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今月の礼拝メッセージ

「肉の目」 

2017年01月 ●久松 政一長老●




  夫が冷たい目で妻を見る時、妻が夫に斜めからの鋭い目、あなたは何回やりましたか?それは肉の目です。 でもそれはただ怒りの時だけという意味ではありません。肉の目というのは、全体的な総称的な意味ですね。ですから私たちは、 この肉の目を何で持っているのか、それを見てみましょう。

創世記3章1節~7節
「さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、 『園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか。』女はへびに言った、 『わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、 これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました。』へびは女に言った、 『あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです。』 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、 その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、 彼も食べた。すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、 いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。』 「神様が造られた野の生き物の中で、へびが最も狡猾であった。」

もうこの時、既に悪魔が存在していたということですね。そして悪魔は女に言いました。
「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神様は言われたのですか。」
と、疑いを向けさせるような言葉を女に語りました。すると女は悪魔に、
「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、」
これ自体が、私は駄目な言葉だと思いますね。
「許されている。」 神様はそうは言っていないですよね。神様は、
「自由に取って食べてよい。」
と、おっしゃっている訳です。許されていると言うのは、制限があって、何かその否定的な、 そういう考え方が、もうこの女の中にはあったと思われますね。それだけではなくて、
「これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないから、」
女はここで、かってに解釈していますね。神様は、「触るな。」とは言っていないですよね。
それから、 「死んではいけないから。」とは言っていないですよね。 明確に、「死ぬ。」と、言われていました。触っても問題ではない訳です。 でも彼女のアダムから聞いている考え方は、非常に神様の言われた考えとは違うことをエバは聞いていたということになりますね。
それを話したのは夫ですね。

ですから面白いことがここに書かれています。それは一番最初に、 この善悪を知る木の実を取って食べた時、どう書いていますか。
「女がその木を見ると、それは食べるによく、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、 その実を取って食べた。」
最初に食べたのは女です。取って食べた時、彼女には基本的に何も起こらなかったです。 現象面で何か変わったと言う事はなかったのです。
「その実を取って食べ、」
それから、
「また共にいた夫にも与えたので、」
エバが食べた時には何の影響も現象も現われなかったのです。例えば、それが毒だったら症状が現れたでしょう。 でもそれはなかったのです。そして夫に与え、彼も食べた。彼が食べた瞬間、現象面が現れました。
「二人の目が開いた。」
女が食べた時には目が開かなかった。でも男が食べた時、女の目も、男の目も、 共にその目が開いた。これはすごいですね。神様は、責任は男だと言っているのです。この女に正しい関係付けを、 夫はしていなかった。 男が本当に妻に対して、神様から言われたことを正しく話をしてさえいれば、女は、「触れるな。」 とか、「死ぬかも知れないから。」とか、そういういい加減な言葉で受け止めてはいなかった訳です。
「食べたら死ぬ、絶対食べてはいけないよ、これだけはだめ!」って、はっきりとアダムが詳しく説明さえしていれば、 エバは善悪の木の実をたとえいつも触っていたとしても問題はなかったのです。
でも彼女の心の中には、「触るな、触れるな、」という言葉が入っていたのです。 だからいいかげんに聞いた訳でしょ。いいかげんな話をしたのは夫です。 だから夫は妻に対して、全ての領域において事細かく、何事も隠さずに話し合うというのが神様の命令です。 ところが罪を犯してから全ての男は、自分の好きな事だけは妻に話すけれど、自分にとって嫌な事や、 また妻が別に聞かなくても良いだろう、必要ないだろうと自分で判断するような事については、夫は妻に何も話さないのです。 そういう夫を、神様は喜ばないのです。「男と女は一つ」であると言ったのでしょ、最初アダムの骨から取ったのでしょ!エバは。 だからエバがあって一つなのでしょ。一つということは、夫と妻はいつも同じ考え方を共有しているということです。 もしそれを男がしないなら、夫失格です。このアダムと全く一緒です。その結果、罪が入って来たのです。 だから一番最初に罪を犯したのはアダムです。私たちはそのことを本当に知りたいですよね。

 一番重要な点は、「二人が食べた。」「二人の目が開いた。」
ちょっと待って下さい、おかしいでしょこれ。 彼らは善悪の木の実を見ていたでしょ。でもその目は霊の目でした。神様と交わる事のできる目でした。 神様と心が通じ合う目でした。 ということは、神様はアダムとエバを御造りになった時に、もう一つの目も作っていたけれども、閉じておられた。 もう一つの目が初めからあったのですよ。それは神様が絶対に開かないように閉じておられたのです。だから神様は、
「善悪を知る木の実だけは絶対に食べてはいけない。きっと死ぬ。」
死ぬという意味は、もう一つの目が開くという意味です。 これが肉の目です。そこからこの世界は、神中心ではなく人間中心の世界になっていったのです。 ですから現在の私たちが持っている目は肉の目だけで、逆に霊の目は閉じたのです。これが罪人なのです。罪人というのは、 霊の目が閉じた人たちです。そして肉の目が開いた人たちです。これが全ての人たちです。肉の目だけは開いていますけれども、 霊の目は閉じているのです。その目を開かせるためにイエスは来たのです。アダムは失敗しました。だからもう一人のアダム、 第2のアダムと言われるイエスキリストが霊の目を開かせて、私たちが肉の目を閉じるために来られたのです。それが本当の、 最初に造られた人間だからです。最初の人間は霊の目だけ開いていたのです。だからアダムは神様から言われた事に対して、 神様と何事も共有していたから神様の心がいつも分かっていました。分かっていたから神様が、「アダム、私が造った被造物、 これは何と言いますか、お前が名前を付けなさい。」「はい神様、あれは鷲です。あれは猫です。」とか言った時に、神様は、 「違うアダム!」とは一度もおっしゃっていません。神が造られた被造物に、全部アダムが名前を付けた時に、 神は満足しておられたのです。それは神の心をアダムは分かっていたから付けたのです。神の心がいつも分かっていた。 共有していたのです。神様がどういう御考えかということを彼は知っていました。深いパートナーシップがあったのです。 夫がどういう考えか、妻がどういう考えか、たとえどんなに離れていたとしても、心が共有しているならば、問題があっても、 絶対にそういう問題に影響を受けないのです夫婦は。でも心が共有していないのであれば、ただ肉の目だけ開いているのなら、 いつも争い合ったり、肉の目で見てしまうのです。

肉の目が開いたという事はどういう事かと言うと、これはウッドロフ先生が言っておられたことです。肉の目の特徴は、
「自分に注目することなのです。」
自分が賢くなる事は、この肉の目にとって素晴らしい。だから自分が素晴らしい、 自分に注目する事、それが肉の目です。あなたはいつも自分に注目しているでしょ。それに死ななければならないのですよ。 それがあなたのする事です。それは肉の目です。肉の目、自分にいつも注目しています。相手ではないのです。あなたは、 何かが起きる度ごとに、いつも相手の事を考えるのではなくて、 自分にとってそれは良い事か悪い事かを判断する善悪を知る木の実を取って食べているのです。 いつも自分に注目しているのです。だから自分に注目している事で、嫌な事を言われたら、カーッと肉の目になる。 だからこの目を閉じる働きがコングレスです。

あなたは閉じなければならない。閉じるという意味は、 他のために物事をいつも考える事ができているのかということです。あなたは自分の事ばかり考えているのでしょう。 いつも自分を注目している。自分が嫌な事を言われたら、もうすぐ腹が立つ。自分、自分、自分に注目しているから、 自分の事しか分からない。だから自分の事を考えている人は、人の事は考えられません。 コングレスは他のために生きるという事がコングレスです。 私たちが何か起こったら、自分なんてもうだめだ。自分なんて勉強もできないから。 自分なんてこういう人生を送ってきたから。自分なんて。 それがあなたの肉の目です。それを殺してしまいなさい。そうでなかったらあなたは、 人のために生きるという素晴らしいイエスが歩まれた歩みをする事はできないよ。 私たちは肉の目を閉じる働きです。霊の目によってイエスは、人々のために考えられました。 いつも相手の気持ちになって物事を考えました。 あなたにはそんな考えがありますか。いつも何かあったら、自分、自分、自分に注目している。 もうそれは自然に注目しています。 あたりまえのように。自分にとって嫌な事を言われたらすぐに相手に対して攻撃する。それが肉の目です。 この肉の目が開く事によって死が入って来たのですよ。
「善悪を知る木の実を取って食べたらきっと死ぬ。」
きっと死ぬという事は肉の目が開く事です。肉の目が開いた人間は、必ず肉体が死ぬのです。だから死が入って来た。 この死を取り除くためにイエスは来られたのです。御自分が死なれる事によって、肉の目を閉じさせるために。 このイエスを受け入れた者が、霊の目が開かれるようになるわけです。そして肉の目を閉じる人生を送る事が神様の御心なのです。 だから自分というものを強く主張している人間は、クリスチャンであっても本当に情けないクリスチャンです。 それがクリスチャンかというような言葉を、あなたは家で言っていませんか。 世の中の人以上に悪いような考え方を持っていませんか。 仕事が第一のような、自分が仕事場でちょっと上になって、部長ぐらいになり、ステータスが上がったなら、 そういうものに価値があって、自分はそういう立場を与えられているということを、 家の中でも主張するようなバカな夫ではありませんか? そんなものは何の価値もありません。仕事なんて何の価値もない。私たちは死ぬ時は死ぬのです。 何年か長生きするだけであって、 永遠という領域で生きている私たちにとって、この地上は天国じゃない。こんなものは私たちの望んでいる国じゃない。 私たちの国の特徴は他のために生きる、人々のために生きてこその喜び、それがイエスキリストの国です。 あなたはそのために救われたのではないですか。その方をあなたは受け入れたのではないですか。 イエス様があなたの身代わりになって死なれたということは、あなたの肉の目が閉じるように、そして霊の目が開いて、 霊の目で生きるようにイエスは願われたからこそ、あなたを救って下さったのではないですか。 なぜ世の中と同じような生き方をするのですか。

私たちは今日、霊の目が開かれている者として、他のために生きる事を喜びとします。イエス様は、 わざわざサマリヤの町を通らなければならなかった。なぜですか、他のために生きなさった方だから。 たった一人のこの罪の女の目が開かれて、肉の目を閉じさせるために、イエスはわざわざ通る必要のない町、 サマリヤに行かれたのです。彼は基本的に、この地上ではユダヤ人でした。ユダヤ人がサマリヤの町を通るなんて、 とんでもない事だったのですね。にもかかわらず彼はそこを通ったじゃないですか。その一人の女を救うために。 皆さん私たちは本当にいつも人の事を思っていますか。あなたは自分の事しか思っていないんじゃないですか。 それがあなたの罪です。罪とは何か!犯罪を犯すような事が罪とは聖書は言っていないでしょ。私たちが一番、 本当に思わなければならないのは、いつも自分が何か人から言われた時、何か事件が起こった時に、 その事件や人から言われた事を、人のために考える事ができているか、それとも自分が危ないから、 自分の身を守るために人を攻撃する方にあなたはすぐ向かう人か、どっちですか。本当に自分に注目しないで、 いつも相手の気持ちや、相手の言葉を考えていたら、相手がどうしたら理解してくれるだろうか、 相手にどういう事をしてあげたら、最善だろうか、いつも相手の事を考えるじゃないですか。 あなたはいつも自分の事を考えているのではないですか。 肉の目を閉じなさい。皆さん自分に死ぬ事です。

イエス様はそのために来たのです。イエスは死ぬために来たのです。私たちも霊の目が開かれたのです。 私たちは永遠の命をいただいたのです。神の子とされたのです。なぜあなたはいつも自分の事を考えるのですか。 この肉は死んでもいいじゃないですか。永遠をいただいているのだから。人間はこの肉体のままで永遠に生きる事はできませんよ。 幸せであればある程、この地上の物で満ち溢れていればいる程、死ぬ時、それは絶望ですよ。 ソロモンがそれを代表しているじゃないですか。皆、空しいと言っているじゃないですか。この地上に幸せなんてないでしょう。 あなたがイエス様によって救われたということが、如何に素晴らしい事か。霊の目が開かれているという事が、 どんなに幸いな事か。人々のために生きるために、あなたは救われたのです。それが神の国の民の心です。世の中の民は、 この肉の目しか持っていませんから、自分の事しか考えないのはその人たちにとっては当たりまえです。 それがこの世の人たちです。世というのは、自分の事を第一にする人たちです。自分の国さえ良ければいい。 自分さえ良ければいい。自分の子供さえ良ければいいのです。それは肉の目が開いている人たちです。

私たちは肉の目を閉じるために、イエスを信じる事ができたのです。絶えず他の人の事を考えなさい。一番身近な人は誰ですか? 夫であり妻です。それゆえ一番愛する言葉と尊敬語をもって接しなさい。あなたは一番身近な人に対して、一番親切な言葉、 正しい言葉、聖い言葉、そして大事な言葉を通してあなたはいつも係わっていますか。皆さん、これが「コングレスは難しい」 と思われている内容の本当の意味ですよ。難しくありません。ウッドロフ師のおっしゃっている事で、 本当に一番しなければならない事はそれなのですよ。尊敬して、愛おしんで、他のために生きる。夫婦の関係より、 子供が第一になったらいけません。そのように、自分から一番近い人たちのために、いつも物事を考えていますか。 いつも自分よりも相手の事を考えていますか。自分が疲れていても、相手の気持ちを良く理解してあげていますか。 してなかったらあなたは本当に肉の人です。クリスチャンと言うのは名ばかりです。そして改めなければなりません。

ここでお話ししている事は、神様があなたに語っています。肉の目を閉じなさい。あなたが今までやってきた、 妻に対するひどい言葉や、また夫に対してひどい言葉を言っている妻よ、あなたは変わらなければならない。肉の目を閉じよ。 また子供たちよ、親がどんなにひどい親であっても、尊敬の言葉をもって、あなたは罪を犯してはならない。 親がろくでもない親でも、「お母さん、それはちょっとひどい言い方だねえ、それはいけないと思うよお母さん。」 「うるさい、黙っとれ!」って言われるような母親でも、ちゃんと言わないと。また夫でも、またいつも威圧してくるような父親でも、 「お父さんそれはちがうんじゃない」って。言わなければならないよ!子供たちよ。相手が間違っているなら、 他のためにその人を矯正してあげるために、正しい事を言わなければならないよ。それも大事だよ。黙ってしまって。 もう恐れてしまって。それだったらあなたは、肉の目を持って親を見ているという事になるでしょう。 霊の目が開かれなければなりません。

自分の事のためには色んな物を一杯持っている人、気をつけましょう。 妻のためにはちょっとした物しか何も買ってあげない。あなたは自分にだけ注目しているのですか。 そんなためにイエス様はあなたを救ったのではない。今日の話を聞いて、自分はやっていると思っている人が一番最悪です。 皆さん、これを聞いてあなたは変わろうと思われたところがおありですか?今日聞いて何も変わらなかったら、 多分あなたは死ぬまで変わらない。私たちは変えられるため、すなわち成熟するために今があるのです。 あなたが成熟すればする程、あなたの近隣に人々は寄って来ます。なぜならあなたが人格的に成長しているからです。 あの人はいつも、私の事や色んな人の事のために、いつも気を配って下さっている。いつも自分よりも相手の事を思っておられる。 そういう人の所に私たちは集まりたいでしょう。そういう者に私たちは変えられるべきですね。今日のメッセージは、 「肉の目」です。それは閉じなければなりません。