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今月の礼拝メッセージ

「礼拝メッセージ」

2017年10月 ホサンナ純福音教会 ●西山 敬子牧師●




   ハレルヤ!主の中で御逢いできた事を感謝します。本来はメッセージの前に証というものがあると聞いています。 主人の方から証を先にしてもらうという話がありましたけれども、後でしたいということなのですね。それはなぜかと言うと、 奥さんを愛する故に、奥さんがどの様な言葉を語ってくれるかによって、次を補助するという事なのですね。 家はそれだけ仲が良いということを証したいと思います。高松に行ったら栗林公園というのがあるのですね。 そこに行ったら夫婦松という木があります。韓国からこの赤い松が来ているのですね。元々は黒い松で、その上に、 韓国から来た赤松を一緒に接ぎ木した事によって、一つの松の木になっているのですね。そこに行ったら、夫婦松と書いているから絶対分かるのですね。 元々が黒い松であるから、本来は黒い松が大きくなるはずなのです。しかし、その黒松の所は、触ったらものすごくごつごつして痛いのです。 赤松は女性を表しているのですけれども、柔らかい。でも、こちらの方が大きくなっている。ということで、下は黒と赤なのですけれども、 だんだん、だんだん、赤が大きくなって、赤の松が、この黒の松を覆っているのですね。なぜこの話をしているのか分かります? 意図が分かります?これは主人と私ということをちょっと表しているのですけれども、未信者であればそう思うでしょ。 でもクリスチャンになって、松の木という、自分という自我が、イエスキリストという接ぎ木によって、 この赤い松によって覆われた生活、ということで、キリストにあって、一つの身体ということも言いたいので、 わざわざこの事を言っているのですね。今日、主人が先に証をすると言うならば、今聞いたことは多分無かったはずなのですね。 でも、私はあなたを覆うものだということで、主人が後で、私が先にメッセージをします。



 男女というものは、やはり必ず結婚という事を迎える時があると思います。私の夫婦の事も聖霊様の導きがあれば語りたいと思います。 導きがなければ語りません。でも皆さんが、どうして結婚をして、今日があるかを知りたいとも思います。 それはどういった導きかは分かりませんけども、まず、人々が人と出会う時というのは、天が与えるものであります。 でも、その人々の人間関係を関係付けて行くのは、人間の責任であります。人間という漢字をよくよく見て下さい。 人の間を通るという事なのですね。どういう関係を持つかによって、やはり幸福というものが語られているということを、 私はこの時間を通して語りたいと思います。

 私が父に教えてもらった言葉の一つは、人と出会った時に、3分間その人の目を見て、言葉を語りなさいということを教えてもらいました。 どんな時でも、出会った時に、まず3分間その人の事を聞くように集中しているのであります。それはなぜかと言ったら、 心というものは目に現れるという事です。神様は人間の顔を造る時に、目が2つ、耳が2つ、口が1つ、その様に授けて下さっているのですね。 だから2つでよく見て、よく聞いて、語る事は一つだけ、という事であります。言葉というのは神であり、 神は言葉であると私は学んだのですけれども、小さい時から私はなぜか知らないけど、日本に住むとは言っていませんが、 私は韓国の国では住まないということをいつも言っていたのですね。それがなぜ小さい時からそう言ったか覚えていませんけれども、 多分それが神の摂理だったと後々分かって行くのですけれども、とにかく言葉がどれだけ大切であるか、本当にいつも経験の中で、 それが私を成長させているということであります。


 今日は、私が恵みを受けた言葉でありますが、「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。 古いものは過ぎ去った、見よ、全てが新しくなったのである。」という言葉を分かち合いたいと思います。皆さんの人生を変えた、 あるいは、あなたの人生に最も大きな影響力を及ぼした、自分を全く新しい人生に変えてくれた、そんな言葉があるとしたら、 皆さんはどんな言葉でしょうか?それぞれ受けた恵みは違うと思いますけれども、私は神の御言葉によって今日があるということ、 だから言葉の大切さということをいつも思っている訳であります。だから私は、このコリント人への手紙の言葉を、 本当に大切にしているのですね。なぜこの言葉を大切にしているのかと言うと、自分がものすごく罪人であったということなのですね。 罪人と言ったら泥棒したとか、何か私はそう思ったのです。でもそうじゃなくて、そういう事はしていなかったけれども、 人々をごまかしたり、嘘を言ったり、そういう風にして成り立った者が私でありました。

一番最初に私が日本に来たその出来事と言うのでしょうか、それを少し分かち合いたいと思うのですけれども、 私は自分が高校生になる前に、父親が突然亡くなったのですね。それはなぜかと言うと、交通事故で、 一晩で帰らない人になったのです。もう間もなく高校生という時に、父親を亡くしたという事は、ものすごくショックなのですね。 それはなぜかと言ったら、父親が元々北朝鮮から戦争によってこの南の方に来たから、親戚があまり無いのです。 ある親戚は日本にいたり遠い所にいるから、会うという事が無いので、お盆や正月になったら、北の方に向って、 38度線という所がありますけれども、そこに行っていつも父は泣いていました。だから女の子である私が生まれた時に、 父親は泣く事を止めたと言っていました。それでどれだけ私を愛したかと言ったら、膝の上から私を下した事がない。 食事の時に膝の上で食べさせて、なぜか知らないけど父親のお椀の中には他の人より倍の肉が入っているのです。 それが私の口に入るのですね。そういう訳で溺愛というのは良くないのですけれども、それ程愛された者であるから、 父親が無いという事はものすごい寂しさと、そのハンディーというものは大きかったのであります。とても裕福な家に住んでいたが故に、 父親が突然亡くなるという事、それも相手が高校2年生の女の子によって事故が起きたのですね。バスから降りた時に、 自転車でその女の子が後ろから来たのと、車がぶつかって、結局お父さんが即死するという事だから、相手を責めても、 自分の娘と同じ様な年であるから、責める事もままならないまま、本当に突然に家の主が亡くなったという事になります。 母親はどちらかと言えば、父親に愛されて、愛されていた人だから、苦労が全く分からない人だったのですね。 一晩に家の主が亡くなるという事はとても寂しい事だけではなく、明日の生活が、本当にどうなるか分からない時でありました。 幸い父親は会社をやっていて、その会社を継げばいい事で、私の上にお兄さんがいて、お兄さんがいるからもう大丈夫だと思った矢先に、 お兄さんが病気で倒れたのです。肋膜炎という事で、肺に水が溜まるという病気なのですけれども、その病気は絶対安静、 そして良い物を食べれば治るという事でした。その頼っていたお兄さんも病院に行って、そして家には誰もいない。 そこで結局は私が学校へ行く事よりも、生活というものを優先しなくてはなりませんでした。父親はとても賢い人で、 優れた人であって、本当に良い友人たちが沢山いたのですね。父親の友人たちが、「助けてあげるからやってみなさい。」 と言う励ましもあって、その父親の会社を、代わりに私が勤めるようになりました。


 それから学校の勉強よりも、やっぱり仕事に没頭して行くのですけれども、夜間高校に行っても、勉強する時は無かったのです。 身体の弱さと、本当に家族を養うという事に精一杯だったのです。それで優しい父親の友人たちと、 その中でその会社は色んな事をしますけれども、その高校生として、初めてこの世の社会生活の中で、 大人の男の汚い生活に入る事になります。もちろん慰めもくれるけど、その裏にはものすごい恐ろしさが沢山あったのです。 韓国は今でもそうなのですけれども、仕事が終わり、ビジネスはお酒の場で全部営んで行きます。だから仕事プラスお酒という事で、 もう飲み屋に行かなくてはならない。私は元々飲めないし、家族で飲む人は誰もいない。ということで、 大人の世界で生きる為にお酒を飲まなければ生きられない。若い女性だから飲まれてしまったらいけないので、 毎晩私が勉強したのは、1杯だけお酒を飲む。明日は2杯。1か月間お酒を練習して、絶対に大人の世界には乱れた生活を見せてはいけない。 酔ってはいけない。ということで、私は自分が酒を飲んで酔ったという事はしませんでした。

でも後に、夫と結婚をしてから酒に飲まれる生活が始まるのですね。この逆転というのがありますから、神様の導きもありますけど、今日は、 私の後に夫が証しした方が抜群なのですよ。それでまさか私が日本に来て、主人と結婚するということは全く想像もしなかった事であります。 父親の会社をやって行くという事はどういうものかというと、その中で一つの仕事だけ紹介するならば、 まず日本にインベーダーというゲーム機があった時があると思うのですね。それを韓国に一番最初に輸入したのが私なのですね。 女の人がその物を輸入した時に、韓国の国は今も、権力があったらどんな事もできます。父親の友人たちがすごく権力者だったのですね。 それを背負っていた私は、私が権力者に成った様に、胸を張って色んな事をしてきたのですね。名古屋の会社の人とチームワークを組んで、 その機械を導入しました。最初お金も儲けたし、又韓国ではものすごくそれが広がりました。でも間もなく国から、 子供のゲームとしては値段が高すぎるということで、国から禁止命令が出たのですね。でも私が日本に発注しており、 お金を払っている。買ってくれる所からお金を貰っているという事で、だからどうしてもそこが入らなければ私は大変な事になりました。 それで考えた事は、先程言いましたように、権力がある私のお父さんの友人たちを動かしたのですね。大使館の人、日本航空の人、 警察幹部、この人たちとチームワークをして裏口からこのものが入って来ます。


私の生活がどうだったかということは想像できないでしょ。主人の父親は、私が韓国に連れて行った時に、 1週間いると言っていたのに、2週間いたのですよ。帰った時に兄弟たちが集まり主人の所に来て、「果たしてどんな人だった?」 ということを聞いたそうなのですね。そうしたら、父親が言ったことは、申し分ない、主人にはもったいないということを言ってくれたそうなのです。 父親が生きていた間に、本当にそれ程の素晴らしい友人関係は無かったと思うのですけども、その様に韓国では権力というものは今も、 その時にも変わらなく、力というものはすごいものがあります。日本ももちろんそうだと思いますけども、 その権力はいつまでも続くものではないのに、あの時には全部自分の力のように、思う通りの仕事をしていたのです。 そうしている内に、結局禁止された機械が外に回るということは、絶対に見つかる事で、後に、この機械は誰が輸入したかということで、 私の名前が出ましたから、指名手配に私はなったのです。その時に警察の幹部から電話があって、「一年だけこの国から逃げて欲しい。」 と。なぜかと言ったら、私が捕まえられたら、その人たちも全部捕まえられるのです。だから皆に迷惑をかけるから、 「1年だけどこかの国に行って来たら、絶対1年後には、必ずあなたが何も無いようにするから。」ということで、 私が日本に来ました。日本に来た事によって、後に、バックタイトルが無くなるのです。

 その問題は無くなって行くのですけれども、東京に最初に来ました。なぜこの四国にまで来たかと言うと、 今考えても不思議に思いますけれども、倉敷の水島にヒョルミンダン事務所と言うのがあります。韓国人の大使館のようなものですね。 そこに夏休み、冬休みに韓国の言葉を教える教師が必要だったのです。東京に来た事を知って、親戚の人が、 「冬休みに韓国語を教えて欲しい。」という事で、私は倉敷の水島に来る事になるのですね。 だからこの岡山県にはものすごく縁があるということなのです。それを通して主人との出会いがありましたけども、 とにかくそういう生活の中で、私が一番に思った事は、「私みたいな罪人はない。」、なぜかと言ったら、 私の人生が変わったその御言葉は、このお父さんの友人たちと仕事をする間に、権力を持てば持つほど心は駄目になってしまうのですね。 大人の世界、特にお金持ちの人たちの心というのは、あんまり綺麗とは私は思いません。なぜかと言ったら、大人がお酒を飲む場所で、 仕事は成立して行きますけども、そこには必ず駆け引きというのがあるのです。こうしたら、こうする。で、 最初は本当に私は若くてかわいい。自分で言うのはちょっとおかしいのですけど、自分をいかにも年寄風なかっこうをして行かなければ、 軽んじられると思って、いつも韓国の着物を着て、髪を上に上げて、5歳は上に見えるように、その様な生活をしていたのです。 そこに行ったら、かわいがって助けてはくれるのですけども、時間と共に、娘じゃなくて、女として見る誘惑が沢山あったのですね。 その時に、大人の男は信じてはいけないということを、学んだと思うのですね。それから後に、 私はそこで成長して行くのですけれども、その時に、その仕事をやって行くのには、嘘と偽りがなくてはやって行けないのです。 そこで沢山の罪を犯したが故に、「私はいつもこんな罪を犯していいのだろうか?」「こんな嘘を言っていいのだろうか?」 「儲ける為にこんな悪い裏工作をしてもいいのだろうか?」というものが、どこかにいつもあったのですね。 だからこの御言葉によった時に、「あなたの罪が現され、きよめられ、そしてきよくなった、義なる者となった。」という、 コリント人への手紙の言葉が、ものすごく迫って来たのです。私たちの家族はどちらかというと、クリスチャンの生活をし、 今は亡くなった妹がいますけども、本当に献身的なクリスチャンたちであります。ハン牧師を御存知だと思いますけども、 本当に信仰深い人々なのですね。家の母親は、今も朝4時に起きたら壁に向って、2時間祈って1日を始める人です。 その母親の祈りがあるが故に、今日の私があると思うのですね。その様な環境の中で、私は信仰が無い肉の人であったので、 韓国に行ったら必ず教会に連れて行くのですよ。大体、金、土、日、かけて行くのですね。そうしたら日曜日は絶対にかかる。 皆はどうやって私を教会に連れて行くかということで、教会をあげて祈ったそうなのです。そして私は韓国に行くと必ず教会に行くので、 それが嫌で、次は悪知恵を使いました。月曜日から行ったら絶対教会へ行かなくていい。あるいは日曜日の晩の飛行機で行く、 神様が救いの御手を差し伸べれば差し伸べる程、だんだん遠くに行く、そういう生活をしました。 でも神を愛する者は絶対に導かれるという、そういう信仰を持った家族は、私が逃げれば逃げる程、 祈りの熱さはもっともっと熱くなったということであります。


 私はこの日本で結婚をして、生活をして、文化の違い、言語の違いはありましたけど、結婚をするのだったら、 こういう人が欲しいという思いがあったのですね。あまり思い込んで祈ってはいけないということが後で分かるのですけども、 男性は無口の人と結婚をしたいという思いがどこかにありました。自分が蒔いた通りに刈り取ったという事でありますけども、 本当に無口な人なのです。今は想像できないくらい無口。言葉が通じない、その家はどうか想像して下さい。本当に言葉が無い、 交わりが乏しい、そういう家庭でありました。だから以前は、お酒を仕事の為に飲まなくてはならず、2度とお酒は飲みたくないと思った私が、 夫と結婚したが故に、寂しさと分からない文化によって、飲まずには寝られない。飲むだけでない、 睡眠薬を混ぜて飲むぐらいに眠れないという事でありました。でもイエス様と出会った時に、 「良い安らぎの眠りを与え、全き平安を与えて下さる。」その御言葉によって、私は神様に、 どんどんどんどん深まって行くのです。以前は毎日お酒を飲んで、主人をいじめるのですよ。 100%酔っているのではないのです。80%ぐらい飲む、そして100%飲んだふりをして喧嘩をしたら、 月に1回くらい暴れる。ふりをして何かしたら、「私は韓国に帰りたい!」ということで、いつもいじめてきました。 なぜかと言ったら、かつての生活とあまりにもギャップがあるが故に、やっぱり苦しかったのですね。田舎でしょ、 10時になったら電気が全部消えて、皆寝るのですよ。私は低血圧なので、朝起きれないのですね。でも父親が、 朝4時ぐらいになったら、家の前でトンカチトンカチ何かを作るのです。だから起きるしかない。5時ぐらいに起きる。 主人はさっき言ったように、ものを言わないのと、又、都合が悪くて返事をしないのとは、又、別なのですが、 だけど何かいったら、無口ということを裏返して、返事をしない。そういう戦いの中にあって、主人が悪い訳ではないのですけれども、 肉という私が潜んでいるが故に、やっぱりその生活に耐えられなかったのです。飲んではいじめ、飲んではいじめ、 5~6年そうした時に、主人が、「もうそろそろ帰そうかなあ。」可哀そうだと思った矢先に、神様が私を愛してくれるが故に、 私が35歳の時に、乳癌という病気に罹(かか)りました。あの時には乳癌という病気が珍しいぐらいだったのですね。それで、 来るべき時が来たかな。なぜかというと、その時に思ったのですね。いつかは病気になるだろうって。自分の乱れた生活、 睡眠剤とお酒。そして心の安らぎは無い。主人に対する不平不満。これは決して自分には良い物は無いなと思ったのですね。 病気を通して初めて、自分はもう絶望だから、帰らないのだったら、もう死んでもいいとう希望の無い生活でありました。 いざ病気になって、私はその時に初めて、夫の愛というのに気付いたのです。入院している間に、1日たりとて欠かす事なく、 朝、昼、晩、食事を持って来て、私と一緒に食べました。そして夜は、食事を一緒に食べて、私が眠るまで背中をさすり、 寝た後で家に帰るという無口の夫の愛を、そこで私は感じました。その時に心に思ったのが、一生涯この夫を離れては、 私は悪い女だと思いました。それ以後、本当に私は心を捧げて主人を愛して行くのですけども、この後で主人が証しした方がいいでしょ。


退院して間もなく、家でテレビをつけた時に、野球選手の落合の奥さんが、「うちの夫は一億円だ!」と、言いました。 契約が一億円だと言っていたのでしょうね。それで私は鼻で笑いました。「いや、私の夫は一億円じゃない。かけがえのない、 お金では買えない夫だ!」と、私は言った覚えがあります。その時からうちの夫婦がとても仲良く、本当にさっき言ったように、 天が出逢わせてくれるけれども、その人間関係を築いて、平和をつくるのは人間であると。その言葉を心に思って主人に尽くし、 私はその主人の母親と父親に、すごく良くしてきたと思うのです。自分でこう言うのはおかしいけれど、年寄を敬うというのは、 私の心にいつも潜んでいたのです。だから、最後にお母さんが言ったのは、「あなたが教会を建てるのを見て死にたい。」 ということを言ったので、私たちはその通りの事を成し遂げました。その様に親に対して私はとても愛を捧げていました。 だから親に対しては、私は申し分ない親孝行したのですが、主人にとっては良い夫婦孝行をしなかったのですね。 今はもちろんしてますよ。あの当時はそうでありました。だからその時に思った事が、本当に主人はかけがえのない、 これ程の無口な夫の裏には、言葉の無い行動によって、私を愛してくれていたという事が分かりました。その時から、 韓国に帰ると言うことはもう言わないと心に決めました。それ以後、私は日韓の為に何かをしたいということをずっと思って、 韓国から来られた留学生たちを世話しながら、日本の良さ、韓国の良さを両方の国が結べるように、それを祈ってきたのです。 それからこの病気を通して、自分がこれからどういったアイデンティティーを持つべきか、これからどのような人生を歩むべきか、 ということを真剣に考えました。不思議に皆さん病気したら分かるのですけれども、病気した途端に、 周りの宗教家たちがものすごく誘いに来るのです。知らずに創価学会とか、色んな教会から私を誘ってくれて、身近な人ですよ、 色んな所へ行きました。で、私は酒を沢山飲んだという事を言っていたのです。私の家の隣にはお寺があって、 そこのお爺さんと気が合ったのです。それはなぜか、お酒を交わす相手として、私が一番良かった訳ですね。 唯一女の人がお寺にお酒を飲む為に招かれたのは、私だけだそうなのです。それでずっとお酒を飲んで、 良い関係だったのですけど、病気をした後に、私はそのお寺のお坊さんに聞きました。病気を通して初めて、命というものは何か? 死んだらどこに行くのだろうか?死後の世界はあるのだろうか?なぜかと言ったら、友人たちによって、 色んな宗教に連れられて行っていても、私が求める答えは無かったのです。その日もそのお坊さんに言ったのが、 「死んだらどこ行く?」と。すると、「死んでみんかったら分からん。」という答えだったのです。 そのお坊さんが去年亡くなりました。その息子が今、後を継いでいるのですけど。私はさっき親孝行をしたと言ったでしょ。 父親が亡くなって、毎月10年間、たった1か月も欠かした事なくお墓参りをし、父親を敬ったのですね。母親は、 私の手で天国に送ったので、生きている内に親孝行をしたので、死んだ後はしません。でも父親の時には、まだ未信者であったので、 信仰を持った時に必ずそれを守ってきたのですね。だから、死んで分からないのだったら、こんなものを信じる必要はない。 その時にアメリカにいたハン牧師から連絡があり、「あなたの為に祈る時、不安が来ますよ。何かないか?」と言われても、 私は一切家族に知らせていません。私が2回目の手術をする時も、夫にも家族にも知らせませんでした。2、3日前から、 もし戻れなかったらいけないと思って、家の掃除をし、カーテンから布団から全部用意して、 もし葬式になっても恥ずかしくないように徹底的に掃除をしました。そして病院に一人で行って、 2回目の手術を受けました。それは再発ではなくて、あちこちに色んな出来物が出て来て、その度に切っているのです。 私が病気になっても神様に戻らない故に、次々とそういうプロセスを行われたのではないかなと思うのですね。


 それを通して後にはやっぱり神様の所へ行くようになります。この御言葉によって私は変えられる事ができたのですね。 そこであなたのアイデンティティーは何かということを知ることができるのであります。どんなに素晴らしい生活をしたとしても、 肉の時には平安というものが与えられません。お酒を飲み、又、睡眠剤を飲んでも、平安は与えられません。平安というのは、 上から与えられなければならないということであります。イエスキリストがこの地上を離れる時に言われたこと。 「あなた方に平安を与える、この世が与えるものでなく、神が与えるものが最高の平安である。」この言葉がありますけども、 私はその御言葉一つ一つによって、成熟して行く事になったのです。蚕というものは自分の口から糸を出しますね。 その糸を出してまゆを作ります。そしてその中に入って住むのです。人間の言葉というのは、自分の幸福の家を建てる建築の材料ではないかと思います。 「私はこうなるであろう。」「こうする。」自分の子供ができないからといって、「あなたバカだ!」と言ったら、絶対にバカになりますよ。 でも、「あなたはできる。」「今はできないけれど、後にはできる。悟るのが遅いだけである。」そう言えば自信を持って、 「ああやっぱり私はできるのだ!」ということ。クリスチャンもそういうことが言えます。 うちの教会も兄弟たちがよく動いています。それは主人がよく動いてくれるからだと思います。主人はうまいのですよ、 ちゃんと手の平に私を乗せて、うまく揺らすのですよ。私はそこに乗っているだけであって、私の上に覆っているのは主人であります。 主人の助けがなければ、今日は無いのであります。

 こんなに仲のいい夫婦であっても、いざ信仰を持った時には、ものすごい霊的な戦いがあって、私たちは離婚という寸前にまで行きました。 私は信仰ではなくて、律法主義から始まったのですね。ほとんどのクリスチャンが、このコングレスという学びに出会うまでには、 恵じゃなくて律法から始めると思うのですね。「神を第一にしなさい。」という学びを私はしてきたから、絶対神が大事。 主人が昼を食べようが食べまいが関係ない。私は外に行って福音を伝えるのだから、主人の事を犠牲にしても、 神が何とかしてくれる。普通だったら給料を持って来たら、主人に「有難う。」と、言うでしょう。言わなかった。 「神様ありがとうございます。」これをくれる主人は、すごく傷付いたと思うのですね。そういう知恵の足りなさ。 その学びをしていないが故に、信仰の戦いによって、結局主人がもう離婚をする寸前にまで行ったのですね。 それでも教会を我々は建てて行くのです。それはなぜかと言ったら、母親が間もなく亡くなるということを、 薄々感じたのですね。その時に母親は、「教会を建てる事を見て逝ければ幸いだ。」ということによって、 私が救われて4か月後に、神様はビジョンを下さったのです。「あなたは教会を建てる。」という預言があったのです。 だけどその時には教会を建てる意味も分からなかったのですね。でも、神がそう言うのだったら。私は案外一途なのです。 横を見ないのですよ。だからこの預言の言葉は絶対自分のものだと、思いの中に入れたのです。うちの教会の周りは、 元々田んぼなのです。1軒の家もありません。この辺に教会が建つと言った時に、私はそれを信じたのですね。 うちの主人はありえない顔をしました。でもその事を信じて、その田んぼの上を歩き回りました。ヨシュアの御言葉と同じように、 「あなたが踏む所は全て与える。」という御言葉、主よこの言葉は私の言葉です。だから踏みます。それを踏んだのです。 踏んだら、2000年に教会を建てる。なぜ?イエスキリストの誕生でしょ。それを目指して、そして、 「神様、どうせ教会を建てるのだったら、一つ私はお願いがあります。」それで祈ったのです。それは何故か。 「どうして一番いい場所には、お寺と神社がありますか?どうして教会はこれ程貧しく、倒れかけの教会しかありませんか? これが神の栄光と思って、ご利益があると言ったら、誰が教会の中に入るのですか?この地上にもミニ天国を、 教会を通して現して下さい!」人数があるから教会堂を大きく建てた訳ではないのですね。本来の教会は、 あれよりもっと大きな教会だったのです。でも教会を建てると言った途端に、教会の信徒が半分出たのですね。 そして最終的に、神の家は神が建ててくれるという信仰一つで、教会を建てて行くようになります。


信仰生活というのは、神聖さと思うのですね。私の教会で今目指しているのは、「真実」ということです。 だから男女の間も真実という事です。ここに若い人が沢山いるので、いまだに私が幸せと思うのは、自分が勝手に思っているのですけど、 私が惚れたのではなくて、惚れられて嫁に行ったと思っているのですね。主人はどう思うか分からないけれど。 だから絶対に自分が惚れるより、惚れられて行くということが大切じゃないかと思います。 神様がわざわざ私たちの所へ来て救って下さったでしょ。それならば、やはり自分からじゃなく、 相手から愛されるということ、それがとても大切じゃないかと思うのです。まだ結婚をしていない人、 3分間だけ相手の目を見る習慣を付けてみて下さい。それは結婚してない人だけでなく、伝道に行っても、 絶対に目を見る事が大切なのですね。 私は言葉が今ほどしゃべれなかったから、教会は建てたけれども、どこに行って伝道するか? ほとんどの人が仕事に出ているために、昼伝道に行っても人がいないのですよ。私は働き人が欲しかったのですね。 それで自分はお風呂が好きだから、そこで何かできるものはないかなって思ったのですね。そこで、杉村さんと言う方に、 背中を磨きながら、「神様、いつかこの人がイエスキリストに触れるように、私の手をその代わりに使わせて下さい。」 その祈りをしました。それによって彼女が後に救われて来るのです。彼女は行かなかった病院がないくらい病気の人でありました。 どれ程身体が硬直しているか、ベッドで寝て起きるまでに30分かかるのですよ。ロボットみたいな身体でしたけども、 神様に触れられ、御言葉によって救いを受けるのですが、箴言17章22節に、「心の楽しみは良い薬である、 たましいの憂いは骨を枯らす。」と、いう御言葉がありますけども、その御言葉を通して救われて行きます。 彼女が入院した時に、毎日欠かさず行きました。でも一度も福音に触れた事はありません。心の中で祈ったのですね。 退院した頃に教会の聖会がありました。「一度だけ来てもらえないですか?」と言ったら、彼女の心の中で、 「ここまで見舞いに来てくれたら、一度ぐらいは義理を立てて行かなくてはいけないだろう。」と、いうことで来たのですね。 その日に出会った御言葉が、この御言葉なのですね。ああそうだなあ、自分は何でこんなに不幸だったのかという憂いが、 自分の骨を枯らしたのだな。この御言葉によって彼女は救われて、癒されて行って、今、うちの教会で一番良い働きをしているのですね。 御言葉の力というのは、この様なものであります。私が今日あることも御言葉によるものです。 もちろん皆さんも御言葉に立っていると思うのですけども、やっぱり真実な信仰を持ったら、 御言葉によって力が流れる事ができるということです。

 今日、コングレスに導いて下さった久松先生に、ただ感謝しています。私がなぜコングレスに入ったか、 先生がおいしいジェラートを売っても誰も買ってくれない。私は先生とコングレスに入る前から色んな交際があって、 とても尊敬していたのですね。誰も買ってくれないという時に、心の中で、「あんた、でも買わないといかんだろう、 義理があるだろう。」と、思ったのです。あの時はあくまでも義理なのですよ。それでジェラートを一番最初に買ったのが私なのですが、 いまだに私はジェラートを食べた事がないのですよ。だから一度先生ごちそうして下さい。そのように、本当にコングレスに出会い、 今、聖域、神様の完成に向かって行く事を、本当に感謝しています。成長、成熟とは何でしょうか? あなたの内側から出る真実さという事だと思うのです。このキリスト教は約束の信仰です。 神が約束した事はこの地上で行われるでしょ。この約束を食べて行く私たち、主が来られる為には、 皆さんの聖域というものが必要です。核になり旋回する事を信じます。主人に10分程あげたいので、この辺で失礼します。


西山 隆志 執事

 皆さんこんにちは、私たち夫婦は40年歩んで来ました。その中でやっぱり私が変わったというのは、 イエス様を信じてからは20年ちょっとになるのですけども、世間で言ったら、尻に敷かれてる。信仰生活になってからも、 自分の我を通す。尻に敷かれてると言われたくないばっかりにしてきたのです。だからイエス様を信じてからも、 なかなか自分に死ぬ事ができない。でもコングレスに入ってから私たち夫婦は変わりました。信仰生活も、 教会の中も本当に変わりました。これは本当に今まで導いて下さった久松先生、そして並びに沢山の方々を通して今の夫婦と教会があると思い、 本当に感謝しても感謝しきれない程であります。本当に変わったのは、コングレスの教えの中で一番最初に聞いた言葉が、 「自分に死になさい。」そこで目が覚めて、色んなプロセスがあるのですけども、どこから始まったかと言うと、 やっぱりハン牧師が帰って、それから久松先生がコングレスの学びをしないかという事で先生が家に来られて、 その時に久松先生が、「クリスチャンは皆、主よ来て下さい!来て下さい!と言うのに、聖くなったら来ると神様言われるのに、 全然そこを言わないで、ただ来て下さい!来て下さい!で、あなたは聖くなりたいですか?」と、言われたのです。その時に、 「なりたくない。」とは言えなかった。「成ります!」と。そこがコングレスに入った始まりなのです。それからそれを通して、 やっぱり自分がそういう決心をした時に、「今、変わらなければならない、ここで変わろう!」ということで、そこから自分の我を捨てる事ができました。 信仰の面では牧師にかなう事はできませんが、牧師が色んな働きをする中で、覆いになる事はできる。牧師が本当に神様の働きをする為に仕えて、 これから歩んで行く事が私の働きだと思っています。そして又、このコングレスとの出会いのおかげで、今教会に若い人達も与えられて、 今の私たちは2世代に渡ってそういう働きをして行って、私たちの代で終わるのではなくて、 教会として成長して行く事を目標にしています。今の私たちはコングレスのおかげで今の私がある、 夫婦生活もあると思っています。これからも宜しくお願い致します。