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今月の礼拝メッセージ

「神を恥とはしない」318人の仲間サマーキャンプ(前半)

2016年9月 ●デイビー・カップ師●




   何が神様の霊の姿勢でしょうか。神様はどのように行動されるのでしょう。神様はどのようにして物事をやり取りされるのでしょうか。 皆さん悪い態度の人と会った事はありますか?「あなたと話したくないわ、だまれ!」 彼らには悪い態度がありますね。または、恥ずかしがりやの人を見た事はありますか?いつも恥ずかしがって、 人の目を見たくない、見られたくない。ある人はプライドの態度を持っている人。人よりも自分の方が偉いと。 彼らの鼻は、天よりも高い感じで、雨が降ったら濡れてしまう。皆さんの態度は何ですか?神様には態度、 姿勢があります。霊の姿勢です。神様があなたを神の霊で満たされる時、神の態度、姿勢で満たされるのです。
 今朝は、「神を恥とはしない」ということを語りたいと思います。この世の中のいろんなものは、 私たちクリスチャンをバカにしようとします。そして皆さんにプレッシャーをかけてきます。恥ずかしがるように。 また、恥と感じるように。また、主を否定するように。そしてある人々は、信仰のために死んだ人さえいるのです。 皆さんは恥と感じていますか?あなたは主イエス様を、恥と思っていますか?

 パウロは、ローマ人への手紙1章16節で「わたしはイエス・キリストの福音を恥とはしない。」と言っています。 彼はローマの人々に手紙を書きました。その当時の大帝国の、一番本部に都市があった所です。 ローマは大きな町でした。小さな村ではありません。ローマ帝国の、一番中心となる所でした。東京みたいです。 または、パリの様です。または、ニューヨーク、または、メキシコ市みたいな大きな都市でした。 そしてパウロは言います、「私は福音を恥とはしません。」彼はローマに行って、メッセージをするはずでした。 ところがある理由で、彼はそこにたどり着く事ができませんでした。そして人々は、パウロに関する嘘をひろめ始めたのです。 パウロは大きな町に来るのは、恥ずかしがって、彼は小さな町でしか福音を宣べ伝えない。田舎で。 彼は恥ずかしすぎて、恥としているから、大きな町には彼は来ないよ。そしてパウロは手紙を書きました。 「私は福音を恥とはしていません。私はそれを恥とは思いません。」聞いて下さい。この部屋だけで勇敢であることでは、 充分ではありません。来週皆さんは、学校へ行かなければいけませんね。お友達の間でいなければいけません。 ここではある自分でいて、別のところでは別の自分でいるということはできません。 この部屋で歌っています皆さんは。ところが外へ行くと、「イエス様?誰それ。」そして二つの、 二重みたいな人ですね。外側ではプレッシャーが沢山あります。イエス様を否定するという。イエス様に関して、 静かにだまっている。彼らは皆が、「バカみたい」と、思わせます。しかしここでは、私たち皆が同じ事をしています。 神様は皆さんを聖霊で満たしたいのです。ですから外に行く時にも、決して神を恥とはしないために。 私たちは主イエス様を、恥とするべきではありません。皆さん、この恥ということが、どういうことか分かりますか? 求先生が私の友達としましょう。笑って話ながら、そして誰かが来たら、私は求先生といたのを、 恥と思うような態度で、その新しく来た人に、「あーこんにちは。」と言うのですね。そして、「あの人は誰か?」 と聞かれたら、「ただの知り合い。」ところがその人がいなかったら、「ヤー!」ところが、友達が来た瞬間、 恥ずかしがって、「あっ、行かないといけない。」これが、恥とするということです。教会で、 イエス様とあなたと、「イエス様、ハレルヤ!」ところが教会を離れるとすぐ、そして、「今週何をしたのですか?」 と、友達が聞くと、「あっ、ちょっと用事があって。」そして友達が、「クレイジーなクリスチャンの事を聞いた事があるかい?」 「うんー、まあー、ところで巨人はどうだい?」私たちは恥とすることはできません。この箇所を見て下さい。

 マルコによる福音書8章38節その驚くべき聖句を見て下さい。 これはイエス様が語っておられます。「このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしの言葉を恥じるような者なら、 人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いと共に来る時には、そのような人のことを恥じます。」 ですからイエス様は言われます。「もしこの世で私を恥じるならば、私がこの世に来る時には、あなたを恥じます」 と言っています。イエス様が戻って来られる時に、神様に、皆さん自分の事を恥ずかしいと思われたいですか? 私はそうは思いません。イエス様が戻って来られる時には、「ダビデこんにちはー!」と言って、 私にハグをして欲しい。私から背を向けられたくはありません。
 どのようにして、私たちがイエス様を恥じないでいる事ができるのでしょうか?神様は私たちが恥じることなく、 この世で生きることを願っておられます。しっかりと胸をはって、しっかりとあごを上げて、 「私はクリスチャンです!私はイエス様を知っています!彼は私の神です!彼は私の主です!私は彼を愛しています! 彼を礼拝します!彼に向って歌います!主の前にダンスして歌います!神様の言葉を読みます! 私はイエス様を恥じとはしません!」アーメンでしょうか?恥じる事なしに、どうやって生きるのでしょう? あなたが聖霊で満たされるならば、あなたに恐れはありません。なぜならあなたが本当に聖霊で満たされるならば、 他の事のスペースは、もう心には無いからです。皆さん、この二つの ボトルが見えますか?左の方は水で満たしています。他に入る余地がありません。しかし右の方は、 3分の2しかうまっていません。だからまだ余裕があります。何かが入って来る余裕がまだあります。 あなたがもし聖霊で一杯に満たされているなら、恐れる余裕がありません。疑う余地もありません。 恥ずかしいと思う、その余裕も残っていません。なぜなら神様の事で満ちているからです。あなたが聖霊で満たされるなら、 あなたは力で満たされます。だから皆さんは聖霊で満たされなければいけないのです。聞いて下さい、 もし神様の事を知っているというのが、頭の中だけであれば、あなたは世の中へ出て行く時、その世の中で脅かされてしまいます。 頭だけで知っている。ところがあなたの内に生きておられるなら、そして神様の事で満ちているなら、 あなたは決して恐れる事はありません。なぜなら神様があなたの中におられるからです。だから皆さんは、 聖霊で満たされなければいけないのです。ペテロと言う人の事をお話ししたいと思います。 イエス・キリストを、全く恥としなかった人です。

使徒行伝3章で、ペテロとヨハネは宮へ祈りをしに行きます。彼らがそこに行く時、その宮の入り口に、 貧しい人々が沢山そこにいました。そして物乞いをしていました。「お金くださーい!お金くださーい!」と。 色んな理由で、色んな人が座っていました。ところがそこに、生まれた時から足が不自由で歩けない人がいました。 だから働く事もできなかったのです。だから仕事も得る事ができませんでした。そして人々が、毎日宮に彼を連れて来て、 そこに置いたのです。ですから色んな人が毎日、この祈りの時間に来る時に、その人に対して、いつもお金をせがんでいたのです。 ですからペテロとヨハネも教会に行きます。そして彼はその時見ます。何が起こったか。1節「ペテロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に宮に上っていた。 すると生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。この男は宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日、 『美しの門』という名の宮の門に置いてもらっていた。彼は、ペテロとヨハネが、宮に入ろうとするのを見て、 施しを求めた。ペテロはヨハネと共にその男を見つめて、『わたしたちを見なさい』と、言った。」 ですからペテロとヨハネは宮へ向かって歩いて行きます。そしてその男が、彼らを見ました。 そして頭をちょっともたげて、「すみませんお金下さい。」そしてペテロは言います。「私たちを見なさい。」 それは非常におもしろいですね。それは何か恥と思っている人の言葉ではありません。 それは恥と思っている人の態度ではありません。こそーっと教会に入る人の態度ではありません。 彼は言います。私たちを見なさい。そして何が起こったか見ましょう。

4節「ペテロはヨハネと共にその男を見つめて、『私たちを見なさい』と言った。男は何かもらえると思って、 二人に目を注いだ。するとペテロは、『金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。 ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい。』と言って、彼の右手を取って立たせた。 するとたちまち彼の足と、くるぶしが強くなり、踊りあがって真っ直ぐに立ち、歩き出した。そして、 歩いたりはねたりしながら神を賛美しつつ、二人と一緒に宮に入って 行った。人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。そしてこれが施しを求めるために、 宮の美しの門に座っていた男だと分かると、この人の身に起こった事に、驚きあきれた。 この人がペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々が、みな一斉に、 『ソロモンの廊』という柱廊にいる彼らの所にやって来た。」驚くべき事です。「私たちを見なさい。」 その男の人は、「ああ、よかったお金がもらえる。」ところがペテロは、「ごめんね、私にはお金は全然ありません。 私たちは裕福ではありません。私たちには金や銀はありません。でも、私が持っているもの、 それをあなたにあげましょう。」その男の人は、「一体何をくれるんだろう?」そして彼は手を取って、 そして立ち上げて、そして彼の足は癒されたのです。そして踊りあがって、そして叫びながら、ジャンプしながら、 「私は癒された!私は癒された!」そして彼は一緒に宮に入って行きます。そしてヨハネとペテロを取って、 人々は見ていました。驚きました。なぜならその男の人が、生まれた時から40年間歩けなかった事を知っていたから。 「何が起こったのだろう?」ですから人々がその事を話し始めました。12節ペテロは説教し始めました。 「ペテロはこれを見て、人々に向ってこう言った、『イスラエルの人たち、なぜこの事に驚いているのですか。 なぜわたしたちが自分の力と信仰深さによって、彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち私たちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。 あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこのかたを拒みました。』」 聞いて下さい、この私たちの知っているイエス様が、彼を癒されたのです。しかしこのイエス様を、 あなたがたは十字架に付けたのです。あなたが殺したのです。このイエスの名によって、彼は癒されたのです。 彼は本当に大胆でしたね。彼には態度がありました。見て下さい。

14節「その上、この聖い正しいかたを拒んで、人殺しの男を釈明するように要求し、 いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中から、よみがえらされました。わたしたちは、 その事の証人です。そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたが今見ており知っているこの人を、 強くしたのです。イエスによって与えられるこの信仰が、この人を皆さんの前で、完全な体にしたのです。」 イエス様がこの男の人を癒したのです。どうやってこの癒しは始まりましたか?ペテロの態度から始まりました。 私は恥とはしない。私たちを見なさい。彼は、「私を見ないで、私はちょっと恥ずかしいから。」または、 「これが私の牧師先生の電話番号だから、ここにかけなさい」とは言いませんでした。彼は、「私を見なさい。」 彼は、「私の髪の毛を見てごらん。」とは言いませんでした。「私の車を見なさい。」とは言いませんでした。 「私の服を見てごらん。」「私の筋肉を見てごらん。」とは言いませんでした。しかし、「私を見てごらん」と。 彼は恥とはしていませんでした。「私には何も無い。私には沢山のお金も無い。しかし私の持っているものをあげよう。」 ペテロは恥とはしていませんでした。ですから彼には霊の態度というものを持っていました。皆さん想像できますか? この奇跡のニュースが、いたる所に広まったということを。人々はその歩いている人を写真で写して、 フェイスブックとか、ユーチューブとかに載せて、そして何十万人という人が、その男の人が跳んでいるのを見るのです。 そして突然、その霊的リーダーたちを知り始めることになるのです。ところが周りの人たちは、 ペテロに対して怒っていたのです。なぜならペテロがイエス様の事を語っていたからです。 なぜなら彼らがイエス様を殺したからです。しかしイエス様は復活しました。彼らは自分たちの持っている力を失うことを恐れて、 嘘をついて警察を呼び、ペテロとヨハネを捕えようとしました。そしてペテロが、その癒した者たちと一緒に話している時に、 突然警察がやって来ます。そして彼らはペテロとヨハネを、手錠をかけて捕まえ、そして連れて行きました。 何が起こるか?4章1節「彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやってきたが、 この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことに例をあげて、死者の復活を宣べ伝えているのに困りはて、 彼らに手をかけて捕えた。そして翌日まで留置することにした。」彼らは牢屋に入れました。なぜですか? イエス様の御名によって、誰かを癒したからです。このプレッシャーが分かりますか?「イエス様のことについては、 だまっていなさい。彼のことを話してはいけない。恥としなさい。かっこ悪いと思いなさい。 でないとあなたを牢屋に入れるよ。」そして人々は、彼らを牢屋に入れました。

4節「しかし、御言葉を聞いた人々が大勢信じ、男の数が5千人ほどになった。翌日、民の指導者、長老、 学者たちは、エルサレムに集まった。大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、 そのほか大祭司の一族もみな出席した。」ですからその次の日、もう全ての宗教のリーダーたちを集めました。 そしてサドカイ人たち、大祭司とか、そしてその法廷の所に二人を連れて来たのです。彼らの手は後ろに縛られて、 彼らは真ん中に立たされます。そして彼らに質問をし始めます。そして7節で、どう言っているか見て下さい。 「彼らは使徒たちをまなかに立たせて、『あなたがたは、なんの権威によって、また、だれの名によって、 こんなことをしたのか』と、尋問しだした。」彼らは聞いたのです。あなたはいったいどうやってそれをしたのか? 何の権威によってそれらをしたのか?そんなことをしていて誰に許可をもらったのか?あなたは私たちの一人ではない。 あなたは聖書学校には行かなかった。私はあなた方に、その権威を与えなかった。そして彼らは、 ペテロとヨハネを脅かし始めたのです。聞いて欲しい。ペテロとヨハネも、私たちと同じ人でした。 彼らは特別な人間ではありませんでした。仮面ライダーとか、ウルトラマンではありませんでした。 彼らはスーパーマンでもありませんでした。わたしたちと同じような人でした。ペテロは結婚していました。 彼には奥さんがいました。子供もいました。ですからペテロも子供たちの教育を心配しなければいけませんでした。 だから私たちと同じような、普通の人間なのです。そして彼らもプレッシャーを感じていました。 イエス様の事に関して、静かにしていなさい。彼らは捕まえて、本当に牢屋に入れようとしたのです。 彼らはムチ打たれるかも知れない。打ちのめされるかも知れない。子供はどうするのですか?奥さんはどうなるのですか? 彼らは私たちと同じような人でした。彼らは脅かされていたのです。この世の中の力によって、 そしてペテロがここでする事を見て下さい。8節、これは今日のメッセージの中で、一番大切な部分です。 「その時、ペテロは聖霊に満たされて彼らに言った、」ペテロが恐れなかったのは何によってでしょうか? 何によって彼は、「恥じない。」と言うことができたのでしょう?その部屋で、何によって彼は力を得たのでしょうか? 彼は、彼が自分で行った学校のせいではありません。自分が運転する車のせいでもありませんでした。 彼がかっこいいからでもありませんでした。彼に力を与えたものは何かと言うと、彼は聖霊で満たされていたのでした。 聞いて下さい。神様はあなたを、神の霊で満たしたいと願っておられます。それはあなたを恐れのない者にします。 それはあなたに自信を与えます。あなたに喜びを与えます。あなたに力を与えます。彼が言ったことを見て下さい。 「民の指導者たち、ならびに長老の方々、わたしたちが、きょう、取調べられているのは、 病人に行った良いわざについてであり、その人が何によって癒されたか、ということのためであるなら、みなさんも、 またイスラエルの全ての人々も、よく知って下さい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、 あなたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらされたナザレ人、イエス・キリストの御名によるのです。 あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となったと言うのは、この方のことです。この方以外には、 誰によっても救いはありません。世界中でこの御名の他には、私たちが救われるべき名としては、 どのような名も人間に与えられてはいないからです。」彼は恥じる事も、恐れる事もなく、 「あなたがイエス様を殺したのだ!」と、言ったのですね。「しかし神が死者からよみがえらされました。 そして救われるのに、この方の名以外には一つもない。」と、彼は全く恥じる事もなく、なぜですか? なぜなら彼は聖霊で満たされていたからです。その当時の周りの人たちは、一番権威を持っている人たちでした。 ですからこの指導者たちが、牢屋に入れると言ったら、すぐに入れる事もできるような権威を彼らは持っていました。 しかし、ペテロには勇敢さがありました。

そして13節で、彼が何を言ったか見て下さい。「彼らは、ペテロとヨハネとの大胆さを見、 またふたりが無学な、普通の人であることを知って驚いたが、ふたりがイエスと共にいたのだということが分かった。」 彼らはペテロにある確信を見ました。そして彼らは思ったのです、「あっ、彼らはどうもイエスといた人々だ」と。 この聖書が書かれているその言葉というのは、これは、彼らが以前にイエス様といた、とは言っていないのです。 これは、彼らは以前イエス様と共にいたけれども、今もずうっと彼らはイエス様と共にいるという、 そういう意味があるのです。これは過去形ではありません。これは、今いると。彼らは今、イエス様と一緒にいると言ったのです。 イエス様は復活されて、もうずっと何か月も前に天に昇られました。しかし彼らは、今、 イエス様が一緒にいるようだと言ったのです。どのようにしてイエス様はペテロと共にいる事ができたのですか? それはペテロが聖霊に満たされていたからです。皆さんの人のどれだけの人が、私の心にイエス様が生きていると信じていますか? イエス様は私の心の中にいます。どうやったら皆さんの心の中に入って来る事ができるのですか? 多分イエス様は180cmぐらいの人ですよ。どうやったらイエス様は彼の心の中に入って来る事ができるのでしょう。 どうやったらイエス様は自分の人生の中に入って来るのでしょう?彼は、彼の霊によって入って来るのです。 その霊によって、イエス様が私の内におられると言えるのですね。ですからペテロが立ち上がって、確信に満ちて、 力に満ちて、全く恥ずかしがらず、彼は語り始めます。イエス様は本当に側に彼といたのです。 イエス様は彼の中にいました。ですが彼が語った時、「あれはイエス様のような語り口だ。」と言ったのですね。 イエス様のように感じる。この男たちには態度がある。彼らは恥ずかしがっていない。彼はごめんなさいというような態度ではない。 皆さん知っていますか?神様には全く恐れがないということを。彼は恥を全く持っておられません。神様は完全な、 自信に満ちています。神様が何かをされる時に、「どうなるかなー?」と、心配されると思いますか。 「光よあれ!」と言う時に、「言ってもちゃんと光が来るかなあ、どうなるかなあ?どうしよう。すみません、 光よ出て下さい。」そうではなく、彼は、「光よ、あれ!」と、言ったのですね。神様には態度がありました。 神様は、「私は神です、聞きなさい!」神様は確信を持っておられます。だから神様の霊は、 その同じ確信をあなたに与えます。だから聖霊様に満たされたら、あなたも同じように確信を持ちます。 でも聖霊様がいなければ、あなたは自分の考えだけで生きなければならない。 彼らは、ペテロがイエス様とずうっと一緒にいたということを見たのです。 その朝彼が祈った時、彼は御霊に満ちていました。イエス様はすぐそこにいました。 それは頭の中でイエス様を知っている事とは全然ちがいます。彼が私の中にいて、彼が私に満ちていて、 そして私は彼のような者だということなのですね。神様は確信に満ちておられます。 そして神様は皆さんが同じ霊で満たされて欲しいと願っておられます。「でもそれは、 ペテロの性格のゆえにそうなったんじゃないのか?そういうタイプの人だから。」いいえ違います。 ペテロは、昔はそういう人ではありませんでした。そう遠くない昔に、ペテロはイエス様の事を恥と言ったのですね。 事実イエス様が捕えられた時、そして人々がやって来てイエス様を連れて行った時、ペテロは遠くからついて行きました。 彼はもう恐れていました。彼はもうおびえていました。「あーっ!イエス様が捕えられた。何が起こるのだろう。 私も牢獄へ行くのだろうか?」そして聖書は、彼が法廷の中にまでついて行ったと書いています。 そしてイエス様はその中におられました。そして色んな質問をされました。そしてイエス様に色んな事が起こりました。 そして夜に、ペテロは外側にいたのです。そして聖書は、「ペテロはそこに立っていた」と書いています。 寒かったのです。そしてその周りに火が焚かれていました。そして手を温めていたのです。そして何が起こるか、 ずっと見ていて、聞いていたのです。そして誰かが彼の所にやって来て、 「あれ!?私はあなたを知っているような気がするよ。あなたを一体どこで見たのかなー? あなたはイエス様と一緒にいたじゃないか!」彼は、「何言ってんだ!私イエス様を全然知らないよ!」 そして彼はイエス様を否定しました。数分後、「あー!私この人を知っている、イエス様と一緒にいたって知っている、 なぜかと言うと、イエス様が出て来た地方と、同じ方言でしゃべっているから、分かる!」そしてペテロは、 「いや!私はイエス様を絶対に知らない、何言ってんだ、バカ野郎!」これはペテロです。

このペテロは、使徒行伝4章に書いている「あなたがイエス様を十字架につけたのだ!」と、大胆に語っているペテロと同じ人です。 この小さな奴隷の、12歳ぐらいの女の子を見て、彼女はやって来ます。「ああっ!ペテロさん、私はあなたがイエス様をすごく知っているのを知っていますよ。」 ところがペテロはその女の子に向って、「私はイエス様を知らない!」と、言ったのです。そのしばらく前に、 イエス様はペテロに言われました。「あなたは私を知らないと言う。3回あなたは私を知らないと言う。 鶏が鳴く前に、あなたは私を知らないと言う。」ペテロはその時、何と言いましたか? 彼は他の弟子たちと一緒にその部屋にいて、彼はこのキャンプにいました。クリスチャンの周りに囲まれて、 彼は自信に満ちて、なぜなら彼は他の弟子たちと一緒にいたからです。「私は決してあなたを知らないとは言いません。 たとえ私を殺したとしても、私は絶対あなたを否定しません。」ところが、ペテロが外に出て行った瞬間、一人で、 学校で、誰も周りにはいません。荒川先生も周りにいません。木村先生も周りにいません。友達とあなただけです。 突然、シュウーと、恐れ始めるのです。なぜですか?聖霊に満たされていないからです。 一杯プライドで満ちていました。自分で満ちていました。自分の力で満ちていました。 「私はあなたを決して知らないと言いません。」イエス様は言われました、「いや、あなたは必ず言う。」 そしてその小さな奴隷の女の子が来た時、「あなたがイエス様といたのを知っていますよ。」 その時にペテロは3回目に、「イエス様を知らない」と、言ったのです。そして遠くから鶏が鳴く声がしました。 そしてペテロは、イエス様がそこを歩いていらっしゃるのを見ました。そして、イエス様はペテロを見ました。 ペテロは泣き始めます。本当に泣き始めました。そして逃げて行きました。もう終わってしまった。 もう私は敗北者だ。「そして彼はまた、魚を取りに行った。」と、聖書に書いています。また、 昔の生き方に戻って行った。なぜですか?たとえ彼がイエス様を一度も否定したいと願っていなかったとしても、 そして彼が、「私は決してあなたを知らないと言いません。」そう言ったけれども、彼には力が無かったのです。 強さが無かったのです。確信が無かったのです。彼には態度が無かったのです。正しい事を行うための。 だからプレッシャーがやって来た時、彼はイエス様を否定しました。これがペテロの生活の一番底にいた時でした。 何かが起こるまで、彼はそのような状態でいたのです。何かがペテロを変えました。「もう、もはや恐れない」 と言う事が、何かによってそうなったのです。イエス様を3回、「知らない」と、言った時と、 足なえの男を癒した時と、この間で何かが起こったのです。何が起こったのでしょう?彼はお金持ちになったのでしょうか? 彼はかっこいいヘアースタイルになったのでしょうか?もっとたくさん友達ができたのでしょうか? 何が起こったのでしょう?何が彼を恐れの無い人にしたのでしょうか?それはイエス様を信じたという事ではありませんね。 なぜなら彼は、いつもイエス様を信じていたから。イエス様を信じる、という事だけでは充分ではないのです。 なぜならそれは、頭で知っている事になるのですね。ペテロはイエス様を信じていました。しかし、 「イエス様を知らない」と、言ったのです。だから、イエス様を信じる事だけでは充分ではないのです。 皆さんは神の、聖霊の力で満たされなければいけないのです。それがペテロを変えました。