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今月の礼拝メッセージ

「従事の時」

2016年2月                ●久松政一主任長老●

 新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。キリストにあってお願いします。 キリストにあるということの偉大さをほめたたえます。キリストにあって皆さんと仲間です。現在非常に困難な中におられる方も、 また辛い所を通っておられる方も、また患いの中におられる方も、また信仰によって輝いていらっしゃる方も、皆仲間です。 大丈夫です。キリストにあるからです。キリストにあるということの絶大さは、何にも変えることはできません。 私たちは唯一神の民です。それゆえに私たちは今年も進んで行きたいと思います。  今年は従事の時、もちろん途中で、代理の領域に入るかも知れません。これは神様からの声を聞いて、ウッドロフ師が、 「その時である。」と、仰せられるなら、私たちは切り替えたいと思います。けれども現時点におきましては、 従事の時であります。そして皆さんも御存知のように、昨年度は1年間、11月の13日、14日と、 2日間のこの従事セミナーに向けて、私たちは祈ってまいりました。その結果、神様は働いて下さいまして、 皆さんにお伝えしたように、130名ぐらいの方々がいらっしゃいました。もう席が本当に満席になりました。 大阪コロナホテルで行われた、ノエル・ウッドロフ師を講師としての従事セミナー。その時に、 最終的にコングレスに入るとおっしゃった教会が10教会あり、現在、第1回目は、昨年度の12月に熊本と奈良で、 第1回目の入り口への小道セミナーをいたしました。非常に良かったですね。10の教会の内、 7つの教会しか参加なさらなかったのですが、乾いておられる先生方もいらっしゃったので、 その先生方がまた恵まれて来ておられます。ですから他の教会の先生がまたこのコングレスに入られる確率も出て来るのではないかと思っております。 そして今年の2月に、第2回目の入口への小道のセミナーを用意しております。 皆さんどうぞ祈って下さい。8回あるこのセミナーを通して、本当にコングレスの中に、深く入って行かれるように、 毎日祈って下さい。時間ではありません。毎日祈って下さい。神様の前に、コングレスのため、ウッドロフ師のため、また、 エグゼグティブアタッシェのため、コーディネーターのため、また、KCNの中のBTGのために、 またBTGに入られた21の全ての教会の祝福のために。そして、クライストチャーチ倉敷、クライストチャーチ岡山、 クライストチャーチ愛媛のために祈って下さい。これだけの言葉を皆さんの言葉でおっしゃったら、約5分経つと思います。 ぜひ祈って下さい。皆さんの祈りが従事の時です。祈りによって従事の時はなされていると、ウッドロフ師は語られました。 コングレスのメンバーが毎日祈っている、そのことによって、従事の時が祝福される訳です。 祈らなかったら私たちは世の民となってしまいます。神様の民の特徴は、祈ることです。あなたの口で毎日5分、 今の事についてお祈り下さい。 これが今年の御言葉です。エレミヤ書1章9節~10節「そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、 主はわたしに言われた、『見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。見よ、わたしはきょう、あなたを万民の上と、 万国の上に立て、あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、あるいは建て、 あるいは植えさせる』」神様がエレミヤに語られた言葉ですが、これはまさに、神様がコングレスに語られた言葉です。 私たちに神様は語っておられます。コングレスに。ですから神様は私たちの口に、神様の言葉を入れた、 それはあなたを全ての国々、世界中の全ての人たちの代表として、あなたを立てた。それはあなたによって、抜き、こわし、 滅ぼし、倒し、建て、植えさせるためである。それが、神様が私たちにさせようとしておられる事です。 今年一年、神様はこれを、この教会を通し、すなわちあなたを通してさせようとしておられる事です。 これはウッドロフ師が、EADの確立された建設的デザインの中の、第1番目の、従事の内容の中の中心的な御言葉です。  この意味を今日はお話しします、まずこのエレミヤという人は、偽りの構造と、間違って建てられたものを引き抜いて、 滅ぼす動きと共に、建て、また植えさせるということの、これは事例です。ですからコングレスも、間違った考え方の構造と、 そのように建てられた建造物を壊して、またこの悪いそういう植えられたものを引き抜いて、 そして新しいこの良いものを植えるという、この作業をコングレスがすることを、神は願っておられる訳です。 ですからここには、植木の例と、建物の例が書かれていますよね。なぜなら植木はここに当然、抜くと書かれています。 ですからこの悪い木を抜くということ、これは、マタイによる福音書の7章16節~18節を見たら、 良く理解ができると思います。「あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、 あざみからいちじくを集める者があろうか。そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。」ということは、神様はこの地上で、 例えとしての中で、悪い木というのが、あざみとか、茨のことだと言っている訳ですね。ですから、 あざみからいちじくは集められない。だから良いものとしては、ぶどうとか、いちじくという例えをしている訳です。 これは私たち個人の内面のことを言っていますし、またこれはコングレスのことも言っていますし、 またこれは外部の教会のことも語っていますし、また世の中の一般の人々のことも語っています。全て含まれています。 悪い木、それは抜かなければならない。そうイエス様は語っておられます。 もう一つの例えは、これは建物の例ですね、エレミヤに神様が語られた言葉、すなわち、偽りの構造、 ちゃんとした土台の上に建てていないから、それは大変なことになりますよ。それをイエスはおっしゃっています。 マタイによる福音書7章24節~27節「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、 岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、 倒れることはない。岩を土台としているからである。また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、 砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、 倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである。」これは建物の構造の問題ですね。構造の一番重要な土台が岩、 岩という固い物の上に建物が立っているとするならば、雨や嵐がやって来ても、岩が土台ですから崩れることがない。 だから一番基本的な構造が、ちゃんと正しく建てられているという意味です。けれども砂の上に建てた家は、 どんなに素晴らしい木材を使おうが、外側がどんなに見栄えが良くても、嵐がやって来たら、砂は、 その雨の水を吸収して傾いてしまう。それによって、その上に建てた全ての重要な住まいが全部崩壊してしまう。 それは構造の問題です。これはあなたの構造の問題です。あなたの内面が、すなわち土台が腐った家のように、 砂の上にあなたの家が建てられていたら、あなたは崩れるということを言っています。もっと言い変えれば、 自分の考え方が間違っているのですよ。それさえも気付いていない。そして立派な家を建てようとしている。しかし死ぬ時、 その死ぬ直前、人生全てが崩落して行く訳です。何のために生きてきたのか。全てが崩壊していくのです。 あなたが生きて来たその歩みが、全部だめになってしまうのです。なぜか、どんなに外側が立派に建てたとしても、 あなたの内側の土台の構造が悪かったから崩れるのです。その意味において、私たちは、自分の考えで建てた、 自分の価値観、これを壊さなければならない。それは個人的なことです。世の中の人は特に、何も分かっておられないです。 生まれてからこのかた、あらゆる出来事を通して、自分の内面を建て上げていく訳ですね、家のように。 だから皆違った家を持っています。だから皆考え方が違うから、世界中が憎しみあい、殺しあっている訳です。 土台が違うからです。これが世の人々の構造です。だからコングレスは、外部の教会においても、 その価値観を壊す手伝いをしなければならない。そして新しく植えなければならない。建てなければならない。 我々コングレスは、旅をして来ました。そしてあらゆる神様からの良い資源を皆いただきました。 だからいつでも外部の教会に対して、私たちは教えるだけの準備があります。だから私たちの仕事は、 私たちの内に神様の言葉を入れて、そして外部の教会の砂構造を壊し、植え、建てるために壊す。破壊するための破壊ではない。 これは不必要なものを壊して、正しくもう一度立て上げる。悪い木を抜いて、良い木を植えて、良い実をならせる。 これが神様の御心です。皆さんもそうでしたでしょ、夫婦の関係、親子の関係、また人間関係、また人生における価値観、 もう全く世の中の腐った思想の中にまみれていたでしょ、皆さん。けれども聖書の神の言葉を通して、 あなたは初めて自分の内側を見なければならない。対面しなければならない状態に、教会を通してなっていったでしょ! それによってあなたは変えられてきたでしょ!そのように神様は今、私たちが、自ら自身も従事して、 自分自身の不必要なものを抜いて、不必要なものを壊して、正しく建て上げていくということを、自らもするけれども、 世の人に対しても、私たちは従事して、彼らの不必要なものを取り除いてあげて、真実大切なものを植えてあげるという、 この素晴らしい教えを、資源を、価値観を、与えていくというのが私たちの仕事なのです。外部教会の人たちも、今、 神様の雲の中にいないです。だから彼らはいつでも、過去の事ばかり言います。昔は良かった。昔は聖会素晴らしかった。 人数もものすごく増えたのです。でも今どうですか。今あなたの教会は?日本の7,800ある教会の全てと言っていいくらい、 全然成長していないのはどうしてですか?それは、古い体質と、古い価値観を持っているから。それを壊さなければなりません。 それを抜かなければなりません。そうでなければ、良い木を植えることはできません。悪い木のままであったら、 絶対良い実はならないです。構造の悪い建物を建て続けて行くなら、必ず崩壊して行くように、 新しい構造を建て上げなければならない。その新しい構造とは、コングレスの教えです。だから全ての事において、 私たちはこの事において、この引き抜く、建物を壊すということは、それを我々はやってきました。 1、損とみなす・・・私たちは損とみなしました。この世の中のものに何の価値も無いと、みなしました。 私たちはそういう世の中の物で、自分というもののアイデンティティーを持つことを、もう止めました。 そのようなものによって、私たちは成り立っている者ではないということを、私たちは学びました。そしてそれを実行しました。 お金に価値はありません。内側が腐っていても、お金を沢山持っている人はいくらでもいます。人よりも優れている者、能力、 知識のある者が世では、お金を一杯持っています。そしてろくでもない事に使って、この世を腐らせています。 けれどもある人にとっては、そのお金を正しく用いて、己のために使うのではなく、人々のために使って、 そのお金を有効的に用いています。それは素晴らしいことです。ですからお金というものの価値は、 それは自分と関係がないということを、私たちはこの「損とみなす」ということを通して学びました。 会社であなたが秀でた、ある特殊な能力を持っているということが、あなたの素晴らしさではありません。 ということを学びました、損とみなしました。そんな物によってあなたは価値があるのではない。 あなたの価値は、神の霊によって生まれた者であるという、この価値観を持ちなさいと。 これによって世界中の全ての人は、神様の前に平等です。けれどもこの世の中は皆平等じゃない不平等、 何の意味において不平等ですか?比較社会においてです。誰々が誰々よりも能力がある。そしてこういう特殊的なことができる。 そんなことは問題外です皆さん。それによってその人の価値が決まるのではないということを私たちは学んだ。 だから勉強ができる者は、愚か者が多いのです。その勉強ができるという価値を、己のために使うからです。 何の知恵もなく、知識もあまりなくても、何か人のために、本当に、「こいつバカだな。」と、 言うぐらい人のために優しい子、本当に人のためにいつも損ばかりしている子、その人は素晴らしい人です。 と、いうようなことを私たちは「損とみなす」という所を通して、歩いて来ました。旅をしましたね皆さん。 2、出発点の再定義・・・これはものすごい膨大な資料を、一言で言っているのですけれども、旅しましたよね! 私たちの出発点は、自分が生まれた時ではない。もう生まれる以前から、神が私たちを生まれさせて下さった。 それが私の出発点だ。だからこの「時」という、地上の価値観に支配されないようにしなさい。私たちの出発点は永遠です。 だから時の中で支配されている生き方を止めなさいということです。私たちは「霊」です。 私たちはこの世の見えるものによって支配される者ではありません。私たちは「霊」です。この「時」を打ち破りました。 イエスは死んで蘇られました。彼は永遠からやって来られて、永遠に帰られました。そしてその御方が、 「私を信じる者はいつまでも死なない。」という、この「死なない」とは、霊が死なないということであって、 肉が死なないということではない。ということも学びました皆さん。だから私たちはこの地上で、 肉体が存在している間の価値観で生きていません。この世の価値観で生きることを止めて、私たちに一番大切なのは、 私は「霊」であるということです。時を打ち破った者です。 3、十字架の枠の中に入れられる・・・キリストが死なれたように、私たちも自分の価値観、肉に死ぬことです。 あなたが不幸なのは、お金が無いからじゃない。あなたの顔が悪いからじゃない。あなたの家系が悪いからじゃない。 あなたが不幸なのは、あなたの肉が生きているからです。あなたの考えが、あなたを不幸にしている。 それに死ななければならない。そして、キリストの考えで生きる者にならなければならない。キリストの考えの絶対的な基本は、 人のために生きるということです皆さん。己のために生きる人は、皆不幸です。 4、後ろのものを忘れ、前に向かう・・・言い変えれば、この地上のものに心を奪われることなく、天に向かって、 すなわち永遠の価値観に向って、物事をいつも考えていくということ。それはある意味において、記憶の支配からの解放。 今まで経験してきたあらゆる出来事、その記憶があなたをだめにする。だからこの地上でつちかってきたあなたの経験や、 あなたの今まで受けた傷や、悲しみなど、皆その記憶は、あなたを支配するのです。だから小さい時にひどい目にあって、 誰にも言えないようなもうたまらないような経験をした人は、その記憶があなたを支配しているのです。 死ぬまであなたを支配します。だからあなたは幸せになれない。けれども、記憶の支配から解放される。 この記憶という意味は、ある意味「蓄積」という言葉で言い変えることができるとウッドロフ師は言いました。 記憶というのは蓄積です。層ができる訳です。あなたが長く生きれば生きる程、あなたの記憶が蓄積されていく。それによって支配されているのですあなたは。けれども上を目指している者にとっては、この地上で起こった出来事の記憶の支配の中にはいないのです。この蓄積という言葉を、違う言葉で言うと、時間基準での経験の層が何層にも重なって思考を満たしていく訳です。だからあなたが長く生きれば生きる程、色んな経験をする訳でしょ。経験の層が一杯蓄積されていく訳です。それがあなたの思考なのです。それがあなたを支配しているのです。だからあなたはこの記憶の支配から脱却しなければならない。それは、後ろのものを忘れることです。あなたはこの世の者ではないでしょ!ならば、私たちはこの地上で起こった記憶の蓄積から解放される必要がありますよ。そんなものに捕らわれていないのです。それを私たちはカレブという人を通して学びましたね。カレブは40年間、あの不信仰な友達と旅したのです。そしてその友達が、毎日毎日、十何人ずつ死んでいく訳です。そしてついに40年経った時、彼の友達は、すなわち同じ時代の人は誰もいなくなった。あとは皆、若い子たちばかりだった。けれども彼は、その40年間の毎日の記憶の蓄積によって、ビジョンと信仰を捨てなかったですよ。それは彼がいつも、記憶からの脱却を知っていたからです。上を目指して、「私はあのカナンの地において、必ず山々を支配するのだ。あそこを私は取るのだ、あそこに住んでいる敵を打ち破って、私はあそこで自分の部族を立て上げるのだ。」という、このビジョンンを、40年前からずっと持っていた。皆死んでいったら、もう失望と落胆と、そういう夢も、何もかも忘れてしまうような出来事ばかりが記憶の中で、毎日の中で起こってきても、それに全く彼は支配されなかった。あなたはあなたの小さな出来事や、毎日の出来事の中で、そういうものに、もしあなたが捕らわれているのならば、あなたは上を目指してはいない。天を目指してはいない。あなたは地上の人だ。私たちはこんな地上に何の価値がある。というような学びを私たちはしました。だからこれを私たちは、教会と自分にあてはめ、また外部の教会にも当てはめ、未信者の人々にも当てはめる訳です。そして彼らの思考を「抜く」のです。彼らの建物の構造を「壊す」のです。それは私たちの仕事です。そして新しい構造物を建て上げてあげるのです。あなたが受けたように。あなたが考えることができたように、神様からの今の新しい運動を、彼らの霊の中に入れる時、彼らは新しい建物を建て上げる事ができる。新しい素晴らしいぶどうの木を植える事ができる。それが私たちの仕事だと神様はおっしゃっているのです。 そうなったら、どのような者になるかということで、「聖域」という言葉を、EADで学びました。「聖域」、 それは聖なる神様の領域へと導くものです。だから私たちは聖域です。コングレスは、全ての神様の材料を持っているのです。 建て上げさせるための材料を皆知っています。植えるための全ての方法を、全部知っています。だから、植えてもらいたい、 建ててもらいたいと思う教会や、世の中の未信者の人々に、「もう一度人生やり直せるよ、立て上げれるよ、 あなたの腐った思想を全部潰してあげて、新しい思想によって、あなたは輝く人生を送ることができるよ。」と、 私たちは言うための、全ての材料を持っている訳です。それが聖域です。 ホセア書11章3節~4節「わたしはエフライムに歩むことを教え、彼らをわたしの腕にだいた。 しかし彼らはわたしにいやされた事を知らなかった。わたしはあわれみの綱、すなわち愛のひもで彼らを導いた。 わたしは彼らに対しては、あごから、くびきをはずす者のようになり、かがんで彼らに食物を与えた。」 これがコングレスです。私たちはこの外部の教会に、世の中の人々に、また自ら自身に対しても、「あごから、 くびきをはずす者のように」くびきというのは、本当に支配された感じですよね、このくびきをはずされるということは、 自由になるということですよね。また、「へりくだって彼らに食物を与えた。」偉そうに、 食べ物を与えてやっているという、そういう上からの態度ではなくて、イエス様と同じように低く、友となって、 「どうぞこれを食べて下さい。」と言ってさしあげたように、私たちもこの素晴らしい教えを人々に、また外部の教会に喜んで仕えていく。そのように与えたと、エレミヤに言われたようにコングレス、すなわち、あなたにも口の中に入れたと神様はおっしゃる訳ですね。私たちもそのような者になるべきですと。  エレミヤ書31章12節「彼らは来てシオンの山で声高く歌い、主から賜わった良い物のために、 穀物と酒と油および若き羊と牛のために、喜びに輝く。その魂は潤う園のようになり、彼らは重ねて憂えることがない。」 今まで憂えていた者、失望していた者、悩んでいた者、この地上でどう生きたらよいか分からない者、教会はもう何も成長しない。 ああ本当に、人々の重荷や悩みばかり聞いて、祈って、断食して、それだけの教会になって、長年経つけれども、 何の祝福も成長もないというような教会に、神様は私たちを通して、この資源を流し出す事によって、 「穀物と酒と油および若き羊と牛のために、喜びに輝く」喜びに彼らが輝くようになる。 「その魂は潤う園のようになり、彼らは重ねて憂えることがない。」その働きを、 神様はエレミヤの口に入れたように、ウッドロフ師の口の中にそれを入れた、という意味です。 そしてその恵みを私たちはいただいて、今、正しく正確に、真実に人のために生きる群れになってきている訳です。 あなたは全部の資源を持っています。どうぞあなたは、あなたの多くの近隣の人々、友人知人に、また親族に、 この素晴らしさを、あなたは伝えて下さい。それが従事の時です。またあなたが外部の教会を知っているなら、 その指導者に語りかけて、「私たちは素晴らしい資源を持っています。私たちは聖域です。どうぞ来て下さい。」 いくらでも皆さん、差し上げることができます。そして喜びに輝くようになりますよ。という意味が、引き抜くことであり、 倒すことである。その目的は、植えて、建て上げさせるためです。もっと言い変えれば、私たちも本当は引き抜かれて、 自分の考え方で生きていた私たちが、どんなに悩み苦しんできたか。ただイエス様を信じただけの教会生活では、 本当に自己中心で、神の言われる教会とは程遠い教会に、またクリスチャン生活になるのですよ。 もちろんこのクライスト・チャーチの教会の全ての人が、そのランクにまでいるとは言いませんけれども。 だから私たちもそれを受けてきた者ですから、それを流し出すというのが、今年の働きです。その意味で、 エレミヤ書の1章9節~10節を、もう一度読んでみて下さい。「そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、 主はわたしに言われた、『見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。見よ、わたしはきょう、あなたを万民の上と、 万国の上に立て、あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、あるいは建て、 あるいは植えさせる。』」この御言葉の意味が、把握できましたでしょうか? 2004年からこの運動を続けてきて、もう12年目になります。神様が生き生きと働いておられます。兄弟姉妹、私たちの教会は、聖域の教会でなければなりません。人々に分け与えることのできるものを、私たちは持っています。なぜですか?神があなたの口に、それを入れたからです。素晴らしいですね、本当にこのコングレスの働きは、ものすごく勢いを増してきていますね。今年は従事の時です。皆さんもう一度確認しておいて下さいね。損を算出し、出発点を再定義し、十字架の枠の中に入り、上を目指して進むということが、それがあなたの祝福です。これが理解できない人は、自分の考えで生きて行かなければいけませんから、必ず上がったり下がったりで、いつも同じ所を通ります。誰のせいでもない。あなたがそれを捨てないから。聖書ははっきりと語ります。 「聞く耳のある者は聞くがよい。」これ程厳しい御言葉はないですよ。「聞く耳があるのかあなたは?」と、 イエス様は言っているのです。神様の心を受け入れるか?あなたは心が貧しいか?と、言っているのです。 あなたの心がいつも空っぽか?ということです。空っぽの状態だったら、神様の声をいつでも聞けるけれども、 神様の声が、肉の耳では聞けないでしょ。だから二つの領域がある。自然の耳で聞く領域と、霊的な耳で聞く領域と、 二つの耳があなたにはなければならないと、神様は言っています。そうでなかったら、この意味は全然分からないでしょ。 イエス様の言われることは、いつも本当に深いですよ。それを悟りなさい。そのために毎日祈りなさい。 祈らないで教会の日曜日だけ来て、皆さん祝福受けて、「はい分かりました。」と言って実行できるような、 そんな簡単なものじゃない。あなたが毎日ごはんを3度食べて、やっと肉体が維持できるとするなら、 霊的な耳をあなたが研ぎ澄ましたいなら、いつもその食べ物をあなたが食べていなかったら、どうして成長しますか。 皆さんここで語る言葉は、あなたの生活の中で、生きて働かなければいけませんよ。あなたの1日のスケジュールの中で、 祈っていますか?聖書の御言葉を開いていますか?食物を食べないで、どうしてあなたの霊が生き生きできますか。できません。 そしてあなたがいつも不平不満を言うこと。教会で何かあったら、すぐ腹を立てたり、ムカついたりすること。 それはあなたの側にあるのですよ。だから兄弟姉妹、今年は従事を、自らもしなければいけませんよ。 自らの内側の中の不必要なものを壊さなければなりません。不必要なものを抜かなければなりません。それは痛いです。 それは本当に辛いことです。皆さん、今まで自分が建て上げてきたものを壊されたら、腹が立つでしょ。 だから本当に痛い事なのですよ、霊的に。あなたの嫌な部分、あなたのろくでもないその性質、性格、すぐ腹を立てたり、 怒ったり、憎んだり、ねたんだり、自己中心で、自分が正しいと思う。そういう考え方を捨てるということは、 本当に痛いことです。捨てなさい。それが成長することです。そうしたら、あなたは妻に対しても、子供に対しても、 どんな厳しい出来事が起こっても、「ばかー!」とか、怒ったりしないで、まず、この問題をどう処理しようか。 あなたは正しく考える人になります。そして子供に威圧的に語るのではなく、あなたはその時、正しい答えを見い出し、 良い雰囲気で、子供と良い関係で、その大変な出来事であっても、良い話し合いができるでしょう。 でも多くの家族は、突発的な、今まで経験したことのないような事が起こったら、「何でこんな事が!」と、あなたの肉が、 バーンと出るでしょう。問題がもっと悪化します。私たちは変わりましょう。私たちは変化しなければなりません。 私たちも従事するべきです。人々のために良いものを与えるためには、自らもっともっと成長しましょう。 従事の時、今年一年、兄弟姉妹、増え広がりましょう。イエス様の御再臨を待ち望みましょう。もうすぐ主は、 我らを迎えに来て下さいます。あの十字架上で苦しまれた方が、私たちを迎えに来て下さいますよ。 永遠の昔から語られている御言葉が、預言が実現する時が近いですよ。私たちは励みましょう。 この地上に私たちの家は無いのですから。私たちの国籍は天です。だから進みましょう。正しい事をしましょう。 清い行いをしましょう。世の中のテレビに映っているものの大部分は悪ですよ。だから良い物を見ましょう。 良い関係の交わりを築きましょう。夫婦の関係において、いつも色んな関係を持って、夫が何を考えている人か、 妻が今何を考えているか、良い雰囲気でお茶を飲みながら交われるような時を大事にしましょう。 夫婦関係は子供関係よりも重要です。一番良いものでなければいけません。親子関係は、二の次、三の次です。 夫婦関係がだめな人間は、親子関係が駄目です。多くの人が言います。「親子は血が通っているけれど、夫婦は他人だ」と。 夫婦が愛し合っていなかったら、その血縁はできないのです。愚かな人は親子関係が第一で夫婦関係は第二、第三と言うのです。 神の家族になりましょう。神の国を愛しましょう。私たちは、真に聖書が言わんとする国を建て上げています。 私たちは神の国を成長させましょう。さあ従事の時です、抜き、滅ぼし、壊し、倒し、そして後、植え、建てましょう!