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今月の礼拝メッセージ

「新しい季節の始まり」 
 ~シティ・アット・ザ・クロス訪問旅行より

2016年12月 ●木村 由智主任牧師●




  少しだけ、アメリカに行って感じたことを皆さんにお話ししたいと思います。私と家内が礼拝に参加した時に私自身が感じたのは、 ここに帰って来る事ができて良かったという、そのような思いを神様からいただきました。家内も同じような思いを持っていましたけれども、 それは単に家内が20年前にその教会でお世話になっていたという事ではなくて、ここは本当に、コングレス、また、 BTGの覆いの場所であるという事を確信する事ができて、私たちは本当にここに来る事ができて良かった。 ここに戻って来る事ができて、もう一度この覆いの中で慰められ、励まされ、そして強められ、 そして立て上げられていくのだという確信をしっかり私たちは持つ事ができました。ですから私たちには霊的な覆いがあって、 私たちは霊的な者として確実に成長し、成熟していっているということの確信を、兄弟姉妹も持っていただきたいというふうに私は思いました。 この働きと覆いがあるがゆえに、私たちはここに来れているのだということを感じました。私たちは霊的な存在ですから、私たちは、 やがて創り主である神の元に私たちの霊は帰って行きます。この肉体は必ず朽ちていきます。しかし私たちはいつもこの肉体の苦痛に対して、 何か霊的であることの存在を見失いがちになってしまいやすいと思いますね。特に大病を患ったり、色んな事をした時に、 もう自分は駄目なんじゃないかというふうに思いますが、敵はいつも私たちのこの肉体を打つ事しかできません。 神様と天での会議の時に悪魔に、「ヨブの命は取るな、それ以外は何をしてもいい。」と言われたように、 私たちの命は神様の元に必ず霊として帰って行く訳ですから、この地上で私たちが経験する色んな事、弱さから来る愚かな事、 また、自分が予期せぬ状態の中で起こってくる全ての事において、私たちはそれらのものに反応する必要はないということです。 聖書の中に、「何か思いがけない事が起こったかのようにするな、何も無かったかのようにしなさい。」と言う勧めの言葉がありますけれども、 私たちはいつも自分は霊的な存在であって、この肉体が朽ちても私たちの霊は神と共に天にあるという確信の下で、 この地上を歩んで行かなければならないということを改めて確信させていただきました。ですから私たちは霊的な存在として、 いつも私たちの立ち位置を確認しましょう。

「新しい季節が来た」と言うことは、それは今までの古いものが終わったということです。そして神様は新しい季節をもって、 新しい歩みを初めて、新しい収穫をもって、全ての物を今までに味わった事のない新しい季節の中に、私たちを入れられたということです。 そのために私たちに必要な事は、本当により一層強く一致していくという事です。真理において一つになっていくという事です。 能力において一つになるのではない、真理において一つになっていくということが本当に大切だというふうに思いました。 だけど私たちはいつも、ウッドロフ師から言われている、「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」 と言われるように、決して私たちは目先のささいな事に捕らわれて、それを解決しようというような愚かな行為に走ってはなりません。 いつも私たちの戦いは、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。私たちの立ち位置は、第3の天にキリストと共に座している。 そこからGGPEで私たちは戦いを仕掛けるのだというふうに言われました。そしてそのGGPEが終わった時に、 ウッドロフ師が私たちに祈りを発信された時に、その戦いにおいて私たちは勝利を得たから、あなたは戦利品を取っているのだというふうに言われました。 私たちは戦利品を取っているということをいつも覚えなければなりません。それはあなた自身では決して得る事のできなかったものであるということです。 神が私たちと共に働いて下さったので、あなた自身の変わらなければならない部分、そういったものを神様は私たちに勝利を与えて下さったのです。 私たちの弱さ、愚かさ、知恵の無さ、怠惰さ、色々なものがあるでしょう、しかしそれらのものは、今、我らの戦利品になったというふうにいう訳です。 戦利品というのは、戦いが終わって、それを集めに行く訳です。集めに行って、私はこれを得た!それは戦って勝ったということです。皆さんの内側の、 今まで自分では変わる事のできなかったもの、また、どうしても改める事ができなかった事柄、そういったものはそのGGPEにおいて、 私たちは全部打ち勝って戦利品とした。その目的は、キリストの身体そのものを完成させていくためであるということです。 あなたが成熟し、完成していくという事は、キリストの身体が完成し、成熟していくという事になる訳です。 だから私たちがいつも求めなければならない、私たちが目的としなければならないのは、そこに私たちの考え方を常に置かなければならないということです。 そうでなければ私たちの成熟や私たちの成長は、私たち自身の肉を喜ばせるものだけにつながっていってしまう訳です。それは非常に愚かな事になってしまいます。 ですから、いつも私たちは血肉に対する戦いではない、天のもろもろの悪霊に対するもの、それらのものを私たちは今戦いを始めて、 そして第3の天から私たちはこの地に神様が降りて来られるその通り道を備えたということです。そして神が降りて来られるための準備を、 私たちはその天から地に下ってその地を全て支配するために、今私たちがもう一度この地上で新しい季節の中で、新しい事をしていくということになったということです。 新しいという言葉が使われる時には、もうその古いものから私たちは出たという意味を持つ訳です。それは私たちの今までの思考や、考え方や、知恵の無さや、 弱さや習慣や全てのものが、私たちの古いものとして、私たちは新しい季節の中に入っていったということを覚えなければいけません。 あなたにどれだけの困難があったとしても、神はあなたにそれだけの困難が必要だと思って、あなたに最も良い物としてそれを与えられたということです。 私たちにとってのトゲは、本当に私自身が高ぶらない、裁かない、自分が神にならないために私たちにそれらのものが与えられているということを皆さんもう一度認識して下さい。 それが天において私たちが天的な者、霊的な者として生きていく歩みであるというふうに信じます。ですから私たちは戦利品を持っているという事において、 神に感謝しなければなりません。

皆さんに、特に男性にお願いしたい、デイビー先生が以前、男性のセミナーでこう言われました。「あなたの奥さんが世界一悪い奥さんだったとしても、 あなたは愛さなければなりません。」今まで男が変わりなさい、こうしなさいと言われる理由は、一つになるためにあなたがその模範を示し なさいという事を言っている訳です。一つになるために、男性がまずその最初のつとめである、その変わるという行為をする、 それはキリストが教会になさったと同じ行為だということですね。キリストが教会のために命を捧げたということと同じように、 私たちの価値観や習慣というものを捨てて、それらのものに耳を傾けて、その良いスピリットで語ってくれていることを受けて、 そしてそれをもう一度語っていくという事は、自分に能力があるとか無いとか、そういう問題ではなくて、一つの身体として正しく機能していっているという事を、 私たちがその家庭の中で表す時に、子供たちの中に、一つになるという事の重要性はこういう事だということが分かる訳です。私たちももう一度関係において、 今までの関係が悪かったということではなくて、今までの関係がもう終わって、また、新しい季節の中で、新しい関係が構築されていっているということを皆さんにお伝えしたいのです。 これは大切な事です。

新しい季節が来たという事は、新しい関係が誕生したという事です。今までできなかった関係が終わって、新しい季節の中で、 新しい関係が起こって、進んで行くという事を皆さんに受け止めていただきたいのです。結婚していない人たちは、 まだ自分たちがしていないからという捉え方ではなくて、一致を保っていくために、そのような話し合いをして、 お互いが歩みよって、お互いが良い心で、良い言葉を言っていかないといけないという事の重要性を、しっかり学んで欲しいのです。 いくら学んでも、実践になった時には失敗するでしょう。実践がない限り変わる事ができない。だけど知識において、知恵において、 それを学ぶということは、皆さんにとって大きな確信であり、皆さんの信仰を確立させるためには非常に力強い働きとなって、 それが皆さんの個人の生活の中で反映されていくでしょう。だから私たちはそういうふうに捉えていかなければなりません。 私は本当に、それは言い過ぎだろうというような言葉を聞いた時でも、腹が立ってきて、クーッとなって、だけど絶対に兄弟たち、 言ってはいけない、「お前みたいな奴とはもう離婚じゃー!」なんて言ったらもう終わりです。それを言うという事は、 あなたが持っている戦利品を、もう一度生かすという事になる訳です。私たちはもう戦いを終えました。戦いを終えて、 戦利品を持っているという事は、私たちがその戦利品を見るという事は、新しい季節の中で、新しい戦いの中に私たちは入っていったという事です。 もしまだ私たちの関係の中でまだ戦いがあるならば、それは血肉に対するものではないと、はっきりウッドロフ師が御言葉を通して私たちに宣言して下さいました。 だからウッドロフ先生の働きは、終わりの時代にその御言葉の封印を解く働きを、あなたはキリストの身体全体にして行くと言われたように、 今、その封印が解かれて、私たちがその御言葉を見て、私はこのように生きるのだという事ができるようになってきている訳です。

だから私たちは、そのような事を追い求めていく者にならなければなりません。ですから家庭の中で男性がしっかりと、 最後のアダムであるキリストの務めをしていかなければなりません。流されて来た資源は、本当に伝えなければなりません。 奥さんの方が霊的に開かれた部分があったとしても、あなたの立ち位置は逆転する事はありません。男というところからくる責任は、 いつも神様から受けて流す、男は男としての機能を果たしていかなければならない。私たちは働きも何もかもが一つになって、 あなたはこうしなければならない。あなたはこうでなければならないという事を言い出すと、その最初の始めである関係が悪くなってしまう訳です。 アダムとエバは関係が崩れてしまったゆえに、神様の恵みから追い出されてしまいました。そして最後のアダムであるキリスト様は、 その呪いを打ち破って、私たちをもう一度神様の関係の中に回復して下さいました。そして回復されたという事は、 男は男としての機能を回復されたという事です。どんなに腹が立つような事があっても、絶対に言ってはならない言葉は発してはならないということです。 その発したい心に死に切らないといけないということです。あなたが死に切るならば、あなたはそこで新しいものを手に入れた、 霊的な祝福を手に入れたという事につながっていく訳です。霊的な祝福というものは目に見えるものではありません。 それは私たちの内側で構築されていくものです。そしてそれは時が経てば、人々があなたの建てた建築物を見て、 本当に神様があなたの中に生きておられるという事を感じる訳です。私たちは結果を求めやすい、こうやったら一番早い、 その計算はできても、そこに心や、人々と働く重要性や、一切そういうものが無くて、いつもそこにいってしまう。 それは本当に罪です。どれだけあなたが立派な賜物を持って、どれだけ素晴らしい仕事をして、働きをしたとしても、 あなたが本当に砕かれて、与えなければならないものを与えていなければ、それは罪です。与えていなければならないものは、 そんなにたいそうな物ではない。いつも砕かれて、その奥さんが言う事に同意してあげるということです。 「なぜ私がしゃべったらあなたは私の声以上に大きくしゃべって威圧してくるの!」もし奥さんが言うならば、 私たちはその威圧する姿勢を改めなければなりません。それを捨てなければなりません。それを、捨てるだけでいいのです。 そしたら霊的な祝福が来て、私の中に、死んで、新しい物が建つための土台ができていって、そしてそれらのものが私たちの中に完成して、 私たちは進んで行く事ができるということです。ですから皆さん、私たちがどのような者であるかということを本当に理解しなければならないというふうに思いました。

最後にデイビー先生が、日曜日に語って下さったメッセージを簡単に皆さんに話したいと思います。それは、 「聖霊と共に歩む私たちの人生」先生はもう8週間ぐらいのシリーズでされていますけれども、私たちが今、 私が語ったような事をするために、私たちに最も必要なのは聖霊の力です。あなたの肉の能力ではありません。 あなたがどれだけ肉の能力にたけていて、判断力があって、素晴らしい人であったとしても、聖霊がそこに働かないならば、 あなたは何もなす事はできません。それは、神の働きをなし得る事はできませんということです。デイビー先生が、 創世記の8章からずっと御言葉を語りました。創世記8章1~12節、ノアの洪水の事です。そして水が引いてきました。 そして創世記の9章で、もう一度、アダムとエバができなかった事を、神様はノアに宣言しました。「生めよ、ふえよ、 地に満ちよ、地を従わせよ。」アダムができなかった事を、私たちが行わなければならない、 その御言葉を回復する働きの中に入っているという預言的な描写ですというふうに言われました。 この御言葉が神の願い、御心です。この働きを回復させなければなりません。だから私たちは自分に死ななければなりません。 男性、女性、小さい子供にかかわらず、全ての人が死ななければならない。それはなぜか?神様と一つになるためです。 そして家庭の中で男が変わる事によって、その家庭の中に神様からの祝福が流れていくためです。そして8章から見ていった時に、 「まずノアはカラスを放しました。」というふうに聖書には記されています。そしてカラスは地の上から水が乾き切るまで、 あちこちに飛びまわった。それはノアの所に帰って来なかったという意味だ、というふうに言われました。 そしてそのカラスは水の上を漂う、それは、裁きが終わるまで漂う事を現している。カラスは律法を象徴し、 カラスはあちこち行くが、落ち着く所がない。律法によって神の義に到達する事はできないという事を、 預言的に描写しているのが、この8章の中のカラスを放すということだと言われたのです。デイビー先生のメッセージを聞いて、 本当にウッドロフ先生を通して、終わりの時代に御言葉の封印が解かれて、私たちに聞いた事もない、見た事もない、 本当に感じた事もないような神様の霊的なもろもろの恵みが、私たちに来ているということです。これが霊的なもろもろの恵みということです。 何か物質を得るとか、何か体が震えるとか、そういう次元の事ではない。霊的な恵みというのは、神様の真理が私たちの、 このどうしようもない頭や心に、理解して、そしてそれができるようになっていくという、それが霊的なもろもろの恵みなのです。 カラスは律法を象徴し、あちこち行きつく所が無いという意味は、律法によっては、 どんなに努力しようが神の義に到達する事はできないのだという意味です。 律法が過ぎる人がいます。行き過ぎると律法は裁きをもたらしてしまって、出来てないという事が、 この視野の中に入って来る訳です。それは本当に狭い視野です。だけど私たちはそれを取り除いて、 恵みという視野で物事を見ていかなければなりません。そして預言的な描写として、 まず鳩を2回飛ばしたというふうにデイビー先生が言われました。創世記8章を見ればそれが分かります。 最初に鳩を飛ばした時に、鳩は帰って来ました。なぜなら足を着く場所がなかったから、水が引いてなかったからです。 そして鳩は戻って来ました。まだその時が来ていないから戻って来ました。カラスは飛び回って戻って来る事はありませんでした。 律法はあちこち歩きます。しかし鳩は聖霊を象徴します。まだその場所が無ければ元に戻って来ました。 そしてその鳩は聖霊を象徴するということで、イエス様の上に鳩のような形で聖霊が臨んだ。

ヨハネによる福音書1章32節に「御霊がはとのように天から降って」という表現がある。この天から降ってという言葉は、 継続的に私たちに御霊は留まるという意味なのだということをおっしゃいました。「皆さんの上には継続的に聖霊の油注ぎがあるということをしっかり覚えて下さい。」 ということを勧められました。2回目は、水の上をもう一度飛んだ。その時に、地から水が引き始め、オリーブの若葉を鳩が持って帰って来た。 オリーブの若葉が現すのは、裁きの水が引き、そこに鳩は、その裁きは終わったという基準をノアの元に持って来たという事を象徴している預言的なことだと言いました。 2回目に行った鳩が持って来たオリーブの若枝、それはイエス様を象徴することで、恵みが来た事によって、 裁きが完全に終わってしまったということが成就したと言っている訳です。なのになぜ私たちは、まだ裁かなければならないのでしょうか。 裁きは神様がして下さいます。だから私たちの関係の中で、もう裁きが終わった。恵みの時が来た。聖霊によってその事が成就したということを私たちの認識の中に入れなければなりません。 それを持たなければなりません。水から出ているオリーブは何を現すのですか?それはイエスの上に留まった聖霊を現します。 律法の中からその枝が出て、その律法を打ち破って、水を打ち破って恵みが現れたという事を象徴しているのです。 私たちの中にその御方がいらっしゃるという事は、私たちの中のその律法的なもの、あなた自身の、 その変える事のできない考え方を打ち破って、聖霊は私たちに恵みをもたらして下さっているということが、 この預言的な象徴だというふうに言われました。そして3度目に鳩を放したところ、水の上に飛んで行って、 鳩はもはや彼の所に戻って来なかった。その理由は、鳩は生活を建て上げる場所を見つけた。そこに神様の恵みを建て上げる場所を見つけた。 そして裁きが完全に終わった、新しい季節の中に入ったという事を現していると言われました。そこに鳩は新しい家を見つけた。 それは私たちの内側だというふうに言われました。鳩が3度目に飛んで行った理由は、新しい季節が来、私たちの内側に聖霊が宿って、 鳩が私たちの内に新しい場所を見つけたのだという事を言っているということを言われました。兄弟姉妹は聖霊を受けていらっしゃいますよね。 聖霊はあなたの内側に自分が住む場所として、新しい場所として私たちを選ばれたという事を理解して下さい。それはあなたの能力ではありません。 あなたの家柄でもありません。あなたの働きでもありません。一方的な神様の恵みです。これを忘れるから私たちは傲慢になり裁きに走ってしまうのです。 そして最後に私たちはこの聖霊によって行かなければならない。

箴言12章12節に「正しい人の根は堅く立つ」と、言われました。私たちの根は固く立って、その私たちの中から、 その木が豊かに育っていくということを私たちは信じます。それが今、私たちにもたらされている神の恵みであるということを良く皆さん理解していきたいと思います。 私たちは律法によっては成し得なかった事を、聖霊による恵みによってそれを成している時代の中に生きているということです。 そのために私たち自身が変わっていくということ、成熟を追及していくということ、キリストの身丈に、また、 頭なるキリストにという、この二つの事柄にいつも私たちの中心的な価値観を置いていなければいけません。そうでなければ、 私たちは何の目的のためにこれをしているのかというものを見失ってしまうからです。私たちは終わりの時代の中で、 キリストの身体を完成する者として召されている訳です。選ばれている訳です。そしてもうあなたは、私は弱い、 駄目だと言う必要はありません。なぜならそれは戦利品となったからです。あなたは「私は戦利品を持っている。」 という宣言をしなければいけません。たとえあなたが叱責されたとしても、「その通りです。しかしそれはもはや戦利品になりました。」 と、あなたが言うか言わないかによって、あなたはまた、古い時代の中に入っていく訳です。だから何も言うなと言っているのではない。 それは私たちの心の中で正しい判断をいつもできるように、聖霊が私の中に臨んで下さっている、新しい家として私の中に臨んで下さっているということです。 私はそれを建て上げていかなければなりません。そして皆さんもそれを建て上げていかなければなりません。それが私たちの務めです。だから兄弟姉妹、 キリストの身体を完成させていきましょう。そのために私たちのするべき事を、今日の語られた勧めの中から、その事を受け止めて、よく考え、 その事をよく夫婦で話し、家族で話し、理解し合って下さい。そして決して裁き合う事のないようにして下さい。その時代は終わりました。 新しい季節は、本当に建て上げていく季節です。一つになっていく季節です。これが今私たちの中に新しい始まりとして起こってきています。 それを受け止めていきましょう。