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今月の礼拝メッセージ

「何が一致を止めてしまうか」
B・T・G 5 月 聖 会(第8回)

2016年8月 ●ダビデ・カップ師●


 今日は私の部分の、後半の部分をお話ししたいと思います。今日の内容は、何が一致を破壊するか、 または、止めてしまうかというものです。または、一つになる事を。また、一つの唇です。 また、一致ということを別の言葉で表すと、ハーモニー・調和ですね。調和があれば、 そこには一致があります。調和というものが、神が願っていらっしゃるものです。 これは美しい音色です。これは力という音色です。これは安定という音色です。 これは権威という音色です。そして一致があれば、それは調和を生み出します。 しかしその調和を攻撃するものがあります。悪魔の中から出て来て、そしてこの調和というものを破壊し、 崩壊し、そして崩そうとしようとしているものがあるのです。ですから今朝、 これらの幾つかのことを見ていきたいと思います。

 私が昨夜、そしてまた今朝、少し祈っている時に、神様がある思いを下さいました。 私たちが避けたいものとは何か。私たちがなりたくないものとはどういう姿か。この一致を減退させる、 そのような事に少しでも貢献するような、そういう者には決してなりたくありません。 これはたった一人の人で、それができてしまうのです。コミュニティーの中で、または、 BTGの中で、これが神様が私に、昨夜お話しされたことです。その フレーズは、「一人の人」、これは一致を壊す事ができる。 ですからこれを今朝見ていきたいと思います。しかしそこにいく前に、昨日私が始めた聖句、 Ⅱペテロの所を復習して始めたいと思います。

 Ⅱペテロ3章10節 英語の聖書ではこう書いています。 「しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。」「しかし、」これは警告です。 これは止まって考える場所です。「しかし、」何か、他の事が起こる。これは主の日です。 これは普通の日ではありません。何か異なる事のために取っておかれた日です。これは天と地の滅びの時です。 その日はやって来ます。私が信じるに、これは近いです。そのしるしは、色んな所に出ています。 地震、戦争、国が国に立ち向かい、そして憎しみ、殺人、盗み、親に対して不従順であったり、 様々な暗闇です。それは義ではありません。「その日には、天は大きな響きを立てて消え失せ、 天の万象は焼けて崩れ去り、地と地の色々な業は焼き尽くされます。」これは非常に深刻な事です。 しっかりとしていないといけない、そのような時です。これを理解するのは本当に難しいです。 それがどのような意味かは分かりません。私たちの思いは、まだ呪いの元にありますから。 しかし私たちにはキリストの思いがあります。私たちはその暗闇を見る時、それは預言として語られたその言葉の成就を、 暗闇の背後に見ます。終わりの日です。特定の世代が、この活動を見るために取って置かれています。 そのゆえに使徒ペテロは、次の質問を投げかけています。あなた方はこれらのことを知っているので、 あなた方はどのようなたぐいの人間にならなければいけないのかと。彼は自分の世代の事について語っているのではありません。 彼の世代ではなく、別の時代の、別の世代の事について語っているのです。 ですから彼は預言的な双眼鏡を見て、私たちの時代を見ているのです。ですから私たちが信じるのは、 私たちの世代において、これらの事が起こるということです。しかしこれを信仰によって言っています。 なぜなら本来私たちは、これがいつ起こるかということは分からないからです。 しかし神は私たちにしるしを与えて下さいました。そしてそのしるしを通して、 その日がいつかということを、私たちに思いを与えて下さっているのです。 昨日から、私たちがどのようなたぐいの人間であるべきか、という情報を沢山いただきました。

 そして私たちがここを離れる時、ノートを見て復習する事ができます。 ですから皆さんがDVDを買って、これを復習するのをおすすめします。この時代において、 今のこの時に、私がどのようなたぐいの人間になるのか、これを知っていることは非常に重要だからです。 どのように私が機能すべきか。どのように行動すべきか。どのような人に私がなるべきなのか。 あなたはどのようなたぐいの夫、妻になるべきなのか。ティーンエイジャーたち、または年を召した方、 私たちの目の前でこれらの事が起こる時、私たちはどのように応答すべきなのでしょうか? ですからこのセミナーは、私たちが一つの体として、一つのコミュニティーとして、私たちがどのような者であるべきかということを学び、 それを形成するために、このセミナーはあります。非常に重要です。ペテロは非常に賢い人でした。 そして彼の手紙の中で、これを書いてくれたことを喜んでいます。彼は天と地の滅びる事をここに書いているのです。 これは驚くべき事です。私たちの思いをしっかりとしておかないと、これは本当に起こるのだろうかと考えてしまいます。 私が教会生活を始めて以来、このことはずうっと聞いてきました。 多くの人はこのことを聞く時を持っていません。私が7歳か8歳ぐらいの時に、説教者が、 「この世の終わり」ということを話していました。「天と地が滅びる」ということを。そして今私は、 これが起こるという現実の中に生きています。

 ですから今迄の私たちのずうっと通って来た旅というのは、今のこの時に、私がどのように振る舞うべきかという、 その教えのためだったのですね。これは反応するのではなくて、この使徒の働きというのは、使徒の行動であって、 使徒の反応ではありません。ですから私たちは行動するのであって、何かが起こったから反応するという、 その反応ではありません。この反応というのは、別の思いがあるということです。私たちが考えるのは、 キリストが考えるのと同じように考えるのです。そして同じように行動するのです。 信仰によって踏み出すのです。そして山に向って語るのです。状況に向って語るのです。 私たちは非常に大きなシフトがあるかも知れません。でも私たちは反応しません。 ですからいくつかを見ていきます。一致、または調和を破壊してしまう様々なものです。 ですからもし私たちがその一部であれば、一致を破壊してしまう、または、だめにしてしまう、 そのようなものを見ていきます。 Ⅱペテロ3章14節「そういう訳で、愛する人たち、このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、 しみも傷もない者として、平安を持って御前に出られるように励みなさい。」 ここで私たちがなるべき二つの事が書かれています。「平安を持って、しみも傷もなく、また、 責められる所のない者」と、あります。これが私たちの身に付ける物です。 なぜならこれは重要だからです。15節~16節「また、わたしたちの主の忍耐は、 救いであると考えなさい。それはわたしたちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従ってあなたがたに書き送った通りです。 その中で、他の全ての手紙でもそうなのですが、この事について語っています。 その手紙の中には理解しにくい所もあります。無知な心の定まらない人たちは、 聖書の他の箇所の場合もそうなのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。」 この聖書の中で、一致を攻撃する二つの事が書かれています。 「安定して立つ」ということを攻撃するものです。固く立つということは、一致の力なのです。 教えることを受け取らないというその心ですね。これは安定したものではありません。 無知な心の定まらない人たち。そしてこの無知な心の定まらない、また、曲解している者たちというのは、 一致というものを破壊する者たちです。これは非常に大切です。私たちはきちんと教えられた者でないといけません。 そしてまた、人々を教える者でないといけません。人々に何を教えますか?コングレスの真理です。 コングレスに対する理解です。EADによって、ウッドロフ師が受け取られたものです。 TFM、この世代に必要な真理です。しかしもし、無知であるならば、安定した者になる事はできません。 いつもふらふらしてしまって、こけてしまって、つまずいてしまいます。そしてそのような者は、 聖句を曲解してしまって、そして自分が解釈したいと願っている方法で、物事を曲げてしまう傾向があります。 ですからもしあなたが無知であるならば、神の家において、あなたは敵となってしまうのです。 もしあなたが心が定まらないなら、これは調和に対して非常に危険です。これが、 使徒ペテロが語っていることです。これは神の言葉を曲解し、あえて曲げてしまうということです。 そして17節に、私たちのチャレンジがあります。

 17節「愛する人たち、そういう訳ですから、この事をあらかじめ知っておいて、よく気を付け、 無節操な者たちの迷いに誘い込まれて、自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。」 今日、この言葉を聞くことは、非常に必要な事です。今朝皆さん聞いて下さい、 私たち皆がよく気を付けておかないといけません。自分たちの守りを固くしておかないと、 サタンは私たちを本当に撃ち負かそうとしてやって来て、本当に攻撃して来るからです。 「無節操な者たちの迷いに誘い込まれて、」無節操な者たちです。彼らには原則がありません。 彼らは毎日毎日、ただ通って行くだけなのです。自分自身の堅実さを、失うことのないように。 皆さんの一致の場所から、皆さんの一つであるというその場所から。これが、敵が攻撃することです。 なぜなら彼は一致が嫌いだからです。ですからそれを倒すためには、できる限り何でもやって来ます。 ですから私たちは無節操な者であってはいけないのです。

 コロサイ人への手紙2章5節「わたしは肉においては離れていても、霊においてはあなたがたと一緒にいて、 あなたがたの秩序と、キリストに対する固い信仰とを見て、喜んでいます。」これはとても大切です。 私たちのコミュニティーは、秩序がなくてはいけません。混乱があってはいけません。全てがきちんと、 整然とされていなければなりません。そして従わなければいけません。「聞いて、従う。」ということです。 「聞いて、従う。」

 8節「あのむなしいだましごとの哲学によって、だれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。 そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、 キリストに基くものではありません。」神の家、そして キリストの体において、この世の哲学というのは、一致を壊してしまう敵です。 この世は哲学を持っています。そしてこの世に存在している教会にも哲学があります。 神には哲学はありません。神には真理があります。彼が真理です。彼が道です。彼が命です。 ですからこれが無ければ、私たちの調和、一致というものが失われてしまうのです。偽りですこれは、 私たちはこの世の中の哲学、この世の中がどのように考えるかという、そのようなものを含んで、 この世の衣というものを脱ぎ去った者なのです。なぜならそれらのことは、神の言葉と相反するからです。 それらは神の言葉と一列に並んでいるものではありません。この世の中の哲学の意図というのは、一致、 または調和というものを滅ぼそうとするものです。なぜなら敵は、一致、または一つであることの、 その力というものがどれ程強いものかということを知っているからです。ですからこれは非常に大切です。 哲学は敵です。これは神様がされ、または、神様が計画している事をつぶしてしまいます。 コロサイ人への手紙の所で、その適応を見てきましたけれども、それは私たちを希釈させるというものがあります。 それは私たちの一致、または調和を滅ぼしてしまいます。

 Ⅰコリント15章20節~21節 これが、主が私に本当に語って下さったことです。 これは「一人の人」という、その原則を私たちに教えます。「一人の人」です。 「しかし、今やキリストは眠った者の初穂として、死者の中からよみがえられました。 と言うのは、死がひとりの人をとおしてきたように、死者の復活も、ひとりの人をとおしてきたからです。」 この原則を見て下さい。パウロはコリントの教会の人々へあてて手紙を書いています。そしてここで、 ある一つの秩序を整えようとしているのです。死というのは、一人の人の不従順、アダムによってやって来ました。 ですから、不従順というのは敵です。なぜなら一人の人によって、死が人間の中にやって来たからです。 しかし、一人の人によって復活もやって来たとあります。そして、 22節「すなわちアダムにあってすべての人が死んでいるように、 キリストによってすべての人が生かされるからです。」この食べてはならないと言われた、 その木の実を食べたのはエバでした。しかし神が言われたのは、アダムが罪を犯した。 なぜなら彼は自分の妻を統治し、支配するべき者であったからです。 ですから一人の人が不従順を犯した事により、全ての者が死に至ったのです。 「一人の人」私が眠りに就こうとしている時に、このことを思いめぐらしていました。 一人の人の力です。その人が神に従わなかった。彼が行うべき事を行わなかった。皆さん信じられますか? 彼らには秩序がありませんでした。彼らは秩序から外れていました。アダムは秩序から外れた者でした。 アダムはきちんと妻を取り扱っているべきでした。妻をきちんと導いているべきでした。 彼女の背後に立っていたのでしょう。もしくは彼女から離れてどこかにいたのでしょう。 これを創世記の中で見ていきましょう。

 創世記3章1節「さて神である主が造られた、あらゆる野の獣のうちで、へびが一番狡猾であった。 へびは女に言った、あなたがたは園のどんな木からも食べてはならないと、神はほんとうに言われたのですか。」 スーという音が、園の中に入って来ました。サタンです。守られていなかった妻の所にやって来たのです。 一人の女性。これはおとぎ話、たとえではありません。これは実際に起こったのです。神のエデンの園で。 神様は男と女をそこに置かれました。そして蛇がやって来ました。だから私は蛇が大嫌いなのです。 私が生駒の聖書学園で、どれ程の蛇を殺したか分かりません。長い大きい蛇です。 私が家に戻ろうとする、その道の上にやって来たのです。マムシではありませんでした。 でも悪い蛇です。そして私は手に大きなスコップを持って、これをやっつける準備ができていました。 デイビー先生は大きい目を開けて、「お父さん何をやっているんですか!」そして殺そうとしたら、 向こうへ逃げて行こうとしたのです。私は蛇が大嫌いです。なぜなら蛇を見る度に、私は「スー」という音が聞こえて、 その思いはエデンの園に飛んで行くのです。蛇は非常に狡猾であった。頭が良かったのです。 彼女には守りが無かったのですね。彼女は不従順になりました。それは一致の敵です。 このアダムとエバと神の間にあった一致です。 「蛇はあらゆる野の獣の内で、一番狡猾であった。」どこに住んでいると書いていますか? 「野に住んでいる。」と、書いています。園ではなかったのです。 いったい、ではどのようにして蛇は園に入って来たのでしょう?アダムが入れてしまったのです。 彼はエデンの園をきちんと守るべきでした。彼はその全てに対して権威を持っていたのです。 一人の人が失敗を犯しました。彼は従順ではなかったのです。「あなたがたは園のどんな木からも食べてはならないと、 神はほんとうに言われたのですか。」彼はその言葉を復唱していたのですけれども、正しく復唱してはいなかったのです。 サタンは神の言葉を、決して正しく述べる事はできません。一度も、決してそれをできません。なぜなら彼はそれを信じないからです。 そしてその答えは何でしたか?2節「女はへびに言った、わたしたちは園にある木の実を食べてよいのです。 しかし園の中央にある木の実について神は、あなたがたはそれを食べてはならない、 それに触れてもいけない、あなたがたが死ぬといけないからだと、おおせになりました。」 この蛇が言ったことを見て下さい。4節「そこでへびは女に言った。『あなたがたは決して死にません。』 彼は神と矛盾したことを言っているのです。全く反対のことです。そして彼女はそれを聞きました。 だから彼女も有罪なのです。この矛盾して、また反対だということは、一致の敵であります。 私たちは神の言葉に対して、相反して矛盾していてはいけません。神の言葉は100%真実であり、 正しいのです。「あなたは決して死にません。」5節「あなたがたがそれを食べる時、 あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり善悪を知るようになることを、 神は知っているのです。」彼女は蛇に背を向けて、夫を探したのではなくて、彼女は蛇の言うことを信じてしまったのです。 彼女は、本来夫を探すべきでした。これが、ラナさんがすることでしょう。彼女だったら私の所にやって来て、 「あの蛇の言ったことを聞いた?」「誰が言ったことですか?」「あの蛇が言ったことです。」 「あなたは蛇と話していたのですか?」6節がカギです。破壊を導くそのドアを開いてしまうことなのです。 「そこで女が見ると、その木はまことに食べるのによく、」ただの、「見る」というだけではなくて、 ヘブル語ではもっと深い意味で、「よく見る」という意味があります。そして彼女が見ると、 それは食べるのに誠によく見えた。その時に彼女はしくじったのです。彼女は見たのです。 そしてそれを欲しいと願ったのです。なぜなら彼女がそれを見た時に、神様が言われたことを見過ごして、そして実を見た時に、それは死なないというふうに見通してしまったのですね。そして目にしたわしく、その木はいかにも好ましかった。彼女は誘惑に導かれてしまったのです。誘惑に陥って、そして彼女は一致ということから離れてしまったのです。その時まで彼女は強かったのに、しかし夫から離れたことによって、彼女は弱くなってしまったのです。蛇はアダムの所に行く事もできたでしょう。しかし神様が責めたのは アダムでした。アダムの不従順によって、死が全ての人間に入ってしまったのです。 エバではありません。エバは裁かれました。蛇も裁かれました。おそらく以前、 蛇には足か手か何かがあって、立つ事ができたのでしょう。なぜなら、 「お前はこの時から地の上を這って、そして地のちりを食べる。」と、書いてあります。 彼女はそれを取って、それを食べて、愚かな夫にそれを与えたのでした。 そして彼はそれを取ったのでした。取るべきではなかったのに。一人の人、不従順に、エデンの園で、 それによって全ての人間が死んでしまいます。蛇は、「死にません」と、言いました。 7節「そのようにして二人の目が開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。 そこで彼らはいちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰の覆いを作った。」 神の思いを知り、そして神と共に歩むという、そのような特別な者ではなくなってしまったのです。 8節「そよ風の吹く頃、彼らは園を歩きまわられる神である主の声を聞いた。 それで、人とその妻は神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。 神である主は人に呼びかけ彼に仰せられた。『あなたはどこにいるのか。』」 「アダム、アダム、あなたはどこにいるのか。」神はアダムがどこにいるのか知っておられました。 彼らはそよ風の吹く涼しい時に、いつも会っていたのに、その場所にアダムは現れなかったのです。 「アダム、どこにいるのですか。」神様は知っておられました。そしてアダムは言いました。 「わたしはあなたの声を聞きました。わたしはそして恐れたのです。」そして神様は言われました。 「何ということだ、あなたはわたしを恐れたと言うのか。」アダムとエバは一度も神を恐れた事がなかったのに。 ですから、その彼らの不従順と罪のゆえに、彼らは神を恐れて、そして彼らは普通ではなくなったのですね。 本来それが普通であったのに、私たちの今の状態と同じような形に彼らはなってしまったのでした。 ですから恐れというのは、最も恐ろしい敵です。一致と、調和と、一つに対する最も恐ろしい敵です。 恐れというのは、破壊というものがあります。ですから御使いたちがいつも人々に対して何か神の言葉を持って来る時に、 いつも彼らが言う言葉が、「恐れるな」という言葉でした。ですから私たちには恐れがあるのです。 「一人の人」によってです。私たちは恐れることはできません。恐れるものは何もありません。 「しかし完全な愛は、全ての恐れを取り去る。」と、あります。恐れは敵です。 私たちはそれを処理しなければいけません。なぜなら一人の人が不従順を行ったからです。 神は彼らを取り扱いました。「一人の人」です。

 ルカによる福音書17章32節、この章の中でイエス様が語っておられます。 イエス様は様々なことを語っておられます。弟子たちに指示を与えているのです。 26節「人の子の日に起こる事は、ちょうどノアの日に起こった事と同様です。 ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、 洪水が来て、全ての人を滅ぼしてしまいました。また、ロトの時代にあった事と同様です。 人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、 その日に、火と硫黄が天から降って、全ての人を滅ぼしてしまいました。」30節、ここで私たちにこの言葉は、 何か洞察力を与えてくれます。「人の子の現れる日も、全くその通りです。その日には、牧場にいる者は、 家に家財があっても、取り出しにおりてはいけません。同じように畑にいる者も、家に帰ってはいけません。」 そしてここでイエス様は、突然全てを止められて、そしてとても不思議なことを言われました。 「ロトの妻を思いだしなさい。」なぜでしょう。なぜ私たちはロトの妻を思い出さないといけないのでしょうか。 なぜなら彼女が行った事、それが安定さを破壊してしまう敵の一部だからです。皆さん覚えていらっしゃると思いますが、 ソドムと ゴモラを滅ぼしに行くその途中で、二人の御使いと、そして神がアブラハムに現れました。 そしてアブラハムは神様と、「もし何人なら滅ぼさないで下さい。もし何人なら滅ぼさないで下さい。」 と、交渉していました。しかし私たちは覚えておかないといけません。イエス様は言われました。 「ロトの妻を思い出しなさい。」そして神様は言われました。「分かった、それだけの人がいるならば、 町を滅ぼすのは止めよう。」そして彼らはそこへ向かって行きました。そして町はめちゃくちゃで、 ホモセクシャルがはびこっていました。邪悪さがはびこり、暗闇がいたる所にありました。 神様は言われました。「私は滅ぼす。ロト、妻とあなたの子供たちを連れて出なさい、出なさい!」と。 多分彼らは荷物をまとめて、歯ブラシと歯磨き粉、そしてデオドラントをまとめていたと思うのですね。 でも御使いが言いました。「出て行きなさい。置いときなさい!」そして彼らの手を取って、 町の外に出て行きます。そして言います、「決して後ろを振り返ってはいけない。 あなたの服のちりを全部はらって、ここから出なさい。そして決して振り返ってはいけない。」 彼らは登って行きます。そしてロトの妻はカバンを落として、彼女は、「もう一度だけ後ろを見たい。」 これは神に対する、完全な反逆でした。これは一致を安定させるものの敵です。反逆です。 そして彼らは走って行って、ロトと娘たちと、そして彼らが隠れて行こうとしているこの山、 これを彼らは見つめるべきだったのです。そして神様は、ソドムとゴモラの町に対して火を落として、 そしてそれを滅ぼそうとしていました。ロトは彼女の手をつかんでいるべきでした。 彼は自分自身の人生を気にかけていたのです。そして彼女に注意を払っていませんでした。 そして彼女は前に向うにつれて、考えていたのです。「私は自分の家を離れて行っている。」 そして彼女が少し後ろを振り向いたとたんに、彼女は塩の柱となってしまいました、一瞬の内に。 そしてやっとロトは、「あなたのお母さんはどこですか?」彼らが後ろを向くと、彼女が塩の柱となって固まっているのが見えました。 だからイエス様はおっしゃったのです。何千年もの後、 「ロトの妻を思い出しなさい。」2~3年前に、私は夏の318人の仲間のキャンプで、 このことをお話ししました。その子供たちはこれを覚えています。「ロトの妻を思い出しなさい。」 なぜでしょう?なぜなら彼女が行った事は一致の敵だからです。ここから私たちはこの聖句を、 いつも読んで覚えておかなくてはいけません。この反コングレスというその霊が、 皆さんの脳に入らないように。私たちは毎日、コングレスの真理の中で生活すべきです。 これが私たちの生活です。これが私たちの生活であって、この生活を私たちの横に放っておいてはいけないのです。 パウロは言います。「私がキリストに習うように、あなた方も私に習いなさい、従いなさい。」 私たちがそのように生きるなら、私たちは成功します。そして皆さんのコミュニティーも、 一致で満ちたものになります。後ろを振り返ってはいけません。決して振り返ってはいけません。 なぜなら全ての橋はもう焼かれたのですから。後ろには何もありません。私は奈良の教会で、 この聖歌を歌っていました。「橋は全て背後にあり、全ては焼かれてしまった。」 私たちは、何度もその歌を歌いました。私はその歌が大好きでした。 なぜなら私たちは後ろには戻れないからです。もう後ろには橋は無いから、もう全て焼き払われたから。 その歌を作ったのは誰か知りませんけれども、感謝します。

 ヨシュア記7章1節「しかし、イスラエルの子らは、せいぜつのものの事で罪を犯し、 ユダ部族のゼラの子、ザブデの子であるカルミの子アカンが、せいぜつのもののいくらかを取った。 そこで主の怒りはイスラエル人に向って燃え上がった。」彼らは約束の地へ向かって動いていました。 全てがうまくいっていたのです。エリコの城壁も崩れ落ちました。全ての国が彼らに従ったのです。 エリコの城壁の周りを行進し、一言もその時に語ってはならないと、7回。そして最後にその城壁を周る時に、 角笛の声で、そして叫び声を上げなさいと。それまで誰も、一言も語らないで、皆が従いました。 私たちには勝利がありました。角笛の音と共に、彼らは叫び声を上げました。 すると城壁が崩れ落ちました。そして彼らは入って行って、その国を所有しました。 そしてアイという国に攻め登って行こうと。小さな町でした。しかし神様は言われました。 「それらはあなたの物ではないので、エリコの町から一つも取ってはならない」と。 そこには金や、様々な物がありました。しかし一人の人が、「誰も私を見ないだろう。 そして私は少しの金を取って、そしてバビロンの衣を取って、そして私のテントの下に隠しておこう。」 聞いて下さい、これは敵です。彼らが約束の地を所有している時に、神の家の中で敵と なったのです。「一人の人だから、まあ大丈夫だろう。」でもそうではありませんでした。 ヨシュアはこの隊をとって、そしてアイの国を攻めようとしました。彼らが国に行った時、 負けてしまったのです。多くの人たちが殺されてしまいました。そして彼らは逃げて行って、 ヨシュアの所へ行きます。ヨシュアは、「信じられない、負けたのか!何が起こったのか?」 彼らは泣いて、そして塵を身にかぶって、神は言われます、「あなたはしっかりと、 男として立ち上がりなさい。イスラエルが罪を犯したから。」皆さん聞きましたか? 「イスラエルが罪を犯した。」一人の人ではありませんでした。一人の人であったのに。 彼の名前は、アカンでした。でも誰も知りませんでした。神以外は。ですからその時、 モーセの後に就いた新しい若い将軍、彼らの前に全ての長老たちは召集され、 そして皆の者が彼らの前に立ちます。皆さん聞いていらっしゃるでしょうか、これはとても大切です。 これはBTGでは起こってはいけない事です。そして一人ずつ チェックをして行って、アカンの家族に到達しました。そして神様はヨシュアの耳に語られます。 「彼だ!」と。「神様に栄光を捧げなさい。そしてあなたがやったことを私に説明しなさい。」 人々の目は見ず、また、ヨシュアの目もそれを見ませんでした。しかし神の目がそれを見ていたのです。 そしてそれは罪でした。そして彼は告白します。皆さん、彼がした事を御存知ですか? この全家族を殺したのです。石打にしたのです。「一人の人」の不従順です。欲しがるという、 この一つの罪が、全ての者を滅ぼしたのです。 「一人の人」によって。私たちはそれをできません。神はそれを見てあなたを裁きます。 神はあなたを一掃するでしょう。なぜなら私たちが今、その地を取ろうとしている途中にいるからです。 これは恐るべき聖句であって、本当に生きておられる神の手がなされた恐るべき業です。 だから私たちは、自分自身をしっかりと見つめて、気を付けなければいけません。

 士師記の中には、サムソンという人がいました。サムソンは非常に強い人でした。 超自然的で、彼は200匹~300匹のキツネを追いかけて、そしてそのしっぽを結び付けたのですね。 彼は髪を一度も切った事がなく神との契約の中で、そしてそれが彼の力でした。 その美しい狡猾な女性が、サムソンの前を歩いて行って、そしてサムソンが恋に堕ちるまでそれは続いたのに。 その彼女の名前はデリラでした。本当に腐り切っていた、そのような人でした。敵の僕でした。 彼は彼女の家に行き、そして彼女はサムソンに対して、「何があなたの力の秘訣なのですか?」 と、彼女は毎日、毎日、その質問を押し付けて、彼が本当に苦しむまで、彼女はその質問を毎日しました。 彼は何度か彼女に対して、ああだ、こうだと言ってはいたのですけれども、 それは本当ではありませんでした。最終的に彼はあきらめて、これが一致の力の敵です。 私たちは何があってもあきらめることができません。そして彼は彼女に言います、 「私が髪の毛を切ったら、私は力を失う。」そして彼は眠りました。前と同じように。 そして彼が起きた時、彼は主が彼を離れたのを気付いていなかったのです。彼は知らなかったのです、 もう普通の人のようになっていたということを。彼は起き上がって、自分につながれていたその ロープを引きちぎろうとしました。でもそれができなかったのです。ペリシテ人が彼の上に来て、 そして彼の目をつぶし、そこで取ってしまったのです。そして彼を連れて行きました。なぜでしょう? 彼は神を忘れ、そしてあきらめてしまったからです。兄弟姉妹、聞いて下さい。 決してあきらめてはいけません。イエスキリストを、しっかりと握りしめて下さい。 皆さんの牧師先生方を、しっかりと握りしめて下さい。そして牧師先生方は、信頼にふさわしい方でなければいけません。 自分たちの会衆の民を、本当に救うという事において。しかしその話の最後は、良い事で終わります。 彼は奴隷でした。ぐるぐる回しながら麦を打つ、そのような奴隷でした。そして彼の髪の毛が、 伸び始めました。そして時が来ました。そして彼はそこにいた若い男の子に対して言いました。 その時に何千という人が集まっていた宴会があって、そこには大きな柱が立っていました。 そして彼はそこに連れて行かれて、その柱をしっかりと両手でつかみ、 「主よ、後もう一度私を助けて下さい。もう一度だけ。」そして彼はその柱を完全につぶして、 ペリシテ人と 一緒に彼も死んでしまいました。ですから決してあきらめてはいけません。皆さんの隣の人に向って、 「あきらめる事はできません!」と、言って下さい。そして皆さんの答えは、「あきらめません!」 と、言うものです。「私は決してあきらめません!」「後ろを振り向きません!」 「反逆しません!」