牧師の妻の立場というものは非常に微妙でして、あれもこれもみんな、霊的な事も、物理的な事も全てやっていたのですけど、 その時、ある預言者の方が来られてからですね、「あなたは教会の事を全部するのを止めなさい。あなたの右手と左手になる人を与えます。」 と、言われました。私は誰だろうなあ?と、思って、思いついたのが、樫山先生は年輩で同じぐらいですから、佐藤裕子姉妹かな? という思いもありました。この先生たちと同時期、ちょっと遅れたぐらいに、佐藤裕子姉妹も岡山で家庭集会をして救われて、 少しずつ礼拝に来られるようになっていましたから、佐藤裕子姉妹かな?と思いましたけれど、じーっと見ていたら、 このお二人の先生だったのですね。このお二人の方は、献身という事に入る前に、その前の、献身の前の献身という事をやっていただきました。 そして献身者となってからも、この先生の方々にも、こんこんと言った事は、これは上の立場になる事ではなくて、これは皆さんに仕える事だ。 その仕えるという事をしっかりやっていただきたい。というのが、久松先生の本当の願いだったのですね。イエス様も言われていますよね、 「私が来たのは、仕えられるためではなく、仕えるためである。」だから献身というのは、昔は献身者とか、聖書学校に行くっていったら、 かっこいい事のように思われますよね。そして又、沢山いた学生たちの中でも献身者というと、選ばれた者というようなね、 そういうプライドもあったと思いますが、結局そういった、リーダーになった人たち、もうほとんどがつぶれてしまいました。 ですから私たちが本当に願った事は、献身者というのは、上に立つ者ではなくて、仕えるという事を本当に良く理解していただくようにと導いて、 さとしていただいた。献身の前の2年間ぐらいを終えて、その次にお二人が、献身者の期間を2年間ぐらいは過ごしていただきましたかね。 とにかく慎重に、慎重に、慎重でした。二の舞は踏まないと言いますかね。前の様に沢山のリーダーたちを立てても、 全部いっぺんに崩れるという事はしたくない。だから本当に、注意深くこのお二人の先生を導かしていただいたのですね。


そういう中で、特に今日、山田先生について皆さんに少しお話ししようと思いますが、山田先生は若い日に救われて、そして、 神様の為に何かしたいという願いを持って来られた方です。久松先生が、山田先生が住んでおられた地区にトラクト配布に行った時に、 その一枚のトラクトを見て、学びをしたいということで、ルカちゃんが赤ちゃんの時ですよね。お家に行って、学びを始めました。 そういう経過の中で、自分は神様の為に何かしたいという非常に神様に対する思いがありましたから、 「久松先生、どうしたらいいのですか?」と、聞かれたそうですね。そうしたら先生が、「ああ、伝道師になったらいいんや!」って、 簡単に言ったと今だから言いますけど、そんなこんなで、私は先生にまず、「学生たちの為に働いてみない?」ということを勧めました。 そしてその時に恵先生が一番面倒を見て下さったのが、求先生です。求先生は高校生ぐらいでね、手におえなくてね、 で、私たちもお手上げ、「この子どうしようか?あー誰か面倒を見て欲しい。」となって、そういった所から、 「恵先生、学生のお世話をして下さい。」と言って、そして恵先生が、自分のタレントがどうであるか、そういった事は無関係に、 言われた事を本当に受け止めて、忠実に愛していって下さったのです。私たちの3人の子供は本当にある意味、もう投げ育ち、 放任状態、とにかくここにいる皆は本当に恵まれていますよ。いたれり、つくせり、一杯教えられるし、一杯、質的にも、 霊的にも全部いただけるのでしょ。家の3人の子供たちは、私たちがビルの教会で学生たちの集会している間、 いつも外で3人で遊んでね、裏の川でザリガニ捕ったりね、ある時出て行って見るとね、もう求先生なんか真っ裸なんですよ。 だから可哀そうでした。誰もこの子たちの為に教会学校もまともにやってあげられない。そういう状態だったのですね。 そういう中から、恵先生が中高生のお世話をして下さり、そしてある時、学生キャンプの付添も行って下さいましたね。 その時に、学生キャンプの付添で出会ったのが木村先生ですね。木村先生はインタナショナルチャーチで、 やっぱりこの方もユース・中高生のお世話係で、しかもその時既に伝道師ぐらいでしたから、そこでも出会いがありました。 求先生の所に来られて、お兄さんらしく肩を抱いてくれていたのを私は覚えています。そういう中で恵先生が、中高生、 それから若いユースの人たち、そういう人たちも全部ひっくるめて、とにかく中学生から、高校生、大学生、そして、 ユースの人たち、この人たちを全部恵先生がひっくるめて面倒を見て下さったのですよ皆さん。 これがどんなに大変な事か分かるでしょう。その守備範囲というものは本当に広かったですね。 でも私はそれをあまり手伝ってあげれませんでした。ただ、「やりなさい!」という感じで、本当に冷たい。


ですから先生はその与えられた務めをする為に、どんなに沢山の犠牲を払われたか知れません。その為に夫との関係、 又、子供との関係、先生も構築する時間とエネルギーが無かったと思います。本当にそれは申し訳ない事をしてしまったなあとも思いますが、 それも神様の御心の中であった事だと思います。ですから私は、山田先生の家族が、本当に復活して、 神様によってもう一度再構築された素晴らしい家庭になるという事を願っています。それぐらいの犠牲です。 本当にそれは大きな犠牲です。義人先生がアメリカから帰って来て、自分はエイエイオー!ですよ。何の犠牲もなく帰って来て。 「ヤング・チャペルやるぞー!」とか言ってね。本当に調子いいんですよ、あの頃はですよ、今はずいぶん落ち着きましたけれどね。 恵先生はメッセージがめっちゃ上手でした。私は後ろからこっそり見て、「恵先生伝道者になれるわー!」と思うぐらいに、 本当に魂を愛して語る、それは本当に素晴らしかったのです。そしてヤング・チャペルをする。だけども、 自分の子供はほったらかし。そして自分一人でトラクト配布も行く。「皆を連れて行きなさいよ!」と言うけどなかなかついて行く人はいない。 「ああしようか、こうしようか?」と、試行錯誤の何年間をずっとそのポジションを守り抜いて下さいました。皆さん若い人達、 ほとんどの人たちが、先生の家で食事をいただいた人、一杯いるでしょ。自分の家族の為の食事はあまりでも、 やって来た若い人達の為には一生懸命心を込めた食事でもてなして、皆さんを今もして下さっているでしょう。 その様にして、本当に育てて下さったのは恵先生です。皆さんは本当にその事を覚えていただきたいと思います。そしてですね、 もちろん樫山先生にいたってもそうです。樫山先生も隠れた所でシニア世代の方々に対して非常に良く誠実に尽くして下さいました。 そうしている内にですね、成長して来た3人の息子、そして、その3人が私たちの教会の献身者として出発する事になったのですね。 それは私にとっても非常に嬉しい事でした。私が今こうやってメッセージをするようになったのは、50歳ぐらいの時でしたけれど、 今、今年68ですかね。もともとメッセージとかできるタイプでもないですし、好きでないのですよ。いつも久松先生言われる。 「お前はメッセンジャーではない。」「その通り。」という感じで。本当は私はねえ、ただのおしゃべりです。穴埋めなのです。 ですからいつこの座から降りようかなと、ずっとねらっているのです。けれどね、まだもうちょっとしなきゃいけないかなっていう所もありまして、 もともとこれを始めた理由は何かと言うとですね。私の二人の息子が、神様の道から外れてしまって、あの子らがどうなるか分からない。 で、久松先生は素晴らしい牧師なのでしょうけど、少々強すぎる。だから、私がその弱い人達の為に何かこう語るべき所、フォローすることがいるかなあー? というような、そういった動機もありまして、それから、ちょっとお茶づけの様なメッセージをしておこうと思いまして、 50歳ぐらいから始めたのでございます。ですが、そうしている間に本当にこの3人の献身者が与えられたという事は、 私にとっては本当に嬉しい事でした。やっとこれで教会の、次の世代の準備ができたという事ですね。で、 この3人の方々は献身者としての期間を5年過ごされたと思います。伝道師としての期間は5年経ったのですね。 5というのは、やはりこれはね恵の数ですから、もう神様がこれで充分だ。これで完成したと言ってくださったなというふうに思います。 ですから私たちはこの4月から、この3人の伝道師の先生をもう次のステップに進んでいただくという計画をしております。 それは本当にこの教会のリーダーとして、神様が更に強めて、そして又、しっかりとした繋がりを持って、やって下さると信じますね。 その中でもう一度、瀧澤執事も執事としての任命を受ける事になりました。これは私にとって、本当に斉藤先生が離反して行くという中で、 瀧澤執事も信仰生活がままならないという状況が長い間続く中で、私は何とかして執事がもう一度、神様に選ばれたその本当の使命を、 もう一度捉えていただきたいなというのが、長い間の願いでした。で、その通りに瀧澤執事が、執事としての任命を受けられた事は、 本当に私にとっても大きな喜びでした。彼が、本当に失礼ですけど、先程言いましたように、献身者になったり、上になった人ほど、 落ちたら、もう這い上がれないのですよね、この世界ではね。どっかの教会をやっていた、でもその教会を閉鎖する。 そしたらその教会の牧師は、よその教会で信仰生活されますか?しない。もう、よその教会に行って、一信徒として、 初めからやろうとする人は少ない。私たちが知っている人でも、いくらでもそういう人たちがいるのですよ。だからね、 皆さん信仰が落ちるということは、塩が塩気を無くしたら、何の役にもたたない。塩は塩としての役割があるのです。皆さんにも。 だけど塩が塩気を無くした時、何にも役にたたない。指導者として、まして献身者として、一時は、やろうとしていた人たちが、 それを捨てた時は、もう立ち直る事ができない人が一杯です。そういう中で、執事は地味に、誠実に、この教会でずっと信徒としての役割を全うされてきた。 それは本当に素晴らしい事ですよね。それは私たちにとっても喜びですよね。それは神の栄光です。だから彼がもう一度、立ってくれたという事は、 本当に嬉しい事なのです。そして、今度、この4月の終わりにカップ先生を御招きして、この3人を次の副牧師に任命される予定が今立っております。 4月からです。


ですから私たちが皆さんに今日、お勧めする御言葉を二つ上げたいと思います。 「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き入れて従いなさい。彼らは神に言い開きをするべき者として、 あなたがたの魂のために目を覚ましている。彼らが嘆かないで喜んでその事をするようにしなさい。 そうでないとあなたがたの益にならない。」ですから指導者たちの言う事を聞き入れて、従いなさい。と言われています。 それはあなたがたの益のためであるとあるでしょう。言う事を聞かないなら、あなた方の益にならないと書いてあります。 指導者の本音は、本当に愛するがために言っているのですよ。指導者の本音は、そういう事はあまり良くないねという時、 それはその人の本当の幸せを思い、長期的展望で考えて、それは本当にいいかどうか、考えて言います。 私たちが本当に皆さんにお伝えしたい事は、結婚、と仕事の転換と家、こういったものはやはり指導者の先生の意見を聞くという事、 これがあなた方の守りになります。それ自体が悪いものは何もありません。でも私たちは本当に、この世のものに目をくらまされがちです。 ですからそれを選ぶ時の視点というものが、皆さんの視点には欠けている所を、指導者はしっかり言ってくれます。 皆さんはどこに目を注いでいるか。私たちが祝福されたい。祝福された結婚、家も祝福されたい、祝福された職業、 お金が多く儲かる。そういった事を中心に考えるならば、それは非常に危ないという事を言っています。 ですから私たちが目を注がないといけないのは、それらを与えておられる方、そこから離れてあなた方が自分たちの良いと思う事をするなら、 それは非常に危険です。それを察知して、絶えずそこを戒めて、守る為の権威がリーダーたちにあるのですね。ですから皆さんは、 自分達のコイノニアの人たちに対して、絶えずその視点で、これは私たちの手におえないというような事は、 「先生に聞いてみます。先生から何か教えてもらいましょう。」というような考え方を、 コイノニアのリーダーの方々は持っていただきたい。そんなプライベートな事は、私たちがしたいのです。 勝手にさせて下さい。という考え方は危険なのですよ。ですから絶えずあなた方の根源、あなた方がどこに繋がっているか。 あなた方が神様と正しい関係の下で考えているかをいつも検証するのがリーダーです。なぜならそれによって信仰も失うかも知れない。 私たちは容易に重心が移るんです。何かあったらそっちにわっと心が行く。だから信仰を無くさないでいただきたい。 神様との関係をしっかり持っていただきたい。それが、指導者の言うことを聞き入れて従いなさいという意味です。 彼らは神に言い開きをしないといけない。あなた方が本当に信仰を全うして、救いが達成されて、神の国に入るように、 私たちは絶えず手当して、お世話して、そして、この人にはこういうことを言いましたが、聞き入れませんでした。でも、 これだけの事はやりました。どうぞ神様、それは、私の、指導者のせいであるか、当人たちのせいであるか? その言い開きをしないといけないのですね。だから言い開きをするということは非常に辛い事です。とりなしてあげたい。 でももうとりなしの余地も無いという時、非常に辛い事ですそれは。ですから皆さんはそうならないようにね。 指導者たちは自分達が本当に神の国に必ず入れるように、もう後1日で世の終わりが来るか。あるいは、 もう後1日信仰を持ち続けたら、大丈夫だったのに、1日前に信仰を捨てて、ああそっちってなった。そういう事が無いように、 本当に皆さんは信仰を持ち続けていただきたい。その為に指導者は、あなた方の魂の為に絶えず見張って、 あなたがたの魂が本当に神の国から離れる事がないように、というのが最大の願いですね。愛しているが故です。 愛というものはなかなか届かない時がありますよね。愛すれば愛する程、逃げて行く人もいます。愛すれば愛する程、 誤解される事もあります。けれど、指導者の心は本当に愛して諭して、あなたを守りたい。 その為の権威が与えられているということをどうぞ覚えていただきたいと思います。 ですから私たちは最期に、もう一つの御言葉ですね。だから私たちは、皆さんこうしましょう。 「最後に兄弟たちよ、いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互いに励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。 平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。」全き者となる、完成を目指す。 そして私たちはその為に互いに信仰の仲間同士、励まし合う。私たちは互いにけなし合ったり。互いに足を引きずり合ったり、 うらやましがったり、そういう仲間ではありませんね。喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさいと言われています。 私たちはそういう仲間です。そして主の御帰りになる時を信仰に励んで、互いに励まし合って行きましょう。 リーダーが与えられている事、そしてそのリーダーも非常に苦しみのリーダー、リーダーになるという事は苦しい事です皆さんそれを分かってあげて下さい。 そしてこれから更に一歩進んで行かれる3人の伝道師先生たちを益々尊敬して信頼して、従って、まあ言ったら、皆さんの信仰が彼らを盛り立てる訳ですから、 頑張って下さい、若い人達。