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今月の礼拝メッセージ

「伝道者のわざをなす」

2015年7月                ●デイビー・カップ師●

 私は今晩、「伝道者のわざをなす」ということについて語りたい。「伝道者のわざを行いなさい。」という命令です。ギリシャ語では、命令形が使われています。「もしそういう事をする機会があるならば、伝道しなさい。」ではありません。そうではなく、パウロは、「テモテよ、伝道者のわざをしなさい。」と、言っています。
神様は私たちを、使徒的人々として召しています。そして側面に手をのばし、従事へと手をのばしなさい。集合へと。そして収穫へ。神様が私たちBTGに伝えておられるのは、「伝道者の業をしなさい。」と、言っています。

 合流の平原の後に私たちの内に訪れた神の言葉は、「核の上で旋回しなさい」でした。そして私たちの使徒的リーダーであるウッドロフ先生からの私たちに対する言葉はこれです。「外側にある多様な側面に従事しながら、あなたの中心である、核の上で旋回しなさい。」  神様の神の民に対する叫び、願いは、彼らが完成へと向かうことです。この神の願いの中で、コングレスの中にいる全ての聖徒たちは、この神とのパートナーシップに完全に今つながっています。神の思いの中には、完成を表す数字の基準として、その聖徒たちの定まった数が存在しています。そして神は生命の書の中にその人数、数の記録を持っておられます。 私が今お話ししていることは、EAD(拡張された建設的デザイン)から引用しています。私たちに対する神の言葉です。

 ウッドロフ先生は、こうおっしゃいます。「私たちは、バビロンに抑圧されたシステムの中に捕らわれている兄弟たちが、私たちの栄光ある神の国に解放されるようにと願っている。」 それが私たちの願いです。宗教的な伝統に捕らえられている兄弟姉妹たちに、何百年も神の真新しい言葉を聞いていない者たち、それでも彼らはイエス様を愛しています。彼らは忠実に仕えています。彼らは強くあり続けて来ました。 神が今語っておられるその満ち満ちた中に彼らが入って来ることを私たちは望んでいます。
 私たちの責任というのは、神が私たちコングレスを解放するということを知ることです。その構造の主要な一つが従事のセミナーです。 神の国の栄光の生活を知らない、その朽ちる世界に捕らわれている人たちを開放することが私たちの願いです。

 2014年、神の国の周波数は、今日の神の語られることは、それはただ気持ちのいい聖書のよい教えではありません。 それは神の霊が語っておられることです。それは黙示録に書かれているようです。 「耳のある者は聞くがよい。」「神の霊が教会に語っていることを、聞く耳のある者は聞くがよい。」
 ですからその神の国の周波数は、地上に今発せられました。私たちはそのことが起こる為の特別なセミナーを持っています。 世界中でです。それは2014年の4月から始まりました。 神様は大いなる力を持って動かれました。90以上のセミナーが行われ、神の声がそこに届いています。 2500以上の教会が、私たちと関係を持つ為に訪れました。3週間前に、神様はフィリピンで何かをなさりました。神様はその目的を、アジアの中で開き始められました。それから中国に渡り、二日前です。そこには赤い星(※セミナーの開催地)が付けられるでしょう。 そして日本の教会の中で、神様に新鮮な言葉を語って欲しいです。私たちは私たちの教会の中に、神の今の語りかけが欲しいです。神が私たちの真中におられるなら、私たちはそれで充分適切でありうるのです。
 私たちは日本の教会の中で神の御業を成して欲しいと願います。 一年半程前に、神様は私たちに「核の上で旋回し、手をのばしなさい」と命じられました。正直に告白するならば、私たちは20年間ずっと、核を建て上げてきました。内側の構造を建て上げるのです。賜物を建て上げるのではありません。
けれども注意深くゆっくりと、地上の国々の中で、100以上の国々の中で私たちのコングレスは存在し(建て上げられ)ています。見た目に於いては、誰も私たちを知りません。霊の領域の中では、非常に有名です。 神様がそれから私たちにこう言いました。「これら全てをさしあげなさい」私たちは、それを心に聞きました。神が今、その時だとおっしゃっています。「核の上で旋回せよ。」「手をのばしてキリストの体に従事しなさい。」

 金曜日のセッションの始まりの時、神が部屋を訪れました。彼が入って来るのを体に感じました。私たちの礼拝の時間です。 神の臨在がそこにありました。それから突然、祈りの内容が変化しました。それははじめ、とりなしの祈りとなりました。次にそれは、戦いの叫びとなりました。ウッドロフ先生は、突然祈り始めました。宣言しはじめました。「私たちはフィリピンに於いて、戦いを宣言する!」目に見える領域の事ではありません。霊の世界の事です。パウロが言ったように、私たちは骨肉に対して戦っているのではありません。闇の世の主権者たち、その力に対して戦っているのです。
 そして突然、その雰囲気が軍隊の衝突の様な雰囲気になりました。 フィリピンの地理的状況を超えて、神が何かをされていることを皆そこで認識しました。 戦争が宣言されたのです。勝利が宣言されました。それは驚くべきことです。霊の世界の中では、勝利と戦が同時に宣言されるのです。

 何かがそこで開かれました。アジアの中で。それから全体が叫び始めました。戦への叫びです。 私が言いたいのは、これらの叫び始めた先生たち、リーダーたちは、私たちのコングレスの中に入った者ではありませんでした。ペンテコステの教会、バプテストの教会、アッセンブリの教会、福音派の教会、何かが彼らを活性化しました。彼らは皆、その戦に参加しました。それは5~10分間続きました。神が何かをしました。日本の為の道を準備されました。
 私たちの今年のセミナーは、私たちの心を準備する為のものです。ここ日本で、キリストの体の為に私たちの心を準備する為です。フィリピンの従事セミナーは、戦の宣言と勝利に満ちていました。フィリピンという国の為に、そしてアジアの為に。 それ故に、ここ私たち日本のBTGに大きな衝撃をもたらすのです。 私たちはここに、自分たちの力によっているのではありません。私たちは神の運動の中へと足を踏み入れているのです。

 今晩皆さんに、「伝道者のわざをしなさい。」というメッセージを話します。
ルカによる福音書5章 1節~7節 「話がすむと、シモンに、『沖へこぎ出し(言い変えるならば、『核の上で旋回し)、網をおろして漁をしてみなさい。』と、言われた。シモンは答えて言った、『先生、私たちは夜通し日本で働いて来ましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう。』そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいた仲間に、加勢に来るよう合図をしたので、彼らがきて魚を両方の舟いっぱいに入れた。そのために、舟が沈みそうになった。」彼らは、彼らの仲間を助けようとしました。
 その「仲間」という言葉は、ギリシャ語では「何かを分かち合った故に、変化した誰か」のことを指します。その二人が何かを分かち合った故に、その二人は以前とは異なった者となった。言い変えるなら、両者が一緒のものを共有した故に、二人とも変化しました。
 彼は言いました、「来て助けてくれ!」その「助ける」という言葉は、妊娠すると言う意味です。何かをつかむと言う意味です。 何かがあなたをつかむよう。そして彼らは加勢したと書かれています。その両方の舟が、もう一杯になった。 この最初の一せき目の舟、これがコングレスです。二つ目の舟、それはBTGです。
 なぜその舟は漁をしていなかったのでしょうか?彼らは網を洗っていたからです。彼らはTFMを通っていたからです。彼らは代表行為を通っていたからです。内側の構造を建て上げていたからです。彼らは誠実さを建て上げていました。彼らは一致を強めていたからです。 そのように、一そう目の舟の動きが、二そう目の舟の動きを活性化したのです。

 神がフィリピンで行った事は、それはフィリピンの為だけのものではありません。それは私たち(日本)の為のものです。 この箇所の預言的イメージは、活動していない二つの舟に焦点を当てています。なぜならその二そうは網を洗っていたのです。 けれどもその時、主が「出立しなさい」と、命令したのです。 もしくは主が「核の上で旋回せよ!」と言う時、両方の舟が活動化し、動き出したのです。
 その5節、7節の主要な箇所は、一そう目の出立が、二そう目の出立の運動を活動化させたことです。 コングレスが成功したのと全く同様に、BTGも同様になります。私たちその両者は、同じものを共有した故に、パートナーとなったからです。TFMの中で、共に共有するものと変わりました。私たちが合流の平原に、共に行く事によって変化しました。コングレスそのものとの共有によって、私たちBTGの中に変化を生み出しました。興味深いですね。それは預言的イメージです。御言葉を通して、神の霊が私たちに語っていることです。

 この原則は私たちに適応されます。BTGが発足すると、あなたの教会も活動化されます。 BTGが深い所にこぎだす時、あなたが牧者であるなら、あなたは手をのばして、「それは私だ!」と言わなくてはならない。 ロングビーチでは、オレンジカウンティーの教会の発足は、ロングビーチの教会の活動によって活動化されたのです。彼らは全く違う地域にいます。これは聖霊が、この箇所を通して語っているのです。もしあなたが、聞く耳を持っているならです。そしてあなたが、それを信仰によってつかむなら。倉敷クライストチャーチが出立するなら、あなたも、その教会の中にいる家族として出立します。一そう目は、教会です。二そう目は、あなたの家族です。主を知らない夫たちを、あなたは持っていませんか?神は命の書に名前が書かれている全ての者たちが故郷に行って欲しいと願っています。
 この出立によってつくられた、適応、実行、その含まれるものについて、私たちは明確な視野を持ちたいです。フィリピンでの従事セミナーは、わたしたちにとって、何を意味しているのか?ここにいる私たちBTGにとって、何を意味しているのか。何が私たちに対して、含まれるものなのか。

 聖書はイスラエル国家について話しています。彼らは神の御業を見た。でも神の方法を彼らは知らなかった。 そしてモーセは神に言いました。「ただ神様、あなたの御業だけを見せることをしないで下さい。私はあなたの方法、道を知りたいのです。あなたがどのように物事をされるかを、私は知りたいのです。あなたがなぜ物事をされるかを、私は知りたいのです。」
私は、フィリピンの従事セミナーで、「ヤー!」とだけ言いたくない。そうではなく、
「神様、何をなさっているのですか?どの様にしてそれをなさっているのですか?」
それが出走するならば、私たちも出走することができる。私たちは神のやり方、方法をつなげる事ができます。
「神様それは私たちにとって、何を意味しますか?」
私たちはそれを見なければならない。私たちの心の目が開かれるように、神に求めなければならない。
 兄弟姉妹、聞いて欲しい。神様が何をされるに於いても、私たちにそれをつかんで欲しいと願われています。 私たちの内側の変化は、私たちが最初に何をするかによってではありません。変化は、私たちがどんな者であるかです。 聖霊によって、その中へと私たちが足を踏み入れ、私たちがそれを見極め、それを抱かなければならない。 神が成されていることを追跡していく。コングレスとBTGの真中にあってです。神様はそれを追跡する為に次の箇所を下さいました。

 マタイによる福音書11章12節~13節「バプテスマのヨハネの時から、今に至るまで、天国は激しく襲われている。全ての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである。」

ヨハネの生まれる時までは、全ての預言者が預言していたという意味です。 けれどもそれら(の予言)は、霊の領域で乱気流を生み出しませんでした。 その人たちは預言しました。何かが訪れています。それは将来起こる。それはやって来る。 けれどもバプテスマのヨハネは、彼は預言的なことの、将来のことという側面だけを止めて、「(それは)今だ!」と言いました。 私たちはリバイバルの為に永遠に祈り続けることはできません。使徒的な人々が起き上がらなければいけません。今、ここでです。

 「(その手の届く所にある)将来やって来る」と言うかわりに、「今だ!」と言うことを誰かが宣言し始めるならば、霊の領域で何かが起こります。  「バプテスマのヨハネの時から、今に至るまで。」
なぜでしょうか?なぜならバプテスマのヨハネは、「今だ!」と、言ったからです。
 霊的な領域の中、何かが砕かれます。神の国がまさにもう一度よみがえって生き返っただけではなく、闇ももう一度起き始めました。 「預言的である」それだけならば、彼ら(闇)は昼寝をしていました。バケーション中でした。
 でも、バプテスマのヨハネが出て来る時に、ヨハネが「悔い改めよ!」と、言い出した。「神の国がここにある」と。 そして霊の領域にある者全てが起き上がりました。激しさを活動化させる時なのです。
「神の国は激しく襲われている。」
そう御言葉が言っています。それに対する神の民の応答は何でしょうか?激しさが神の国を襲っている時、
「激しく襲う者たちが、それを奪い取る。」
それはギリシャ語において非常に興味深い箇所です。
 見て下さい、皆さん。「神の国は激しく襲われている。」激しく襲う者たちが、激しさによってそれを奪い取る。 このバイオレンスという言葉は、同じギリシャ語の箇所で3回使われています。 言い変えるならば、神の国が地上に現れます。そのとき敵は激しさを持って攻撃します。 そのとき、あなたの内側とあなたの外側にある激しさが同等でなければならない。 外側からの攻撃と内側からのその激しさは、同等、もしくはそれ以上の激しさを持ってそれと直面しなければならない。

 神が動かれる時、悪魔の行動は神が動かれたのと同じ場所まで動きます。神の新しい運動、新しい真理、新しい啓示がある、新しい幻がある。 新しい悪魔的攻撃がある。新しい彼の戦略がある。新しい悪魔的な動きがある。
もしあなたが神と共に動かないなら、あなたは悪魔的な攻撃によって滅ぼされるでしょう。 あなたはまだ古い場所にいるからです。それはあなたにできうる最も危険なことです。あなたの旅路を止めてしまうものです。 以前に大いなる者であったことは、今となっては全く何の意味もない。

なぜなら神の国が前進したからです。

 神の国は激しく襲われている。バプテスマのヨハネの日から今日に至るまで。けれどもモーセの時から、バプテスマのヨハネが現れる時までは激しさはなかったのです。  神様は新しいことを成されました。地上に於いてです。悪魔も新しい事を行っています。  私たちに要求されている事は何ですか?3つのことを皆さんにお伝えします。

 1番目は、新しい時代の始まりということを認識する。 暗闇の国とキリストの神の国との両方が新しいレベル、領域に到達した、その現実があるということです。 それが私たちに、それと同様の変化をすることを要求しています。そして新しいアイデンティティーを抱くように。 イエス様が十字架に架かられた時、彼が死んだその瞬間、レビ人の全ての祭司たちは、もう仕事が無職になったのです。 イエス様が十字架で死なれるまでは神の臨在の中に入って行ける唯一の人々はレビ人だけでした。どうしてでしょうか?
  子羊たちの1匹を取って天幕に行く時、私がこれを祭司に渡して、祭司が私の頭の上に手を置き、そして私の子羊の上に手を置きます。 私の罪がその子羊に移って、その子羊が死ぬ時、私の罪は覆われて許される。 どの民もそれを持っていない。私の民は、最先端にいる。
 イエス様が十字架で死なれる1日前、私はエルサレムに向って歩き始め、エルサレムに到達するまでに三日かかる。私はそこに行って犠牲を捧げたい。なぜなら律法には、あなたが罪を犯すなら子羊を捧げなさい(とあるからです)。
イスラエルに到達するちょうど半ばでイエス様が十字架の上で死なれます。私は一日遅れて到着します。 私の子羊を殺して血を捧げても、神様は私を見て、「あなたは誰ですか?」と言うでしょう。私はまだ罪の中にいる。なぜでしょうか。

なぜなら神はもう前へ動いたからです。

 イエス様は神の子羊です。この地上全ての罪を取り除く御方、彼が十字架の上で死なれたからです。いまやイエスにあって、信仰によって私の罪は許されるのです。神様はシステムを変えられました。神は新しいことをされたのです。
  でも、もしあなたがまだ子羊を持って、そして悪魔に遭遇したとき、「私は子羊を今日捧げた」というなら、(悪魔は答えます)
「あなたはイエスを知らないのか?もう新しい時代だ。その子羊はあなたに何もしてくれないよ。」
そしてあなたは悪魔に襲われる。なぜでしょうか?

なぜならあなたは新しい場所へ動かなかったからです。

 でも聞いて下さい。同じ悪魔が、 ―小さな異邦人の頼みでも―、 ちょうど彼女の人生をイエス様に捧げきった女の子を見ます。 彼女は一度も子羊を殺したこともないし、天幕にも入ったこともない。けれども彼女は、イエスを神が死からよみがえらせたことを心で信じています。彼女は、主としてイエスを告白しました。
 悪魔が彼女を攻撃しようとして来た時、彼女はこう言います。
「イエス様」
そうすると悪魔は退きます。悪魔はどうしようもないのです。なぜでしょうか?  一日前ならば、悪魔は彼女を滅ぼしたでしょう。でも神は新しい事を成されたのです。

 神がおられる所にあなたは動かなければなりません。神が成さった事と同等に、あなたは変化しなければならない。 なぜなら、神様が100行った時、悪魔も100行きました。あなたも自分の生活の中、100行かなければならない。 そして次に神様が150行く、悪魔も150行く。でもあなたが100で止まったら、あなたは負けてしまいます。

 今朝、私たちは教会の回復について聞きました。マルチンルターが、彼の教会を100にまで導き入れました。そして悪魔も同じ所までやって来た。そしてバプテストの教会が200に、清めの運動は300の所にまで、ペンテコステの運動は400にまで、そして悪魔もその所にまでついて来ました。
 そして後の雨の所は500にまで、そして使徒的改革の運動は1000にまで、悪魔も1000までやって来ました。イザヤ書の60章は、そう言っていますね。
「終わりの時には、暗闇が地を覆うであろう。漆黒の闇が、しかし起きなさい。」
 それと同等、もしくはそれ以上に到達しなさい。なぜならあなたの光が訪れているから。  光とは何ですか?啓示です。視野です。悟りです。
 皆さん見て下さい、私たちは使徒的改革の所、1000まで来ました。悪魔も1000まで来ました。ですがここに100の所に留まっている方々がまだおられます。彼らはイエス様を愛しています。でも彼らは捕らわれています。100のシステムの中で。十字を切るシステムの中で。
 彼らは主を愛しています。でも彼らは雲と一緒に動きませんでした。バプテスト教会、ホーリネス教会、ペンテコステの教会、けれども完成の為の戦いは、 ―今は新しい日です― 何が要求されていますか?

新しい時代の始まりであるという認識です。

(2つめ、)新しい時代と同等のレベル、領域に私たちが到達することが要求されています。 なぜなら神がすでに動かれました。暗闇もすでに動きました。私たちも動かなければいけません。サイズと程度と量に於いて、それは同等、均一でなければいけません。

 ルカによる福音書19章42節「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら・・・しかし、それは今おまえの目に隠されている。」
 なぜイエス様は泣いているのですか?なぜならもうその時には、エルサレムは、時遅かったのです。手遅れでした。 イエス様は彼らと、エルサレムで一緒に3年半すでにおられたのです。「私はイスラエルの最後の家にまで来た。イスラエルのどの家にも、真理をもたらす為に来たのに、でも彼らは知らなかった。」と、書かれています。
 皆さん見て下さい。もしあなたが今、応答しないなら、後に、それをあなたが見えるようになるという保証はありません。 なぜならイエス様が何とおっしゃったかを見て下さい。
「あなたが平和を得るために、あなたがするべきことを、あなたが知っていたなら・・・けれども今は、手遅れだ。」
見て下さい。それらのことはあなたの目から隠される。あなたがそれを願ったとしても、もうそれは見えない。なぜでしょうか?すでにおそいからです。その日が訪れたのです。

「いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえをとりかこんで、四方から押し迫り、おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。」
 なぜでしょうか? あなたの訪れの日を、あなた(イスラエル)が認めなかったからです。 神が動いて、悪魔が動いても、あなたはそれを見なかった。その結果を見て下さい。 あなたは敵に四方八方囲まれて、あなたは押し迫られ、あなたの子供たちは打ち倒され、一つの石も他の石の上に残らない。あなたは地上に打倒される。
 今皆さんに語っているのは神の民のことです。エルサレムです。なぜなら敵が、もう一方のレベルに動いたからです。  あなたが神と共に動かないならば、―「わたしは今が居心地がいい。私はもうずうっと長年救われているから、私は良いバプテスト派の教会、私はペンテコステ派の教会、私はいいカトリックの信者、私はいいメソジスト派」―、それが何であれ、敵の戦略はあなたの上を超えて行くでしょう。  あなたが神の新しい事柄を抱かないならば、もしあなたがそれをしないなら、あなたは周囲360度から攻撃を受けるでしょう。 あなたは八方迫られ神の事柄の中に動けなくなる。あなたの家族は散らされ、あなたには不安定さが生活の中に訪れる。 石の一つでさえ、他の石の上に立ちえることができない。不安定さ。敵があなたを滅ぼすようになる。なぜでしょうか?
 従事の時をあなたが認識しなかったからです。あなたは核戦争に対して、杖を持って立ち向かわなくてはならない。 なぜなら神が動かれる時、敵も動きます。私たちが神と共に動かないなら、敵が私たちを滅ぼします。 教会がなしうる最も危険なことは、旅をそこで止めてしまうことです。 キリストにあって成長し続けることを止めてしまうこと、それはあなたがなしうる最も危険なことです。

 民数記22章1~6節「さて、イスラエルの人々はまた道を進んで、エリコに近いヨルダンのかなたのモアブの平野に宿営した。」
 そこにBTGを入れてみましょう。 「さてBTGの人々はまた道を進んで、エリコに近いヨルダンのかなたのモアブの平野に宿営した。」  なぜこれが、そんなに極めて重要なのですか?
なぜなら、BTGは、神の人々は、コングレスは、私たちは旅をします。 私たちはモアブの平野に来ます。エリコの反対側です。エリコは約束の地の中にあります。エリコは完成です。 エリコこそは、私たちがエジプトから出て来た理由です。彼らは完成の間近です。私たちは荒野を通って来て、エリコの真向かいにいます。私たちはそこまで旅をして来ました。
 そして教会が完成間近の所まで到達し、成熟を通って来た時、2節、
「チッポルの子バラクはイスラエルがアモリびとにしたすべての事を見た」
バラクとは誰ですか?その地域の王でした。この日に至るまで、バラクは一度もイスラエルに煩わしい事をしなかったのを、皆さん知っていますか?なぜでしょうか?
 なぜなら彼ら(イスラエル)は以前には、一度もその完成(エリコ)の近くまで来たことはなかったからです。 地球規模の一致を建て上げたことがなかったからです。彼らはかつて一度も成熟にまで達したことがなかったからです。彼らはこれ程までに近くに来たことがなかったからです。  しかしバラクは、 3節「モアブは大いにイスラエルの民を恐れた。その数が多かったためである。モアブはイスラエルの人々をひじょうに恐れたので、」 これは興味深いですね。
 悪魔(バラク)は神の民を恐れる。悪魔の強さは、勝ちたいからじゃない。怖いから、悪魔は負けると知っているから怒っています。彼は神の民を恐れています。そう書かれています。  イスラエルの民が他の民にしたことを見たので、バラクはあわてふためいています。ですから4節「ミデアンの長老たちに言った、」  見て下さい。 悪魔がこの長老たちと一緒に集まって、この新しい動きの為に何か新しくなさなければならない。なぜ? 神様が新しい場所に、神の人々と共に動いたからです。

 「『この群衆は、牛が野の草をなめつくすように、われわれの周囲の物をみな、なめつくそうとしている。』チッポルの子バラクはこの時モアブの王であった。」
 でも、完成に達しようとしている神の民が、完成しようとする、攻撃しようとしていることを悪魔はそれを観察して見ています。  完成を間近にしている人々に対して、悪魔は特別な攻撃を今、目論んでいるのです。 悪魔は誰か本当に、それぐらい近くに来た者だけに対して、その攻撃を用意します。
 バラクがした事を皆さん知っていますか? バラクは「このイスラエルの民に対して、私たちは何かしないといけない」(と考え、そうして)彼がした事は、バラムを雇うことでした。来て、この民を呪うように。
 神が動かれる時、敵も動きます。だから、あなたが神と共に動かないなら、あなたは攻撃されるでしょう。

 (3つめ、)でも私たちは滅ぼされません。私たちが本当に偉大だからという意味ではありません。それは私たちの生活の中にある、神の恵みによってです。パウロは言いました。私たちを充分に資質のある者とさせるのは、神の霊であると、それは聖霊様です。 彼が私たちの助けです。私たちの強さです。権勢によらず、能力によらず、神の霊によるのです。私たち自身に何か充分な資質があるのではありません。私たちのその資質は神からおとずれます。聖霊様です。教会ではありません。
 私のアイデンティティーに対する恵みが、新しい時代の中で、聖霊様との新しい交わりの中から流れ出ます。この新しい時代の中に於ける私のアイデンティティーは、新しい力の為のそれは、新しい戦いの為のそれは、新しい攻撃に対するそれは、聖霊様とあなたとの新しい関係によっておとずれます。

 牧師先生たち、あなたと聖霊様との関係をアップグレードしなければいけません。新しい時代の中に於いて、今までやって来た事と同じ事をすることはできません。 新しい時代の中に於いては、今まで祈ってきたようには祈れません。新しい時代に於いては、今までやってきたように神の御言葉を学ぶことはできません。私たちは神の訪れの時の日に存在しています。私たちが存在しているその時を、認識しなければいけません。




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