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今月の礼拝メッセージ

「ランク」

2016年4月                ●久松政一長老●


 出エジプト記19章5節~6節
『それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、 あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう。』これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である。」

神様がモーセにこのようにおっしゃいました。イスラエルという人、それは最初、ヤコブという名前であったことを御存知ですね。 アブラハム、その息子イサク、その息子ヤコブ。このイサクの子であるヤコブが12人の子供を生みます。このヤコブというのは、 「ずる賢い者」という意味です。あまりいい名前を付けられませんでしたね。これは本当に、ヤコブだけのものじゃないです。 私たちは皆、生まれた時、ずる賢い者です。皆、自分が中心です。人はあまり関係ない。自分の幸せ、自分の楽しみ、 自分のプライド。だから、あなたも私もヤコブと一緒です。それは総称された名前です。罪人の名前です。あなたです。 そのヤコブから神様はある時、「あなたの名前を イスラエルと変えなさい。」そのイスラエルという意味は、その隣に書いてあるように、 「神の王子、神の王女。」「ずる賢い者」から、「神の王子、神の王女」に、神様は名前を チェンジさせました。これがイスラエルです。ですからヤコブの名前が、イスラエルに変わったということは、 これはその当時本当に、内側も変えられたということを意味しますね。それは彼の人生において、それを経験しました。 彼は本当にずる賢い者でした。悪賢い者でした。自分のことしか考えない者でした。人の幸せとか、 そういうものは一切関係なかった。自分の幸せを追求しました。まさにあなたです。そのあなたが神様から救い出されて、 名前を変えなさい。それはイスラエル。それは王子、王女。ですから私たちは今ここに、王子と王女が沢山いる訳ですね。
 これは私たちが思う以上に、驚くべき救いを現しています。救われた者たちの総称です。この世の中にいる人たちは皆、 ヤコブです。そこからイスラエルになった人たちは、日本では本当に少ない。1%もいない。1%と言えば、日本で今、 100万人ですよ。100万人もいない。日本で、このイスラエルと名前が付けられている者は、約20万人ぐらいです。 だから神様は、あなたを選んだのですね。それは本当に幸いなことですね。選ばれし者は、 選んで下さった方の意図を知らなければならない。どんなにそれが驚くべき重要な事か。その深さを知らないなら、 イスラエルは、「ああ私、イエス様を信じたと言っても、全然世の中と変わらない。クリスチャンと言っても、しれている。」 そういう感覚の人は、神様の意図が分からない。だから私たちは本当の意味で、この イスラエルを知らなければいけないですね。神様はあなたを、「王子、王女」と、呼んで下さった。 それにふさわしい者になりなさい。あなたの振る舞や、あなたの言葉や、あなたの姿勢や、あなたの態度は、 神の王子にふさわしいですか?王女にふさわしい事を、毎日やっていますか?それともあなたは、このヤコブが出て来ませんか? 己の事だけ追及する。ろくでもない人間。私たちは、イスラエルです。
 皆さん、クリスチャン生活の中で学びましたように、ヤコブは、レアとラケルと、 ラケルの僕と、レアの僕の4人の女性と関係を持ち、そしてレアが生んだ子供が6人。 ラケルが生んだ子供が2人、ラケルの僕が生んだのがダンとナフタリ。レアの僕が生んだのが、ガドとアセル。 すなわちヤコブには、12人の男の子が生まれました。そしてそのヤコブの子供たちが大人になり、子供が生まれ、 それに子供が生まれ、そうすることによって、ルベンの部族が生まれてきました。シメオンの部族が生まれてきました。 ものすごい大きな部族ですね。彼らがカナンの地に入った時には、12の部族が出ました。けれども神様は、 このヤコブの子供たち、すなわちイスラエルの中から、「レビ」だけを選びました。今日はこれが中心の話しとなります。「レビ」です。

   では「レビ」について、少し学んでいきたいと思います。この御言葉はものすごく重要です。私たちは「最後の成熟への追跡」 の、一番目の山は深く学びましたけれども、二つ目の「代表行為」の、この驚くべき資源の山は、まだ深く登っていません。 その中でこの御言葉は、ものすごく重要な御言葉です。
「代表行為」、だから注意して読んでみましょう。  民数記3章11節~13節
「主はまたモーセに言われた。『わたしは、イスラエルの人々のうちの初めに生れたすべてのういごの代りに、 レビびとをイスラエルの人々のうちから取るであろう。レビびとは、わたしのものとなるであろう。』

まず最初に、神様はモーセに、イスラエル全体の人々の中から、レビの部族を特別に選びました。こう言っています。 ですからこの時にはもう既に、ものすごく部族ができていました。すなわちこのエジプトに生まれた人々が、 どんどん増えていきましたね。そしてついには 70人ぐらいで、カナンの地からエジプトにやって来た。そのイスラエルの人々は、たった70人から40年間の間に、 200万人とも300万人とも言われる民族になっていった訳です。イスラエルという全体の部族の中から、 神様は一つの部族である、レビの部族をピックアップしました。

13節「ういごはすべてわたしのものだからである。わたしは、エジプトの国において、すべてのういごを撃ち殺した日に、 イスラエルのういごを、人も獣も、ことごとく聖別して、わたしに帰せしめた。彼らはわたしのものとなるであろう。 わたしは主である。」
エジプトを脱出した日、エジプトは裁きを受けました。エジプトのういごの全ての男の子は、 全部殺されました。すなわちこの世が裁かれる事によって、イスラエルというものが誕生したのです。世が裁かれる、 それはイエスキリストが、この世の裁きを受ける事によって、そこから贖い出された者である私たちは、ある意味、 イスラエルの中からの、特別なういごであると言うことができる訳です。私たちはその意味において、 キリスト者の中から選び出された特別な者が、「レビ族」という風に受け止められます。
「そしてイスラエルはわたしのものとなる。」
イスラエルというものが、神様のものになるためには、 エジプトすなわちこの世の国において裁かれることによってイスラエルが生まれた。ということが言える訳です。 イエスキリストの十字架が無かったら、 イスラエルは生まれなかった。ということです。私たちは世界中にキリストを信じる者たち、それは霊のイスラエルです。 だからこれは裁かれることによって、イスラエルとなった。これは「代表行為」の中でも中心的な教えであります。 私たちも贖われた者たちの中から、なお「レビ族」として選ばれる訳です。あらゆる全てのキリスト教会の中から、 神様はレビ族を選んだように、今我々はコングレスとして、御国の実体として、この選びを受けた訳です。今日は、 ここはあまり強く言いません。
申命記10章8節
「その時主はレビの部族を選んで、主の契約の箱を担ぎ、主の前に立って仕え、 また主の名をもって祝福することをさせられた。このことは今日に及んでいる。そのためレビは兄弟たちと一緒には分け前がなく、 嗣業もない。あなたの神、主が彼に言われたとおり、主自らが彼の嗣業であった。」

だから神様が選んだレビ族は、 神様御自身がそのシステムによって養われたのです。そのシステムとは、十分の一献金を、イスラエルの全ての民族に課して、 そして土地と建物を持たなかったレビ族が、その中から十分の一を受けることによって、彼らはイスラエル全体の代表として、 務めを行う者となっていったのです。ですから彼らは、神の働きをするために選ばれたのです。

そこでレビの家系を見てみましょう。「レビ」、これはヤコブが生んだ子です。レビから3人の子供がまた生まれます。 これがレビ族になっていく訳です。だから最初のレビが、奥さんをもらって子供が生まれます。ゲルション、コハテ、メラリ、 その3人が生まれます。これはレビの子です。だからレビ族です。そしてその中のコハテ、この コハテが子供を生みます。コハテが結婚して子供を生んだのが、アムラムです。この アムラムの奥さんがヨケベデ。このヨケベデとアムラムの間に生まれた子供が、アロンとモーセとミリアムです。
だから覚えていただきたいのは、モーセもレビ族なのです。レビ族からモーセもアロンも生まれたのです。 そしてモーセはイスラエル全体の指導者となるのですね。けれどもレビ族の中で、 アロンとアロンの家系から生まれた者だけが突出されて、祭司職というのができるのです。だからアロン系でないと、 絶対に祭司として務めることができなかった。すなわち香を焚いたりね。今で言う線香を焚いたり。 また、いけにえを殺す時に殺して、肉を水で洗って焼肉にしたり。そしてその香りを神様が嗅がれたように。 そういった、イスラエルの全ての人の代表としての務めをすることができたのは、このアロン系だけなのです。 モーセは指導者でした。そしてモーセはエジプトを脱出したイスラエルを、カナンの地まで導くための指導者でした。 その働きの中で、神様の務めをしたのがアロンでした。ところが、アロン系が、その祭司の務めをするのですが、 祭司だけでは大変な務めで、仕事でしたから、その働きを分けたのです。皆さんご存知のように、雲が荒野で動いて行きましたね。 雲が止まった時に、 イスラエルはそこでテントを張って、次に雲が動くまで、彼らはそこで生活しました。だから神様という御方が雲となって、 導いて行かれたという意味でもある訳ですよね。雲の柱、日の柱の所に彼らは留まった。なぜならその下は荒野だったから、 朝と夕の寒さ、昼の暑さ、それは耐えることができなかった。クーラーも暖房も何も無かった荒野で、 イスラエル2百万~3百万の民が旅をする訳ですから、その寒暖の差は耐えることができなかった。 そのようにイスラエルが旅をする中で、神様が雲と火の柱をもって導かれました。そして止まった時には必ずテントを張りました。 神様に命じられて造ったモーセの幕屋、それはものすごく重い資材が一杯です。そういったものは、雲が留まっている間は、 そこで務めをしている。
でも雲が急に動くのです。「おい、雲が動いた。さあーゲルション部族、お前はこの担当だ! コハテ族はこの担当だ!メラリ族はこの担当だ!皆片付けろ、旅路だ!」ものすごい荷物を一杯担いで、 彼らは次に雲が止まる所まで旅をして行く訳です。そのテントは40何個あったのです。40年間彼らは、 神様が願われた通りに動いて行ったのです。その務めを果たしたのが、レビの子供の部族で、ゲルション部族と、コハテ部族と、 メラリ部族です。そしてコハテ部族の中のアロンの部族だけは特別に、レビの中でも祭司職という、 祭司の務めをする仕事をしたのです。それが神様の霊的なシステムです。神様はイスラエルを選びました。宝の民とされました。 けれども彼らが正しくその民族として、部族として成長していくためには、神様の務めをする者を選ばなければならなかった、 それがレビ族です。レビ族の中のアロンの子孫は、特別な祭司の務めを神様は与えたのです。これはランクです。これは神様の、 イスラエルが成長して、神の御心を行うための制度です。

だから私たちも今、ウッドロフ師を中心として、CLCという6人のトップがおられ、その下に次のランク、 それがエグゼグティブアタッシェです。その下に、世界中に40人の地方コーディネーターがいます。その下に、 それぞれの国々に、その国だけのコーディネーター、その下に地方教会があります。そしてそれぞれの地方教会には、 クリスチャン皆、これも地方教会です。その全ての生徒たちが、この務めができるように、上からその流れのシステムがあります 。私たちがこの世の中にあって、清く正しく真実に、この世のシステムではなく、神様から与えられた制度によって生きる国が、 今構成されているのです。だから私たちは今、これを学んでいる訳です。

実際に、モーセの幕屋というものは、荒野の中に雲が止まった時に、彼らはこの幕屋を建てたのです。 そして必ず入り口は東側でなければならないという神様の掟がありました。だから東側に門を作って、牛や羊を殺して、 香り高いいけにえを、神に捧げる祭壇があり、その次に、血を洗う洗盤、水の入れる所があり、そこから聖所があります。 この聖所は、二つの部屋に分かれていた訳です。その部屋を隔てる垂れ幕は、皆さんもご存知のように、 イエス様が十字架に架かった時に、上から下に、バサーッと、真っ二つに裂けたのです。ここには神の御臨在である、 贖罪所というのがあった訳ですね。そして聖所と呼ばれた部屋、そして至聖所、ここに入る事のできるのは、この人がもし アロンだったら、祭司の中でも、大祭司という務めをする者だけが、一年に一回、「贖罪の日」という時に、 この部屋に入る事ができました。それ以外入ったら、全て殺されました。そのようなものすごい神様の御臨在で、 誰も近づくく事ができなかったのです。これが今で言う、神社の御神体と言われるものです。それはここから来ているのです。 勾玉とか剣とか、いろいろ神社にあるでしょう。それは象徴的なものであって、それは本当は形式的なものです。
本体は今、この幕屋というものは、一体何かと言ったら、あなたです。あなたの内に、契約の箱であるイエスキリストの霊が、 私たちの内に宿っている、それが幕屋です。すなわちあなたは幕屋なのです。今、言葉を変えたら教会なのです。 教会というのは、この教会堂の事ではないですよね。教会とは、この世から召し出された者たち。すなわち私たちは世の中から、 世のシステムから、世の価値観から、召し出されて、神のシステムの中に入れられた。すなわち私たちは教会なのです。 だから私たちはもう、神社に行って、みこしを担ぐ必要はないのです。私たちがみこしです。そして私たちの内に、 永遠の神がおられるのです。その雛形がこのモーセの幕屋です。この時代はものすごく厳しかった。でも今も同じです。 あなたが清く正しく、汚れに染まらないように生きる事こそ、このモーセの幕屋の働きと同じ事なのです。 だから己のために生きる人間は、決してこの時代、「ああ、私はもう、この務めをやりたくない。」それは皆殺されたのです。 いらないから。神様は私たちを、神様の働きをするために創られたのです。己の自由の幸せのために創ったのではないのです。 本当の人の幸せは、神と共に生きる時に、本当の幸いを得ることができるのです。この世の中に幸いなんてどこにもない。 ですからこれだけの器具類を全部、祭司だけでは運べなかったので、 レビ族がそれぞれ担当しました。

ゲルション・コハテ・メラリの内、コハテ族(民数記3章31節)は、モーセと アロンを出した部族ですから、このコハテ族が核となりました。ですからアロン以下、祭司、大祭司は、 アロン系が祭司職を務めました。けれどもコハテ族は動く時、また雲が止まった時、またきちっとテントを張って、机を出して、 パンを6枚重ねにして、きちっとして、全部聖書は霊的な意味があるのです。私たちが学んでいるこの学びは、あまりにも深い。 なぜなら神様の御心が、この聖書に全て入っているからです。契約の箱というのは、ケルビムが両方からおおっている訳です。 この中に石の板とか、アロンの芽を出した杖とか、マナの壺とかが入っている訳です。いずれにしましても、 これは神様の御臨在を現している訳です。ですからいつもここから、栄光の雲が見える形で、 イスラエル全体がテントを張ったちょうど真ん中に、この幕屋が置かれましたから、そこから上に上がって来る雲によって、 神様がおられるということを、荒野であっても イスラエル全体は意識したのです。だからコハテ族は一番中心的な器具を扱った。パンの机は、「私は命のパンである。」と、 おっしゃいましたね。この真理があるのです。それを学ぶだけでも、ものすごいものがあります。そして、燭台、 「私は世の光である。」この光だけが、この聖所の中で輝いていたのです。この光がなかったら、 真っ暗で務めができなかったのです。それから祭壇。この祭壇は香の祭壇ですから、さっき言ったように今で言う線香ですね。 香を入れて、その薫香がその聖所に満ちていた。それは礼拝です。皆さんが捧げた礼拝は、本当に薫香のように、 神様は匂いを嗅いで喜んで下さっています。

ゲルション族(民数記3章25節~26節)は、庭のあげばり、幕屋と祭壇の周りの庭の入り口のとばり。だから幕です。 この幕は3枚か4枚つづり合わされて、重複しているのですね。一番外はジュゴンの皮で覆われていましたから、 ちょっと黒っぽかったのです。中側はあでやかな5色、金糸、青糸、紫糸、緋糸、白糸が折り合わされて、この聖所の中は、 もう栄光に輝いていたのです。でも外側はみすぼらしい、誰が見ても真っ暗なテントだったのです。こういうテントを中心に、 ゲルション部族は担当していたのです。紐を持って行く係り、テントを張る係り、ものすごい人数が要ります。

  メラリ族(民数記3章36節~37節)は、幕屋の枠。だからメラリ族は一番重かったと思います、木枠だから。 彼らはその座、それは青銅でできているのです。幕屋の中のものは、銀でできているのです。全部意味があるのですね。 銀は贖いでしょ。青銅は裁きでしょ。そういう学びは、また皆さん学ばれたらいいと思います。そのように、 外側のそういった部品をメラリは担当しました。ということは、コハテは、一番中心的なものを持って行く役割だったのです。 ゲルション族は、その次の領域の部分です。そしてメラリ族は一番外側を担当したのです。このように皆その部族ごとに、 それぞれが張るテントの場所が、ちゃんと位置づけられていたのです。ということは、神様が中心におられて、 祭司が務めをいつもして、祭司の務めの外側で、いつも用意していたのが、ゲルションとコハテとメラリ族だったのです。 その外側に、イスラエル2百万の民の テントが、ずーっと張られたのです。だからものすごい旅路だった。民族大移動です。ものすごい犠牲が要る訳です。 牛も羊も皆連れて行かなければいけません。すなわち私たちは誰一人、荒野で残される者があってはならない。 イエスを信じた者は、最後の到達地点にまで、カナンの地まで、イエスの御再臨の時まで、 私たちは正しく進まなければなりません。世の人たちが私たちを見て、あの人たちは違う種類の人たちだと、 言わさなければいけません。

 民数記3章32節
「祭司アロンの子エレアザルが、レビびとのつかさたちの長となり、 聖所の務を守るものたちを監督するであろう。」

だから祭司はレビを監督したのです。祭司は雲が動いた時に、レビ族に、 「ゲルション頼みます。コハテ頼みます。メラリ頼みます。」さあ全部部品を。たとえばその時に、コハテ族が一番中心の、 贖罪所、神の臨在を持って行く時に、神様の贖罪所を見たら、全部死ななければならなかったのです。 神様と顔と顔を合わせる事は絶対できなかった。だから彼らは全部布を先にそれにかけて、 そして誰も見ることのないような形で担いで行ったのです。だからイスラエルの人たちは、 誰もその贖罪所を実際に見た人はいない。贖罪所を見ることができたのは、祭司の中でもたった一人、 大祭司としての務めをする人だけです。最初の人物は、アロンだったですね。アロンが至聖所の中に入って、 その栄光の贖罪所の上に、彼はイスラエル民族が一年間犯してきた罪の血を、そこに注ぎ込んだ。それによって全ての罪を、 神は許されたのです。それは贖罪の日です。贖いの日です。一年に一度だけ大祭司が入って、 今まで一年間罪を犯したイスラエルの全ての罪の血を携えて、贖罪の日に、その贖罪所にそれを注いだ。 だから器具類は、全部血で染まっていたのです。だから例えば聖所の中にある蜀台は、金でできていました。 でも金の上に、最初に用いられる時に、モーセは全部血を振りかけたと書いてあります。だから全ての器具に血が振りかけられた。 その意味は、全てはイエスキリストの血によって、聖別されなければならないということです。 その様なことを深く神様はモーセに教えて、一つ一つお作りになりました。
イスラエルをカナンの地にまで導くためには、ちゃんとした霊のシステムがなければならなかったのです。 だから今私たちは、ノエルウッドロフ師を使徒とし、そこから流れて来る神の資源が、 私たち地方教会の隅々の聖徒一人ひとりにまで流れて、その教えを受けて、世の中の教えではなく、 正しく生きるための教えを、一人ひとりが学んで、そして私たちはこの地上で生活はしていても、 考え方は神の国の考え方で生きる民族となる訳です。それはイスラエルです。あなたはイスラエルです。 あなたは世と妥協してはならないです。あなたはイエスの血で覆われています。あなたはイエスの血で贖い取られた者です。 あなたはイエスと契約を結んだのです。それがあなたです。だからこれは宗教じゃない。これは私たちが人生において、 正しく生きるために神が選ばれし御計画です。神様はあなたを選ばれました。私たちは選びによって、イスラエルになったのです。 イエスを信じることによって罪許され、神の子とされ、イスラエルとなり、永遠の国に向かって、今私たちは進んでいるのです。 神はこの肉の世界を全部滅ぼすでしょう。聖書にそう書いてある。 
「天地は滅びるであろう。しかし私の語った神の言葉、神の考えは、必ず成就する。実現する。滅びることはない。」
こうおっしゃいました。だから私たちは信仰生活をしているのです。

今日の教えは「ランク」です。どうぞ皆さんあなたはその位置で、聖徒としての位置で、イスラエルとしての位置で、 与えられたその中で、この教会でもシステムがありますね。主任長老、牧師、副牧師、伝道師、そして聖徒たち、それは何も、 差別のための意味じゃない。旅をするためのシステムです。皆仲間です。私はあなたと同じクリスチャンです。 同じ神の恵みをいただいています。神様からの資源をいただいています。同じ仲間です。何にも卑下することはない。
でも、彼と私の違いは、神が与えられたその ランクがちがうだけです。家族の中でも、父親は、その家族を正しく導くために与えられたトップです。 妻に偉そうにするために与えられたトップではありません。それはこの世の中のシステムです。 夫たる者は、家庭を愛し、家庭を正しく導き、そのために喜んで犠牲をするという、そのトップが、 そのシステムが与えられただけです。言い換えれば、えらい損な仕事です。でも神様が家族をつくられました。 男と女を創られました。男性女性を創ったのではなく、男と女のシステムをつくったのです。だから男が女の格好をするのは、 聖書では殺されたのです。女が男になることは、殺されたのです。女には女の務めがあります。男には男の務めがありますよ。 男性という人間的なヒューマニズムの土台の中で、権利を生きる人間が、男性とか女性の差別があってはならないと言うような愚かな思想が、 この世界の中にはびこっているだけの話であって、そういうものがアメリカ全土にも広がり、今は50州全部、男が男と、 女が女と結婚してもいい、これはバカですよ。家庭が全部崩れますよ。私たちは正しい家庭をつくります。 だから私たちは正しく生きるのです。ランクを重んじて下さい。それは支配するためではない、資源を流すためです。
だからウッドロフ先生も、「使徒は5役者の中でも最高に素晴らしいということではない。ただ使徒としての資源を、 神様から与えられたものを流すのが私の務めだ。だから私は誰かよりも偉いということではない。」と、言いました。 素晴らしい方はイエス様だけです。システムをつくって、旅路を進ませて、終わりに至らせるための制度です。 だから間違わないで下さい。だから従って下さい。意見があるなら、そのリーダーと話して下さい。けれども最終的には、 この教会のトップのシステムに従って下さい。あなたの考え方が100%素晴らしい訳ではない。 もちろんそれは私にも言えますね。だからシステムをつくったのです。 たとえ私の考えが80%の不完全性を持って皆さんに勧めたとしても、それを司っておられる神が許されたのであるならば、 神様はあなた方を正しい道へと導いて下さいます。後の20%の不確定な所を、神様は私に責められると思います。 「お前はなぜああいうことをやった。」後で言われます。でもそれを発した命令の、その制度は、 皆さんにとってマイナスではない。あなたはその システムに従ったからです。だからランクを重んじましょう。ランクに従わないということは、 イエスに従わないのと同じことです。そのようなことを正しく理解できない教会が一杯で、いつも分裂です。 私たちはできる限りあなたと話し合います。あなたが本当に低いレベルであっても、あなたの自己主張を、 どんなにその他の人からしたら愚かな思想であっても、最低限、あなたが理解できるように、あなたがつぶれないように、 この教会は進めて参ります。けれども、最後は神様です。