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今月の礼拝メッセージ

「伝道者のわざをなす」

2015年8月                ●デイビー・カップ師●

 (2つ目の要求)内側の霊の激しさが、あなたの中に存在しなければならない。その激しさを持って、 今日ある神の目的に手を伸ばして、それを奪い取るということです。その箇所を覚えていますか? 「神の国は、激しく襲われている。」 激しい人たちが、激しさを持って、それを奪い取る。今は受け身の時ではありません。 リラクゼーションの時ではありません。今はもう、ゆったりする時ではありません。あなたが自転車に乗っている時、 充分な速度に到達したら、もうこぐのを止めます。そして常に生み出された速度によって、そのままずっと行きます。 あなたが足をまわす必要はありません。昨日やった事が、あなたを明日へと連れて行く。あまりにも多くの人が、 ずっとその流れでやって行く。神様は、できる限りのスピードで自転車をこいでいる。それと同時に悪魔が、 できる限りのスピードで自転車をこいで来る。あなたはその前のスピードで、ずーっとやっている。 今まであなたがやってきた事と同じように、あなたはやっている。あなたは滅ぼされるでしょう。 今はリラックスする時ではありません。今は押し進める時です。今は起き上がる時です。今は内側にあって、 激しさを持つ時です。全ての習慣に対して、激しさを持つ時です。全ての隠された小さな罪に対して。 それに対して戦に出て行きなさい。男性がポルノにはまっているならば、あなたの携帯電話で、 あなたのノートパソコンで、あなたは今、それを止めなければならない。それに対して、 あなたは戦に出て行かなければならない。あなたの人生におけるどんなシーンにも、小さな偽り、少しのプライド、 少しの誰かを愛さない心、誰かを許さない心、罪に対して、どんな寛容、妥協も持つ時ではありません。 あなたの内側に、激しさがなければならない。私の生活において、キリストのようでないものを、私は一切許さない。 私は成熟に達さなければならない。なぜでしょうか?私たちは新しい時代の中に、今いるからです。 私たちは内側の霊の激しさを、必ず持たなければならない。

 ルカによる福音書17章20~21節で、イエス様がこうおっしゃっています。神の国はいつ来るのかと、 パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また、 『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。」と、 イエス様はおっしゃいました。これは興味深いですね。パリサイ人たちがたずねたのは、「いつ神の国は来るのですか?」と、 聞いたのです。イエス様は彼らに、どこに神の国があるかを伝えることによって、答えられました。 イエス様は彼らに3年半も伝えてきて、「今だ!」と、言ってきたのです。「神の国は今ここにある。悔い改めなさい。」と 、言ってきてあるのに。でも彼らは見ることができなかった。ですから彼らは、「いつ神の国は来るのですか?」と、 聞いています。イエス様は、「あなたの内側にある。」ですから「神の国はどこにあるのですか?」私の内側にあるのです。 「神の国は激しく襲われている。」ですから、あなたはどこを攻撃されますか?あなたの思考、あなたの意図、 あなたの内なる人、「恐れたらいい。」「疑いを持ったらいい。」「高慢で満ちたらいい。」攻撃は心にいつもやって来ます。 なぜならば、神の国は、私の中にあるからです。「神の国は、激しく襲われている。」激しい人々が、力を持って、 それを奪い取って行くのです。あなたの内にある何かが起き上がらなければいけません。 「私は止めない。私は留まらない。あなたが私を殺したとしても、あなたに信頼を置く。」と。内側の激しさです。 外側で何が起こったとしてもです。敵の攻撃は、外側ではありません。内側です。敵は何か外側で、 私たちにとって悪い事を起こさせて、私たちを攻撃すると、私たちは考えがちですけれども、私の家が燃えるとしましょう。 「敵が私を攻撃したのだ!」攻撃は、あなたの家が全焼した事ではありません。あなたの家が全焼した後、 あなたの心の中に対する攻撃です。「神様はあなたを愛していないでしょう。あなたを守らないだろう。あなたを忘れた。 あなたはイエス様にとって、大した者ではない。あなたが神様にとって大事な者ならば、 神様はあなたの家が全焼するようなことは、させなかったでしょう。」そして私たちが行う事は、私たちが祈ることによって、 家が燃えないようにすることだ。「私の家を燃やさないで下さい。私の家を守って下さい。」私たちは実の所、 この様に祈っているべきはずだったのに、「私たちの家が、火事が起こったとしても、私の神よ、 あなたの為に従うことを決して止めない。」「私の家が全焼したとしても、私は今以上に、激しく神を礼拝する。」 私たちの祈りは、神の国の祈りであるべきです。「あなたの御心が成されますように、私の人生の中で。」 私の家が全焼したとしてもです。私の職を失ったとしてもです。私に一週間、悪い事が続いたとしてもです。 私の全ての友人が、私から離れたとしても、「私は神の内にあって、前進し続ける。」内側の激しさは、神の国を奪い取ります。 「私は神の国を、あなたを離すことを絶対にしない。」皆さん聞いて下さい、その様にしてイエス様は十字架に行かれました。 そこには内側の激しさが存在しなければならない。なぜなら神様は、新しい場所にすでに移動されたからです。 敵はその同じ場所に移動しました。私たちはこの中にあって、その同じ場所に動かなければいけません。新しい時代に於いて、 何が要求されているのでしょうか?


 「『この群衆は、牛が野の草をなめつくすように、われわれの周囲の物をみな、なめつくそうとしている。』チッポルの子バラクはこの時モアブの王であった。」




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