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今月の礼拝メッセージ

「神を恥とはしない」318人の仲間サマーキャンプ(後半)

2016年10月 ●デイビー・カップ師●




   使徒行伝1章を見て下さい。 イエス様は地上を離れようとしています。天に上がろうとされていました。 そしてイエス様は弟子たちに対して、 「全世界に出て行って福音を宣べ伝えなさい」と、言いました。 どこに行くのですか? 「全世界」 あなたの小さな村だけではありません。もう世界中の、いたる所に行きなさい。彼らは漁師たちです。無学な者たちです。 ところがそういう人たちが、ローマ帝国に行って、福音を宣べ伝えるのですか?そしてイエス様は、まさに天に昇ろうとして、 らをミッションに送ろうとしました。 そして聖書は、 「イエス様は40日間彼らに語られた」 と書いています。 神の御国について語りました。真理について話ました。しかし彼らはまだ準備ができていません。ただ物事を知っている、 ということだけでは充分ではありません。 この使徒行伝1章に、何と書いてありますか? 4節「彼らと一緒にいる時、イエスは彼らにこう命じられた。エルサレムを離れないで、 わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」~まで、 エルサレムを離れてはいけません。覚えていますね。 イエス様は、「世界中に行きなさい」と言いました。ところが、 まだ行くなと。エルサレムで待ちなさい。まだ準備ができていません。まだあなたには力が無い。まだ強さが無い。 あなたにはまだ確信が無い。~まで、行ってはいけない。一体その、~とは何でしょう?神が、父の約束を待ちなさい。 5節「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなくあなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」 これは非常に興味深いですね。 イエス様は、「ヨハネは水でバプテスマをあなたがたに与えました。 しかしもうすぐ、あなたは聖霊のバプテスマを受けます」 と言われたのですね。この水でバプテスマを受けるとは、どういう意味ですか? あなたは水の中に浸け込まれました。 ところがイエス様は、「あなたは聖霊でバプテスマを受けます」と言ったのですね。 つまりあなたは、何かの中に浸けられる。そして水で浸されるのではなくて、聖霊で浸されて満たされる。 だからそれが起こるまで、どこにも行ってはいけない。

見て下さい、8節「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなた方は力を受けます。」 何の力ですか?彼の証人になるための力です。ペテロがしなかった一つの事、イエス様のことを、 あなたは知っていますか?「全然知らん、バカ野郎、何言ってんだ!」彼はその時、イエス様の証人になる事ができませんでした。 しかしイエス様は言われます、 「あなたが聖霊で満たされるまで、あなたは待ちなさい。そしてあなたが受けたら、私の証人になります」 と。それが、彼の力の瞬間でした。それがペテロをちがう人に変えたのです。 これはイエス様の復活ではありませんでした。これはイエス様の十字架での死ではありませんでした。 それはペテロが聖霊で満たされたからでした。子供たち聞いて下さい。ペテロが捕まえられた時のペテロと、全くちがう。 こちらのペテロは泣いて、否定して、そしてぶつぶつ言っているペテロでした。しかしこっちのペテロは、立って、 メッセージをして、恐れが無く、牢屋に行く準備さえもできていた。この二つのちがいは何かというと、 たった一つの事によってちがったのです。聖霊のバプテスマによってでした。彼は聖霊で満たされていました。

 皆さん、私の方を見て下さい。皆さんの目を私に向けて下さい。あなたが聖霊で満たされる時、あなたはもう決して、 昔の同じ人にはなりません。あなたは力を得ます。あなたには大胆さが出てきます。あなたには力があります。 あなたは決して恥じる事は無くなります。ペテロと弟子たちは待っていました。イエス様は雲に乗って昇られ、 そして120人たちが集まりました。そして、「分かった、待とう。」「私たちはいったい何を待っているのか?」 「イエス様は約束を待ちなさいと言われた。何かは僕たちには分からない。どういう形になるのか分からない。ただイエス様は、 聖霊のバプテスマを下さると言った。」以前それが起こった事は一度もありません。旧約聖書の中では、 聖霊様は一瞬その人々の所に来て、また、離れて行ったのですね。神の霊がサムソンの上に来ました。そしてまた離れて行きました。

 ところがイエス様は、私たちが聖霊で満たされると言われた。聖霊様が私たちの内にいると言われた。そして決して離れないと言われた。 「一体これはどういう事が起こるのだろう?」「私たちは分かりません。」彼らは部屋を借りて待っていました。1日目、 皆興奮していました。「聖霊様が来るぞ!」「礼拝しましょう!」彼らは歌って祈っていました。何も起こりませんでした。 2日目、何も起こらない。祈って、3日目、何も起こらない。そして彼らはそれを9日間行いました。彼らが始めた時、 500人いましたが、9日目には、120人に減っていました。沢山の人が、もう祈るのに疲れ、「もういいや、 もう家に帰って何かしたい。」ところがイエス様は、「離れずに待ちなさい。」だから聖霊様に関しては、 それ程大切なのですそれが。そして10日目に彼らはまた集まります。一致して祈っています。皆さん今日私たちは、 「私たちを一つにして下さい」と、歌いました。そして私たちは祈りました。突然何が起こったか見て下さい。
 使徒行伝2章1節「五旬節の日になって、みんなが一つの所に集まっていた。すると、突然、」 彼らは同じ事をずっとしていたのです。ところが、突然、何かが起こります。何かが変わります。 見て下さい。「すると、突然、天から激しい風が吹いて来るような響きが起こり、」 激しい風の様な音がして、そして部屋の雰囲気が突然変わります。これは神様の息吹でした。神様が息を吹きかけておられる。 アダムに息を吹きかけたように、その部屋は突然風の様な音で満ちはじめた。そしてその部屋全体にその風が満ち渡りました。 すると突然火の様な舌が起こりました。そして一人一人、皆の上に留まりました。そして周りを見ると、突然天から炎が降りて、 一人一人の頭の上に乗った様でした。不思議ですね。 これは神の手が天から下りて来て、一人一人の上に触って触れたという事です。長い間芸術家たちは、その絵を描こうとしました。 そして彼らが書いたのは、頭の所から火が出ている絵を描いたのですね。これは反対なのです。 それは神様がその120人に手を天から置いたのですね。

そして突然、何が起こったか見てみましょう。 「すると皆が聖霊に満たされた。」 皆さん聞いて下さい。イエス様は約束されました。彼らは待ちました。天から音が現れて、 神様の手が彼らの上に臨んで、彼らは皆聖霊で満たされました。彼らはどうやって自分たちが聖霊で満たされたかが分かったのでしょうか? 彼らの元々の言語ではなかった言葉が出てきたのです。彼らの言語は、へブル語、またはギリシャ語でした。ところが、 自分たちが一度も学んだ事のない異国の言葉を話していたのです。なぜでしょう?なぜなら神様がその一人一人の口の舌をコントロールしない限り、 彼らは決して恥じと感じない者にはなれないと知っていたのですね。なぜなら皆さんが恥を感じた時、どうしますか?イエス様を否定しますね。 「私はあなたを知りません。」または、何も言わない。ですから神様がやって来て、あなたが聖霊で満たされたという、 そのサインを下さったのです。それは一度も自分が学んだ事のない言葉を語る事です。皆さんそれは理解できません。 これは皆さんの中にいる神様が語るからです。皆さん知っていますね、神様は、全部の言語を知っていらっしゃると。 ですから皆さんの中に神の霊がある時、一度も学んだ事のない言葉を語る事ができます。このサインは、 誰かがあなたの中にいるということです。なぜなら聖霊様というのは、何か感じるものではありません。聖霊様は、人です。 神です。そしてあなたを満たすと。そして彼があなたの中に入る時、あなたを通して神は語られます。

そして一度も学んだ事のない言葉を、あなたは語り始めます。何が起こったか見ましょう。 5節「さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、 この物音が起こると、大勢の人々が集まって来た。彼らはそれぞれ自分の国の言葉で、弟子たちが話すのを聞いて、 驚き、あきれてしまった。」見て下さい。 これはですね、イスラエルの大きなお祭りがあった時の事です。そして色んな国から、 エルサレムに人々が集まって来ていました。 そして彼らは色んな言語で話していたのです。そして集まっていた者たちが、大きな声で、ちがう言語で話し始めた時に、 周りの人が一斉に聞き始めたのですね。これがペンテコステの日に起こった事です。120人が、全てユダヤ人です。 彼らが異言で語り始めました。そしてお祭りのためにエルサレムにやって来た人たちが皆見て、なぜなら彼らが、 やって来た自分たちの言葉で話すのを聞いたからです。
7節~「彼らは驚きあやしんで言った。どうでしょう、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではありませんか。 それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったい、どうしたことでしょう。」 この神の偉大なその御業を語っているのを、自分たちの言語で聞いたのです。 何が起こったのでしょう?彼らは聖霊でバプテスマを受けたのです。彼らは聖霊で満たされたのです。 彼らは聖霊を受け取ったのです。聖霊様が彼らの内に、ブウォッと降りたのです。聖霊様の服を着たのです。

そしてその120人の中にいた一人は、誰だったでしょう?ペテロという名前の人でした。イエス様を恥とした、 そのペテロです。イエス様を知らないと言ったペテロです。「私は絶対にイエス様を知らない」と誓った、あのペテロです。 ペテロはその部屋にいました。そして彼は素晴らしい時間を、そこで過ごしていました。手を上げて、 そして自分が一度も学んだ事のない言葉で賛美しました。頭のてっぺんから、足のつま先まで聖霊で満たされました。 力を受け取りました。勇気を受けました。自信を受け取りました。そして自分が、一度も学んだ事のない言葉で叫び始めました。 その部屋全体が人々で満たされました。そして変わった人々で満たされたのです。そしてあまりにも騒がしくなって、 そして人々がやって来て窓からのぞき込んだのですね。その当時はエアコンとかはありませんでした。だからいつも窓が開いていたのです。 そしてその周りには、色んな人々の集会というのがあったのです。もう何千という人々がいました。しかしその部屋の中では、 あまりにも騒がしくなって、そして外で勉強している皆の邪魔になってしまったのですね。そして皆がやって来て、 のぞき込み始めました。そして彼らがそこで見た事は、クレイジーな事でした。ある人はジャンプして、ある人はダンスして、 ある人は床に伏せて、ある人は異言で語って、泣きながら歌っているし、これは聖霊様のパーティーの様な、 非常にすごい事になっていたのです。そして人々は見つめていました。そしてだんだん落ち着いてきて、 聖書が何と書いていますか?「これはいったいどういう事か!」しかしある人々は、「彼らはお酒で酔っているんだ。」 ところが他の人は、「いやそうじゃない、何かが起きている。」面白いと思いませんか、一つの事で、 人々は色んな見方がそこに出てくる。「神様が働いておられる。」「いやいや彼らは 酔っている。」そして彼らに関する嘘を広め始めました。彼らは、「あいつらは、イエス様に付いていた者たちだ。」 「あいつらは酒によっている。」「彼らはバカ者だ!」ところが神様の行いを立証するために立った人は誰でしょう? ペテロでした。ペテロは立ち上がって、彼は変わりました。彼は変えられました。もう恐れていません。 もう恥とは思っていません。

彼は聖霊に満たされていました。そして彼が立ち上がって、言った事は何でしょうか? 13節「しかし他に、『彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。』と言って、あざける者たちもいた。しかし、 ペテロは11人と共に立って、声を張り上げ人々にはっきりとこう 言った。ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住む全ての人々、あなたがたに知っていただきたいことがあります。 どうかわたしの言葉に耳を貸して下さい、今は朝の九時ですから、あなた方の思っているように、この人たちは、 酔っているのではありません。これは預言者ヨエルによって語られたことです。『神は言われる。終わりの日に、 わたしの霊をすべての人々に注ぐ。すると、あなたがたのむすこや娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、 わたしの僕にも、はした女にもわたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。』
これは驚くべき事です。この2か月前彼は、 「イエス様を知らない」と言ったのです。捕まえられるのを恐れて。はずかしがって。ところが2か月後、彼は皆の前に立って、 「皆さん私の言う事を聞いて下さい。何が起こっているかお話ししましょう。彼らは酔っているのではありません。 まだ朝の9時です。これが預言者ヨエルの語った事です。700年も前に彼は預言しました。 『ある日、神は全ての者に神の霊を注ぐ』と。今日がその日です。」そして彼はメッセージし始めます。彼は変わりました。 彼は変えられました。「ああーすみません、私信じません。」そこから、「私の言う事を聞いて下さい。」 何が変えたのでしょうか?彼は聖霊で満たされたのでした。何と驚くべき事でしょうか。そして彼は語り始めます。その日、 3千人が救われました。これは素晴らしいストーリーですね。これは聖書の中にあります。2千年前、デイビー先生、 いったいこれが何の私の助けになるのですか?私日本に住んでいますよ。2016年、私は熊本に住んでいます。 私は倉敷に住んでいます。奈良に住んでいます。皆さんが来た町、どこでも、私はここにはいませんでした。 それがいったい何の私の助けになるのですか?私が知っているべき、ただのストーリーじゃないですか?ちがいます。 ペテロがした事を見て下さい。彼はそのメッセージの終わりで、この3千人の人々は言いました。 「私たちは何をすべきですか?」そしてペテロが言った事を見て下さい。

2章37節「人々はこれを聞いて、心を刺され、 ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。そこで、 ペテロは彼らに答えた。『悔い改めなさい。そして、それぞれ罪をゆるしていただくために、イエスキリストの名によって、 バプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」「あなたは聖霊の賜物を受けるでしょう。」 「ああ、でも、私はそこにいませんでした。私も聖霊の賜物をいただけるのですか?」「そうです!」なぜならペテロが言った事を見て下さい。

39節「なぜならこの約束は、あなたがたと、その子供たち、並びに全ての遠くにいる人々」それは私たちの事です。 私はその時代からずっと離れている者です。「神様が御自分の元に呼ばれる人たち、全ての者のために」と、書いています。 ですから聖霊の約束は、彼らだけのためのものではありません。子供たちのものだけでもありません。この、 ずーっと遠く離れた人々、全ての者のためです。あなたのため。彼らに起こった事はあなたのためです。 神様は聖霊に満たされた子供たちのグループを、ずーっと待ち望んでおられました。この、「私たちは聖霊に満たされたい」 と言うグループが集まるのを、神様はずーっと願っておられたのです。そして私たちは変えられます。もう永久に変わります。 恥とはしません。もう大胆さがあふれて、自信にあふれて、そして霊の態度で満たされます。なぜですか? 神様はもう遠く離れた方ではなくて、ここにいらっしゃる神様になるからです。

私が幼い子供だった時に、 12歳か13歳ぐらいの時でした。私は中学生でした。皆さんご存知のように、私の父親は牧師先生です。私は12歳でした。 中学校に行って、2千人の生徒たちがいました。私ははずかしがったのです。私は主を愛していました。教会も愛していました。 しかし私はある時、廊下にいました。そしてその廊下には、一人一人のロッカーがあったのです。そしてクラスとクラスの授業の間でした。 そして私は立って、自分のロッカーの鍵を開けていました。そしてこの二つのロッカーの隣には、別の人が二人立って話していたのです。 そして私は自分のロッカーを開けて、彼らが話しているのが聞こえました。彼らは笑っているのです。 そして彼らは週末にやった事に対して話していたのです。「見たかい、教会の窓から中を見たら、色んな人たちが賛美して、 騒いでいたって、もう敗北者たちだねえ。」そして彼らの事を笑っていたのです。そして彼らが話していたのは、 「6ストリートとダンソンストリートの間にある、あそこの教会だよ」と、話していたのです。私は突然固まりました。 「あれは私の教会の事だ。」そして私の顔から汗がにじみ出て彼は笑ってバカにしていたのです。私はすごくはずかしかったのです。 それで私は何も彼らに言いませんでした。私はロッカーを閉めて、そして離れて行きました。家に帰ったその夜、 私は本当にはずかしいと思いました。私はイエス様のために立ち上がる事をしなかったのです。彼らに向って、 「それは僕の教会だ!」とは言わなかったのです。「生ける神様の事だよ!」とは言わなかったのです。 私はあまりにもはずかしかったのです。私には力がありませんでした。もちろん私は礼拝には出ていました。手を上げてですね。 ところがジェファーソン中学校で、私ははずかしがっていました。それは私をひどく悩ませたのを覚えています。 そして私は次の年のサマーキャンプで、私はそこで聖霊に満たされたのです。私はその時13歳でした。 そして私はグループの友達と祈っているのを覚えています。そしたら突然、神の霊で満たされたのです。そして私は変わりました。 私はもう2度と恥じる事は無くなったのです。それで事実、私は自分の教会の事を話し始めました。 私はもう2度とはずかしがる事は終わりました。

神様は皆さんを聖霊で満たしたいと願っておられます。そしてこの週末、 私たちは皆のために祈ります。神様は皆さんの内に手を置かれます。私たちが皆さんの上に手を置いて、 そうすると皆さんは聖霊で満たされます。明日の朝の礼拝は、皆が聖霊で満たされる集会になります。皆さんに飢え渇いて欲しい。 そして、「神様、私を満たして下さいと祈り始めて欲しい。」そして、期待で満ちて下さい。そして神様はこの部屋を、 また別のペンテコステの日のようにされます。なぜなら神様は、皆さんに大胆であって欲しいからです。 勇気で満たされて欲しいのです。聞いて下さい、ちょっとだけ神様をいただくという事はできません。もう全部満たされて欲しい。 だから皆さんの器を神様に明け渡さなければいけません。「神様私をあなたにあげます、私を満たして下さい。」今晩、 キャンプファイヤーがあります。そのキャンプファイヤーで、私のために一つ特別な事をして下さい。今日の内にいつか、 皆さん、枝とか葉っぱを見つけて、それをあなたとして、「神様、私の命をあげます。私の容器をあなたにあげます。」 そしてそれを火の中に投げ入れて欲しいのです。そして、「神様明日、私を満たして下さい」と。明日の朝ここに来て、 「神様私たちを満たして下さい。」と言います。そして神様はそうして下さいます。