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今月の礼拝メッセージ

「個人的な水の注ぎ」

2015年4月                 ●木村 由智 牧師●

 これはコングレスの中でよく使われるタイトルなのですね。それは非常に大事な事です。この学びによって、今私たちにもたらされている恵みは、まずコングレスの中心部分が一つになったということです。皆さん覚えていますか、使徒的コアチーム、エグゼグティブアタッシェ、それから地方コーディネーター、その3つが1つになって、総裁府というものができたというのを。それをウッドロフ先生は、こういう風に表現しました。それぞれの間にある隙間を神が取って下さって、一つになりましたというものです。ですから地方コーディネーター達がそこに集まった時に、使徒的コアチームから出たものを、本当に早く理解し、受け止めなければならないという風にウッドロフ先生は言っておられました。一つになるということは、全てのものが今、流されている資源に対して、それを悟るということです。ですから今、そういう時代の流れの早さの中に私たちが存在しているということを、皆さん忘れていただきたくないのですね。今本当に、私たちの共同体も一つになって来ている。あなたがやっていた働きが、それが今限界を超えて、助けを求めて、そして本当に低くなって、自分のやっていることだけではなくて、本当に体全体につながっていかなければならない、そんな時期が来ているということです。自分の働きだけをしていればよかったという時代はもう終わった訳です。私たちは本当にチームとして働いていかなければなりません。

 ウッドロフ先生の所に、「これを完成しました。」という働きを報告に来た時に、「わかった。それはどういう風にした?」「こうこうこうしました。」「それは誰としました?」「これを私一人でしました。」それをウッドロフ先生は拒絶するという風に言われました。その理由は、あなた一人でやってはいけません。周りの人と協力してやりなさい。「ええ?周りの人と協力するよりも、私一人でする方が早いんです。」「だめです、あなたは低くなって、その霊的な力を分与して、共に働いて完成を目指して行きなさい。」そういう風に言われました。 兄弟姉妹、完成の為に一つになっていただきたい。コングレスの中心部分がその隙間を取った。隙間を取ったということは、あなたの価値観を捨てなさいと言っているのです。本当に自分一人でやった方が早い。だけどその時に、「ありがとう。手伝ってくれて、今日も完成できました。」そういう風な心を私たちは持たなければいけません。それが養うということであり、建てるということです。皆さん本当に一つに成るには、自分の価値観に死ななければならないのです。「これだったら前のままの方が良かった。」と言うことが沢山出てくるでしょう。そしてそれは情報を共有し合うということです。隠すということが無くなるということです。自分の足りなさも明らかになって来るということです。それでも一つに成らなければならない。

 神様は父であった。そして子はイエス様であり、そして聖霊があって、三位一体。皆それぞれ役割は違うけれども、一つであった。同じように、私たちも一つにならなければならないのです。あなたは良く物事が見える人かも知れない。見えるだけで建て上げることができない。見えないけども建て上げることができるかも知れない。目が手に向って、「私は良く見えるからお前は要らない。」「じゃあどうやって建てるのだ?」「いや、見えたら建つのだ。」いいえ、見えて建てる人が必要なのです。だから自分が分かっていると思う人は本当に傲慢です。自分ができていると思う人は本当に傲慢です。これが一番一つに成ることを妨げていく要因だと私は思います。それを捨てなければいけません。あなたがどれだけの能力を持っているのか知らない、しかしその能力を与えたのは誰なのかということをいつも考えて下さい。神様なのです。神様があなたに全てのそのできる力を、見える力を行う力を、語る力を与えたのです。それを誇ってはいけません。
 世は能力があればちやほやされる。無い者が、負け組というような評価をされる。しかしそんなものはあってはならないのです。能力に従い、権威に従わない。これが共同体の中に生まれたら最悪です。もし能力が優先であるならば、神は能力のある人達だけを救われたでしょう。しかし、「無きに等しい者をあえて選んだ。」と、神様は、はっきり聖書で言っているということは、神様は能力主義ではないということです。効率主義ではないということです。なのに、自分の能力だけを誇る者は本当に愚かです。この共同体の中に、そういったものはあってはなりません。それは一つを破壊していく大きな要素です。あなたはいつも自分に言い聞かせなさい。この賜物は神が私に与え、この体を完成させて行く為に、私に与えられたものだ。故に神様、私はこの事ができない人に、私はその人を覆って、「力ある者は、力の無い者の、その弱さを担いなさい。」と、聖書は言っています。あなたが、能力ある人がやっていることは、担っていますか?それとも誇っていますか?あなたの感情がいつもそれによってさいなまれているならば、私たちは非常に危険な共同体をつくるということです。

 教会の中の子供たちの中にも、権威に従わない子供たちが沢山います。それは親が能力や、効率で物事を計っているからです。それを注意しても、分からないから言えないのです。能力主義に陥ると、できたら褒める、できなかったら叱る。「何回言ったら分かるの?」このフレーズが、子供たちの中にいつも響く訳です。「家の子?あなたの所もそんなに言うけどできていない。」こうなるのです。CSの先生が、「あなたの子供はおかしいですよ。」と、言った時に、「ありがとうございます、薄々感じていたのですけど、やっぱりそうでした!」「そう思っていました。はい、気を付けます。」くらいに言いなさい。
 立場が上がれば上がるほど、あなたが成熟しているとは限らない。ランクが上がれば上がるだけ、その内面も成熟していたら、もう世の終わりは来ていたはずです。来ていない現実を見る時に、それは機能性とアイデンティティーが伴っていないということが、明らかになってきた訳です。そしてその二つを完成させて行くことが、成熟だという風に言われている訳です。それをして行かなければなりません。肉は本当に正しい事と相反することをして、いつも自分の感情を満足させるのです。
 もし私たちが子供の前で、「あの人本当にバカだね!」と、言っていたら、子供も同じように人を平気でののしり、迫害し、そういう子供になっていきます。絶対に私たちはしません。なぜですか?彼らを建て上げなければならないからです。どんなに腹が立つと思った時にも、私は家内と一緒に、「感謝しましょう。それも受け入れましょう。あなたよくやっているよ、大丈夫ですよ。」そういう風に話し合いをします。それは誇っているのではないのです。正しく物事を扱って行くということに対して、私たちは今いただいている資源で、それを実践して行かなければならないからです。あなたが立場のある立場で、牧師か伝道師かコイノニアリーダーか何か分からないけれど、自分の羊たちの前で人の悪口を言ったなら、あなたは終わりです。なぜならあなたは、体を破壊しているのです。それを聞いたなら、私たちの所へ言って来て下さい。私たちは正しくそれを取り扱います。なぜですか?コングレスがそれをしたからです。だから私たち指導者は、正しく事を扱っていきます。なぜですか?私たちには、正しい模範とパターンがあるからです。

 ですから今日特に、「個人的な水の注ぎ」という所で、まず一つ目は、あなたの霊を守りなさいということです。ウッドロフ先生が、「これが私の望むものであります。」と、言われました。「それはエリヤセンターと、コングレス全体の聖徒たちの、もう一つの責任だ。個人的な水の注ぎ、私たちはこれらを、本当に注意深く学んでいかなければならない。」と、言われました。ウッドロフ先生は、「汚染されてはいけません。」という風に言われました。何に汚染されてはいけないのか?絶望や、肉の欲に汚染されてはいけないということです。「内側の基準を、絶対に落としてはいけない。」と、言うふうにウッドロフ先生は言われたのです。久松先生もそれを言われました。だから、コングレス分科会、祈祷会に、皆さん来ると決めたのなら、来なさいということです。それによってあなたの内側の基準が、落ちないためだと言われているのです。本当に今神様が、そういう流れを私たちの中に持って来て下さっているということを、皆さん覚えて下さい。私たちは仲介者となって、世の暗闇と交渉してはいけません。罪に近寄り過ぎながら歩いてはいけません。
  サムソンは何度も何度も女の人にせがまれて、そして最後に、言ってはならないことを証してしまった。そして彼は捕らえられ、目がえぐられ、そして最後に、この世の肉的なものが何も見えなくなって、初めて霊的なものが見えて、最後に彼がやった働きは、今までやった働きよりも、偉大な働きをもって、彼は最期を閉じた。これはいいお話しです。しかし、私たちはいつも、肉に、罪に近寄り過ぎながら歩んではいけないということです。いつもギリギリのエッジを歩きながら、「大丈夫、大丈夫、これが楽しいのよギリギリで。」って。反対側にこけたらどうするの。綱渡りとか見ているだけで怖い。「あなたの神聖さをしっかりと保ち、あなたの立ち位置に留まっていなさい。あなたの内なる人を守りなさい。」こういうふうに言われました。皆さん私たちが霊を守るということを考える時に、私たちがどんな者であるかということを、よくよく考えなくてはなりません。

 コリント人への第Ⅰの手紙 3章16~22節 ここでパウロが、「わたしたちは神の宮である。」という風に言った聖書箇所ですね。私たちは神様の御霊が満ちている場所なのだということです。そして宮は聖なるものだ、清いものだと言いました。それは外側の清さではありません。内側の清さです。そしてそれを保つ為に、パウロは、「自分を欺くな。」と、言いました。何者でもないのに、何者であるかのようにふるまってはいけない。その能力は全部神が与えたということを徹底して下さい。そしてほめられたら、「いえ、ふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません。」この心を持って下さい。そして間違ったらすぐに、「すみません。」と、あやまって下さい。あなたがあやまれないなら、あなたの子供もあやまれない。あなたがあやまれないなら、あなたに属する者もあやまれない。あなたがあやまれなければ、共同体はあやまれない。本当なのです。この使徒的改革が入って来た時に、まず個人が変わり、共同体が変わり、そして社会的にインパクトを与えていくという、そのステップがありました。まずどこが変わるのですか?個人が変わるということでした。失敗したらあやまるということでした。それは責めではありません、正直な心です。その関係を築きたいのです。その関係を私たちは構築して行きたいのです。

 そして2番目、今の世の智者だと思うな。この世では優れている。これができるから。というような価値観を持つなということです。最後に、誰も人間を誇るな。「誇る者は主を誇れ。」と、パウロが言いました。「満ち満ちた御言葉の中を歩みなさい。」と、言うふうに、ウッドロフ先生が言われました。これは非常に大事ですね。自分自身のアイデア、デイビー先生が言われましたね、「自分自身を取り除きなさい」と。あなたは表面的に優しく見えても、しかし何か事があったら、すぐに切れてしまう。それが、本物のあなたです。それを無くして下さい。十字架はそれを無くしたのです。なぜあなたはそれをまだ大事に持つのですか?それは要りません。あなたがそれをすると、あなたの係わりのある所には全部その、普段はいいけど、何かあった時にこうなるというものが流れて行く訳です。
 だから私たちも、いつも言葉使いに、子供に気を付けます。「歯みがいた?」「じゃけん言ったやん、さっきみがいたって。」「ごめん、お父さん確認しただけ。知らなかった。ごめんね。」って言う訳です。前だったら、「いい加減にしなさい、その口のきき方!」これが、権威だと思っていた。権威は、「歯をみがきなさい。」これでいいのです。子供がもし何かできたら、いい所を見てほめないといけない。それをするから、肉に陥って、肉的な良さだけを助長するのです。そんなことを絶対にしてはいけません。それをして当然だという態度で、「ありがとう。」これだけでいいのです。必要以上に持ち上げたり、またそれを持続させようとか、それは彼の主にある真実な姿勢が、それを継続させていくだけです。だから私たちはそれを養わなければならないのです。自分自身の好む事、また、好きな事の中にではなく、御言葉の充満の中に歩みなさい。聖書が言う、言葉の中に歩みなさい。「敵を愛し、迫害する者の為に祈れ。」敵でもない、同じクリスチャンなのに、ちょっとした事で、もう「ねー!」って。もうそういう悪口言い合う人というのは、すぐにつながって、「最悪―!」って、でしょう!ばらしなさい。本当に認めなさい。御言葉は何と言いますか?ウッドロフ先生はここで言いました。御言葉は何と言っていますか?御言葉は何と言っていますか?・・・何とウッドロフ先生は、5回も繰り返された。本当に、「神様が何と言われているのかを聞きなさい。」ということを言われたのです。
 満ち満ちた御言葉の中を歩みたければ、ヤコブ書4章11節「兄弟たちよ、互に悪口を言い合ってはならない。」兄弟たちというのは、これは、共同体を表している訳です。言ってはいけません。「兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。」と、言われました。「もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。」審判者は神様なのです。あなたは審判者ではありません、あなたは裁く者ではありません。先生が何週間か前にされたメッセージ、「許された者」です。許された者は、自分がどんな者であるかをわきまえているはずです。なのに、ちょっとした事で、その人に恨みを持っている人たちは、すぐに悪口を言う。止めて下さい。それは共同体の中にあってはならないことです。本当にそれは止めなければなりません。あなた自身をよくわきまえなさい。あなたは神様に許されたのです。どれだけのあわれみを示されたのですか?永遠の滅びに落ちても仕方のなかった者を、どれだけあわれんでくれて、今私たちはここに立っているのでしょうか?それを覚えなさい。簡単に人の事を言ってはいけません。それをすれば、あなた自身を裁く事になるからです。

 あなたの祈りを止めてはいけません。あなたの家の周りを歩き、歌を歌い、手を上げて、神に思いを寄せなさい。あなた個人の礼拝の中で一貫性を保ちなさい。全ての罪過と罪を取り除きなさい。若い男性たちよ、あなたの職場で、これらの略奪者に気を付けなさい。職場であなたを誘惑し、あなたを陥らせようとする人たちに気を付けなさい。あなたはハンサムで、車があり、あなたは敵の的となっています。あなたはクリスチャンになって、本当に誠実になって、真実になって、何か、世の人たちと違うということを、社会の人たちはあなたに対して感じているでしょう。その時に、あなたは敵の的になっているから気を付けなさい。という風に、ウッドロフ先生は言われました。
 皆さん気を付けて下さい。あなたが、キリスト者として、正確に歩み出して、全ての事に神が祝福を与えて下さったのを見て、周りの人たちは、それを壊したいのです。それを破壊したいのです。若い女性たちよ、独身であることに気を付けなさい。敵の罠にかかってはいけません。自分に夫がいないことを、嘆き、うめいてはいけません。そして、隣の低いレベルのバビロン人たちが、あなたの傍らを通って、「あなたは素敵だ。」と言うのを聞いて、頭をまわし、思いめぐらし始めないように、自分を守りなさい、自分に気を付けなさい。なぜならこれらは、深刻な日だからです。兄弟姉妹、本当に、個人の礼拝の中で一貫性を保ちなさい。私はこうすると決めたのなら、その基準を下げてはならない。その為にあなたはいつも神様を求めなければならない。あなたが世でちやほやされても、それはあなたを建て上げることはできない。ただあなたの肉的な要求を満たそうとするだけです。それに引っかかってはいけません。そして、許しの中で歩みなさい。あなたから全ての罪過と罪を取り除きなさいということです。

 聞いて下さい、ウッドロフ先生はこうはっきりと言いました。「人に腹を立て、感情を害することを拒絶しなさい。」ちょっとしたことで、すぐに人に腹を立てたりして、すぐに悪口を言ったりすることを拒絶しなさい。それをしてはいけません。何の益にもならない。共同体が害されて行くだけです。そしてあなたの家族も害されて行くだけです。本当にこれは大切なことです。「全員に拒絶して欲しいのです。」と、ウッドロフ先生は言われました。ただ完全に、絶対に拒絶しなさい。絶対にです。傷つく事を拒絶しなさい。あなたの心の中で、許さないことを持っているのを拒絶しなさい。腹を立て、感情を害することを拒絶しなさい。つまずいてはいけません。誰があなたに何をしてもです。たとえどんなにあなたが悪者にされ、不当な扱いをされ、人々があなたに嘘を言っても、ただただ拒絶しなさい。腹を立て、つまずいてはいけません。そうしてはいけません。許しの中で歩みなさい。すぐに、即座に許しなさい。これを実行して下さい。誰かの所に行って、中傷してはいけません。たびたびウッドロフ先生が言われるのは、そのようなことは、「するな、するな、するな、するな!」と、いうことです。絶対にするな!ということを、非常に強く強調されました。そのようなことをしてはいけません、それは幼稚で愚かな事です。神の御国では、このような行いはいけません。「見てろ、決して忘れないぞ。ずっと覚えていてやる!」そんなことをしてはいけません。そうしてはいけません。これがウッドロフ先生から、私たちに発信された資源です。そして、信仰の場所に留まりなさい。疑ってはいけません。疑いを持つと機能不全に陥るということを以前お話ししましたね。

 バプテスマのヨハネ。彼はどんな人でしたか?イエス様の親戚だったでしょ。それだけ近い関係であり、この方がどんな方であるかということを知っていたにも関わらず、彼が捕えられ、牢に入れられた時に、自分の弟子をイエス様の所に遣わして、「あなたが来るべき方ですか?」と、聞いて来させた。なぜ?疑ったからです。疑いは私たちに機能不全をもたらします。だから絶対に疑ってはならない。あなたの信じている場所に留まりなさい。その場所に留まりなさい。信じ続けなさい。望み続けなさい。宣言し続けなさい。あなたの目が何を見ようと、神を信じ続けなさい。あなたの傍らに何が来ようと、あなたの周りにどんな暗闇が訪れようと、あなたはこう言わなければなりません。「私の神は本物だ!他の物は全て偽りとする、神が本物だ。神が本物だ!」と。
 神が言われたことだけを宣言しなさい。信仰の場所に留まりなさい。皆さんこれができますか?あなたの霊を守りなさい。御言葉の充満の中で歩みなさい。個人的な礼拝の中で、一貫性を保ちなさい。自分の中から全ての罪過と罪を取り除きなさい。若い男性たちよ、コンピューターから離れなさい。ポルノ写真を見るのを止めなさい。それをしてはいけません。あなた自身を清めなさい。罪過と全ての罪から離れなさい。許しの中で歩みなさい。人に腹を立てることを拒絶しなさい。拒否しなさい。思いを清め続けなさい。信仰の場所に留まりなさい。

 今日これを私は皆さんにお伝えしたい。これは神様から発信されたものです。私たちの共同体は、さらに上へと昇って行かなければなりません。それは私たちの人間的な努力で昇るのではなくて、気流に乗って、わしが何もしなくても、その気流の中を高く高く舞い上がっているように、私たちはその領域に行くのです。本当に今大変な状況が、皆さんの周りに起きているかも知れない。しかし私たちはそれを超えて、その上を飛んで行くのです。それをしなければいけません。全ての人たち、牧師、伝道師、コイノニアリーダー、奉仕者、兄弟姉妹、全ての人が、この原則に乗っ取って行かなければいけません。そしてランクが与えられている人たち、模範になって下さい。何もランクが無い人たちも、家庭であなたの子供の模範になって下さい。近隣の人たちの模範になって下さい。職場の人たちの模範になって下さい。それが私たちのあるべき姿です。
 コリント人への第Ⅰの手紙 10章1~15節、22節 エペソ人への手紙4章1~5節 この聖句も読んでおいて下さい。 コリント人への第Ⅰの手紙 10章3節で、パウロは、こういう風に言ったのです。「みな同じ霊の食物を食べ、みな同じ霊の飲み物を飲んだ。」ところが荒野でイスラエルの人たちは滅ぼされてしまった。皆さん私が言いたいのは、今私たちは、同じ霊の食物と、飲み物を飲んでいるはずです。なのになぜあなたから、今言ったような悪口や、悪い態度や、そういったものが出て来るのですか?それは滅ぼされるということです。私は皆さんを脅す為に言っているのではない。皆さんが誤った道に陥っているならば、正しい道に回復する為に、今日この事を勧めています。これは本当に大事なことです。私たちは今まで以上に真剣に、神様を求めないといけない時期に来ているということです。同じ霊の食物、同じ霊の飲み物を飲んでいながら、なぜ違うものが、私たちの中から出て来るのでしょうか?出してはいけません。それらのものを徹底して拒絶し、排除し、いつも感謝して下さい。いつも喜んで下さい。いつも神様に向って手をあげて下さい。そうすることによって私たちは、この聞いた通りの者に成って行くことができる訳です。
 イスラエルの人たち、「これが書かれたのは、今日に至る私たちへの警告である。」と、パウロが言いました。私たちは同じ霊の食物、霊の飲み物を飲んでいますね。そうしたら、その様な者に成って行きます。そして私たちの間の隙間を神様は取って、今一つにしようとしています。一つになれないのは、あなたのプライドです。あなたの誤った価値観と態度です。それを取って下さい。そうしたら神様がその隙間を取って下さいます。その為に死んで下さい、その価値観に。そうして正しいものを建て上げて行きましょう。それが私たちです。




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