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今月の礼拝メッセージ

「礼拝メッセージ」

2017年12月 イエスキリスト博多希望教会 ●内田 健吾牧師●




   イザヤ書35章1~8節「荒野と、砂漠は楽しみ、荒地は喜びサフランのように、花を咲かせる。さかんに花を咲かせ、 喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光をこれに賜るので、彼らは主の栄光、わたしたちの神の 威光を見る。弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。『心さわぐ者たちに言え、強くあれ、恐れるな。 見よ、あなたがたの神を。復讐は神の家から来る。神は来て、あなたがたを救われる。』その時、目の見えない者の目は開き、 耳の聞こえない者の耳は開く。その時、足のなえた者は、しかのように飛び跳ね、口のきかない者の舌は喜び歌う。 荒野に水がわきだし、荒地に川が流れるからだ。焼けた地は沢となり、うるおいのない地は水の湧く所となり、 ジャッカルの伏した寝ぐらは、葦やパピルスの茂みとなる。そこに大路があり、その道は聖なる道と呼ばれる。 汚れた者はそこを通れない。これは贖われた者たちのもの。」
実際イスラエルの地で、砂漠に川が、泉が湧いて、とうとうと流れる。 「ええ、まさか!こんな砂漠にどうして水が湧くのだ?」「まさか!?」って思います。



 私は大阪の茨木の教会で救われまして、聖会を、道後温泉の中にある松山福音センターで、夏に合同礼拝をしていたのです。 茨木の方から船に乗って来る人もいます。私は神学校の時は、宮崎から船に乗って、大洲の方を通って松山に来ました。 大阪から来た人と、私たちと、先発隊が10人ばかり程いまして、朝早く港に着いて、そしてバス停に向って 歩くのですけども、その時一人の人が、「ああ、お土産買うの忘れた!どうしようかなあ。万代先生お魚が好きで、 刺身が好きだから魚屋があったら、神様―!」って、祈るのだけど、田舎で魚屋も、何も無い所でね。 「祈っても無駄だよ、魚なんて無いから。」ねー!何言わんとしているか分かります?「まさか!」が、あるのですねえ。 「祈っても無駄だ!」と、言って歩いていた。サマリヤが飢饉の時に、神の人が、「これだけの量を、 これだけの安い値段で買える!」「そんなバカな!たとえ神がここに門を造られたとしても、そんな事できない、できない、 できない。」ちょっとそのような、「魚屋も無ければ、こんなに朝早くから開いている店はないだろう、祈っても。」 なんて言っていたのです。そうしたらねえ、向こうから軽トラックが、朝早くからすごい勢いで、 ちょうど私たちの目の前で、その時そのトラックの中からポーンと飛び出て来た物がある。何か分からないけど、 皆で「オーイ!オーイ!戻って来―い、落としたぞー!」そうしたら一人の兄弟が見に行って、 「おい、大変だ!大きな魚ですよ。」私たち皆、ぞっとしました。「祈ったってなるものか。」違うのですね。 神様が、「ほら!やる。」でもね、その後ちゃんと交番に届けましたよ。その魚を持って、何とも言えない気持ちでね。 「ちょっと神様、申し訳ありません。しかし良い物得させていただいて、ありがとう。」交番へ行ったら、 話の分かるお巡りさんでね、「ええ!いやー、ちょっとこれ、持って来られても困るんですよね。」心の中で、 「ありがとう!」「ここの交番の冷蔵庫も小さいんですよね。」心の中で、「そうだー!」 「もし落としたと言って来られたら、私が言いますから、そのまま持って行って下さい。」喜んで、 「ありがとうございます!」そしてそれを持って行ってね、「万代先生、どうぞこれ、お刺身に。」どこで貰ったか 言っていませんよ。今頃天国で聞いて、「あいつらー!」と、思ってらっしゃるかも分かりませんけれどね。 私は思いましたね。信仰生活というのは、「まさか!」実は聖書の神は、「まさか!」を、なされる御方なのです。 日本人は比較的に頭が良いのです。それで、頭の中で信仰を組み立ててしまうのですけど。 信仰はどこまでも幼子です。今日、「損を算出しなさい。」と、神様が語られました。私たちはゼロです。 事をされるのは神様です。しかし神様が、「行け!」と、言われたら、「アーメン!」です。「止まれ!」と言われたら、 「アーメン!」です。業をされるのは主だからです。


 私はこの倉敷という所には、一つの思いがあります。それは、私は山陰の島根、出雲の方の近くで生まれました。 そして大人になってから、大阪の方に勤めに行きまして、いつも帰る時は伯備線、倉敷回りで帰っていたのです。 懐かしい思いがあります。大阪の茨木の教会で救われまして、そして献身しました。生駒の学院に入りました。 1年生の時の院長先生が、カップ先生だったのです。私の1期先輩に、奈良ベタニア教会に、山田先生がいらっしゃいました。 私は非常に、確信があまり無いような状態で、生駒の学院に入ったのですけども、山田先生はメガネをかけていらっしゃって、 目がキラキラ輝いていたのです。「うわー!本当にイエス様の情熱に燃えていらっしゃる。」 今でもその目の印象が残っているのです。「本当に素晴らしい器だな!」って。神様にあってそういう方たちに 囲まれながら生活しました。
 学院を卒業してから、宮崎の方の教会に、伝道師として赴任しました。教会は宮崎の北側にありまして、 私は南の方の清武という伝道所で祈祷会と礼拝に通っていたのです。 バイクで通っていて、交通事故に遭いましてね、忘れもしません11月の23日、実は車の免許を習いに行っていたのですけど、 22日に、ものの見事に仮免で失敗して、落ちまして、ちょっとしょんぼりした面もあって、日曜日礼拝に、 単車を飛ばしていたのです。狭い道で、後ろから車がやって来ました。改造車の出始めの頃で、その運転していた青年も、 ドアの横にミラーを付けていたのを忘れていたそうです。そのミラーの出っ張りが、ゴン!と、当たったのですね。 「ウワーッ!」と、思った事だけ覚えています。後は気を失った。次、目が覚めました。 何か私、車に乗っているのです。横には知らない人がいた。「どうしたのだろう?」だんだん意識が戻って来て、 「ああ、これ宮崎のあそこら辺。」隣の人に言いました。「あのー私、どうしたのでしょうか?」 「事故に遭われたのです。」聞いてみたら、本人が当てたのですけどね。そして肩が、すごく破れているのですね。 で、肩が痛い。カッターシャツの、腹の所に黒いしみが付いている。「私どうしたのでしょうか?」 「車に跳ねられたのです。今、病院に連れて行っている所です。」「ああ、そうですか。」それで病院に着きましてね、 そしていろいろレントゲンを撮りました。でも結果的に肩の打ちみだけだという事でした。 それからお巡りさんがやって来て、「すみません、事故に遭われたのは、おたくですか?」「はいそうです。」 「一緒にちょっと現場検証に行ってもらえませんか。」もう礼拝が終わりかけの頃でしたから、 「分かりました、それでは行きます。」パトカーに乗せられて行きました。現場に着きますと、日曜日でしたが、 事故処理の車が来ていまして、お巡りさん達が一生懸命やっていたのです。それで私が車から降りたら、 そこにいた3人のお巡りさん達が、ポカーン?として、私を見ていました。その中の一人の方が、交通課長さんだったそうで、 「あなたですか?単車に乗っていたのは。」「はい、そうです。」「あなた、ここで何やってるんですか!」と、 言うのです。自分達で連れて来ていてねえ。「いや、何か現場検証があるからと言われて。」 「あなた何やってるの!あなた、ひかれたのですよ!」って。その時初めて分かったのです、ここの黒いしみというのは、 タイヤが通った後なのだそうです。だから3人のお巡りさんは、知っていたのです、現場検証をしていたから。 「あんた、ひかれたんだぞー!」って。もうそれから、パトカーのお巡りさん、びっくりして、又、パトカーに乗せて、 今度は清武の総合病院へ連れて行ったのです。3日間入院して検査をしたけど、どこも悪くないと言うのです。 本当にあつかましくも生かされてね。後で考えたら、ひかれた人間を、よく助手席に乗せて運んだなあと思います。 物じゃないから。よく聞いてみたら、私は、「危なーい!」と、思った所までは覚えているのですけども、 実はその後ボーン!と、ぶつかって、空を飛んだそうです。果てしなく飛んだんじゃありませんよ。 そして反対の車線へ、べちゃっ!と、落ちたのです。目の前に運転して来た、ホンダのシビックに乗っていた 19歳の大工さんで、目の前に人間が、空から降って来たものだから、止める事ができなかった。 乗り越えてしまったと言うのです。だから本人が夕方、棟梁の方と一緒に来ました。若いのにねえ、可哀そうに。 人をひいてしまって。病室へ入ったら、きっともう点滴して、酸素マスクして息絶え絶えか、 あるいは、お気の毒に亡くなられているか、でしょ。だからそんな気持ちでドアを開けたら、 開けた所に何がおったと思う?この私が、腹が減っているからと言って、弁当箱を二つ抱え込んで、がっついていた。 本人は、ほっとするやら、腰ぬけるやら。でも皆さん、思ったのですよ。私があの時に、生きていたら死んでいただろう。 死んでいたから、生かされたのです。もし私が柔道をやっていたりして、ひかれそうになって、「えーい!」 なんて構えたりしたら、もう絶対死んでいたと思います。でもね、もう落ちた時点で、死んでいたから、 無抵抗だから助かった。皆さん、信仰生活ってね、生きていたら駄目なのです。生きていたら、死んじゃうのです。 イエス様と共に死んだならば、イエス様が生かして下さる。私は一つの大きな事を、そこで学びました。


それから1年ぐらい経って、そこの近くを1件ずつ、家庭訪問をして歩きました。一人のおばあちゃんと出会いました。 そのおばあちゃんが言うのですね、「たまたま車の話になって、事故の話になって、そのおばあちゃんが、 「去年なあ、ここの所でなあ、一人車の事故に遭いなさってなあ、亡くなられた方がおるんだわ。」と、言うのです。 息子さんが、ちょうど宮崎の消防署に勤めていて、日曜日の朝、車で行っていたら、渋滞している。 「何でかなあ?」と、思って行ったら、「気の毒にねえ、車の前輪と後輪の間から、ちょうど引き出されていた。 顔見たら白い顔をして、もう若い人だったけど、あれ助からんわ!」と、言ったそうです。「おばあちゃん、それ私!」 おばあさんびっくりしましたね。「ええ!?」まあそれが縁で、みかんやら、梅干しやら、いっぱい下さいました。 人間死んだはずの人を見たら、パッと、人の足を見るのですねえ。短いけどあるのです。本当にねえ、 そういう中にあって、人間が思っている事と、神様が思っている事は、違うなあと思いました。生きるならば死にます。 死ぬなら生きます。不思議な事を思いました。


 そして私はそれから2年経たない内に、この福岡の方に、同じ団体の教会を紹介して下さいまして、行きました。 2年程そこで奉仕をしまして、そして本当にお願いして、ゼロからの開拓をし始めました。古い、 おんぼろの家を借りて、そして看板をいっぱい付けて伝道していたのです。あそこの教会は、良く伝道している。 看板をいっぱい立てているって、有名になりました。訳があったのです。なぜ看板をいっぱい立てるか? そこが全部破れているから。壁は破れ、天井は破れ、そこに全部御言葉を書いた看板を貼り付けて、派手派手ですよ。 そういう開拓をし始めました。そしてある時期、会堂を丘の上に建てて、丘の上の白いチャペルって、 すごく感じとしてはいいようですけども、久松先生は、おいでになっているから御存知なのです。 丘の上のチャペル。皆、夢見る様なチャペル。来て見ると、断崖絶壁の上のチャペル。すごい所です。 そこで、礼拝と伝道を始めました。そして本当に、神様は色んな器を備えて下さいました。 そして、日本キリスト宣教会の先生に8年ぐらい、年に3回、合計24回来ていただいて、三日間ずつ役員セミナーを していただきました。「しっかりと教会を立てないといけない。」やったのですね。


 そうした時に、ちょうど1996年でしたけれども、教会が非常に順調に伸びている時でした。 「さあこれからだぞー!やって行くぞー!」その時、私は一つの病気になったのですねえ。病院に行きましたら、 「実はねえ」って、一つの事をおっしゃいました。正直言いまして、家に帰って荷物をまとめましたね。ちょっと状態が状態だったから。何とかその事を不思議な方法で乗り越えました。とても仲の良い先生が、「先生、今度ね、家の教会に一人器が来られるので、ちょっと先生おいでよ。御夫妻でおいでよ。」と、呼んで下さいました。私と家内で行きました。アメリカに、シャイロ・クリスチャンフェローっていう教会があります。主任牧師が、ダビデ・カイトリ-。その方のお母さんも預言者で、バイオレット・カイトリ-という方です。小柄な方ですが、鷲の様な鋭い目をした方です。その方が、一人一人に神様の言葉を伝えて下さいました。私と家内に語って下さいました。3つ語られたのです。一つは、「羊は散らされて行く。」って、語られたのです。皆さん、牧師にとって、これ生命線ですよ。「羊は散らされて行く。」なぜ?牧師が大体悪いから、そうなるのです。エゼキエル書に、そう書いている。「うわー!」と、思いました。だけども、「その羊は、あなたは心配しなくてもいい」と。変な話です。天のお父様が心配して下さるから、大丈夫だと。もう一つは、「あなたの目に油を塗りなさい。あなたの働きを変えます」そうおっしゃったのです。 「いやー神様、変えなくていいですよ、このままで。」と、思ったのです。そしてもう一つは、 「あなたの身体にデモンストレーションを起こす」と、おっしゃった。その時12月、終わって、数えてみましたら、 私は3度荷物をまとめたのです。あきらめがいいのではないのですよ。本当にもう秋には、「どうも危ないぞ!」と、 福岡の先生たちは、おっしゃっていました。そういう状態にあったのです。でも色んな事を通りながら、 不思議に持ち直して、でも12ヶ所、色んな事がありました。正にデモンストレーション。それが1996年で、 1997年に、教役者ペンテコステ教会というのがありまして、私は何年ぶりかに行きました。その時に、 その先生の息子さん、ダビデ・カイトリー師、私より、ちょっと年上の方なんだと思うのですけど、 講師として聞いておられたのです。500人か、600人の教職者が集まっていた聖会でしたが、メッセージの最中に、 階段を下りて来て、私の所に来て、手を置いて、「一つの働きについて、神様はあなたを、この働きに置かれます。」 「ええ!何かお母さんと電話していたのかなあ?」と、思うぐらい、全部当たっていた。 それで、「うわー!どうしようかなあ。」その働きというのは、外へ出なくてはならない働きですけども。 会堂の人間ですから計算します。やっぱりねえ。「外へ出て行くのはいいけれど、会堂の支払い、 どれくらい残っている?」ってね。やっぱり責任がありますから、考えました。そういう中で、1999年~2008年に かけて、約10年間、本当に荒野に入りました。その時このダビデ・カイトリー先生は、働きと共に、 こうおっしゃったのです。「あなたを私の手の中で、鋭い器にします。」鋭い器、かっこいいでしょ。 でも、これ程こわい話ないのです。鋭いという事は、それだけ研がれるという事なのです。研がれるというのは、 すさまじいものです。本当にすさまじいものです。経済的にも、むろんこの身体の事もですが、何もかも、本当に、 聖書の中に、「荒野のペリカン」なんて、言葉が出て来ますけれども、本当に、全てから忘れ去られた様な、 見放された様な感じになります。ここに瀬戸大橋ってありますでしょ。瀬戸大橋を造った人は、 九州大学の太田俊夫さんという方なのです。実は彼に、私は洗礼を授けたのです。彼が現役の時、教会にお見えになり、 山の川で洗礼を授けたのです。その方も含めて、ある時期、教会員を外に全部排出しなければならない。 そして私は一人一人の名前を転会状を書きまして、近隣の教会に、「すみません、この兄弟と姉妹とを、 本当に宜しくお願いします。訓練も教育も充分していないですが、お願いします」と。本当にその様にして廻りました。 もう本当に、全く先が見えないというような状態を過ごしました。10年そこを通りました。 その間神様がおっしゃった事は何か?「愚かになって聞きなさい。」「すべき事は、愚かに従いなさい。」人間は、 月日がかかるのです。10年間、本当にそうした中におりました。


そして神様が、2008年の終わりから、語り始めて下さいました。1番最初に神様は、「この事をしなさい。」 何をしなさいとおっしゃったかと言うと、「ステージを造りなさい。教会の前に。」教会の庭って、本当に限られた庭です。 「長さ12メートル、幅が5メートル、高さ2メートルのステージを造りなさい。」クリスマス前に、 私は兄弟たちと一緒に造りました。「幅が狭い、こんなステージを造ってどうするの?」そこでクリスマスのコンサートを しました。兄弟姉妹も、求道者の方も、初めての人も皆、その2メートルのステージに上がって、 私一人、下にいて、観客は私一人。神様って時々、とんでもない変な事をされる。そうでしょ。 ぶどう酒が無くなったら、「水をいっぱいにしろ!」と、おっしゃる。皆さん、それできる?盲人の人の目が開かれると 言うのに、イエス様は泥で泥んこを作って、ただでさえ見えない目に泥を塗って。 神様は本当に私たちの考えからすると反対の事をされるのです。ステージを造りながら、私ねえ、 「こんなの作ってどうするのかなあ?」と、思いながら作りました。でもそれが後で効いてきた。 そこへ上った人たちが、今までに見た事のない高さから、町を見て歌ったと言うのです。その時彼らに、 不思議な進歩が湧いて来たのです。そして近所の人は、「先生、これ何建てるのですか?」なんてね。


次の年、2009年になってから、福岡の80ぐらいの教会が集まって、ゴスペル福岡という大きな大会をする事に なりましたが、たまたま、その時をほとんど違わずして、教会で場所を借りて、コンサートをするようになったのですね。 ちょうどその時、二つの事を神様がなされました。日本人の場合、教会に来てイエス様を求めるという時、 その8割は、幼い頃に福音を聞いていたか、どこかで一度福音を聞いていたという、過去があるのですね。 過去があって教会に来るようになる。もうゼロから教会に来て救われたという人はほとんどない。 1回どこかで福音に触れて、その人がある時悩んで教会へ行ってみようと言うケースが多いのです。 悩んですぐ教会へ行こうと言う人は、まずいないと言うのです。8割方がそうだと言うのです。神様はおっしゃいました、 「まずこの国は、まず福音を聞かせなさい。」ある大学生に、「イエスキリストって何人?」って聞いたら、 「アメリカ人。」と、言ったそうです。それで、「なぜ?」って聞いたら、「イエス様は金髪だから。」言っときますが、 映画の話ですよ。イエス様は金髪じゃないですよ、中東の方ですからね。でもそれぐらいが、日本人の聖書的な事に 対しての理解なのです。そういう中で、この国民は2度福音を聞かせる必要がある。1回は、ともかく福音とは何か。 「聞くことがないのに、どうして信じることがありえようか。」と、ローマ書が語っています。「まず聞かせるという事」、 それがすごく大事だということをおっしゃいました。


 もう一つは、日本の歴史を見る時に、官公庁の中に福音が入っていません。「官公庁の中に福音が入るようにしろ!」 まあそういうことから、2009年、神様の前に、「神様それでは、どの様にしたらよろしいでしょうか?」 祈っておりました。本当に多くの人に福音を伝える為に、まず伝える事をこの何年かに神様はおっしゃっているから、 その様にしよう。教会の横にですねえ、福岡工業大学という大学があります。そこが大きなホールを造りました。 そうしたら、教会の兄弟姉妹たちが言って来たのですねえ、「先生、ホールを借りて、コンサートをしましょう! 伝道集会をしましょう!」「じゃあ行っておいで。」行って来ました。彼らは帰って来て、 「先生、申し込んで来ました!」「ああそうか、何人ぐらい入るホールか?」と、聞いたのですね。 「2300人。」と、言ったのです。その時ちょうど福岡中の教会で、サンパレスという所を借りてやろうと言っていた、 そこも2300人。素人は何も分からないから恐ろしいですね。2300と聞いて、「ええー!」なんて言っていた。 そうしたら牧師はだめでしょ。「おうそうか。オフコース!」そして部屋に入りました。 「ああー、神様ー!一体何だろうこれ、神様ー!彼らを許して下さい。彼らは何も知らないで。」どこかで聞いた祈り、 イエス様が十字架に架かられた時の祈り。それは私の不信仰だったのですね。ところがね、これ、おじゃんになったの。 はっきり言って、ほっとしました。そうしましたら今度は、「東区で広いホールが!」 東市民センターは500人入るのですね。そこを探して来たのです。借りれた、という訳なのです。「あっちゃー!」 私は福岡で伝道委員をしていましたから、そっちもしないといけない。こっちで500人。 やった事もない事をしなくてはならない。もう一握りのメンバーしかいない教会ですよ。 「福岡全体で、ゴスペル福岡をやるから、絶対に他の教会のクリスチャンたちを呼ばないように。 キリストの身体が一つになってやろうとしている時だから。」クリスチャンは全部ゴスペル福岡へ、 私もそこで奉仕しました。それが終わってから、私たちのコンサートだったのです。ところがその申込みが、 どんどん、どんどん増えて行くのです。「どれぐらい来るかなあ?まあ500なんて、とても、とても、とても。」と、 思っていましたが、2週間前にはもう500を超えてしまいました。もう案内を全部止めるけれども、どんどん、 どんどん申込みが来たのです。「すみません、すみません、実はもう座席が無くて、すみません、すみません。」 断るのに大変。ちょっと大変だけれども、まんざらじゃないよ。「来なさい!」と、言っても来ないでしょ。 「来るなー!」って言うのは、いい気持ちよ、どこか。610人ぐらい申込みが来た。でもそこのセンターが目をつぶって、 予備のイスを50出して、550人入れてくれました。教会員全部出て、その集会は、未信者だけの集会となりました。 神様がなされる事は、本当に不思議です。


 次の年になりました。2010年です。このゴスペル福岡で、あそこの教会で、ロン・ブラウンという人を呼んでやったから、 あれだけ来たんだと言って、ロンさん呼んだけれどもさっぱりになった。なぜかと言ったら、人じゃないのですね。 業は上から下って来るものです。誰かが有名だから、「あの人を呼んで!」そうじゃない。業は上からです。 そして祈りました。「神様、今度は上から声をいただくまでは動きません。神様、あなたがせよと言われるまでは動きません。 あなたがせよと言われたら、三日か二日でもできますから、あなたが言われる事をします。それまで待ちます。」 それから神様は、「首長伝道をせよ!」と、言われる。教会へ帰って、兄弟姉妹に話しました。 皆、組長と聞き違えてね、「町内会の組長を集めるのですか?」兄弟たちが目を輝かせて、 「先生、とうとうやるんですか!この人を集めるのですか?」「違う、地域のリーダーを集めるんだ!」やった事もない。 どこでもそういう事を聞いた事もない。だからどうしていいか分からない。でもねえ、「やろう!」それは8月でした。 やり始めました。案内出しましたねえ。そして綺麗な和紙で、まず全部配りました。首長を選び出しました。 国会議員10人、県知事と市長16人、町長4名、警察署長13名、消防署長10名、自衛隊の司令官2名、 公安委員3名、大学の総長、学長10名、病院長、救急センター長含んでの27名、大手企業の社長16名、 運輸会社の社長5名、テレビ、ラジオ、新聞の報道関係社長12名、銀行の頭取6名、合計135名、 後で3人加わりましたから、138人の方たちに、「私たちはクリスチャンでございます。聖書に書いてありますように、 『国の指導者の為に祈れ!』と、ありますから、祈っている者です。そしてこの度、この様な事を覚えまして 、皆様に御案内を致します。」神様は、一つのタイトルを教えて下さったのです。「この日本の国に、 やがて患難危急の時が来ますよ。その時に色んな判断ができるのは、聖書の言葉を知っている事によるのですよ。」 こういう御案内をこの方々に出しました。そうして9月に、少しシャレたリゾートホテルの結婚式場を2つ借り切りまして、 コンサートをしたのです。ロン・ブラウンさんが毎年来て下さっていたので、この人を呼んでやっていたのです。 この御挨拶の中に、「こういう企画をしましたのは、一つの切なる祈りからです。 それは、これからの危急の時代を迎えるに当たって、永遠の神の言葉、聖書の持つ基準を知っていただき、 今後の人生の判断の一助としていただければとの願いです。よく人生は、選択と決断の連続と言われますが、 これからの時代に於いての選択決断は、多くの困難を伴うと考えられます。時代の大きな揺れ動きの中で、 今までの累積的な経験は役に立たず、起きて来る状況は非常に速いスピードで変化し、 又、問題も困難も肥大化して行く一方だから、その中から正しい判断を下して行く為には、聖書を今の内に知る事ですよ。」 このコンサートを10月にしました。実はね、このホテルにいっぱい来て下さったのです。 二つの結婚式場、合わせて400人収容の会場に、もう溢れてしまったのです。ホテルのボーイさん達が色んな部屋へ行って、 椅子を持って来ました。もうそれでも座れなかったのです。もう首長さんたちが家族も連れて来て下さいました。 でも多くの方が、この挨拶を見て、コンサートなのに何でこれは?と、思ったのですね。


ところがそれから5か月後、あの3.11がやって来たのです。いわゆる今までの判断も、計算も、 全部間に合わなくなったのです。想定外という事が分かりました。正に、想定外の中にいました。 そういう状況の中でコンサートをしました。3.11が来た時に、色んな首長さんたちから、電話があったり、 相談があったりしました。「あの時言われたのが、この事なのですね。」「どう聖書を読んだらいいのですか?」 「祈りというのは、どうすればいいのですか?」「神様がおっしゃった事を、そのまま私たちはするだけなのです。 神様が後、働かれるのです。」そして多くの方たちが、そこから求道を始めて下さいました。


 8月に、「神様、今年はどこで何をすればいいでしょうか?」と、聞いた時に、神様は、「自衛隊に入りなさい。」と、 おっしゃったのです。皆さん自衛隊というのは、「ごめんください、教会ですけど、コンサートをしたいのですけど、 お願いします。」と、言って、入れる所ですか?国家機密の場です。絶対に入れないです。でも、「入りなさい。」と、 おっしゃったからには、どこかに道があるのです。それで私が祈っていました時に、筑豊の方のチャペルに集っている姉妹が、 以前自衛隊の中のコンビニで働いていた事を思い出したのです。その基地には、1000人の部隊員がいるのです。 そこで、その人にまず頼んで、親しい人に打診してもらいました。その親しい隊員さんが上層部に上げて行って、 そしてそこの司令官の耳に入ったのですね。その司令官が、「うん、じゃあコンサート、来てもらおう!」 決まったのですねえ。そして、3つ条件があるとおっしゃったのです。1つは、「来た時に、演奏される方と、 あなたと二人で、是非司令官室に面会に来て欲しい。」「後、そこの部隊には、司令官と音楽隊長を入れて、 12人の方がそこにいる訳ですけども、一緒に会食して下さい。」「分かりました。食べる事だったらお任せあれ。」 そして最後に、ロン・ブラウンというサックスの方ですけど、「よかったら、音楽隊の指導をして下さい。」 「ああ、分かりました。」話がまとまりましたね。でもこれねえ、当日まで色んな準備をしなくてはならない。 週報にはね、「自衛隊に行きます。」と、書いてはいけないのです。国家機密になるから。 どこでおじゃんになるかも分からない。だから皆でね、「ブドウ園にしよう!」週報にもね、 「ブドウ園で働かれる1000人の人が救われますように!」未信者の方がそれを見て、 「先生、福岡には1000人も働かれる、ブドウ園があるのですか?」「う、うん、ある、ある!」当日が来ました。 入りましたね。司令官の所へ行きました。そうしたら司令官がもう、にこにこして面会してくれて、 「実はね、私の家内はね、クリスチャンなんです。」エステルがいたのですね。 「あなたコンサート?ゴスペル!やりなさいよ!」いたのですねえ。私たちは絶対に内密に、内密に、 慎重の上に慎重を重ねたのに、この司令官は、奥さんからも言われたのでしょうね。 「実はね、ゴスペルの集会をするのにね、九州の全部の基地に電話したんです。」と、言うのです。 「よせよ!こっちはブドウ園って書いて、必死になっていたのに。」そしてね、色んな基地に電話して、 「今度俺の基地でゴスペルコンサートして、聖書のメッセージやるんだぜ!」嬉しかったんでしょうねえ、 全部連絡したと言うのです。全ての司令官たちが言った事が、「うらやましい!」と、言ったそうです。


私は兄が二人、自衛官をしていましたから、自衛隊という組織が、どういう組織か分かるのです。 とても、「ゴスペルコンサート?うらやましい!」と、言えたもんじゃない。あの福島で、 一番ひどい所に入った白装束の部隊がいたのを、皆さん見ましたか?そこの部隊長さんは、 若い部隊長さんでしたけれども、「私も隊員も、ほとんど被爆しています。」もう、ぼろぼろになって自衛隊に 帰って来た時だったのです。そして本当に、コンサートをして、そして短いメッセージをしました。 具体的な事を話すのは、自衛隊法に関わりますから言えないけれども、「皆さん、人間は死ぬ時があるのです。 皆ね、死ぬような体験した人はすぐ分かる。死ぬ時は必ず来るのです。でも皆さん、その時、一人で死ぬか、 誰かが共にいるかで違うのです。あなたは死ぬ時、一人じゃないという事を、覚えて下さい。」 そういうメッセージをしました。そして、ロン・ブラウンさんが音楽隊を教えて下さいました。 皆さん本当に丁寧に送って下さいました。 それから半年経って、教会に電話があったのです。「もしもし、自衛隊ですけども、防衛省から、ちょっと聞きたい事がある。」 と、言うのです。それ聞いて私はぞっとしました。「実はこの前のコンサートの事で、隊員たちは、 すごく慰められたのです。」実は皆さん、神様には時があるのです。9月だったら入れたのです。 しかし私たちが入って、その3日後には、自衛隊は厳戒態勢に入ったのです。中国との問題を起こしたから。 もうそれからは、入れないのです。本当に限られた時に、神様が入らされたのです。 もうどきどきしながらその電話に出ましたら、実は防衛省の中で、非常に話題になったと言うのです。 そして、してくれた方達に、何とか御礼をしなければならないという事で、生まれて初めて賞状を貰いに行きました。 本当に神様は、不思議な事をして下さいました。司令官が座り、10人の部隊長が椅子に座り、何と、 「門番と電話番除けて、皆出席しろ!」という、司令官の命令ですから、いいですねえ、こういう伝道は。


 次の年になって、今年も自衛隊?いいえ、そう思いません。ダビデの戦いは、一回一回、全部違うのです。 神様は移動なさる方なのです。久松先生がコングレスの時に、本当に素晴らしい話を教えて下さいました。 「神様は移動なさる方です。」分かりやすく話して下さいました。本当にね、神様は移動なさる方なのですね。 だから、「今年は神様どうしましょうか?」2012年祈りました。神様は、「今度は教育関係へ入れ!」 しかもねえ、筑豊。皆さん筑豊ってね、昔、青春の門という有名な本がありました。山間地で筑豊という所があります。 3つの市と11くらいの町です。「そこの教育委員会に入れ!」「分かりました。」で、まず教会員に言いまして、 筑豊の地図で、全てのホールをピックアップさせて、祈りました。一つ決まったのですが、 地域交流センターというホールがある。日本で最大の炭鉱落盤事故があって、多くの犠牲者が出た、 その上に実はホールが立っているのです。よし、ここのホールに決めよう!そこのホールに申し込んだのです。 決まった次の日に、その町の事が新聞に出たのです。何が出たかと言うと、その町の中高生の子たちが14人逮捕された。 何で逮捕されたか?家で大麻の栽培をしていたという事でした。私はそれを見た時に、「しるしだ!」と思いました。 もうこの事で教育関係の先生方はボロボロですよ。ただでさえ筑豊は、日本で一番教育関係難しい所だと言われているのに、 そういう問題が来たらもう、ビシャー!ですよ。その先生方にまず手紙を書きました。「御案内」と書いて、 「校長先生、教頭先生、音楽指導の先生に、中高生、そして大学までの先生に、私たちはこの様にコンサートを 重ねてやってきました。ゴスペルやメッセージ、色んな事をやって来ました。でもこの度は、 この町の地域交流センターのホールでいたします。こういう風な人たちが来ます。4オクターブの声が出る様な、 そういう人も来ます。そして、先生方の御勤めになっている、この筑豊の地は、風情豊かな山紫水明な地であります。 そればかりでなく、この日本の国に良い影響を与える、優れた逸材を生み出している。日本発の、 庶民による吹奏楽団の創立。優れた作曲家や声楽家の輩出など、文化的豊穣の地であると、深く覚えています。」 いい文章でしょ。「先生たち、不良ばっかりよ、いくら教育しても駄目!」なんて書いちゃ駄目。後で教会員に手分けして、 全部の学校を訪問させましたら、ものすごく受けが良かったのです。 だけども先生たちは本人がいくら行きたくても、実は本人の意思では行けないのです。教育委員会の許可が無いと 先生たちは動けないのです。それで私たちは祈りました。神様はねえ、「あそこの市の教育委員会に行きなさい。」 そして行きました。「実はこういうコンサートをしたいと思います。」実は、17歳以下の子供たちには、 特定の宗教教育をしてはならない。これ、教育法にあるのです。だから教育委員会に行って、「公演の許可下さい。」と、 言っても無理です。そして一言お願いしまして、「実は、私たちはこういう風な活動をやって来ていたのです。 色々話をしながら、「実は防衛省の方から感謝状も頂いたのです。」と、ちらっと。「おっ!つきましては、 どういう書類を揃えたらよいでしょうか?」いいねえ!神様は、1回で終わらない方です。 神様は、場所は違うけれども、連続性を持たれる方です。向こうの方が、「分かりました。揃えましょう!」 そして、備えて下さったのです。公演証人決定通知書を、一つの市の教育委員会が、出してくれたのです。 これはすごい事なのです。宗教関係は、こういう講演会をしてはならないのです。だけども出してくれた。 これでもう、ほとんどの学校の、校長先生、教頭先生が、GO!になったのです。色んな教育長が集まりました。 嘉穂高校という、ブラスバンドで有名な学校があります。この高校は、全国大会で出たらほぼ金賞か銀賞を取る、 全国的に有名な学校です。ちょうどその日、試験があったのですね。でも幸いな事に、ここの校長先生といい、 皆この事に対して期待を持たれ、試験が終わったら、観光バスを待たしておいて送ってくれたのです。 40分間ずつ、別な所からも又来られ、そしてその地域交流センターのホールに、色んな学校の先生たちがお見えになり、 コンサートを持つ事ができたのです。それまでには、本当に困った事が起きたのです。 私たちが準備しました当日になりました。そのホールの前の広場で、町の祭りがある事は、ちょっと聞いていたのですが、 でも時間がずれているから大丈夫だと思っていました。ところがその祭りの為に、朝から花火が上がったのです。 ドーン、パパン、パンパンパーン!そしてそのお祭りの為に、和太鼓を練習し始めたのです。あれは腹に響きますよ。 ホールの中にいても、花火と、あの地響きが来る訳です。もうこれねえ、コンサート所じゃありません。 「うわー!備えたのにねえ、神様から聞いたはずなのに、ここまでいい具合に来たのに、うわー!どうしよう!」と、 思いました。3時からのコンサートです。でも、ドドドド、ドドドド、パーン、パーン、パーン、パーン! 「ああ、もうこれでおじゃんだ!」でも神様が始められた事は、神様が成し遂げられますね。2時半ぐらいになってからねえ、 真っ青だった空が、少しずつ暗くなり始めました。40分、50分、ほぼ、真っ暗になりました。 3時前に、ほとんどの観客が入りました。そして3時前に、さあ始まるぞと思う時に、いっぺんに始まったのです。 何が始まったかと言うと、最近100ミリ単位で降る雨があるでしょ。あれが、真っ暗になったと思ったら、 一斉に、ダーッと降って来たのです。太鼓も花火も駄目。あっという間にすごい雨になったのです。 でも私はその時もう、涙か、汗か、雨か、分かりませんが、「神様ー!本当に神様ー!」 色んな事を神様が教えて下さいました。させて下さいました。私はその時に、本当に一つの確信を持っています。 それは、この国は必ず開かれる。首長伝道をしました時に、私はこの案内を出してから、教会員と手分けして、 アポなしで訪問したのです。国会議員の事務所に行きました。色んな銀行にも行きました。あるいは企業にも行きました。 私は思いました。そういう本当に色んな事を通して、神様はこの国を見捨てていない。 昨年のGGPEで、正に世のバビロンの闇を打ち砕いた。私は本当に、「そうだ!」神様は生きて働かれる御方です。 「荒野に川が湧く。」どんなに人生、荒野に見えても、神様はそこに道を設ける。 どんなにこの国が閉ざされた様に見えても、伝道が難しい様に見えても、必ず神様は道を開けなさる。 皆さん、これからクリスチャン大変ですよ。ゼカリヤ書には、一人のイスラエル人の所へ、 10人やって来るという時代が来ます。「頼むからあなたの神の所へ連れて行ってくれ!」と。 どうする?今までは10人いても、その内の一人が来たらいい方だったが、10人の人が、しがみ付くと言うのです。 大変ですよ皆さん!信じますか!?日本の伝道は難しくないです。主はなされます。神が御業をなさる時、 その事が起こります。