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今月の礼拝メッセージ

BTG 5月聖会(第8回)より ≪終わりのための資源≫

「一致へのBTGの旅路」

2016年7月 ●デイビー・カップ師●




   シティーアットザクロスから、クリスティアーナ先生から、皆から、皆さんに宜しく。今は本当に素晴らしい時です。 普通の時じゃない。本当に神様が私たちに近付きました。全世界で神様が私たちに対して話しています。 このセミナーは、2016年の神様からの目的と青写真が、はっきり皆見えるためです。だから皆来られて本当に素晴らしいです。 熊本の信者たちと教会たちがおられるのは本当に嬉しいです。神様が本当に全世界を震わせています。でもその真中で、 私たちは神様の目的を分かって喜びます。大変です、でも喜ぶ。難しいです、でも喜ぶ。それが神の国ですね。いつもそうです。 大変、でも喜びによって、強さをもらって真っ直ぐに進みます。

 今年、今から訪れる1年についての方向性について、皆さんに何かを分かち合いたい。 私たちには神様からのはっきりとした言葉があります。BTGに対して、また、コングレスに対してもです。 私たちBTGネットワークと呼ばれるネットワークは、私たち、それ自体だけで存在しません。 私たちはグローバルなコミュニティーです。私たちは単に、日本人の ネットワークではありません。私たちはダビデ・カップという男につながっているネットワークではありません。 私たちはグローバルな、キングダムコミュニティーの一部です。こちらの旗は、「ブリッジィングザネットワークは、 コングレスへの門だ!」と、書かれています。入口ですね。けれどもその入口は二方向からあります。それは私たちを、 コングレスの中へ入らせ得ます。そしてまた、コングレスが私たちの中に入って来ることもさせ得ます。 あちらに行く事もできるし、こちらに行く事もできます。皆さんの一部である神が立てておられるこのネットワークは、 私たちにとって、より大きな使徒的世界に入るための入り口となっているのですね。そしてまた、 その使徒的世界が私たちの中に入って来る事もさせ得ます。

もし皆さんが新約聖書を読まれるなら、 全ての様々な教会に送られている手紙を読むなら、テサロニケ人への手紙、コロサイ人への手紙、エペソ人への手紙、 ガラテヤ人への手紙、ローマ人への手紙、コリント人への手紙、ペテロが書いて送った手紙の教会。エルサレムにあった教会、 アンテオケにあった教会、ヨハネが手紙を書き送った教会、ヤコブが手紙を書き送った教会、ユダが手紙を書き送った教会、 皆さんがその大きな写真を見る時、極めて興味深い事が現れ出て来ます。これらの何百という教会は、 それらは全て二つの使徒的共同体の中に存在しました。使徒的共同体の中に属していない、 その外にいる教会は全然ありませんでした。それらの教会は、パウロの共同体の中にいるか、ヤコブの共同体の中にいるか。 エルサレムの教会全ての教会を代表としている共同体です。独立した、一人きりの教会はありませんでした。 どの教会も使徒的共同体の中に存在していました。自分だけで始めた教会は、一つもありませんでした。 彼らはパウロかバルナバか、テモテか、テトスと繋がっていました。それはパウロが持った使徒的共同体です。 もしくはペテロ、ヨハネ、ヤコブの共同体、コミュニティーに属していたのです。全ての者が使徒的コミュニティーの中に 生きていました。それが新約聖書の中に存在する教会を極めて力強くした理由です。

ですから私たちは使徒的コミュニティー の中に生きています。それらは地球の上に沢山存在します。けれども私たちは、ノエル・ウッドロフ先生の使徒的世界の中に存在します。 そしてダビデ・カップ先生の、それが私たちの世界です。ですから皆さんがもし受け取ろうとされるならば、 私たちの使徒から使徒的メッセージを受け取れます。それはまるでコリントの教会が、パウロから手紙を受け取るようなものです。 私たちは彼の二つの実際の手紙を読むことができますね。私たちはそれを第Ⅰコリント、第Ⅱコリントと呼ぶだけです。 そこには使徒パウロから、使徒的な人々に対する意思の疎通がありました。コリントの人々がそれを受け取った時、 それは神からの彼らに対する言葉として受け取りました。彼らがそれを受け取った時、すぐにそこにはそれらを複製するように 使命を受けた者たちがいました。そこにはコピー機はありませんでした。コンピューターはありませんでした。 録画するものもありませんでした。彼らはパウロの手紙を複製して、そのコピーを作らなければいけなかったのです。 そしてその手紙はラオデキアにある教会に送られました。そしてコロサイへ、そしてその手紙は他の教会にまで。 そしてその全ての教会は、その複製されたミニストリーを持っていました。そしてそれぞれの教会の中で、 日曜の朝その手紙を皆読みました。「パウロから手紙を受け取ったぞ!」そしてそれらは読まれました。 そして何か月もそれについて学びました。神は私たちに何を語っているのだろう。それはまるで私たちが今日学ぶのと同様です。 コリントの人々が、パウロから手紙を受け取った時のことを、皆さん想像できますか?私はあなた方の中で、分裂、 分派があるのを知っている。あなた方について、この様なことを聞いた。そしてパウロは彼らに教え始められました。 それがコリントの人々のアイデンティティーを形造りました。

もしパウロ先生が今日生きていたとしたら、 私たちが彼の使徒的コミュニティーの一部であるとするなら、皆さんどう思いますか?私たちはパウロのコミュニティー に入ると思いますか?もしくはヤコブのコミュニティーに入りますか?多分パウロ先生です。なぜだか分かりますか? なぜならあなたがユダヤ人じゃないからです。なぜならパウロ先生は、異邦人に対する使徒であったからです。 ですからもし生きておられたら、私たちはパウロ先生のネットワークに入るでしょう。もし仮に彼が今日生きていたとしたら、 私たちに手紙を書きません。DVDを彼は作るでしょう。なぜ?DVDは顔を見て、声を聞いて、全世界で配れる。 パウロが今生きていたら、DVDを作って、全世界のつながっている教会に送ります。 それを受けたらあなたは何をしなければならない?それを日曜日に読みます。でも読むのでなく皆見えます。 それが使徒的なネットワークです。私たちは使徒的なネットワークです。私たちは私たちの使徒から神様の御言葉のDVDをもらいました。 その中で2016年の道をはっきり見せました。私がこれをもらった時、次の日曜日、教会で教えます。 なぜ?私の教会、シティーアットザクロスは、使徒的な教会につながったからです。ですから今朝、 まだ始まったばかりですけれども、ウッドロフ先生から来たDVDを私たちは見ます。2016年に私たちがするべき必要のある事を、 そのDVDは教えて下さいます。2016年の建設構造を、私たちに伝えて下さいます。私たちがかつて持った年の中で、 今年は最も意義深い年である。ウッドロフ先生がこうおっしゃいます、「私たちが25年間かけて行ってきた事の中で、 最も重要な出来事を今年行う」と。皆さん理解しますか?WBNは25年前に誕生しました。その期間の中でコングレスが誕生しました。 TFMをやり、代表行為をやり、合流の平原をやりました。皆さん分かりますか?これらの事は、とても重要な事でした。 けれども神は、これが今最も重要な事だと私たちに言われます。それは私たちが小さなレベルで行っている事を形造る大きな背景を私たちに提供します。
<ウッドロフ師DVD>
・デイビー・カップ師・
 明らかに神様は私たちを旅へと召しています。私たちはその場所に特定の状態をもって到達しなければいけません。 私たちはただ単に歩いてそこに行くことはできません。「ああGGPEにやって来たよー!」あそことここの間で、 神様は私たちに変化して欲しい。今年の秋に、神様は私たちが特定の霊的な状態をもって到達して欲しい。 そしてこの旅路の中でBTGは変えられます。今日と明日、私たちが語っていきたいことはこのことです。一致へのBTGの旅路。 今から今年の終わりに向って、私たちは旅路に行きます。神の御国のために、私たちの使徒的な仲間、 一団へと私たちを召しています。あなたがBTGの一部分であることには目的があります。 神様が私たちにあなたを加えられたことは、そこには目的があります。それはただ単にいいアイデアではありません。 それは単にカップ先生を皆さんがお好きであるからではありません。他に何もする事が無いので、ではありませんでした。 神様が私たちを共に連結しました。私たちが共に集う事には、目的が存在します。その目的は2016年を超えて続いていきます。 その目的は日本の国境をも超えて行きます。神様は日本の人々だけではなく、橋を渡したいのです。 神様の心の中には、ラオス、カンボジア、フィリピン、ベトナムがあります。韓国も、北朝鮮も、中国も。神様は私たちを、 私たち自身を超えて用いたいのです。神様が行っている事は、単にここだけではありません。私たちがそこに到達するためには、 ここで始まらなくてはならないのです。ここが無いなら、向こうが無い。だから私たちは正しく作らなければならない。 だから今の時は、心の核が強くなるための目的です。

 私たちがなるべき存在に、どのようにして私たちはなりますか?ここに神の御国の原則があります。 グローバルな運動に応答しなさい。それゆえ私たちは地域レベルで強くなることができる。言い換えるならば、 私たちはグローバルな世界の一部であります。もし私たちが、まずそれを第1とするならば、神様がここで何かをなさいます。 言い換えるならば、あなたが与えるならば、あなたは受け取ります。あなたが死ぬならば、あなたは生きるでしょう。 あなたが他者の事についてまず考えるならば、あなたは祝されるでしょう。もし私たちが、コングレスの1番の義務について応答するならば、 私たちはBTGの中で強くなります。神様がコングレスの中で行っている事について、私たちの従順の歩みが忠実であるならば、 BTGの中にある私たちを神は祝されます。その原則は皆さんの地方教会にも適応されます。私は私の地方教会が強くなって欲しい。 成長して欲しい。私は祝福されたい。どのようにしてそれを行いますか?皆さんの地方教会よりも、 より大きな何かに応答して下さい。他の何かをまず1番として下さい。そしてそれから神様はあなたを祝福されるでしょう。 ですから私たちのGGPEへの移動は、そのGGPEは、キリストの体全体に対する巨大な祈りです。 それは自分達を助けるようには聞こえませんね。それはどうやって私たちの地方教会を助けることになるのでしょう? あなたがそれをまず第1に置くならば、神様はここで私たちを祝福されます。そしてこのGGPEへの移動が私たちになすことは、 GGPEである私たちを一人の人とします。ただ口先で言っているのではありません。ただ意図的に言っているのではありません。 けれどもそれは現実的な事です。なぜなら私たちは共に実際に、その祈りのイベントに集うからです。 私たちはバビロンと暗闇を揺り動かすために、日本においてBTGとして、一人の人として一致することを召されています。

 士師記の6章を皆さんお開け下さい。これは皆さん良く知られている箇所です。 ギデオンという男のことが書かれています。ギデオンに何が起こっているか、皆さん知っていますか? 彼はイスラエルに住んでおり、その時に至るまでイスラエルは神に不従順でありました。神について彼らは忘れ、 「私たちに神は必要ない。」と、言いました。神は彼らをミデアン人の手に渡しました。イスラエルとして彼らがするべきように、 神が彼らを召されておられたことを、全てミデアン人が滅ぼしてしまいました。そしてイスラエルは低い所で生きていました。 「彼らは低くされた。」と、書かれています。ギデオンは何とか生き延びています。彼は芳醇な生活では生きていません。 彼は力強さの中を歩んではいません。運命の中を歩んではいない。彼はただ一日一日をやり過ごそうとしている。 どうにかしてただ生存しようとしている。彼はぶどうを踏むその船の中で、彼の家族のためにそのもみを打っていました。 彼らはミデアン人を恐れていました。その地を暗闇が覆っていました。それは悪魔が勝利を得ているからです。 そして神がギデオンを訪れます。彼がそのもみがらを打っている時、神はどこにいるんだ?神の全ての約束はどこにある?」 と言って働いています。そして突如神が現れます。神様が彼にこのことを言った時、驚きました。「ギデオンよ、大勇士よ!」 彼は周りを見わたしました。私はイスラエル国家の中で、最も小さな民族、最も小さな家族の最も小さな者です。 BTGが存在することさえ誰も知りませんよ。20の教会ぐらいです。テレビに出ていないよ。誰も私たちのことを知らないのです。 誰も有名な人はいません。そして彼に神様がおっしゃることを見て下さい。16節「しかしわたしがあなたと共におるなら」 一つ目、神は私たちと共にいます。それゆえ何が起こるでしょうか?「一人を撃つように、ミデアン人を撃つ事ができるでしょう。」 オリジナルのヘブル語では「一人の人として、一致された状態でミデアン人を撃つ事ができる。」 ギデオンと300人が一人のようにアタックしました。ですから神は一人の人として振る舞う300人の人々を集めます。 そしてまずギデオンは何人集めましたか?3万2千人。でも、一致がありませんでした。だから神様は言いました。 「信仰の無い人達は帰りなさい。」それで2万2千人の人たちは帰りました。1万人残りました。神様は、「まだ多いです。」 人数の問題ではない。1万人には一致がありませんでした。一致があったら1万人は素晴らしい、 でも1万人に自分の考えや分裂があるなら 1万人は多い。ですから神様は、「多すぎる。」と、おっしゃいました。 「彼らを川へと連れて行きなさい。そして彼らに水を飲ませなさい。彼らを二つのグループに分けなさい。」 そして二つのグループに分かれました。それが意味するのは、一致を得る前に分けなければならない。 一致を得るために二つの方法があります。全ての人が同意するか、同意しない人たちから離れるかです。 9700人の人々は、ある特定の飲み方をします。どうやって飲んだかは関係なく、二つのグループがそこで生まれたのです。 一つのグループは9700人の者たち、そしてこちらには300人の者たちがいました。ギデオンは、 「神様、あのグループを私のものにしないで下さい。小さすぎる、力が無い。」神様は、 「ギデオンよ、私はあなたの軍勢を得た。あなたはミデアン人を、一人の人となって撃つ。」神様は300人を選び、 9700人の者たちを家に帰らせました。300人の者たち、その人たちは神の川から同じ方法で水を飲んだ人たちでした。 私はギデオンが飲んだ方法と同じように、その300人は飲んだと信じます。この300人の者たちは一致したのです。 彼らは一人の人となったのです。皆さんはその後の事を御存知です。300人が、10万人の軍隊に対して、 そして彼らは勝利を得ました。なぜでしょうか?彼らは一つとなったからです。

 BTGが誠に一つとなるならば、私たちはどんな事をなし得ることができるでしょうか。 私たちだけで一つとなることはできません。私たちはコングレスと共に一つとならなければなりません。 コングレスの全ての方々は、私たちの300人の仲間です。私たちは彼らと一緒に一つです。 神が地球の上に存在している教会に語っておられることに、私たちはもう後ろに取り残されてはいけません。 何があっても私たちは取り残されることはありません。神が見おろしてコングレスを見られる時、 神様はコングレスをあそこに見付けて、BTGをこちらに見付ける事はでき得ません。以前からあるコングレスの教会と、 新しく加わった教会は、共にあらなければなりません。ですから私たちは振り返って、戻って来て、新しい教会の横に立って、 そして私たちはこう言います。「共に行きましょう!私たちは全ての事柄を、あなたと共に、一緒に通過して行きます。」 なぜならあの場所に、全ての者が一緒に到達しなければならないからです。私たちの兄弟のために待ちましょう。 なぜならGGPEにおいて今年の後半、私たちは皆そこに、一緒に到達しなければなりません。ですから今年のこの一年は、 一致へのBTGの旅路なのです。私たちは一人の人のようになって、ミデアン人を撃ち負かします。一致の力より、 より大いなる力は存在しません。一致は神の力です。一致は共に集まる事を指しています。 それは神様が夫婦間を描写する時に使う言葉と同じです。創世記に書かれています。 「それゆえ人はその父と母を離れて、妻と一つとなるべきである。」その一つという言葉と同じ言葉です。 「あなたは一人の人として、ミデアン人を撃ち負かす。」男と女は一つになる。同じ言葉です。 それは神様によって用いられている、それを説明、描写するための同じ言葉です。私たちの主である神は一つです。 一つの神様、神はただ唯一ということをおっしゃっているのではありません。私たちの神は一つです。 父なる神、子なるイエス様、聖霊なる神様。私たちの神は一つです。彼は昨日も今日もとこしえに変わることがない。 神の中に分裂、分断はありません。御子は父なる神を愛します。聖霊なる神は、父なる神の霊であり、イエス様の霊であられます。 彼らは一つです。神の御力は、彼の一致の中から出て来ます。私たちの力は、私たちの一致の中から出てきます。 私たちの説教からではない。私たちの奇跡からではない。私たちのアナウンスからではない。私たちの昇進からではない。 私たちの力は、私たちの一致の中から現れ出ます。そのようにイエス様は祈られました。 「神よ、私とあなたが一つであるように彼らを一つとして下さい。それによって世が彼らを知るためです。」 神が探しておられるものは一致です。一致の力、私たちは一つとならなければなりません。私たちはBTGの中において、 一つとならなければなりません。コングレスのどこにある教会とでも、一つとならなければならない。 夫と妻は一つとならなければならない。年輩の方々が、若い者達と一つにならなければならない。

夫婦である者たちと独身である者達が、一つとならなければならない。一致の力です。神はギデオンに語りました。 「あなた方は一人のようになって、ミデアン人を撃ち負かす。」そのディフィートという言葉は、撃つという意味です。 そして砕くという意味です。分裂した教会は、暗闇を散らす事はできません。分裂した教会は、神の御栄光を現す事はできません。 神様は私たちに使徒、預言者、伝道者、教師、牧師をキリストの一致に至るまで、それをお与えになっているからです。 この旅が私たちを一つとするでしょう。新しい教会、すでに現存している教会、そしてそれぞれの地方教会の中でも、 BTGを通してその人たちは一つとなります。牧師先生方、お聞き下さい。BTGは牧師たちのネットワークではありません。 BTGは教会のネットワークです。それは使徒的ネットワークです。私は使徒的恵みをいただいて、 私の信者たちにそれが流れないということはありえません。そうでなければ、私はそこに分裂を生み出してしまっているからです。 私の信者たちがつながっていない何かに、私だけつながってしまっている。それは一致ではない。それはまるで、 私の子供たちと一緒にご飯を食べない様なものです。私の子供たちと私の妻が、全く別の離れた場所で食事をとっている。 あなたの家族の中に分裂がある。子供たちは両親が食べる物を食べます。信者たちは牧師たちが食べている物と同じ物を食べなければならない。 一致するために。一致の力です。いくつかの御言葉の箇所を見ていきましょう。

 レビ記26章7節~8節「あなた方は敵を追うであろう。彼らはあなた方の剣に倒れるであろう。」 それは大いなる約束ですね。力強い教会は敵から逃げません。敵を追いかけます。私たちは尾ではない、私たちは頭です。 「あなたがたの五人は百人を追い、百人は万人を追い、」もし算数をするならば、この計算式は合いませんね。 五人の二十倍が百人なら、百人の二十倍は、二千人じゃない?でも聖書にはそう書いていない。 なぜその力が増幅しているのですか?一致の力だからです。この五人が一人の人である百人となる時、 彼らは一万人を追いかけるのです。それは一致の力です。もし二人、三人の者が共に集まっているなら、力があります。 私たちが行うことのできる最も強大な事は、一つとなることです。なぜならそこから神の御力が現れ出て来るからです。 神は一致しています。父なる神が、「こうやりましょう。」と言って、御子なるイエス様が、「ちょっと考えましょう。」 と言うことは決してありません。聖霊様が、「ちょっとその辺で私は祈ってみます。」とは言いません。神が行動される時、 それら全ての神々は動かれます。神の霊が水面を覆っていた。父なる神がその時語られました。「光あれ!」光がありました。 神の御心と、神の御言葉と、神の現れは、一致です。父なる神は考えられます。御子なるイエス様がそれを語ります。 聖霊なる神がそれを行われます。一致の力です。皆さんの家族を強くしたいですか?一致を立て上げて下さい。 あなたの夫婦間を強くしたいですか?一致を立て上げて下さい。新車は要りません。新しいアイフォンは要りません。 新居は要りません。あなたには新しい一致が必要なのです。イエス様が最後に祈られた祈りが、「神よ、彼らを一つとして下さい。」 「私にお授けになった栄光を、彼らにもお与え下さい。神よ、彼らを一つとして下さい。」

 申命記32章を見てみましょう。これもまた、驚くような出来事です。申命記32章30節「彼らの岩が彼らを砕く、 主が彼らを渡されなかったならば、どうして一人で千人を追い、」すごい!神様がこうやって私たちを助けます。一致があったら、 「一人が千人、二人で万人を破る事ができたであろう。」一致の力です。私たちが行って、GGPEの所に立つ時、 私たちには力がなければなりません。これはゲームじゃない。これは宗教的な儀式ではありません。これは誠に現実の事柄です。 神の中にある主の声、彼の全ての敵に報復している。それは聞かれなければならない。今言っていることは、戦いです。 私たちがその様な力を得るためには、私たちは一つとならなければなりません。

 一致とは、一人以上の人々が一つとなって、一人のように振る舞う。一人の人として行動する。言い換えれば、私たち皆が、 異なる教会で、皆それぞれの背景を持っておられます。異なる旅路を、違うアイデアを持って、異なるビジョンを持って来ました。 それらが一つとなって、なぜでしょうか?それによって私たちは出て行って、一人の人として行動できるからです。 なぜなら神が私たちに告げておられることは、「BTGよ、あなたは一人の人としてミデアン人を撃ち負かす。」 複数の人が一つとなって行動する。一致とは、ただ複数の人々が一緒に集まっているだけではありません。 私たちが共にこの部屋に集まって、私たちが一つであるという意味ではありません。 なぜなら考え方は人それぞれということが起こり得るからです。2匹の猫の尾っぽを結んで、バックの中へ入れて、一致だ! とは言えません。一緒にいるけれども、共に結ばれているけれども、同じバックの中に入れられているけれども、 でも彼らは一つではない。「でも結ばれていますよ。彼らは同じセミナーにやって来ますよ。同じ教会に行きますよ。 同じ家に住んでいますよ。ウエディングリングで結ばれていますよ。それが彼らが一つであるということを意味してはいません。

 どのようにして私たちは一つになりますか?あなたの自分自身の意思を要求されます。 二つの分派、党の、自分自身の意思の行動を要求します。この猫は、「あなたと私は結ばれたい。」こっちの猫も、 「私もあなたと結ばれたい。」と、言わなければならないのです。 聞いて下さい。一匹だけではだめです。BTGだけが、「あなたと私は一つになりたい。」とは言えません。それは二人の人が、 同意しなければなりません。「一つになりましょう。」と言う。結婚と同様です。片方だけではあり得ません。 両者でなければいけません。それは自分の自らの意思の行動です。「それゆえ人は父母を離れて、その妻と一体となるべきである。」 それは、自らの意思の行動です。皆さん思い出して下さい。神様がアダムとエバを一つとされた時、アダムがエバを見た時、 アダムは何を言いましたか?「これは私の骨の骨。私の肉の肉。」彼は一体何のことを言っているのでしょうか? 「私たちは一つである。」ということを言っているのです。私がどんな者であるかということは、あなたも私と同じです。 あなたがどの様な者であるかということは、私がどの様な者であるということと同じものです。私はあなたであり、 あなたは私である。ここにいる全ての人々、全ての牧師先生方、全ての地方教会、互いに見て、「あなたは私です。 私はあなたです。」BTGは全ての残りの教会を見て、それが南アフリカにあろうが、フィジィーにあろうが、アメリカにあろうが、 フィリピンにあろうが、コングレスの残りの全てを見て、「私はあなたです。あなたは私である。あなたは私の骨の骨、 肉の肉である。」と。「あなたが行かれたように、私も同じ旅路を歩んだ。」と、言います。 そのようにして私たちは一致を生み出します。

 それはルツの様です。ナオミとの関係で、「あなたの神が私の神、あなたの国の人々が、私の国の人々、 あなたの国が私の国です。」自らの意思の行動です。そのようにして、一致を私たちは生み出します。 一致の最も大いなる敵は分裂です。分断、分離と呼ばれるものです。個人主義と呼ばれるものです。私の意思、私が望むもの。 私の召し。私が御言葉を理解するやり方。私の教会。私の油注ぎ。それが最も大いなる敵です。 それが何千年も教会を分断させてきたものです。私たちを分裂させるものを、私たちの敵だと、 どんなものであれ見なさなければなりません。小さな事が大きな分裂を生み出します。小さな傷、少しの憤慨、腹立たしさ。 わずかな不同意。その小さな事を、敵がそこにいて、膨張させ、それを大きなものとさせようとしている。 それが私たちのネットワークの中で、そういう事は起こります。それは教会の中で起こります。結婚間の中でも起こります。 あなたが、あなたの配偶者のことについて、本当に怒っていたことがあります。それは四日ぐらい、 ずーっとあなたの中で続いている。何でこんな事が起こったのかと考えます。それはただ単に、 脱いだ洋服を元に戻す事をしなかっただけかも知れない。100回程それをずっとやったのかも知れない。 小さな事が大きな事になり得ます。この一致への旅へ、私たちがもし行くならば、 私たちの自らの意思の決定を下さなければなりません。 神の御心に基づいた、自らの意思の決定です。神が私にして欲しいと願っておられる事の視野に基づいてです。 私の兄弟たちと一つになるためにです。BTGと一つになるためにです。カップ先生のリーダーシップと一つになるためにです。 その事が、コングレスWBNとあなたを一致させる事をなし得ます。何千という教会と一致させます。私たちは皆共に、 GGPEへと行進して行きます。神様がその集まりを見おろされる時、誰一人として遠い所へ取り残されている人はいません。 神は一人の人をそこに見ます。神はコングレスWBNを見ます。神様に見て欲しいと私たちが願っていることを御存知ですか? 神がキリストの体全体を見るように。神様が見おろされる時、「彼らは成熟していると私は思う。完成をもたらそう。」 その事が起こる日が来なければいけません。父なる神様だけがその日を御存知です。けれどもその日が訪れます。 父なる神が地上を見おろし、彼が教会を見て、その全ての神の御栄光を見て、しみもしわもない、信仰の一致がある成熟した人。 神はこう言います。「ミカエルよ来なさい。ガブリエルよ来なさい。どう思いますか?彼らは私のようになっていますか? 彼らは私の御姿を反映していますか?彼はあなたにそっくりです。今終える事ができますか?」「ガブリエルよ、 あなたの角笛をかき鳴らしなさい。」主はラッパの轟を鳴り響かせます。それは起こります。私たちは一つとならなければいけません。 私たちはそれを行います。BTGはそれを行います。私たちは後ろに取り残されません。私たちは、その前線の真中に存在しています。 私たちは最初でなくてもいい。私たちはそれについて全然気にしない。けれども後ろに取り残される事はしません。

 2016年、一致への私たちの旅路です。明日、私の最後のセッションでは、私たちが一致するための、非常に、 極めて実際的な方法を皆さんにお伝えします。そして私たちには、9月までそれを行う時間があります。 それから私たちはGGPEへ向かいます。何千という教会と共に、私たちは天の扉をノックします。 私たちは周波数をそこへ登らせます。神がそれを聞かなければならない。皆さんそれを受け取られますか。