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今月の礼拝メッセージ

~礼拝メッセージ~

2018年06月
<NOAH・テレイオスチャーチ>●小川 和秀牧師●

   NOAH・テレイオス・チャーチという名前なのですが、テレイオスって何だろう?と、皆さん考えられると思うのですね。 テレイオスというのは、「完成」とか、「成熟」という意味のギリシャ語なのです。それで、テリオスかな?と思ったら、 調べて見たらテレイオスだったので、テレイオス・チャーチという名前を付けました。NOAHというのは、 世界の終わりの時に用いられるBTGの使命と合わせて、NOAH・テレイオス・チャーチという名前を付けました。 昨年の9月の開所式に、久松先生御夫妻、そして木村先生御夫妻、又、二人の兄弟から、賛美を捧げて下さり、 本当に祝福して下さいまして感謝でした。又、御祝いをいただき、それだけではなくて、その開所式に合わせて、 1万枚の教会案内を新聞折り込みにして配布したのです。その様な費用を全部持っていただいて、本当に感謝でした。 それだけではなくて、今年の3月から、毎月千部の教会案内を配って行くという、その印刷も全部そちらの教会で引き受けていただきます。 5月、6月も、これからもお世話になりたいと思っています。本当に感謝です。皆さんと一緒に、このBTG、 そしてコングレスWBNの進んで行く道を、一緒に歩める事を感謝します。



 創世記12章1節~8節 アブラハムは信仰の父と呼ばれていて、神の民であるイスラエル民族は彼から始まっているのです。 救い主イエス・キリストも、アブラハムの子孫として地上に誕生されました。 そして主イエスを信じる信仰によって生きる私たちも、実はアブラハムの子孫と呼ばれているのです。 ですからアブラハムの存在というのは、聖書の中でとても重要な位置を占めています。神様が彼をどの様に導かれ、 アブラハムがどの様に神様に従ったかという、これを学んでいく事は、私たちにとって素晴らしい祝福となるということを確信しています。 今日は一緒に、神様の召しを受けたアブラハムの信仰を学んでいきたいと思います。 最初にこの箇所の時代背景というものを確認しておきたいと思います。アブラハムの生きていた時代は、 紀元前2千年頃と推定されています。今から4千年前の事です。メソポタミヤの都市のハランという所に、 アブラム、後のアブラハムですけども、父親のテラと、妻のサライと、甥のロトと生活していました。 ちなみに、アブラムの生まれ故郷は、ユーフラテス川の下流にあるウルと言う町、彼らはそこにいた時に栄光の神様に出会って、 「あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け!」と語られて、約千キロの道のりの旅をして、 ハランという所にたどり着き、そこに住みました。ハランに住んで何年か経ち、父のテラはそこで死にました。 12章の1節「その後」というのは、そういう経過をたどった後の事です。さて今日は、この箇所を3つの視点から見ていきたいと思います。


 まず第1に私たちが注目したい事は、人間の計画と神様の御計画の違いについてです。 1節~3節は、神様がアブラムの生まれ故郷、ウルにいた時に語られてから、2度目の語りかけがあったと考えられます。 彼は1節にありますように、「わたしが示す地へ行きなさい。」と、神様からはっきり語られました。 ここには相反する二つの計画があった事が分かります。まず人間側の都合です。生まれ故郷のウルというのは、 アブラムにとっては居心地の良い所であったでしょう。幼い頃から親しんできた友人がそこにいます。 近所の人々も彼の事を良く知っています。彼を理解してくれています。心強い人間関係を築いて、 とても良い環境ができていたことでしょう。又、お父さんの庇護の下、親戚や親族の協力とサポートの中で、 安心して生活できたにちがいないです。何の心配もない。人間的に考えるならば、アブラムは居心地の良い環境を捨てて、 親しい人々に別れを告げて、親族や友人の全くいない見知らぬ土地へ向けて旅立つ必要は全くないのです。 むしろ生まれ故郷のウルや、現在の場所ハランに留まって、安定した環境の中で、残された生涯を安心して暮らしていく事の方がはるかに良い選択ですよね。 ある日危険を冒して、彼が聞いた声に従って出て行く事を選ぶ理由は何もありません。アブラムがその声に従って出かけて行って、 約束通り彼が祝福されるかどうか、それは実際に行動してみなくては分からない事です。何の保証も無い。担保も無い。 予想する為のデーターも無い。ある意味その声の主を信用するかしないか。ギャンブルのようなものと言えるかも知れません。 生まれ故郷に留まって、ハランに留まって、今まで通り生活をして、死ぬまでそこにいる。これが最善の道だと思われます。 アブラムはこの時、75歳になっていたのです。若い頃のように、危険を冒して冒険するような年ではありません。 おとなしく余生を安楽に暮らした方が、どれだけ良い事か。きっとアブラハムにも、自分の今後の事について、 いろいろ計画や考えがあったはずなのです。そしてそれは彼にとって、最善の道だったはずです。 これが人間の考え、計画、彼の人生設計ですよね。所がアブラハムの人生に、突如別の存在が割り込んで来ました。 その御方は、唯一真の神様御自身であったのです。アブラムはこの当時、まだこの御方の事は殆ど知らなかったに違いない。 彼が生まれた町、ウルというのは、月神礼拝が盛んでした。それはウルだけではなくて、彼がこの時住んでいた、 ハランも同じくそういう町だったのです。それらは物言わない同じ偶像の神々であって、 アブラムも多分この様な偶像礼拝に係わっていた事でありましょう。そこには一方通行の偶像礼拝しか無かった訳です。 しかし彼に現れて語って下さった方は、その様な偶像神とは明らかに違っていました。そこにはただの一方通行ではない、 双方向の人格的な交わりがあったのでした。祝福の約束の命令。そして世界大のビジョンがあったのです。 しかしそれと同時に沢山の分からない事や、不安な要素、予測できない事も山ほどありましたが、それ以上に彼の内に、 唯一真の神様に出会う事ができたという、大きな喜びが魂の内側から湧き出たのではないかと思うのですね。 主が約束しておられた、祝福というもののほんの一部であったとしても、既に彼が神様の声を聞いた時に、 それを味わいつつあったのではないかと思うのです。真の神様と出会う事は、驚くべき事、素晴らしい事、 そして豊かな祝福に満ちた事です。彼はその祝福を受け取っていたはずです。なぜなら神様の御計画というのは、 「災いではなく平安を与える計画であり、将来の希望を与える為のものだ」と、聖書に書いてある通り、 神様の御計画によって、アブラハムに触れて下さったその経験は、心躍る経験であっただろうと思います。 この様にアブラハムの人間としての将来に対する計画と、突然彼の人生に介入して来られた神様のアブラハムに対する計画は、 真っ向からぶつかる事になってしまいました。この経験を、彼はどのように選択して行く事になったのでしょうか。


 第2番目に、私たちは神様の御計画と、その召しに注目したいと思います。 実は神様がアブラハムに持っておられた御計画というのは、アブラハムという一個人の小さな枠に留まらないのです。 彼の子供、孫、更にその子孫にまで及ぶ、大いなる祝福の計画があって、しかも人類全体が彼の存在を通して祝福を受けると語られている、 驚くべき壮大なスケールを持った御計画でした。明らかに神様の御計画というものは、アブラハム個人の為のものであるようで、 本当はそうではない。何よりも、最初に人類に対する神様の救いの為の偉大な御計画があって、 そしてこの御計画を実行し実現する為に、一方的な恵みによってアブラハムが選ばれたというのが真実です。 これを神様の召しとよびます。神様の偉大な御計画があって、その計画の為に人を神様が召される。 神様は御自分の永遠の御計画の為に、一人の人アブラムを召し、全知全能の偉大な神様御自身が、 ちっぽけで罪深く小さな愚かな弱い者に目を止めて、側に近付いて来て下さった。呼びかけて下さった。 そして何と御自身の尊い御計画の中に用いて下さる。これは本当に聖くて、そして一方的で、 素晴らしい大いなる恵みの出来事です。これが彼の生涯で起きた事です。そして実はこれと同じ事が、 私たち一人一人にも起こります。全知全能の神様が、天地万物を創られた偉大な神様が、 どういう訳か皆さん御一人御一人の生涯に介入して来られる。色んな方法があったでしょう。友達から誘われたとか、又、 聖書を一人で読んでいたら、色んな事が分かってきたとか。イエス様の事が知りたくて教会に通い始めたとか、 色んな経験があります。けれどもそれを導いて下さったのは神様です。どういう訳か神様が、 皆様御一人御一人の人生に係わって下さって、それは御計画が先にあって、皆さんを用いようとして、選んで召して下さって、 ご自身の下に引き寄せて下さって、声を掛けて下さったのです。同じ事です。信仰の父であるアブラハムが受け取ったものと同じものを、 私たちはいただいているのです。神様の御計画には、そこに召されたアブラムに対する豊かな祝福が約束されています。 召しには約束が伴っています。2節~3節「そうすればわたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、 あなたの名を大いなる者にしよう。あなたの名は祝福となり、あなたを祝福する者をわたしは祝福し、 あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の全ての民族があなたによって祝福される。」当時、アブラムには子供がありませんでした。 これはアブラムにとってはとても辛い現実です。人間的にはなかなか解決も困難な課題であって、 彼はそこに少なからず行き詰まりを感じていたでしょう。このまま行けば彼は、後継ぎが無いまま死んで行く事になります。 ところが彼に目を止め、ご自身を明らかにして、彼を召して下さった神様の御計画は、そうではなかったのです。 「あなたを大いなる国民とし、」という約束を与えて下さいました。これはアブラムに実の子供が与えられるという事だけではなくて、 孫やひ孫、更にその孫、子孫が増々増え広がる事を意味します。しかも、大いなる国民とありますから、弱くて小さな民ではなくて、 神の栄光を現す事のできる強い勢いのある民として、増え広がるという事がそこに約束されている訳です。 これは2節から3節を見ますと、実に祝福という言葉のオンパレードです。神様は御自分の計画の為に召したアブラムという器を、 唯一の祝福の注ぎ口として、人類のあらゆる民族、豊かな祝福で満たそうとしておられるのが分かります。「地上の全ての民族は、 あなたによって祝福される」という祝福。これはアブラムが神様の祝福を注ぎだす器として選ばれたという事です。 神様の特別な祝福は、このアブラムと彼の子孫以外の所からは私たちの所へはやって来ない。 それは必ずアブラムという器から溢れ流れて、全人類の上に広く浸透して行く、これが神様の御計画です。 その為に一人の人アブラハムを選んで下さったのです。召して下さったのです。驚くべき事にアブラムは、 その為に神様によって選ばれ、召されて、御声を掛けていただいたのです。そしてこの神様の偉大な御計画は、 アブラハムの子孫として誕生された、神の御子イエスキリストとして見事に成就しました。この御方を信じる者は、 どの時代のどこの国のどんな人であろうと、全ての罪を許されて、永遠の命を受ける事ができます。それは人類にとって、 どうしても受け取らなければならない最高の祝福です。このイエス・キリストを通してのみ、その祝福を受け取る事ができます。 これが、「地上の全ての民族は、あなたによって祝福される」と言われた、神様の御計画の成就として現された事なのです。 この様に神様の召しには、豊かな祝福を伴っています。召されるという事は、この上ない恵みなのです。


 さて最後に、神様の召しに答えるアブラハムの信仰について見ていきたいと思います。アブラムは神様の呼びかけに答えて、 彼の生まれ故郷ウルを旅立ち、更に母と父を後にして出発しました。何の保証も無く、何の担保も無く。 どこへ行けと言われるか分からないまま、出かけて行ったと新約聖書に書いてあります。本当にこのアブラムは、 ただ神様に呼びかけられた、自分に約束されたその御言葉だけをにぎって、ただそれだけで出かけて行った。 これがアブラムに起こった出来事でした。彼の信仰の出発点はそこだ、それは神様の御自身の御計画を持って、 私たち人間に近付いて下さる神様の召し、神様の御言葉が彼の出発点でした。それは聖書に書いてある通りです。  ローマ人への手紙10章17節「さて、信仰は聞くことによるのであり、聞くことは キリストの言葉から来るのである。」聖書の御言葉を受け取って、私たちはそこからそれに答えて行く事で、 信仰が私たちに与えられていくのです。御言葉が皆さん御自身の御一人御一人の生涯に来たはずなのです。 神様が召して下さった御言葉が来た。その御言葉を持って、イエス様を信じる事ができたはずです。神様の召しとして与えられて、 そこからそれに答えて、イエス様を信じてその召しに応答したはずです。そこが信仰の出発点だということです。 信仰はただ心の中で信じて、黙って自分の中だけに閉じ込めておくようなものではありません。信じて具体的に行動する事で、 信仰は表に現れるのです。アブラムは神の召しを拒む事もできました。神様は強制的に彼を無理矢理に動かそうとはされない御方です。 召しに答える信仰を神様は喜ばれる御方でした。神様は人間に自由意思を与えておられて、神様御自身が、 それを非常に尊重される御方です。人が自分の意思を持って、神様を信じて従って行くのを本当に待っていて下さる方なのです。 アブラムはこの神様に、自分をゆだねて従いました。もちろんそこには具体的な行動が伴いました。 すなわち4節にありますように、ハランの町を出発して、カナンを目指して旅立って行きました。 その距離約、700キロメートル。この先何が待ち受けているか全く予想もできません。 町に留まっていれば合う事もない危険に遭う。災い、飢えや乾き。盗賊に襲われたり、 自然の災害によって弱ってしまう事も充分に考えられる。そんな危険のある出来事です。しかもカナンの地に行ってみると、 どこへ神様が導かれるか今ははっきりしない。どんな土地で、どんな人々が住んでいるか、どんな気候なのか、 全く知り合いのない見知らぬ土地へ、彼はただ信仰だけによって、御言葉をにぎって旅立って行ったのです。周りの人たちは、 どんな反応をしたと思いますか?「狂ってしまった。彼はもう何もかも分からなくなってしまった。」どんなに説得しようと、 彼は気にならなくなっていたのです。何が待っているのかも分からない。そんな所へどうして行くのか、 人々は全く理解できなかったでしょう。しかしアブラハムには確信があった。信仰があった。御言葉が、約束があった。 ただこの神様だけを信じて出かけて行ったのです。これは皆さんの人生でも起きる事ではないでしょうか。


イエス様を信じるか信じないか、これは人生に於いて本当に一番大切な選択、分かれ道ですね。 皆さんもきっと色んな人からの説得だとか、「止めた方がいいよ!」とか、反対を言われるかもしれない。 しかし私たちは与えられた信仰によって、「イエス様信じます!」その召し。神様が呼んで下さり、振り返って下さり、 私たちの生涯に係わって介入して下さって、御自身を現して下さったその神様に信頼して私たちはイエス様を信じたのです。 アブラムに起こった出来事と一緒です。7節で、神様はアブラムに表れています。「あなたの子孫にわたしはこの地を与える。」 又、再び現れて語って下さいました。神様が語られた私が示す地とは、カナンの地です。 そして彼はその土地で最初の祭壇を真の神様の為に築きました。もちろん神様と崇めて礼拝する為だったのです。 又、8節にありますように、彼はベテルという町の東の山の方へと移動して天幕を張って、そこで又、祭壇を築いて、 今度は主の御名で祈ったとあります。神様と親しい人格的な交わりが始まって、育っているのを見る事ができます。 神様の召しに従って、神様の御計画と共に進んで行くその道のりは、神様と二人三客、イエス様と二人三客、 本当にそこで呼べば答えて下さる神様が共にいて、私たちを1歩1歩導いて下さる、その道のりなのです。  もう一つ、私たちのコングレスWBN、このコングレスWBNに、私たちが神様によって召されて、 そしてこの先どうなるか分からない、その中を本当にこの御方を信じて進んで来た道のりは、 正にこのアブラハムと同じだったということを気付かされます。私は特にこの事については、本当に迷い、 そしてもう一時は、このコングレスWBN、BTGは、訳が分からないという事で、もう関わらないようにしようと思った事もありました。 ウッドロフ先生が2004年に、初めてこの日本でセミナーをして下さる時に、私は夫婦で一緒に参加しました。 その次の年にもウッドロフ先生が来て、メッセージを語って下さいました。何にも私たちは分からなかった。 これからどうしたらいいか分からなかったのです。でも長い間係わりを持っているOKF、岡山、香川、 フェローシップという牧師の交わりがあったのです。それは久松先生がリーダーシップを持って、その交わりを導いて下さる、 その先生方が、私たちの知らない内にBTGを受け入れて、そしてどんどん入って行かれるのです。気付いてみると、 もう私と家内だけがBTGに入っていないという感じでした。でも本当にどんなに一生懸命メッセージを聞いても、 分からないのです。BTGが何を目指し、どこへ行こうとしているのか、そしてそこにどんな祝福があるのか、 全然分からないまま、私たちはずるずると、保留した状態で来ました。ある時久松先生が、 私たちの為に学びの時を持って下さると言うのですが、でも私はその学びを何とかして断ろうとしていたのです。 一生懸命言い訳を考えながら、最終的にはもう本当に、「御断りします。」と、言おうと心に決めていました。 でも御言葉が来たのですね。「あなた方が学んでいるものは大切なものであって、これを追って進んで行くべきだ。」 という御言葉があったのです。もう神様から示されてしまった訳ですから仕方がなくて受けました。そこから少しずつですけども、 神様が理解を与えて下さって、この素晴らしい道がどんなものであるかを少しずつ示して下さいました。


そして2015年の従事セミナーに、ウッドロフ先生が来て下さったのです。「終りの時代に私たちの持つべき信仰はこれだ!」 もうはっきりと明確に示して下さいました。その時私たちは道を選んで、一緒に進んで行く決意をさせていただきました。 そこには私がその当時所属していた教団との関係がありました。BTGを進んで行くと、教団の中でその牧師として働く事には、 決して一つにならないのです。日本聖約キリスト教団、30年以上そこで育てていただきながら、奉仕させていただいたのです。 本当にいい教団で、私の愛する家族の様な教団です。そこで働いて来ましたし、これからも働く事だと考えていました。 私には計画があった訳です。でも神様は御言葉を示して下さいました。それが今日、皆さん御一緒に学んだ、 創世記12章1節の御言葉でした。「あなたはあなたの生まれ故郷、あなたの家を出て、わたしの示す地に行きなさい。」 あなたの生まれ故郷とは一体何でしょうか。私にとっては、私を生み出してくれた、救ってくれた日本聖約キリスト教団、 私の家族、私の一緒に成長してきた兄弟姉妹たち、その群れです。「あなたの父の家を出て、」私の群れが、 まさに父の様なもので、私の神様が父なる神様なのですけども、私はそこに置かれて、そしてその環境の中で、 今まで自分に頼って、それが私にとっては父の家なのです。でも、「私の示す地へ行きなさい。」 色んな事がありましたけれども、私はそこを出て、そして神様が示す地へ向かって、その方向へ進んで行く決意をいたしました。 アブラハムと同じように。何の保証もなければ、何の確かなデーターもない。分からない所の方が多い。 「これから大丈夫だろうか?」と。色んな事がありましたけれども、神様の御言葉だけを持って、 そしてその通りに従わせていただきました。そういう中で皆様と御一緒に、こうして神様を礼拝し、神様と共に歩み、 そしてその示された所へ全力で、困難もありますし、辛い事もありますし、分からない事も沢山ありますし、 「前に進んでいるのかな?」と、思う事もありますけども、でも間違いなく、「主に示された道はこれだ!」 と確信して皆さんと一緒に進んで行きたいと思います。





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