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今月の礼拝メッセージ

「古の日を覚える」 

2017年04月 ●木村 由智 主任牧師●

 先週、今日と引き続いて、このDVDを見ましたけれども、皆さん本当に素晴らしい DVDだったというふうに感じておられますか?私たちが今生きている時代は、もう一度、 先週からざっと皆さんで思い起こしたいのですが、成就の領域という所に今向けて進んで行っているわけですね。 戦略的な3つの柱、従事、代理、侵略を終えて、「今、私たちは命を生産する成就の領域という領域の中に生きています。」 と、いうふうに神様は私たちを導いておられますね。その中で私たちが今、新しい季節と、異なる時間の中に入って行って、 信仰の新しい次元を、今、実践して行っている時代だというふうに言われたのですね。神様が奇跡的に介入して下さる事を、 私たちは信じなければなりません。先程、エリヤの話がありましたね。エリヤの祭壇は水を沢山やりました。人の目から見て、 どう見てもこれは火が起こるという状態ではない状態を、あえてされましたね。しかし神は火をもって、 そのエリヤの祭壇に答えて下さった。これは奇跡的な神様の介入があり、神様しかできないということを現しているわけですね。 私たちの人生の中に、それが始まって行くということが、この2017年の考え方の中になければならないということですね。 それが私たちの中に起こるのですね。



 「キリストの身体が立ち上がっていかなければならない。」この様な表現をウッドロフ先生はされました。 「クリスチャンのバビロン人になるな!」っていうふうに言われましたね。「教会には来ている。神様は信じている。 しかしやっている事は、世の中の人たちと同じだ。教会には来る。だけど世では平気で、聖書的な価値観と離れた生活をしている。 そういった者になってはいけません。」というふうに言われるわけですね。それは本当に大切な事だと思います。 皆さんはここに来て、この価値観の中に生きていらっしゃいますか?今神様が語っている価値観の中に自分を置いていらっしゃいますか? それとも一時的な感情に振り回された、この世とあまり変わらない感覚の中に生きていますか?その人たちが私たちを見て、 どの様に言いますか?「ただ日曜日に教会に行っている人でしょ。」その定義だけであるならば、私たちは本当に悲しいですね。 私たちの信じている信仰というものは、どんなものなのかということを考えなければなりませんね。


 そして五役者の働きに於いて、「神の言葉の重要性がある。」と、いうふうに前半で言われました。 「神様の言葉は、私たちがどの様に考えるかを告げます。」と、いうふうに言われましたね。そして、 「神の言葉は、私たちがどの様に存在するかを私たちに教える。」これはずっと言われているでしょう。 「私たちはこういう者だ!」という定義が、今、神様の言葉として私たちの、この共同体の中に臨んで来ている訳でしょう。 その臨んで来ている言葉と、あなた自身の私生活を比べて下さい。それが本当に、その神様の言葉と、本当に等しいのかどうか。 その言葉に生きようとしているか。それらのことは、本当に考えなければなりません。


 神の言葉は、私たちに優先順位が何であるかを告げます。あなたの優先順位は何ですか?何としてでも、良い男性、 良い女性をつかまえて結婚したいという考えですか?神の言葉は私たちを定義します。この世はあなたを定義するでしょう。 あなたはこういう人だと。しかし、神様の言葉が定義する私たちが真の私たちであるということを、 いつも忘れてはなりませんね。その定義によって自分は生きていかないといけない。 その定義が私たちのこの地上での歩を定めるわけですね。どんな歩をしていますか?どんなふうに考えますか? それは本当に、神の言葉がその様に言うということに、私たちは同意していかなければなりませんね。 「五役者の責任は、キリストの身体を建て上げる事です。これは今も続いているプロセスです。」というふうに、 はっきりと宣言されました。これが無ければ私たちは正しく立ち上がって行く事はできないということです。あなたの リーダーが、あなたに対して言いにくい事を、食事に行って、「このご飯おいしいね!」って言う様な感覚で、 「あなたのやっている事は良くないですよ。」ということを言ってくれますか?それを言われた時に、私たちの心は、 神様が私たちをその様に定義しているというふうに捉えるならば、私たちは心を開いてそれを聞く事ができるでしょう。 しかし私たちが頑なであるならば、それは崩さなければなりません。私たちの肉の感覚で、聞きたくない言葉、 受け入れたくない態度、見たくない様なもの、そういったものが、実は私たちを正しくしていくものなのだということを理解しなければなりません。 いつも神様の言うことが、私たちにとって最も良い事であるということを理解しなければなりません。そしてこの働きは、 一度始めると止まる事はできないということです。これは、「集団や、逸脱や、どんな抵抗が来ても、 この建て上げてきたものは、決して打ち破られる事はありません。」このように言われます。ですから、 「あなたの中に神様の構造が立ち上がっているならば、それは絶対に打ち破られる事はありません。」 ということが宣言されています。私たちは本当にどんなものにも、卑しい人間になってはならないということです。


 そして私たちは新しい世界の中に入っています。新しい事の原則は、扉が開かれたという事です。 GGPEで私たちの加速度は天に向かって進んで行ったわけですけれども、GGPEは、新しい世界へシフトさせました。 ですから私たちは今まで積み上げてきた以上の新しい世界の中に、今私たちが存在しているということは間違いないわけですね。 「私たちの土台は神の言葉です。それは安定しています。」というふうに言いました。 そして神様が今日私たちをここに置かれた。申命記32章の中から、ウッドロフ先生が言われました。 「神がここに置かれた理由は、私たちが失敗しないように、私たちが悟る為です。」あなたの人生の中で、 決して過ちをおかす事のないように、神が私たちをここに置かれた。故に私たちは神の言葉に従わなければなりません。 あなたの感情は優先されません。あなたの感覚は優先されません。あなたの好き嫌いは優先されません。 神の言葉が何よりも優先されなければならないからです。その神の言葉を聞いた時に、私たちはそれに従わなければなりません。 この地上の価値観がすぐに機能しようとする時に、私たちには衝突が起こります。自分の思う通りにしたいと思う時に、 いつも神様はそれをとどめようとしますから、そこには衝突が起こります。そしてあなたはどちらに従うかということが問われているわけですね。 神様に従う。神の言葉に従う。あるいは自分の肉の欲に従って行くか。私たちはその肉の欲に従う事が、もう既に無い状態の中にあるということを、信仰によって宣言して行かなければなりません。「主は荒野で、獣の吠える荒地で、彼らを見つけられた。」というふうに言われましたね。これは、私たちを見つけられたというふうに言われました。この地上の、本当に、何一つ正しいものの無い中で、獣の様に吠え猛る、本当に誘惑の中で、神は私たちを見つけて下さいました。神が私たちを見つけて、神が私たちを捉えて下さいました。だから私たちは正しく進んで行く事ができます。


 忘れる事の罪、自分を造った神を捨ててしまいました。その捨てるという事が、最初のデザインを忘れる。最初の目的を忘れるという事であるというふうに言われましたね。 神が私たちを造られた目的は、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。」でした。罪によってそれらのものが全部崩壊してしまって、 私たちが神様にその様な者としてデザインされたにもかかわらず、それらのものが完全に崩壊して行きました。 それを神が今回復しておられるということですね。


 今日の所からいくつか皆さんにお話とおすすめをしたい。あなたを生んだ神、 それはエリヤセンターであるというふうにウッドロフ先生が言われました。この私たちの、今の運動の働きの起源は、 エリヤセンターであるということです。このエリヤセンターが無ければ、今日の私たちはここに存在していないということです。 その救いという大道を私たちは得ました。しかし神の元に行く小道、ですからコングレスの中では小道セミナーというふうに言います。 それはコングレスに入って来た人たちが、正しく神様の方向に向かって行く事ができる為の小道セミナーという表現を使います。 私たちは今、その小道を歩んでいます。それは、エリヤセンターという起源が私たちに来て、 そしてそれによって私たちがここにいる。そのエリヤセンターは、私たちの定義である。そして私たちの名前です。 私たちにコミュニティーを建て上げる為の、一式の価値と基盤を与えられたのが、エリヤセンターだというふうに言われました。 そこから流れて来たものによって、私たちの今日の共同体の、この形成が成されているわけですね。それによって私たちは今、 動いているわけです。ですからこの基盤が無ければ、私たちは正しく神様の方向に行く事ができないということを言われているわけです。 ただ単に、一つの地方教会という考え方ではなくて、このエリヤセンターを通して、全ての教会が正しく神様の道に進んで行く働きが二十数年前に始められた。 神がウッドロフ先生の心にそれを入れられた。ということなのですね。ですから皆さんもEADというテキストを読んで、 お分かりになっていらっしゃると思いますが、集合の所を読んで見ると、GGPEの事が既にもう書いてありましたね。 何年か前に。しかし私たちはそれを昨年経験しました。ウッドロフ先生の中には、神がどの様にしてこの地上の共同体を正しく神様の所に導かなければならないかというその考え方は、 先生の中には全てあるわけですね。それを、今のこの季節にこれを出さないといけない、この季節にこれを出さないといけない、という事をして行っているわけです。 これを管理、分配、徹底というふうに言う、というふうに聞いているわけですね。それを受けた私たちは、同じ様にこの資源を管理して、 そしてそれを分配して、それを徹底していかなければなりません。全ての人がそれをすることができる、 ということがここで言われるわけですね。そこで対立が始まった、というふうに言われました。 「聖書学校を燃やしてしまえ。爆発させてしまえ!」その様な過激な発言をされましたけれども、それは、 神の国のシステムに於いて、正しく機能していないものを、正しく機能させる為に、その様な表現を使われたということです。 許容可能なものと、許容できないものとの分離を明確にしなさい。これが改革である。構造的変化の土台である。 と、いうふうに言われました。神様の原則と位置合わせが成されていない、公然と受け入れられている、 宗教的秩序に挑戦していくというふうに言われました。たった4つの教会からスタートしました。しかし今は6大陸に渡り、 107の国に渡り、5000以上の教会が、このコングレスの中に入って来て、5000以上の教会が、正しく神様の元に、 今立ち返ろうとして行っているというプロセスを私たちは見ているわけです。その始まりは、エリヤセンターからだったのです。 ですから私たちが覚えなければならないのは、このエリヤセンターというものを覚えなければなりません。そしてそれは、 「エリヤ」というものは、一つのアイコン、象徴だというふうに言われました。この原則から私たちは、 私たちの歩みを定めて行かなければならない。その為に、まず私たちが何をしなければならないのか、それは私たちが、 「死ぬ準備をしなければなりません。」というふうに言われました。皆さんの中に、私はこの様にしたい。ああしたい。 こうしたい。色んな考え方があると思います。しかし、それが神様の言葉によって定義されたものであるならば、 それは必ず成って行くでしょう。しかし、その神様の言葉以上にあなた自身の欲、そういったものによって、 あなたがそれを求めようとするならば、神はそれを止められるでしょう。だから、「じゃあ、これをしたいけど、 これができなくなるのか?」それは、できなくなるということではなくて、あなたが神の前に、してはならない事であるということです。 その明確さを、私たちは理解しなければなりません。なぜなら神様だけが、御自分のタイミングで私たちを立証する事ができる。 証拠をあげて事実を証明する。神様が、私が神だということを立証される。私たちの人生の中に介入されて、エリヤのその、 どう見ても火が付かない状況の中に於いて、神御自身が、神様のタイミングで全ての事を成されて、 「見よ!これが、私が生きている事の証拠である。」と、いうことを告げられたわけです。私たちの人生の中に、 それが必要なのです。兄弟姉妹、私たちの人生の中に、神が来られるという事が必要なわけなのです。そしてそれが今、 私たちの中で起ころうとしているということです。神様の奇跡的な介入が無ければ、あなたの肉的な要求や、考えは、 取り除く事はできないでしょう。だからあなたは神に求めなければなりません。私たちは決して、 間違っている事を許すということはありません。しかしあなたの信仰の故に、受け入れる為に、 止む終えなくそれを受け入れる事があるかも知れません。しかしそれは神様の御心ではないかも知れません。 それはその人自身が、本当に神様の前に出て、それを求めなければ分からない事です。だから今がどの様な時代であるかということを、 皆さんよく理解できると思います。


 そしてこのエリヤセンターのロゴ、それは、「神の義へ戻る為の象徴である。」ということを言われました。 「現代のキリスト教の軽薄さを拒絶する事を示唆する、そしてそこから私たちが始まった場所であることを明らかにするためである。」 というふうに言われました。皆さんがエリヤセンターのこのロゴを見ましたね。それは、ただ単にエリヤセンターを現す為の象徴ではなくて、 それは私たちを神の義へ戻して行くということを現しているということ、今日私たちはそれを見ました。それを見た時に、 私たちは神の義に私たち自身が戻されて行っているということの理解をしなければなりません。 神様の正しさの中に戻されているということをしなければなりません。あなたの上に立てられているリーダーは、 あなたが神の義に向う為に、あなたの聞きたくない事を時に言うかも知れません。しかしそれによって、 あなたは神の義に戻る事ができるということを覚えていて下さい。その経験が、あなたを正しく立ち上げて行くということです。 その考えが、あなたをどの様な悪しき者の中にあっても、神があなたを見つけて下さるということに繋がって行くわけです。 ですから兄弟姉妹、私たちが今日見たロゴ、それは神の正しさに私たちが戻る為に、象徴として、 あれを神様が与えられたということの理解をしなければなりません。そして私たちの始まりは、全て神の義から始められている。 あなたの正しさではありません。あなたの価値基準ではありません。神様の正しさが全ての始まりであるということを、 もう一度今日皆さん認識して下さい。


 そして私たちは、そこから引き出された原則というものを見て行かなければなりません。12の石で祭壇を築いた。 これはキリストの身体に重点を置いているということです。全ての事は、象徴として旧約聖書から引き出されて書いてありました。 私たちのこの共同体の考える考えは、キリストの身体に重点を置いているという考え方が、私たちの中になければなりません。 あなた自身の身体にだけ関心を置くということではなくて、キリストの身体全体に、私たちの重点を置いているということが、 このエリヤセンターから引き出された原則であるということを覚えなければなりません。なぜならそれは集合だからです。


 「ライフスタイルのキリスト教」というふうにウッドロフ先生が定義されました。それは、清められ、聖とされ、 彼らが来た道のりの中で、完全とされた一つの民、それは私たちを鍛え、強くした旅である。イスラエルの人々が、 その行程を神様によって歩んで来ました。しかし彼らはその頑なさの故に、一つの世代が、 その荒野の中で死んで行くという事をして行きました。私たちのこの群れは、一つの民となって、 最後まで神様の原則の中を進んで行かなければなりません。神様のタイミングによって、全ての事が起こるということを覚える時に、 決して人間的な発想と捉え方で支配してはならないということです。女性の方には申し訳ないですけれども、 男性を捉えようとし過ぎてはいけないと思います。コントロールしようとし過ぎてもいけないと思います。しかし、 誤っている所は、やはり注意していただかなければいけません。妻が夫に対して。しかし、捉え過ぎると、 本来機能すべき機能が達成されなくなる傾向があると思います。私たちはいつも、その原則の中で動いて行かなければなりません。


エリヤセンターは、コングレスの中で、唯一機能している一つの世界であるというふうに言われました。一つは、人ではなく、 神様を祝う一つの世界である。私たちのやっている事は、神様を心からお祝いする、一つの世界の中にいる。 皆さんの価値観はどうですか?自分の人生を祝いたい為に、私はこうしたい、ああしたいということを、あなたのリーダーや、 神様の前に求めるのですか?その為だけの神様ですか?違います。私たちがどの様な者であっても、神様から与えられたものが、 私にとって最も良いものだということが、神を祝うという目的じゃないでしょうか。それは本当に大切な事だと思います。


そして、民の心を再び神に戻す事を求めなければなりません。私たちが求めるのは、人々が神に戻るという事をいつも求めていなければなりません。 あなたは何を求めていらっしゃるのですか?私たちが、「神の国と神の義を求めるならば、必要な物は全部そえて与えられる。」 と、聖書は約束しています。あなたが求めるのは、人々の心を再び神に戻すという事を求めなければなりません。 そして拘束の力に告げるのです。「もはや私たちに抵抗する事はできない!」あなたを捉えようとする性的な欲求、 あなたを捉えようとする肉的な感覚、あなたを捉えようとする金銭的な麻痺、そういったものは、私を何一つ惑わす事はできないと、 あなたは宣言しなければなりません。「怠惰さは私を捉える事はできません!」そういうふうに言わなければなりません。


エリヤはどの様な者であったか?「暗闇の勢力に対する敵意の霊と、それら全てを破壊するという意図である。」と、 いうふうに言われました。ですから私たちが、「エリヤ」という、その象徴を受け取る時に、「暗闇の勢力に対する敵意の霊と、 それらを全て破壊するという意図がいつもある故に、私たちは神に感謝します。」と、あなたが言わなければならない。 エリヤは統治的な祈りによって、無から一つの運動を生み出しました。ほんの小さな雲から、大雨を起こしました。 コングレスの始まりは、ほんの小さな一握りの集まりが、今日この大きさにまで神は祝福して下さいました。これは真実です。 これは神様の働きです。私たちは何を求めているのですか?兄弟姉妹、私たちは何を求めているのですか? まだ自分の生活の向上を求めるのですか?神を求めなければなりません。今、神が言われていることを求めて行かなければなりません。 「神の真の祭壇として、人々と彼らの心に最大の焦点を置きなさい。真の霊的機能としてのライフスタイルを回復しなさい。」 というふうに言われました。皆さんの真のライフスタイルは何ですか?神をあがめる事じゃないですか。 神を求める事じゃないですか。その結果、全ての物が与えられているのだったら、私たちはもう充分です。 神様のタイミングの中で歩み、建て、実行するという厳しい要求、他の何者でもなく、神からの命令によってのみ動機づけられるという、 神からの命令に従って行かなければなりません。「あなたはこうしなさい。」と、言われる所を、私たちは、「ハイ!」と言って、 いかなければなりません。神様は今、加速して働いておられます。


最後に私たちの共同体の中で忘れてはならない事は、私たちの共同体はどういうふうにして始まりましたか?約40年前に、 「倉敷」という、その一つの場所の声を神様から聞いて、久松長老と、ひろ子先生が、この共同体を始められたのではないでしょうか。 それは何によってされたのですか?神の声を聞いて、その信仰に答えたのでしょう。私たちの共同体の始まりは、 そこから始まっているわけですね。そして私たちの礼拝は、どういう礼拝ですか?ダビデの幕屋の礼拝ですよね。 使徒行伝の中にある、倒れたダビデの幕屋を回復するという、その真理に乗っ取って、レストレーションという真理に乗っ取って、 私たちの礼拝があるわけでしょう。これから、4月から、ほとんど毎月1回、BTGの先生方を教会にお招きする事になっています。 その目的は、私たちがコングレスの中で、生き、動き、存在しているということを見ていただきたい為です。 それは一つの聖域の働きです。兄弟姉妹、その時に私たちは何をしなければなりませんか?礼拝の中で本当に、 身体を建て上げるという務めをしなければならないということです。教会生活を始めるという所で皆さん学ばれましたね。 曲の終わりの曲調に合わせてメロディー賛美をして行きましょう。それどころじゃないですか?それ以上にあなたの人生の問題の方が大切なのですか? あなたの人生に、何か神様が事を起こされているならば、あなたが神に向っていないから、神に向う様に、 神はあなたに事を起こされたのではないですか?違いますか?それ以外に答えはないです。そこに私たちが信仰を持つならば、 神は全ての事を良きとして下さるでしょう。その事の故に、私たちはどの様な事があっても、神を礼拝しなければなりません。 もう落ち着き払った、あたかも完成した様な態度で礼拝に臨むのではなくて、本当に神様を礼拝したい。神様を崇めたい。 神様に捧げたいという、もっと強い思いが私たちの中に湧き上がって来なければなりません。司会者が、「もう充分です。」 と言うぐらい、兄弟姉妹、私たちは神の前に声を上げなければなりません。それが私たちの共同体の始まりであるからです。 これは、代が変わろうが、どの様に成ろうが、変わる事のない、霊的な価値観です。その霊的な価値観を私たちが継承しているならば、 それをする事が、あなたが神の言葉に従っているという事なのです。特に、BTGの先生方が来られた時には、その事を、 信仰を持って実践していただきたい。これはやらせではありません。無理矢理するという事ではありません。 それが私たちの信仰だからです。それをしなければ、私たちは本当にその原則の中に生きているという確信を持つ事ができないからです。 何がそれを妨げるのですか?「教えは分かっているけど、今この問題があって、そんな場合じゃない。」と言うならば、 あなたは神に従っていないという事です。これは厳しい言い方ですか?事実です。私たちの共同体は、本当に成長して行かなければなりません。 成熟して行かなければなりません。そしてこの地上の、このコングレスの模範の一つの教会として、立って行かなければならないのです。 求めて行かなければいけません。何の為に私たちは今ここにいるのでしょうか?何の目的の為に私たちは今ここに存在しているのでしょうか? 全ては神の栄光の為です。それをあなたが求めるならば、あなたに必要な物は神様が与えて下さいます。ですからあなたが欲している物を、 今日捨てて下さい。あなたが個人的に達成したい。こうしたい、なぜこうなのにこうしてはいけないの?捨てて下さい。 自分に死ぬ準備をして下さい。そして私たちはこの集合という働きの中で、キリストの身体が完成して行くという事を覚えなければなりません。 「古の日を覚える。」ということは、そういうことです。私たちの始まりは、エリヤセンターです。そして私たちの始まりは、 久松長老とひろ子教師から始まりました。そこから出て来る神の言葉に従って、実際的な共同体の運営は成されなければなりません。 そして私たちが身体を完成させて行く為には、このエリヤセンターから出て来たものによって、私たちは完成を成して行かなければなりません。 これは真剣に皆さんに求めていただきたい事です。言葉がきつければ本当にお許し下さい。しかし今、そういう時代の中に来ているという事です。 従うという事を選んで下さい。それは神に従うという事です。神に従うという事を、私たちは常に選び続けて行かなければいけません。 それを私たちは行って参りましょう。