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今月の礼拝メッセージ

「伝道者のわざをなす」

2015年6月                ●ダビデ・カップ師●

 神様が新しい事を語られる時、私たちは何をしなければいけないのかということについて、今日はお話ししたいと思います。神様が、かつてされたことのないような事を神様がされる時、私たちの応答はどの様なものでしょうか?しばらくの間それを私たちは考える必要があります。いくつかの事を私たちはしなければいけませんけれども、一番大切なものは、「昔のことどもを思い出すな、過去の中に留まってはいけない。」まだ過去の事に留まって、こだわっていれば、神がされている新しい所に、私たちは進むことはできません。ですから、私たちは素晴らしい事が起こりました。沢山偉大なこともありました。しかし神が今日おっしゃっている所に動かなければ、私たちは前進することはできないのです。
 イザヤ書43章18節「昔のことどもを思い出すな、わたしは新しい事をしている。あなたはそれを知らないのか。あなたはそれを分からないのか。」
 これが、ウッドロフ先生がロンドンで2日間に渡って、私たちの心に、本当にたたき打って下さったことなのです。変化が起こらなくてはいけません。人々は変わらなければいけません。過去の偽りのパターンから。過去のものはよいものでした。しかし皆さん、神様が何か新しいことを語られる時、そしてそれを私たちが今まで聞いたことのないものであるならば、「私は何か新しいものを行いたい。」と、神が言われる時、私たちは過去をつかんでいてはいけないのです。過去の中で生きていてはいけないのです。私たちは進んで行かなければいけません。過去はもう置いておかなければいけません。それは私にとって、大きな意味を成しました。なぜなら私は過去に生きていたからです。私は4か月前という過去に生きていたのです。私は失った妻の事をずっと思い、考え続けていたのです。
 神は言われました。「私は新しいことを語っている。過去に留まってはいけない。」それは私を打った様でした。何か爆発の様に。「なるほど、分かりました!」私はまだ動いていなかったのです。神様が言われたことに向って。今日皆さんそれぞれは、私たちは動かなければいけません。なぜなら神様はコングレスに語られたからです。そして神様は私たちに指示を下さいました。私は成長しなければいけない。敵に対して向って行かなければいけない。難しい事です。でも、私にはできます。そして私は立って、宣言しました。全てのリーダ-達が、自分たちの持っていた弱さを告白しました。それによって神様が、私たちを離れない為です。神様は私たちのやるべきことを、私たちに下さいます。

 イザヤ書43章18節「主は言われた、『過去の昔に起こった事を忘れなさい。その事を考えるな。その事を考慮してもいけない。その中で留まっていてはいけない。過去はもう終わった。私が行う新しい事に目を留めなさい。それはすでに起こっている。それはもう芽を開こうとしている。そしてそれはもう芽が出ている。あなたはそれを見ないのか。それが分からないのか。この砂漠に私は道を備える。荒野に。私はそれを行う。私は新しい事を行う。ですからあなたは過去に留まってはいけない。」
 過去に留まってはいけないのです。神様は動いています。イスラエルの民が動いた様に、雲が動いた時に、私たちも今日、動かなくてはいけません。今日は今日の教会です。その当時、彼らが教会でした。パウロが言っています。彼らは荒野にあった教会であった。このモーセの律法を受けた者たちです。そして彼らについて行った岩はキリストでした。それはつまりキリストであるとパウロは言っています。これは生ける水を私たちに下さいます。これが今日私たちの教会にあるのです。バビロンの中にある教会です。岩です。それは私たちについて来ています。彼らについて行った岩が、今日の私たちについて来ているのです。主・イエス・キリストという形を取って、ついて来ています。同じキリストが、奇跡が、岩が、荒野の中でイスラエルの民について行ったのでした。皆さん思いの中で考えてみて下さい。3万人という人々が荒野にいて、そして夜には火の柱に、彼らはついて行きました。そして大きな岩がついて行ったのです。その岩は一体どの様に見えたのだろうと思ったのですね。どんな形だったのか?何があなたについて行っていますか?

 ダビデは言いました、 詩篇23篇「たしかに私の命の日の限り、あなたの慈しみと恵みとが私を追って来るでしょう。」 それがキリストです。羊飼いたちの間でうたっています。ダビデ王です。BTGの皆さん聞いて下さい、私たちにはダビデの様な心が必要です。神の様な心を持っていた者です。神は言いました。「ダビデ、私はあなたを取るよ。なぜならあなたの心が私の心だから。」彼には少しも人間的な心はありませんでした。
 この環境の中で、私たちは人間的な心を持って存在することはできません。ヒューズが切れて、爆発が起こって、そして止まってしまいます。私の心もダビデの様な心でなくてはいけないのです。その心は神の様な心でした。それはイエス・キリストの様でした。そして皆さん、神が言われることが分かりますか?イエス様は、「私はダビデの王座に座そう。」と、言われました。ソロモンの王座ではありません。もちろんサウロではありません。サウロは悪い王でした。彼は肉的な王でした。サウロは神の臨在を求めなかった。ダビデの様ではありませんでした。
 一番最初に王として立てられたその人が、まずするべき事は、神の契約の箱を取り戻す事だったのです。神の臨在を。なぜなら神が言われました、「イスラエルの民は、神の契約の臨在の無かった状態が、あまりにも長すぎた。」私たちにはいつも、神の臨在が無くてはいけません。モーセは言いました、「あなたの臨在が一緒に行って下さらないのであれば、私はこの場所から進みません。」と。

 皆さん、神の臨在が皆さんの礼拝の中に無いのであれば、あなた方の祈りの中に神の臨在が無いのであれば、また若者の集いの中に無いのであれば、私が話しているのは、神の臨在の現れの事を話しているのです。
 もちろん神様はどこにでもいらっしゃいます。しかし、神の現れた臨在です。それが私たちに無ければいけません。もしそれが教会にあるのであれば、またコミュニティーの間であるのであれば、またそれが店の中にあるのであれば、また学校の中にあるのであれば、またそれが市役所の中にあるのであれば、少しずつそれらは変わってきます。肉が、霊的へと変わってきます。日本だけではなく、全ての国のことを話しているのです。特にこのアメリカです。
 私たちには神の臨在が無くてはいけません。そして雲が動く時、私たちも共に動いて行かなくてはいけません。そして神が、「私は何か新しい事をする。」と、おっしゃった時、私たちは、「はい、あなたに従い、ついて行きます。」と、言わなくてはいけません。これが、私たちがロンドンで言ったことです。

 これは3日前に、ロンドンで何が起こったのかを皆さんが聞く為に、今日この日を神様が整えて下さったのです。私はATCの使徒的コアチームの人々と行って、そして彼らとその環境の中にいて、彼らとミーティングを行って、その3日後に私がここに来るという、これは神の計画でした。
 ウッドロフ師は、BTGの事を、本当に気にかけていらっしゃり、また同時に興奮していらっしゃいます。ウッドロフ師は11月に来られます。彼は私たちと共にいて下さいます。私たちは従事のセミナーを行います。ですからその為に今整えているのです。これは関西で行われます。その事については、既に私たちは話し、計画しました。なぜなら私たちは前に向って進んでいるからです。
 私たちはBTGを9年間進めて来ています。信じられないです。しかし私たちは、当時と今日とでは一緒でいてはいけません。でも私たちは一緒ではありません。皆さんは成熟しました。そして成長しました。私たちは実を結んできました。又、人々も救われて来ました。もう普通では珍しい場所で、そういう事が起こりました。ですから私たちは進んで行かなければいけません。そして神が今がその時だと言われる時、私たちは動かなければいけません。

 箴言2章2節~5節 ロンドンでウッドロフ師を通して、主が語られました。これを用います。「もしあなたが私の言葉を受け取るなら、そしてそれを行う為に、あなたの心でそれを適応させるなら、あなたはそれを理解する。」これがこの6節の、一番シンプルな訳ですね。なぜ神様がここで「もし」と言うのか、それは神様が人間が遅いというのを知っているからです。もしかしたら、あなたはそれを受け取らないかも知れないという、そこには疑いの意味も含まれているのですね。
 肉は私たちの進む全てを低下させ、疑いをもたらします。神様は私たちの意図というものを気にしていらっしゃいません。神の願い、神の意図です。これは神の神聖な目的なのです。それは既に据えられたものです。創造の前から、それは据えられていたのです。「もしあなたが私の言葉を受け取るなら。」今日、もし私たちが神様の言葉を受け取るなら、神様はその目的をなさって下さいます。そして皆さんの中で、また皆さんを通して、神様の目的を据えて下さいます。
 「もしあなたが私の言葉を受け取るなら、そして受け取るだけではなく、あなたの心の中で、それを行う為に、それを適応させるなら。」ただ聞き取るだけではありません。ただ皆さんのノートに書くだけではありません。「あなたがそれを心に留めて、それを行う為に、それを適応させるなら、あなたは私の言葉を理解する。」と、あります。
 「それをあなたが見るなら。」ウッドロフ師は、その、「見る」ということに対する啓示の力について語られました。それを認知する。そしてそれを受け取るなら、それは必ず成就する。そうすると、あなたはそれを理解する。神様はもうこれ以上、私たちが神から言われたことを理解することなしに進むということを、もう望んでいらっしゃらないのです。
 多くの人々が「私はコングレスのことが分からないから、私は参加しません。」と、そのように言う人々が世界中で沢山いました。理解するのは難しすぎる。私はもっとシンプルな形のものがいい。もう死にたくない。もう苦しみを受けたくない。十字架を背負って、毎日神様について行きたくない。その人は悟りが無かったのです。その人は霊的に盲目だったのです。

 エペソ人への手紙1章18節 パウロの叫びです。「わたしは常に、わたしの心の目が、また理解の目が開かれるように祈っています。」
 心の目が開かれるように。それによって、肉の目で見ることができないものを見ることができるからです。パウロは言いました、「肉の目で見えないことを見なさい。」私はイエス様が見られたことを見たい。神様が私たちに見せたいと願っていらっしゃることがあります。今日と明日です。今日は特別な日です。神様は私たちに語っておられます。
 聞いて下さい、「もしあなたがわたしの言葉を受け取るなら。」ヨブは言いました。「わたしはあなたの言葉を、わたしの日々の食物の必要よりも、もっと愛しています。」ダビデは言いました。「わたしはあなたの言葉を愛します。」「わたしの生きる為に必要な食物よりも愛しています。」
 BTGの皆さん、その様な態度を私たちは持っていますか?その様な愛の心と、その様な、「捧げたい!」その様な心を、私たちの王である、主・イエス・キリストに対して、皆さん持っているでしょうか?それを行う為に、今日私の語る、その言葉を心に受け取りなさい。もし私たちができない事であれば、神様はそれをするように私たちにはおっしゃいません。ですから皆さんは、「私にはそれはできません。」と、言うことはできません。私もそれは言うことはできません。そう言うことは許されていません。なぜなら私たちは、キリストの様な者だからです。
 しかし、キリストもゲッセネマの園で決断をしなければいけませんでした。それは本当にその様な祈りでした。もう本当に、心からの、葛藤するような祈りでした。聖書はイエス様が血の汗を流されたとあります。そこまではまだ私たちは行っていませんね。一晩中祈って、そしてイエス様の汗は血の様だった。
 「父よ、この杯をわたしから取り除いて下さい。」二つの事を言われました。杯はキリストの死を意味していました。そして二つ目の事、それは、「わたしから時を取り除いて下さい」と。時が迫って来ていることを、彼は知っていたのです。もう間近であったことを。その日に与えられる神からの指示を受け取ったのです。そしてその朝、明日、カルバリの丘、その杯が、その時が来ます。イエス様は「わたしの思いではなく、わたしの願いではなく、わたしの望みではなく、父よ、あなたの御心が行われるように。」

 箴言2章6節「彼の口から知恵がやって来る。そして悟りがやって来る。それを銀のようにあなたは求めよ。」これが神様が私たちに置かれている、最終的なテストです。これがドアを開ける為のカギです。私たちが神の御心に従う為に、私たちが終わりに向って進み、到達する為にです。私たちは今、レースを走っています。「私はよいレースを走り抜いた。私はよい戦いを戦った。」ですから私たちには、走るべき競技のレースがあります。
 ウッドロフ師がロンドンで、私たちに短いビデオを見せて下さいました。これはオリンピックの競技の様子です。その時の走者を見て、「これがコングレスだ!」と、ウッドロフ師が言われました。その様な走者です。このレースは、バトンを受け取るリレーです。そのレースの中で優勝したことが出てきます。そして彼はバトンを受け取って、そして準備ができて待っているのです。強く、筋肉があって、力があって、その彼の全筋肉が緊張して、会衆が皆叫んでいます。
 そして神は言われます。「わたしはあなたにバトンを渡しました。だからあなたは走りなさい。」そしてそれは、最後のゴールのラインの所まで来た時、神様は言われたのです、「あなたがいるのは、そのゴールの所だ。そのゴールのラインは、もうそこまで来ている。」私がそれを見た時、まるで水の上を、私は歩けるように感じました。もう飛び上がりました。そして、「ハレルーヤ!」と、叫びました。
 ウッドロフ師が言われました、バトン、これは何ですか?バトンは、「EADだ。」と、おっしゃいました。コングレスが、かつて受け取った言葉の中で、最もパワフルなものです。拡張された建設的デザインです。これが私たちのバトンです。皆さん、このゴールのラインを見て下さい。ウッドロフ師は言われました、「これが今日走っている私たちです」と。
 皆さん聞いて下さい、これはリーダーシップではありません。これはコングレス全員が座って見ているのです。キリストの体全体が見ているのです。カトリックの教会、メソジストの教会、冷たい教会、キリストの体全体です。私たちは共に立って、合流の平原で、「私たちはキリストの体全体のために立ちます。」と、世界中で言いました。そしてその啓示が私たちの手にあります。そして最終のゴールのラインを見つめて、そしてそれはそこにあります。私たちは到達して、それを聞くことができます。ですから私たちは、過去から動かなければいけません。私が好きだったもの、慣れているもの、また私たちが心地良いと感じるものから。
 レースを走るのです。その様な、正にその時の為に、私たちは訓練されてきたのです。私たちはキリストの体として、BTGの体として、他の国々とつながって、コングレスとつながって、この世界中を代表して、私たちは立っているのです。しかしカギは、神様は私たちの手に何かを下さいました。私たちは励まし無しに、また筋肉無しに、力無しに、私たちには理解があります。それを理解しています。そう言われていますね。「それはあなたに、悟りと理解を与える」と。神の口から知恵の言葉が出て、すると私たちは理解し、啓示が与えられます。それを私たちは受け取り、消化するのです。それが私たちに力を与えます。このレースを走る為の。
 手を延ばして、彼はそのバトンを落としませんでした。しっかりそれを手に握っています。イエス様、私はそのバトンを、あなたの口から出る真理をつかみます。主よ、私たちに通らせて下さい。そのどの様なレースも、強さ全てを持って、沢山のエネルギーと、神の霊によって、そのレースを走る為に。そして完成へと到着する為に、そのバトンをしっかりと握ります。

 神様は皆さんに対して、今日何を語っていますか?本当は私たちが走るべき時に、何が私たちをそうさせないでいるのでしょうか?私たちはウッドロフ師が宣言された、そのことを聞きました。もし私が新しい事をすると決めた時、あなたは昔の事に留まってはならない。それはあなたを先に進ませなくさせてしまう。私たちがするべき沢山の事があります。私たちには良い家族を持つ必要があり、子供たちを育てなくてはなりません。私たちの妻を愛さなければいけません。家族の中に平和がなくてはいけません。私たちの手がいつも清く、そしてまた心がいつも純真であることを確かにしておかなくてはいけません。しかし今日一番大切な事は、昔のことに留まってはならない。その事を、もう覚えていてもいけない。過去の物事に対して、あなたの思いをはせてはならない。
 そしてイザヤ書43章の中で、もう一つ言っていることは、 「わたしが新しい事をする時、あなたは過去の事に留まってはならない。」そしてもう一つ、「あなたはそれを見ないのか。それを悟らないのか。」18節「先のことどもを思い出すな。昔のことどもを考えるな。見よ、わたしは新しい事をする。今もうそれが起ころうとしている。あなた方はそれを知らないのか。」19節「あなたがたはそれを知らないのか。」 と、ありますけども、オリジナルの先生の英語(の聖書)では、「あなた方はそれを見ないのか、あなたがたはそれを認めないのか。」と、書いてあるのです。そしてウッドロフ師は、見ることの力について語られました。 「見よ、先のことどもを思い出すな。しかし、あなた方はそれを見ないのか。あなたはそれを悟らないのか。」 これは預言者に対して尋ねているのです。
 「わたしは新しい事をする。」 何をするのでしょう。「たしかにわたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。野の獣、ジャッカルやダチョウもわたしをあがめる。わたしは荒野に水を湧き出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。わたしの為に造ったこの民は、わたしの栄誉を述べ伝えよう。」

 これが神の言われたことです。あなたはそれを見ますか?もし見るなら、ソロモンも言いました。もしあなたが見るなら、それをやろうと決断するなら、あなたはそれを理解する。そしてその中に入って行ける。ですから明日私たちは、悟りを持ってこの場所を離れます。そしてゴールを持っています。終わるという。私たちの信仰によって、私たちの目を上げて、そして終わりを見るのです。もうすぐ、私たちの先にあります。それがウッドロフ師の言われたことです。
 霊的な領域の中で、この終わりの時に、キリストの体全体の為に立っている私たちに、それを霊的適応として、このビデオを見せてくれたのです。この見る事の力、聞くだけではいけません。しかしこう言われました。「あなたはそれを見ないのか?」そしてここにいる皆さん、このゴールデンウイークから、この所から離れた時に、誰一人として聞いて受け取って、それをしっかりと抱かずに出る者は一人もいません。今地上に於いて最も重要なものです。なぜならもう終わりが近付いて来ているからです。

 この世の中で起こっている危機を見て下さい。被造物はもううめいています。もうこのグループの人々の立ち上がるのを、それが現れるのを、うめいて待っているのです。ネパールで起こった地震を覚えていますか?8千~9千人の人々が亡くなったそうです。もう最悪の事態です。そしてバヌアツでは大きな台風がやって来ました。そして何千という家を押しのけてしまったのです。そして何百という人々が、しかしそこにあったKCNの一人の人も、また一つの家も被害を受けた人はいませんでした。コーディネーターが言いました。「一人として被害を受けた人はいませんでした。」ジョサイア・カロバキ先生ですね。この太平洋側の地域コーディネーターの方です。
 また、最近大きな大噴火が起こりました。そしてサンゴ礁に何か問題がおこって、そのせいで何千という沢山の熱帯魚が死んでしまいました。イギリスでは、不思議な事が起こって、何千という鳥が、天から道に落ちて死んでしまっていたのです。被造物がうめいているのです。  そして創世記の3章の時以来、その全ての被造物がうめいて待っているのです。神様がこの地を呪われたからです。なぜならアダムの反逆と、アダムの罪が起こったからです。この地は呪われたのです。そしてそれ以来、被造物は解放されるようにうめいているのです。そして神の子たちが解放されるように。それが私たちです。

 ですから私たちは喜びます。そして皆さんが明日家に帰る時には、その手にバトンをしっかりと握っています。神様が私たちに下さった真理です。啓示です。このキリストの体が一つに集まるという啓示です。私は皆さんにこのビデオを覚えていて欲しいです。私は高校生の時に、100ヤードの短距離を走っていたのです。で、教えられました。「一生懸命走りなさい。そして体をできる限り延ばしなさい。そうしてラインに、もうこうやって到達しなさい。」それがこのコングレスの写真です。このゴールのラインの地点ですね、そこについて行きます。カギは私たちの手の中にあります。

 この世界に於いて、歴史上初めて、このコングレスのメッセージが中国に渡りました。フィリピンのセミナーが起こった結果、今です。今香港で、インドからコーディネーターがウッドロフ師と来られて。皆さん聞いて下さい、中国の香港でですよ、従事のセミナーが行われているのです。今です。皆さんが今聞いていることを、彼らは中国で聞いているのです。もしそのドアが開けられるならば、全アジアです。もう一番大きな、巨大な中国がやって来ます。落ちます。なぜなら私たちにバトンがあるからです。それだけではなく、明日、ネギさんはマカオに行きます。そして何か月後かの従事セミナーの為、話し合う為に、そこの牧師先生に会いに行きます。マカオです。私は、マカオは大好きです。香港にも何度も行きました。
 何かがフィリピンで起こって、そしてそれが開かれたのです。そして何百年も人々を捕えていた悪魔の力が落とされたのですね。潰されたのです。そして彼らは言いました、「もうだめだ、私の民を行かせなさい!」と、叫んだのです。そしてそのビデオを見ました。「戦いをもう挑んでいる!」というビデオです。私はよく中国へ、ラナさんと行っていたのですね。私の心が中国に対して、本当に叫んでいたのです。中国の大部分は、非常に貧困なのです。ですから皆さん騙されないで下さい。テレビで見せているのは、ほんの一部分の豊かな人だけなのです。しかし今私たちは、中国にも侵略しています。そして中国から近い、小さな島マカオです。
 私が訪れた時には、まだポルトガルの植民地でしたから、彼らはポルトガル語を話していたのです。この中国人がポルトガル語をしゃべるのを見るのは、すごく不思議でした。しかしマカオには何かがあって、私の心はいつもマカオに留まっていたのですね。そして家に帰って、ラナに彼らのことを話しました。そしてどれだけマカオが中国に近いか、「石を取って投げたら中国に届くような、そのように近いんだよ」と。そして私と妻のラナは、もうマカオに行って教会を始めようかということまで話したのです。私は数か月後にマカオに行きます。これはアジアのラスベガスの様です。何千という中国人たちがそこにやって来て、ギャンブルして、飲み食いして、沢山のお金をそこに落として行きます。

 また私の心につよくあるのは、中国の宣教師であったハドソンケイラーという方です。彼は中国への扉が開かれて、そして船に乗って行ったのですけども、岩にぶつかって座礁してしまって、彼は亡くなったのです。しかし彼はその時に、自分の目の前にあったその島を見て、そして自分が神によって望んでいたことを彼は見る事ができたと私は信じています。




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