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今月の礼拝メッセージ

「強くあり続けなさい」

2016年1月                ●ダビデ・カップ師●

 主が私たちに語られました。皆さんに告げるように、神様が私の心に入れられたことを、私は今から分かち合いたいと思います。
 今朝、二つの言葉を使いたいです。聖書の中で何度か記録されている言葉です。特に黙示録の中にです。ヨハネの黙示録は、 イエス様についての啓示です。短い間の中に、どんな事が起こるかということについて、私たちに告げています。 そしてその短い間というのは、既にもう間近に迫っている、という意味です。そして、「堅くありなさい。」という言葉を 皆さんにお伝えしたい。「強くありなさい。」あなたが今まで受けて来たものを、清く持ち続けなさいということです。 この時の終わりの季節の中で、「強くあり続けなさい。」それについて語りたいです。

 今朝皆さんがこの月報を見られて、その中に印刷されていることについてお話ししたい。この教会を通して、皆さんが コングレスWBNのメンバーに成られたこととしての証が、この冊子の中に印刷されています。(11月号、12月号)後から 読んで下さい。これらの方々が語られた証を皆さんが読んで、それらの言葉を強く持ち続けて欲しい。それらを語った言葉が、 土に落ちないように、決して落ちることのないように。私たちはEADの中で、神の本当に力強い真理を、 あまりに多く受けて来ました。神が語りました。そして彼は、今もなお語っておられます。神様が私たちに今、語っておられるのは、 その聞いたことを、「強く持ち続けなさい。」それを強く、「堅く持ち続けなさい。」それを軽く考えるだけではできません。 それを怠惰で、怠けて、放っておくことはできません。私たちは、これらの事について考えなければならないし、 そのことを私自身にも語っています。いつでもです。朝も、午後も、夕、晩も。神様はイスラエルの子たちに、 「これらのことを、あなたの思いに留めなさい。」と、おっしゃいました。「門のかどに書きなさい。」あなたの額に、 その小さなメッセージを書きしるしなさい。そのことが、今日私たちに、何を指し示していますか?イエス様が、 七つの教会におっしゃったことです。ヨハネの黙示録の1~7章までの、「強くあり続けなさい。」「強く保ちなさい。」 私があなたに今まで語ったことを、「強く持ち続けなさい。」今朝、神の声が私たちに語っているのを、私たちは聞きました。 それはただの、「いい勧めだ。いい預言の言葉だ。いい歌だった。」と、言う風には受け取ることはできません。 そうではない。それは神の心から流れて来る思いを、聖霊を通して、そこに立った人が語った、というものです。 それは神が私たちに語っていることです。

 私たちはそれらのことについて、考えなければならない。私たちの思考を取って、神が私たちに、今朝何を語ったのかということを、 思いに留めなければいけません。それを、いつものあたりまえのことのように思って、「OKだ。」と、 過ぎ去るようなことはできません。「ああ、神様が語った。それはいつもの事だ。」と言って、「お昼ご飯、食べに行きましょう。」 では、できません。それは悪いです。それは人間的なことです。私たちは人間じゃないです。私たちは天人です。 日本に住んでいても、天が私たちの国です。私たちは世の者じゃないです。ウッドロフ先生はいつもそう言います。 「カップよ、あなたはロングビーチの者じゃないです。あなたは天人です。」天人と言う単語を、私が発明しました。 辞書を調べてもありません。でも神の辞書の中には存在します。私たちは天に属する人々です。私たちは、そこで思いめぐらされ、 そこから生み出され、そしてそこにもう一度戻って行きます。昨晩のように。今朝3時に、私は神様から言葉をいただきました。

 ロングビーチの教会の中で、とりなして、また祈りの奉仕を携わってきて下さった姉妹が、天に召されました。向こうの時間で、 真夜中ぐらいにですね。彼女は天の故郷へ到着したのです。彼女は誰にも知られない苦痛を、ずっと10年程味わってきました。 彼女は両足が麻痺していました。彼女は腎臓の為に、良薬をいつも得ていなければいけませんでした。彼女は盲目に3度なりました。 そして神様が、3度彼女を癒されました。彼女は心臓の病気でした。何年にも渡って、彼女は病気であったのです。 苦しく、苦しみました。10か月前には、彼女は義足で家の中を歩いていたのです。ティーポットに熱いお湯を入れて、 お茶を作っていました。彼女はつまづいて、彼女のまだ機能している足の方に、熱湯がかかってしまいました。 ですから彼女の足は、重症のやけどをしてしまったので、又、更にその足を深く切って、切断しなければならなくなったのです。 そのニュースを聞いた時に、私たちはびっくりしました。「信じられない、どうして?」それでも尚彼女は教会に来て、 私の所に来て、「カップ先生、日本の為に、私に何か祈ることができることがあるなら、私に教えて下さい。 日本について先生が報告して下さることを、私は本当に愛しています。倉敷にあるBTGを。愛媛にある、岡山にある、 色々の教会のことを。」彼女は、それを聞いて、とりなして、祈り、一晩中祈ることもありました。宮に留まって、 日中夜祈り続けた、あのハンナの様な者ですね。彼女は祈りの奉仕をやっていました。彼女はずっと宮に、 祈りながら留まっていました。これが、カルロ・チェンバーズさん、私たちの教会で35年間やって下さったことです。 彼女は今、真新しい足をもって、走り、踊り、イエス様の腕の中で、安息を得ています。

私が皆さんに、そのことを伝えた理由は、私たちは時の終わりに生きていて、終わりは極めて近いからです。 イエス様と顔と顔を合わせて、彼に会う時が来るからです。今朝そのことを歌いました。彼は十字架上で死なれ、私たちの罪を贖う為に、 それをただ許すだけではなく、その罪を滅ぼす為に。それ故に、今私たちは永久の命を得ています。ですから神が私たちに語る時、 それは深刻な出来事です。なぜなら終わりの時だからです。それを当たり前かのようにノートを取って、いいメッセージだとして、 放っておいて、その聞いたことを毎日の中で行う事をしていないということはできません。 申命記の中で、神様がイスラエルの子たちにそれを語っています。

 箴言4章で、賢者ソロモンが語っていることを聞きましょう。
箴言4章1節「子供らよ、父の教を聞き、悟りを得るために耳を傾けよ。」
悟りを得る為に耳を傾けなさい。御言葉を読むとき、御言葉を聞く時、耳を傾けなければいけません。 それによって悟りを得る為にです。
2節「わたしは、良い教訓を、あなたがたにさずける。わたしの教を捨ててはならない。」
3節「わたしもわが父には子であり、わが母の目には、ひとりのいとし子であった。」
4節「父はわたしを教えて言った、『わたしの言葉を、心に留め、わたしの戒めを守って、命を得よ。」

私の言葉に、あなたの心を留めなさい。あなたの心に留めなさい。私たちは時々、私たちの思考に自分で語りかけて、神様が語ったことに、 自分の心が、その聞いたことに心を留めるように、思考に語りかけなければいけません。そしてそれを保つこと。
5節「それを忘れることなく、またわが口の言葉にそむいてはならない、知恵を得よ、悟りを得よ。」
6節「知恵を捨てるな、それはあなたを守る。それを愛せよ、それはあなたを保つ。」

6節には、極めて興味深いフレーズがあります。「知恵を捨てるな、知恵があなたを守る。知恵を愛しなさい。それがあなたを保つ。」 そこに書かれている、彼女とは何のことでしょうか?この子供に対して語られている神の言葉、恵みに満ちた神のその知恵が、 この子供に語られている。その言葉が、「彼女」それを指しています。6節は極めて重要です。非常にやさしい言葉、 この言葉は私たちをイエス様と関連付けるものです。
7節「知恵の初めはこれである、知恵を得よ、あなたが何を得るにしても、悟りを得よ。」7節は大切ですね。
8節「それを尊べ、そうすれば、それはあなたを高くあげる、もしそれをいだくならば、それはあなたを尊くする。」
9節「それはあなたの頭に麗しい飾りを置き、栄えの冠をあなたに与える。」
私はこれが大好きです。
10節「わが子よ、聞け、わたしの言葉をうけいれよ、そうすれば、あなたの命の年は多くなる。」
ずっと続いて行きますね。後から皆さん読んで下さい。神様が今日、私たちに語っておられる中で、 この事が本当に重要であると感じたので、皆さんにこれをお伝えしました。

 ウッドロフ先生に神様が、彼が飛行機の中にいる時、1万フィートぐらいの所で語られました。ウッドロフ先生はペンを取って、 パッドを取って、聞いたことを書き留め始められました。何時間もかけて書きました。それは神様が、私たちに向って語って おられる事でした。私たちにとっての憲法であり、神との契約であるEADに、私たちは強くそれを保たなければなりません。 それは私たちにとっての憲法です。コングレスにとって、世界中で、私たちはパワーポイントのスライドに 載っているのを見て、「ああそれはいいノートだ。」と、思ってそこから去る。ではなくて、それを強く持ち続け、 保たなければいけません。特にこの教会で、この神の国の共同体の中では。なぜならここはBTGの本拠地だからです。 皆さんが神様の言葉を強く持っておられないということを、私が言っているのではありません。私自身も、又、ロングビーチで、 私がどこにいても、常時そのことを強く保ち続けることをしなければならない、ということを言っているのです。 それが私たちにとって、世界中で最も大事なことであるかのようにということです。

 旧約聖書のルツ記から、私たちは模範を見出したいと思います。私はルツ記が大好きです。ルツ記の最終章では、 彼女が大いなるダビデ王の祖父母になったことが書かれています。彼女はモアブを見ている。彼女はユダヤ人ではありませんでした。 一人の人がその妻と、二人の男の子を連れて、飢饉の故にユダのベツレヘムを離れて、モアブの地に住んだということが、 1章から始まっています。最初の何節かで、そのように書かれています。エビメレクと言う男の人の名前があります。 彼の妻の名は、ナオミでした。彼らには二人の息子がいました。二人の子供たちはそこで、 モアブ人の女たちをめとったと書かれています。二人の男の子は、それぞれ死んでしまいました。彼らが死ぬ前には、 彼らは結婚して、子供たちはいませんでした。彼らの一人の妻の名前はオルパと言い、一人はルツと言いました。 この二人の女性たちは、モアブ人でありましたけれども、その家族に入って来て、イスラエルの神を受け入れた者たちでした。 モアブ人は偶像礼拝を行う、偽りの神を持っていた国です。けれどもこのモアブ人の女二人は、 ユダヤ人の家に入って来たので生ける神の信仰の中に入って来ました。次の記述として書かれているのは、 ナオミの夫も死にます。そして彼女の二人の息子たちも死にます。ナオミは二人の嫁に言います。 「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰り、あなたたちの神の所に帰って行きなさい。」と。

 ルツ記1章8-9節「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰って行きなさい。あなたがたが、死んだふたりの子と わたしに親切をつくしたように、どうぞ、主があなたがたに、いつくしみを賜わりますよう。どうぞ、主があなたがたに夫を与え、 夫の家で、それぞれ身の落ち着き所を得させられるように。」こう言って、ふたりの嫁に口づけしたので、彼らは声をあげて泣き、 ナオミに言った、「いいえ、わたしたちは一緒にあなたの民のところへ帰ります。」彼らは語り、泣いています。 しかしナオミは言いました。11節「娘たちよ、帰って行きなさい。」12節も同じように言っています。娘たちに「帰って行きなさい。」と、告げています。 私たちが今まで与えられ、持っているものを強く保つ為、その注意を私たちが持つ為に、14節~16節で語られている所に、 私たちは目を止めたいです。14節「彼らはまた声をあげて泣いた。そしてオルパはそのしゅうとめに口づけしたが、 ルツはしゅうとめを離れなかった。そこでナオミは言った、「ごらんなさい。あなたの相嫁は自分の民と自分の神々のもとへ 帰って行きました。あなたも相嫁のあとについて帰りなさい。」ヘブル語では、オルパは彼女の姑であるナオミに口づけをして、 自分の神々の所へ戻って行った。自分の国へ戻って行った。けれどもルツは、ヘブル語で書かれている言葉では、 彼女の姑に対して、しがみ付いて離れなかった。彼女は何にしがみ付いていたのでしょうか?神から来る命の言葉にしがみ付いて いたのです。その彼女がいた家族の中から、彼女が受けた救いにしがみ付いていたのです。偶像ではなく、 真の神にしがみ付いていました。彼女が愛することができる神、そしてその神も、彼女を愛する神です。 オルパは、「ああ、それもいいけど、でも私は国に帰ります。」と、言いました。でもルツは、何かを知っていました。 彼女は何かを聞き、彼女には洞察力があった。彼女はアブラハム、イサク、ヤコブの神を感じました。 ユダのベツレヘムからやって来た、その家族から聞いた神を、彼女は感じました。

ベツレヘムが意味するのは、パンの家です。そこでイエス様が御生まれになられました。パンの家、私はあなたから 離れることはしない。命からどうやって離れることができようか。ですからナオミにしがみ付きました。きつく。 「あなたを行かせることはしません。」あなたがどこへ行っても、私は行きます。あなたが死なれる所で、私は死にます。 あなたの民が、私の民となります。あなたの神が私の神となります。そしてしがみ付いています。 彼女が今まで聞いたことについて。彼女の肉の目では、彼女が見たのは、いい夫と、いい奥さんと、二人の息子たちだけです。 けれども何かが裂かれ、見えました。そこに命が流れ始めました。そしてルツは、それを受け止めました。

 16節 ルツが告白したことを見ましょう。
「しかしルツは言った、『あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに 勧めないでください。わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、 あなたの神はわたしの神です。
17節 あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます。もし死に別れでなく、 わたしがあなたと別れるならば、主よ、どうぞわたしをいくえにも罰してください。』
18節 ナオミはルツが自分と一緒に行こうと、固く決心しているのを見たので、そのうえ言うことをやめた。
19節 そしてふたりは旅をつづけて、ついにベツレヘムに着いた。彼らがベツレヘムに着いたとき、町はこぞって彼らのために 騒ぎたち、女たちは言った、『これはナオミですか。』」


これは本当に麗しい箇所です。今日の私たちにとって、絶対的に語られているものです。 ルツの様に皆さん成りましょう。オルパの様ではなく。小さな口づけを持って、命から離れてしまった。真理から離れてしまった。 彼女は啓示から離れてしまった。彼女の心と、万能の神と交わした、彼女の契約の関係を、オルパは離れてしまったのです。 皆さん隣の方を見て、「私は固く保つ」と、おっしゃって下さい。

 申命記30章10節 神様がイスラエルの民に、彼らに呪いか、もしくは命を与えることを語っています。 申命記は、彼らが約束の地へ入り、それを取るちょうど前に、記録として、歴史として書かれています。 アブラハム、イサク、ヤコブが望み見ていた約束の地を、彼らがヨルダン川を渡って入った後、どのように生きるべきかの指示を、 申命記で得ています。申命記30章10節~14節、19節~20節にそう書かれています。神様が彼らに語っています。 「わたしがあなたに語ったことを、堅く持ち続けなさい。取ってそれはあなたのものだ。そうしなければあなたは死ぬであろう。」 今日の私たちにとっての言葉ですそれは。私たちに神様が今、新鮮なものとして語っている永遠の神の 御言葉に、私たちがそれを取らないなら、私たちは死んでしまいます。なぜならそこに、命が存在するからです。 私たちは世に取られてしまうでしょう。バビロン人のシステムによって。ヨブは素晴らしい模範です。

 ヨブ記1章 サタンが神の御前にやって来て、神がサタンに語ります。 「わたしのしもべヨブを見出したか。地上に於いて、あのような男は他にはいない。」皆さんそれを信じられますか? 悪魔に神がそのように語っているのです。「見ました。」サタンはそう答えました。彼は私のものだ。他には誰もいない。 地球上の東西南北、どこを見ても、私の僕、ヨブの様な者は他にはいない。彼は彼の誠実さを、堅く保っているからだ。 私の約束を堅く保っているからだ。私に堅くしがみ付いているからだ。ヨブ記2章1節~3節 皆さん、後から御読み下さい。

 コロサイ人への手紙2章18節 パウロは、コリントの教会に語っています。キリストの体の頭である、 キリスト・イエスにしがみ付きなさい。パウロはその表現を使います。頭をつかみなさい。それは頭であり、 神の全ての知恵が流れる、その源だからです。私たちは体です。私たちは枝であり、彼が幹なのです。 ですから体は手を延ばして、頭に手を置いて、頭を愛します。そして頭の言うことに聞きます。頭から来ることの指示を聞きます。 頭から来る指示と知恵を聞きます。パウロはコリントの人に、たとえを示しています。政府や政治家に固くしがみ付く事をするな。 あなたの上司にしがみ付く事をするな。この世の原則をつかむ事をするな。バビロンに近付くな。 その頭をつかみなさい。頭を見なさい。そしてそこからあなたは指示を得なさい。 コロサイの教会にパウロが語っているのはそれです。

 へブル人への手紙3章1節「あなたの確信を、強く保ちなさい。」もしあなたが確信を持っているならの話です。 けれども私たちは確信を持っていますね。私たちに信仰があるからです。そして私たちは信仰によって歩むからです。 信仰を、もっと持つことによって。あなたはその信仰を、口の中に宿している。その信仰を口から出しなさい。 私たちが歩む全てのステップに於いて、神を信じる信仰を、その口からの告白によって、強さを得ることができます。 へブル人への手紙の3章1節から、ずっとそれが書かれています。皆さんそれを読む必要があります。
 へブル人への手紙10章19節「わたしたちは、わたしたちの確信を、強く持ち続けようではないか。」 今日、私がここで語る為に、久松先生が私を招いて下さったことが分かってから、3~4週間前ぐらいに、 神様が私に授けて下さった御言葉、2か所を皆さんに分かち合いたいです。

 ヨハネの黙示録 私はヨハネの黙示録が大好きです。ヨハネの黙示録を怖がる必要はありません。 それはイエス・キリストについての啓示だからです。そして間もなく彼が行おうとしている事についてだからです。
 ヨハネの黙示録2章24節~27節 24節「また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、 サタンの、いわゆる『深み』を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。」
25節「ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。」
2~3週間前に、私が寝ている時に、神が私を起こされ、この御言葉を私に思い起こされました。 「ただわたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。」と読み、私は神に、 「はい神様、私は堅く持ち続けます。」と、言いました。神様はこう答えられました。 「それはいいね、あなたがそうするのは、私は分かっている。けれども私の民である、倉敷におられる人々に、 同じことを彼らに語って欲しい。」と、神が私に告げました。「なるほど」と、私は答えました。神が皆さんに告げるように 言われたことを、私は語る為にここにいます。これは全ての子供たちに対して、全ての十代の若者にも、全ての大学生たちにも、 全ての若い夫婦たちにも、全ての年輩の御夫婦の方にも、私みたいな年を召された方々、久松先生にも。 これは全て、私たち皆にとってのものです。堅く保つ、それを地に落とすことがないように。私が来る時まで。 ヨハネはその啓示を見て、幻を見て、ずっとその世代の先まで見て、私たちが今生きている終わりの時を見て、 これを書き留めました。テアテラにある教会だけではなく、これは私たちの為のものです。私たち皆に対するものです。

堅く保つ。二つ目の箇所、3章10節 これは、フィアデルフィアにある教会に語られています。 けれども倉敷にある、クライストチャーチに語られています。
10節「忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、 わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試練の時に、あなたを防ぎ守ろう。」
11節「わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。」

堅く守っていなさい。なぜなら私はすぐにやって来るからです。それによって、あなたの冠が誰にも奪われないように。 あなたの冠は、あなたの救いの達成を指しています。あなたの冠が指すのは、あなたが信仰に歩み続け、そしてそれを終え、 イエス様の前に立ち、自分の冠をイエス様の前に投げ出すことです。この二つの今読んだ箇所は、私たちのものです。 BTGの為のものです。BTGの全ての教会に語る時間が無いので、今回はこのBTGの本部である教会に語ります。今朝皆さん、 この言葉を受け取られますか?皆さんの、おべんちゃらだけを、私は聞きたくないのです。隣の方に、「私は終りの時まで、 私は堅く保つ。」と、言って下さい。私たちは、どの様な人に成りますか?ルツの様に成ります。どの様な者に私たちは成りますか? ヨブの様に成ります。私はヨブの様に成りたいです。可哀そうです。彼の妻でさえ、彼に敵対しました。 「あなたは神を呪って死ねばいいのに、こんな状態でも、まだ神に信頼するのですか?あなたは頭がおかしいね。」と、 妻が彼に言いました。神は悪魔にこう言いました、「地上に於いて、ヨブのような者は、他にはいない。」 ヨブが示しているものは何ですか?終わりの時代のイエス・キリストの教会です。それがヨブです。 コングレスに連なっているような教会は、地上で他に一つもありません。キリストの体は、私たちコングレスは、 キリストの体全てに対して、代表として立っています。なぜなら私たちは祭司だからです。合流の平原の立ち位置で、 その決意を私たちはしましたね。倉敷の町の所で、覚えておられますか?その朝を。私たちはそれを行うことができます。 私ができるならば、あなたもできます。「堅く保ちなさい。」あなたが今まで受けて来た、命の言葉を「堅く保ちなさい。」